アジア・ドイツ読書日誌と
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アジア読書日記
中国
日中漂流
著者:毛里 和子 
 この直前に読んだ「アジア三国志」とは異なり、今年4月の刊行であるので、日中関係の最新状況まで含めた分析となっている。著者は1940年生まれで、2010年に早大教授を最後に退官し、その後は日中関係に関わる団体の幹事や代表を務めているという。その意味では、日中問題研究の重鎮であるが、今まで私はこの著者の作品に接したことはなく、これが初めてのものである。ここでは長い日中関係の歴史を、戦後の国交回復から辿りながら、その期間に日中関係が大きく変わってきたことが説明されている。さすがにそうした変化を仔細に追ってきた著者の中国分析にはなかなか説得力がある。ただやはり最大の関心は、現在の緊張に満ちた日中関係が、今後どう展開していくか、そしてそこで中国の政策決定の特徴も踏まえながら、日本はどのように対応していくかにあるので、その部分を中心に見ていくことにする。

 1972年の日中国交正常化以降の時期を、著者は4つに分けている。まずは@70年代の「戦略的友好期」で、この特徴は、中国側での「ごく少数の軍国主義者と犠牲になった一般国民」を分ける「二分論」である。次はA「ハネムーンの15年」(1980年―90年代半ば)で、この特徴は「援助する国(日本)とされる国(日本)」という関係の安定期である。続いてB「構造変動期」(1990年代半ばー2010年)で、経済成長と社会的開放を受けた中国における「二分論」への批判と日本での中国脅威論の高まりに伴う「友好」引力の急速な減少、そしてC「新たな対抗」関係へ(2010年以降)ということになる。

 1972年の日中国交正常化については、「賠償請求放棄の提案が、結果として日台の断絶との『取引』の条件」となり「ゲーム的」に決着したこと、そのため「賠償請求放棄は戦争についての反省とセットだったが、この中国側の考え方が日中で共有されていなかった」ことで、その後の「日中両国の歴史認識にねじれをもたらす結果になった」、更に「この重大な問題に中国の国民がまったく参画できず、(中略)幹部も国民もまったく知らない中で行われた」という議論だけ留意しておこう。

 この「1972年体制」が、上記のとおり1990年代半ばから変質する。「対日民間賠償と尖閣諸島防衛を主張するNGOが動き始め」、2003年頃から、日本企業の集団売春事件や留学生の学園祭での「下品なパフォーマンス」等で蓄積した反日感情が、2005年の反日デモをきっかけに「日中関係の土台そのものを揺るがす大転換」を迎える。この2005年の反日デモの要因は、@教科書検定や小泉首相の靖国参拝、A日米安保の防衛範囲への台湾の追加、B東シナ海での海底資源問題、C日本の国連安保理常任理事国入り、といったもので、これが大規模な「日貨ボイコット」に繋がっていく。

 この要因について著者は、「中国政府がやらせている」とか、「中央の権力闘争の反映」、あるいは「愛国主義教育の結果」といった単純な理由ではなく、「突然の大国化で若者や中間層に、排外的で『大国主義』的民族主義が蔓延」し、それが「インターネットと携帯電話で相互に増幅しあい、突然肥大化したもの」と見ている。私は個人的には、むしろ「中国政府がやらせている」という見方に近く、インターネット空間等で、民主派の言説は抑えるが、愛国排外主義は大目に見る、という政府方針が、こうした「ラディカルな民族主義」を活気つけていると考えているが、もちろん真相は単純ではないだろう。例えば、2006年3月、三大ポータルサイトのひとつで、日本のODAによる援助を感謝するキャンペーンが張られた、ということからは、政府が状況によっては反日運動を制御しようという意図も見えてくる。また日本側でも、2006年以降の第一次安部政権や福田政権で、小泉政権時代に冷え込んだ日中関係を改善するために、定期的な「対話・協議メカニズム」といった「制度的」枠組みを設定しようという動きも起こることになる。ただ、全般的には、この時期を契機に、政府と民間が一体となった反日の動きを強めたことは疑いがない。そして2012年、国交回復40周年の節目に、尖閣諸島国有化問題を機に、日中関係は「危険水域」に入っていくことになる。

 著者は、2005年の対立は、「もっぱら歴史問題」であったのに対し、2012年のそれは「領土・領海という具体的利益から発して、パワーの争い、歴史問題まで全面的に拡大してしまった」点で大きく様相が異なると見る。尖閣諸島問題自体については、著者は双方の主張をより公平に紹介しているが、これについては、私は明らかに中国が、1970年代以降、利権を目的にして介入した案件だと考えている。しかし、一旦「政治化」した以降は、そうした信条とは別に、現実的・外交的に対応していかなければならないのは当然である。著者は現在の日中双方の政権が、「双方とも力で現状を変える強い意図を持っている」ことを懸念しており、日本側では安部政権が安保法制の改定を含め右傾化していることに批判的であるが、ここは私も同意見である。双方が「外交と交渉と法律で東アジアの新秩序を作り上げていかなければならない」という著者の意見は真摯に受け止める必要がある。この具体的方法として、著者は、既に述べたような、定期的な「対話・協議メカニズム」といった「制度的」枠組みを重視し、中米間、あるいは中ロ間のそうした試みを紹介しながら、日中間の枠組みはまだまだ不十分であると指摘している。
 
 中国の外交政策の変遷についての一章では、この国が「国際環境や立ち位置の変化に合わせて敏感かつ柔軟」にその政策を変えてきたことが説明されている。その大きな枠組みは、1990年代の「韜光養晦」から2010年以降の「中国の夢」、「核心利益」への転換で、これがいつ行われたかはともかく、現在は明らかに拡張主義的な外交政策に移行している。その意味で、日中国交回復時の外交政策からは大きく変わっているのは明らかで、またそれが一貫していないと批判するのも簡単であるが、あまり意味はない。著者は、こうした政策変更の背後に時々の権力闘争や軍部、国有企業、地方と結びついた利益集団からの圧力があるという議論を紹介しているが、いずれにしろ、よほど大きな国内的な混乱がなければ、こうした国力向上により、この国が益々その傾向を強めることは間違いないので、日本のみならず近隣諸国は、それを念頭においた外交・安全保障政策を進める必要がある。また中国の「国境を越えた軍事力行使」について、朝鮮戦争や対台湾、インド、ベトナムでの武力行使の例を引きながら解説しているが、朝鮮戦争を除き、それらは軍事行動というよりは、「断固たる決意を示す」ための政治的行為であったとしている。その意味では、近い将来に、問題が発生した際に、中国が本格的な軍事行動を決断するかは定かではない。しかし、中国外交が、上記のように国内・国際環境で変遷してきたことを考えると、今後の状況変化の中で、本格的な軍事行動を取らない、という保証はない。例えば、現在の北朝鮮危機で、米国が北朝鮮に対し本格的な軍事行動をとった際、朝鮮戦争のような事態になることはない、とは言えない。他方で、著者が指摘しているように、「中国(外交)にとっての課題、関心はあくまで主権国家、自国の利益、現体制の存続」であり、一時期の米国のような「世界的ミッション、普遍的価値」とは無縁である。従って、日本との関係においても、特に尖閣諸島・海洋権益問題に関しても、そうした国内・国際環境を考慮した上での中国側の軍事手段を含めた出方を注意深く分析しながら対策をとるしかないというのが結論であろう。この新書を締めくくるにあたって、著者は中国知識人自身の分析として、突然巨大になってしまった中国が、自画像を描けなくなっているという議論を紹介している。私自身が以前から主張しているとおり、地理的大国としての中国が混乱なく広大な地域を安定的に支配していること自体が驚異であり、それはある意味、構造的に脆弱である。共産党政権は、それを十分理解した上で、時々の対内、対外政策を遂行してきたが、そうした構造的脆弱性故に、それはちょっとしたきっかけで転換、あるいは最悪の場合は崩壊する可能性がある。それが何であるかは全く未知であるが、少なくとも我々は、逃れられない地理的な隣国としてこの国の動きを冷静に見て対応していく必要があることを改めてこの作品は喚起させてくれるのである。

読了:2017年8月12日