リー・クアンユー 西洋とアジアのはざまで
著者:岩崎 育夫
岩波書店の「現代アジアの肖像」シリーズは、1996年までに15巻が出版されているが、今まではガンディーについての第8巻を読んだのみであった。これから他の著作も読んでみようということでまず手に取ったのが、今まで何冊も著作に接してきた著者の本作である。リー・クアンユーについては、本人や著者の作品を含め多くに接してきたので、ほとんど新鮮さはなく、むしろ読み飛ばす感じであったが、それでもこの1996年1月刊行の著作中には、現在から見ても分かり易い、この国の発展過程とその基盤となったリーの指導方針がまとめられている。ここではそうした部分を中心に簡単にコメントしておこう。
この本が出版された1996年は、1965年のマレーシアからの分離独立以来、この国の建設を担ってきたリーが、1992年11月、人民行動党書記長と首相をゴー・チョクトンに譲ってから約4年が経過した時期で、シンガポールという国家の舵取りが、指導者の交替と社会の変化を受けて、過渡期に入ってきた時期である。著者はそうしたタイミングを考えながら、それまでのリーの活動を振り返っている。確かに東西冷戦が終了し、またインドシナでのカンボジア内戦なども一服した国際環境と、戦後の開発独裁という形での経済成長もそれなりに達成し、国内では、多様な意見を持つ中間層が拡大してきた時期にあたることから、著者のリー評価には、それ以降のシンガポールの舵取りが、従来とは変わって当然という想いが散見される。しかし、今から振り返ると、実はその後20年以上、シンガポールは、リーが基礎を築いた路線の上を、そのまま走ってきた印象がある。
建国以降のリーの指導方針を、著者のまとめに従って要約すると以下の通りである。
1, 英語教育の海峡華人と華語基盤の華人、それにインド系、マレー系等が混在する社会に、シンガポール帰属意識を植え付けるために、「最初は植民地政府、次いで共産党系グループを破り、政治権力を握り」「その後『上から』強力な国家形成を進め、開発志向の権威主義的な国家を作り上げた。」
2, 資源のない国家を維持するため、リーは、地域社会との共存と、貿易を中心とした経済活動に活路を求める。前者は、隣国指導者との信頼関係の構築、後者は「地域社会を安定させるシステムの構築を探り、その役割をアメリカに求めた。」
3, 貿易面では、「植民地時代に発達した中継貿易を単に継続しただけでは、将来の発展はないと考え、外資を導入した工業化に活路を求め、国家が先頭に立って工業化を開始し」、「1980年代に入ると製造業に加え、地域の成長で金融・サービス業も伸び」「地域の金融・サービスセンター機能」として成長を進めることになる。
4, こうした体制を維持するために、国民に対しては英語教育を徹底すると共に、その中からエリートを選別、高給を保証した官僚として能力を磨いた上で、次世代の政治指導者として養成する。他方で、低賃金労働者については、途上国からの移民労働者を受け入れ、社会の基盤を支える。
こうしたこの国家の発展過程での政策は、この著作から四半期を過ぎた現在も大きく変わっている訳ではない。もちろん既に「建国の父」リー・クアンユーは、1915年3月、鬼籍に入ったが、ゴー・チョクトンから政権を引継いだリー・クアンユーの長男リー・シェンロン首相の基で、シンガポールは相変わらず安定した政治基盤と経済を維持しているように見える。その意味では、この著作で、著者が懸念したようなシンガポール生存の3条件、@地域政治の安定と協調、Aシンガポール経済が常に地域や世界経済に提供できるものを持つこと、そしてB国民を一つにすること、を何とか満たしてきている。もちろん、社会の多様化は、リー・クアンユーが犠牲にしてきた民主的な政治運営に対する国民の渇望を強めているのは確かであし、最近では野党政治家でも、この国がエリートとして育ててきた人材が参加してきていることも確かである。しかし、まだそうした野党は、政権交代を現実にするほどには至っていない。恐らくシンガポールの国民は、この国の存続の条件を心のどこかで受け止めて、政権交代を促すまでの決断ができないのが実態であると思われる。
しかし、シンガポールだけではないが、この国の最大の課題は、地域大国として台頭している中国との距離感であることは、この時点でも著者は指摘しているが、それから四半世紀を経て、これは今後この国により厳しい試練をもたらすと思われる。中国の海洋進出問題やミャンマー問題を巡り地域連盟としての指導力を問われているASEANの一員という立場からも、この問題は避けて通れない。1996年の時点では、著者は指摘しているとは言え、まだこうした問題が切迫していたわけではない。私のシンガポール滞在時に聞いた、この国のマレーシア系の人々の中には、華人を含めて「シンガポールは将来のいずれかの時期にマレーシアに再統合される」という見解を持っている人々もいるという。それがあと10年先のことなのか、20年先、あるいは50年先のことかは分からないが、依然そうした可能性を残していることも念頭に置きながら、この国の行く末を眺めていきたい。
読了:2021年11月12日