中国人のこころ
著者:小野 秀樹
一時帰国直後の日本の日本で読了。しばらく中断している中国語の復習、そして近く始めて訪れる北京他の出張準備も兼ねて読み始めたが、正直全く期待はずれの中国文化論であった。
再びシンガポールに戻った現在、中国は、建国70周年を祝う大規模式典で、国威発揚を世界に誇示しているが、他方、「一国二制度」をめぐる懸念が再燃している香港では、ここ数ヶ月続いている反香港政庁、反中国のデモが益々過激化し、そうした中国本土でのお祭り騒ぎに影を落としている。その意味で、現代中国は、ある意味大きな岐路に立たされている訳であるが、この本は、そうしたこの国の、最も熱い課題からは離れ、現代中国語文法の専門家の立場から、中国語の文法を通じて読み取れる中国人の考え方の特徴を、日本語、あるいは日本人のそれを比較して考察しようとしている。そのため著者によると、一般的な中国人との会話のみならず、中国の各種TV番組や映画、小説、更には中国人に対するアンケート調査などを行ったとのことである。
そうした意図は分からないでもないが、ただ実際読み始めてみると、冒頭の「あいずち」に対するコメントを含め、あまり興味をそそる指摘は少ない。「ニーハオ」という挨拶言葉が、「親しい間柄ではほとんど使われない」といった程度が、自分自身の日常生活で僅かに参考にできる程度。そして取敢えず中国人に共通する思考や感覚については、以下のように総括される。それは「中国人が現実に存在する『かたち』あるものを重視し、抽象よりも具象を志向し、現場の状況に鑑みて自分で判断し実利を重んじる」ということであるが、それは単に中国人が外見にこだわり「虚栄」を張る、あるいは規則を守らず、拝金主義である、と言い換えると、何とも皮相な分析になってしまう。それは、別に中国語の緻密な分析結果として判明した特徴という訳でもなく、単に一般的な付き合いを通じて誰もが気付くものであるといえば、それまでである。またそれは、中国人の特徴というよりも、ある経済的発展段階にある社会、あるいは共産党の一党独裁という「権威主義的国家」であることに由来する特徴とも言える。それを指摘するために、中国語の文法をあれこれ指摘するのも、やや無駄な気がするのは私だけであろうか?
来週、この建国70周年の国慶節が終わるタイミングで、個人的には生涯で初の北京(そして杭州)入りをすることになるが、とりたててこの本から利用できる考察はなさそうである。そうした言葉の世界とは別の部分で、現在の大陸中国人の思考などを肌身で感じることができることを期待して、かの地に赴くことにしたい。
読了:2019年9月22日