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アジア読書日記
アジア全般
東アジア共同体 −経済統合のゆくえと日本ー
著者:谷口 誠 
 外務省出身の学者による東アジア共同体論である。これも前回帰国時のブックオフ仕入れであり、初版の出版は2004年であるので、アジア危機の記憶がまだ残っている時期の、そして中国の今後の成長の可能性が至る所で言及されているが、例えばGDPや外貨準備が日本を越えた現在と比較すると、まだ地域経済大国としての実感がない時期の作品である。そのせいか、中国との距離をより縮めるべきとする方向の議論が多く、現在の中国のやや傲慢な外交方針や軍備拡大などを念頭に置くと、やや楽観的からと思われる部分も垣間見られる。しかし、基本的には、対米一辺倒で柔軟性や自主性を持たない外交から、地域の連携強化を目指した能動的且つリーダーシップを取る外交を強く慫慂する著者の姿勢は、基本的な部分では共感できる。著者は、日本人初のOECD事務局長等も務め、国際機関での勤務が豊富であったこともあり、アジアを巡り過去に行われた、日本の実際の政策決定の裏側もつぶさに見てきたようで、その反省も含めたこの7年前の議論は、現在も決して有効性を失っていないと思われる。その具体的な議論を見ていこう。

 まずこの本が書かれた時の、アジアを巡る外交関係を簡単に整理しておこう。時は第二期小泉政権が郵政改革に邁進していた時期。1997年のアジア通貨危機に際して日本が提案したAMF(アジア通貨基金)構想が、米国と中国の反対で潰された後、その通貨危機で最も厳しいダメージを受けたタイのイニシアチブでASEAN+3フォーラムでの地域統合の協議が開始されていた。小泉首相は、2002年1月のシンガポールで、「東アジア・コミュニティー」を提唱し、また2004年9月には国連総会で「東アジア共同体」構想に言及。従来の対米一辺倒の外交から一歩踏み出そうとしていたが、対中外交においては靖国問題を契機とした首脳外交の断絶という事態も抱えていた。他方、経済面では、中国のみならず、東南アジアも通貨危機のショックから立ち直り、順調な成長を遂げている。そして、中国が世界経済を牽引していく可能性が徐々に言及されつつあった。そうした環境下で、著者は「世界経済が新しく三極構造化する中で、日本が、米国、欧州とも協調を保ち、躍進するアジアに軸足を置き、アジアと共に歩むべき」と主張していくのである。

 その議論を著者は、まず「東アジアの地域統合の必要性」から始める。大きな環境認識としては、戦後の世界貿易の枠組みを支えたGATT/WTOが、欧米や日本の支配下で運営されたため、今や途上国やNGOのプレッシャーで機能不全に陥ったこと、そしてそうした中で欧米諸国もNAFTAやEUという地域統合を進めると共に、それを基盤とする域外諸国との個別の地域協定を積極的に推進してきていた。しかし、その中で日本は、2000年にシンガポールとの間で「経済連携協定」を締結した以外は、古いGATT/WTOの枠組みに固執するという旧態依然たる姿勢を変えることはなく、その結果グローバリゼーションの下で起こっている地域化の波に完全に乗り遅れてしまったのである。そしてそれはまさに、日本が「対米関係を重視するあまり、アジアにしっかりと軸足を置くことができなかった」ことに起因しているのである。

 著者は、通貨危機以降のASEANを軸にしたアジアの地域統合の流れを整理している。まず通貨危機自体は、短期資本への依存や資本市場の自由化を急ぎすぎたことが主因であった。そして前記のとおり、日本の主導したAMF構想は潰されたが、「新宮沢構想」によって提供された総額800億ドルの支援は、その後の回復に貢献したとされる。更に1997年以降定例化されたASEAN+3フォーラム。ここで日・中・韓3カ国とASEANの合計8カ国で導入された通貨スワップ協定に対しては、米国も反対することがなかったが、これは「米国の通貨危機時の反省、なかんずくAMFを潰したことの反省」があったという。またここでは中国が積極的な姿勢に転じたことが重要であった。こうして始まった東アジアでの地域的金融協力は「次第に貿易、投資、経済援助問題などを含む地域的経済協力へ広がる」と共に「広く政治、安全保障の問題までも協議される」ようになったのである。

 中国の政策転換は、ある意味劇的である。米国に揃いAMFを潰した後の2000年11月のASEAN首脳会議で、朱鎔基首相(当時)が「中国・ASEAN自由貿易地域の創設」を提案し、その後、その交渉は急速に進んでいるという。同時に朱鎔基は、日・中・韓での協力関係深化、特にETF締結検討を提案する等、経済統合に向けてのイニシアチブを取ったという。併せて韓国も、こうした地域統合には「中国に次いで積極的」であり、ASEANとのETF交渉を前倒しで進めている。

 こうした中で「貿易パターンが対米、対欧、対アジアと多岐にわたり」また「国際的に弱体である日本の農業を如何に護るかという、国内政治上、極めて重要な問題がある」日本は、この方向への舵切りに慎重であった。2002年11月、シンガポールとの間でEFTよりも幅広いEPA(Economic Partnership Agreement)を締結したが、これはシンガポールが農産品輸出国であったため容易であったことによる(日本がこの交渉で、農業に加え、金魚を除外した、というのは不思議である!)。しかし、中国や韓国の積極的な姿勢を受け、前述の通り、日本も、小泉首相(当時)の、2002年1月の「東アジア・コミュニティー」や2004年9月の「東アジア共同体」構想等に言及、具体的には「日本・ASEAN包括的経済連携構想」という議論を始めることになる。これはタイ・マレーシア・フィリピンとの個別EPAの加速やメコン地域開発協力など5項目からなるが、この本とは別に確認したところでは、2007年11月、日本・ASEAN首脳会議で交渉妥結が報告され、まず2008年12月、日本、シンガポール、ラオス、ヴェトナム、ミャンマーの間で発効。続けて2009年にブルネイ、マレーシア、タイとの間で、「日本初の複数国間での経済連携協定(EPA)」として順次発効している。但し、著者はこの「東アジア・コミュニティー」構想が、中国や韓国との連携がなく、むしろ状況によっては特に中国に対抗する措置と思われかねない面もあることから、結局日・中・韓での協力関係を並行的に進めていく必要があるとしている。

 もちろんこうした東アジアでの地域統合は、EUに比べ、その歴史も、政治・経済・社会的条件も異なることから容易ではない。著者はこの地域統合への障害を整理しているが、まず指摘されるのは、「共同体意識」の醸成という問題である。EUでは、特にフランス・ドイツの間で同様の問題があったが、現在のアジアでは、特に日・中・韓での「共同体意識」の欠如が最大の問題である。外務省首脳の、「日米間には『共通の価値』があるが、日中間にあるのは、共通の『経済的利益』だけ」という発言は、この壁の高さを物語る。それが「相互信頼関係」にならなければ、共同体への進化は生まれないが、これは簡単ではないという。著者は、中国胡錦濤政権が、この時点で「平和的台頭論」を打ち出し、また一部知識人の中には「対日新思考外交」という議論が出てきているが、こうした流れが安定し、日中の次世代を担う人材が養成されること(残念ながら、それを期待される世代が、実態的には最もナシナリスティックな傾向になっているという問題)が最低の条件であると考えている。

 更に著者は、戦後の日本が、戦前の「脱亜入欧」そのままで、第二次大戦以前の外交の失敗を踏まえた長期展望を持ったアジア外交を展開してこなかった、と批判する。特にこの本が書かれた時期で、その結果としての混乱の例として挙げられているのは、2003年12月の、東南アジア友好協力条約への加盟であった。これはその2か月前に開催されたASEAN+3首脳会議で小泉首相が一旦拒否したが、直後に中国とインドが加盟したため急遽方針を変更し加盟したというものである。この条約が、日米安全保障条約に抵触する恐れがあるというのが当初の拒否の理由であったようだが、こうした「不必要なまでの米国への気遣い」の結果、「中国にイニシアティブをとられ、(中略)結局は中国への対抗意識から、中国と同等、あるいはそれを上回る措置をとらざるを得なくなる」典型的な例であるという。またOECDが1997年に、中国のGDPが2020年に米国や日本を抜く、というレポートを発表した際には、「こんな馬鹿げた研究をする機関からは脱退すべき」ということで、この研究を担当したOECDの開発センターという組織から実際に脱退したという。

 しかし、「日本が好むと好まざるにかかわらず、アジア、特に東アジアのダイナミックな発展は今後も続く。」特に中国の経済成長により、むしろ今後アジアをリードするのは中国になっていく可能性は充分にある。そうした中で、日本が生き残るには、まず日本がリーダーシップをとって東アジアの共同体意識を作っていくことが求められる。そのためにはまず日本自身、政治指導者や官僚、そして一般庶民の意識をその方向に変えていくことが求められるのである。

 こうして「東アジア共同体」に向けての障害を指摘した上で、続いてポジティブな要素を考察していく。まずその経済規模を見ると、拡大EUやNAFTAと比較すると人口規模での大きさは言うまでもないが、国民総所得(GNI)でも購買力平価を調整すると、2002年時点で既にEUを上回り、NAFTAに接近している。そして経済成長力についても、日本を除く域内各国は今後軒並み7−8%成長が予想されている。そう考えると、ここで「実効性のある経済共同体」が出来ることの意味は大きい。

 その上で重要なのは、域内の相互依存関係の発展である。まず東アジアでは、貿易量の増大と共に、「対外市場、とくに米国市場への依存度を減らし、それと共に東アジア域内市場への依存度を高めつつある」ことが統計で読み取れるという。但し「日・中・韓3か国間の域内貿易比率は、輸出入とも20%前後で、これら3か国経済の相互依存関係からみれば、予想外に低い」が、これは、この3か国の貿易がまだ米国やEUを中心に多角的であり、なお且つ3か国間のFTA協定が締結されていないことが理由であるとされている。それでも日本の対アジア貿易が、輸出を中心に近年伸びていることも確かであり、日本の立場でも域内市場の成立はより重要になってきているのは間違いない。

 他方で投資の流れは、まだ貿易ほど活発ではないと著者は言う。その要因は、特に「中国への香港、マカオからの直接投資を除けば、域内最大の供与国である日本に依存せざるを得ない」が、その日本の直接投資が依然米国及びEUに向けられており、東アジア向けはむしろこの時点ではアジア危機もあり減少していることによるという。これが現在どうなっているかは興味深いところであるが、日中間のFTA交渉などの投資枠組みの設定も重要であると著者は指摘している。

 しかしそこでもまた最も重要なのは日・中・韓の連携であると著者は言う。特に日本は、中国とのFTAは「中国がWTOのルールを遵守する“良い国”になってから始めようという」消極的姿勢を続けているという。しかし、ここでも中国の動きは速いことも予想され、また同じく消極姿勢を取っている韓国の動きも注視しなければならないという。
 
 ここまでは、東アジア経済共同体へ向けての現実の分析である。それでは、これを促す理念的なモティベーションは何か?結論的に言えば、著者は、それは「東アジアの協調的分業体制の確立」であり、それが日本経済の回復とアジア経済全般の成長に寄与すると、著者は考えるのである。

 既に現在までの「雁行型発展」で、事実上穏やかな分業体制を形成してきたアジア経済であるが、これを更にダイナミックに発展させる上で、一層の経済統合が必要であるとする。
 ここで著者が示すのは、日本社会の急速な老齢化であり、この先進国病を食い止めるには、東アジア共同体の形成を軸にした、産業構造のハイテク産業への特化と、アジア諸国からの労働力の受け入れが必要であると説く。他方、特に著者は中国を意識しているが、東アジア諸国は、急速な成長は遂げたとはいえ、まだ成長過程の多くの問題(経済バブルの管理や人口老齢化等)を抱えており、日本は「最も経験豊かな先輩国として(中略)多くの成功例と失敗例を示すことができるであろう。」また現在財政的余裕がなくなり減額されつつあるODAも、欧米各国と協議し、アジアは域内経済共同体の中で主として日本が担当するなど、戦略的な配分を行うことを模索すべきとする。東アジア経済のネックである技術力の日本からの移転についても、慎重な意見を戒めつつ、むしろ日本は古い技術は積極的にアジア諸国に開放し、新技術の開発に集中するべきであるとしている。

 更に、現在ASEANや中国に主導権を握られている東アジア共同体の議論の中で、日本が主導権を握れる幾つかの分野があるという。それは例えばCo2排出量の管理といった環境分野や、中国の「西部大開発」計画における経済インフラ整備、水資源開発、大規模灌漑、退耕還林等での技術支援や人材養成等である。またグローバルでエネルギー資源が枯渇する中で、成長途上の東アジア諸国が各自で競争的な行動に走るのは非効率である。東アジア共同体ベースでの省エネルギーや備蓄に始まり、資源開発や共同購入のインフラ作りなど、広域ベースでの効率的な対応が可能であると考えている。

 また経済共同体形成に向けての日本の最大の問題である農業問題についても、著者はやや突っ込んだ議論を行っている。著者は、過去のWTOやAPECでの交渉に際し、農業交渉での頑なな姿勢により結局日本の立場を苦しくしてきた実例を挙げながら、「従来の一貫性を欠く不明瞭な農業保護政策から脱却し、農業の自由化を前提とした対応策をとる必要があり、それがまた『東アジア共同体』成立のためにも不可欠である」とするのである。そして欧米の戦略とも比較しながら、食料自給率や備蓄の議論も展開しているが、このあたりは外務官僚として、農林省を始めとする農林族に苦しめられてきた経験が反映しているのであろう。これはまさに極度に政治的な課題であり、現在も菅政権がTPP(環太平洋連携協定)問題で迷走している分野であるが、これ以上立ち入ることはしない。

 そして最後は金融分野での統一政策である。AMU導入失敗の経緯やチェンマイ・イニシアチブでの日本の及び腰などは既に冒頭で触れたが、これらもまた日本の対米追従外交と円の国際化への慎重姿勢の結果であった。そうした中で、私の業務でも関連する計画としては「アジア債券市場」構想等があるが、これは必ずしも現在でも順調に拡大しているとは言えない。むしろ為替相場政策の協調を図るような動きの方が、現実的な域内の信頼強化に結びつくのではないだろうか?それを受けて地道に「アジア共通通貨圏」の議論を積み上げていくことが必要なのだろう。

 2003年10月、バリで開催されたASEAN首脳会議で、「ASEAN安全保障共同体」、「ASEAN経済共同体」、「ASEAN社会・文化共同体」という3つの共同体の設立を目指す宣言を採択したという。ASEANは独自にその連携を深めており、その流れの中で日・中・韓を加えた関係も、単なる経済共同体を越えていく可能性もある。その時に、日本が中国や韓国との意思疎通を欠いた状態であると、ASEANとの関係自体が、この2カ国との駆け引きの材料になり、それは当然ASEAN側からも好まれないことは明らかであろう。ASEAN+3カ国の枠組みを維持しながら、相互の交流による信頼感を深めていくこと。全ての基礎であるこうした意識と行動が、新しい地域共同体の基礎を作りだすと考えるのは、著者だけではないであろう。もちろん著者が、この作品を刊行してからの7年で、域内の中国を巡る認識は大きく変わったと言わざるを得ないとしても、アジアとの連携強化でしか生きていけないという日本の立場は、以前よりも益々強くなっていることは間違いない。

読了:2011年3月5日