インドの正体
著者:伊藤 融
インドについては、先月、2024年9月出版の、元NHK記者による新書を読んだばかりであるが、こちらはそれよりわずかに早い2023年4月出版のインド論。著者は1969年生まれで、在インド大使館専門調査員などを経た後、出版時は防衛大学校人文社会科学群国際関係学科教授を務めている。インドについて、こうした新書の出版が多いというのも、最近のこの国への注目度の表れであろう。ただ著者は、こうしたこの国への単純な思い入れに対して、あえて批判的な観点から、この国の持つ「厄介さ」を強調しながら、この国との付き合い方についての持論を展開している。前の新書と同様に、気楽に読み流せるインド論である。
インドと中国の関係については、前の新書でも、最近の国境紛争(2020年6月には北部ラダック地域での武力衝突で45年振りの死者が発生した)や「一帯一路」を巡る緊張、そしてインド亡命中のダライ・ラマ14世とその後継問題など、軋轢も多いが、それにもかかわらず、モディは結構頻繁に習近平と面談する等、一定の関係を維持。ソ連とは、従来からの武器輸入や核開発への支援といった歴史的経緯もあり、ウクライナ侵略に対する非難は最小限に留め、それ以上に、西側の批判にも関わらず、ロシア産原油等の輸入拡大も行っている。他方で米豪日とのQUADに参加したり、ASEANや中央アジア諸国との関係強化も進めており、相変わらずの「柔軟外交」はインドの特色であることが指摘されていたが、ここではそうしたインド外交の現状に加え、モディのインド人民党(BJP)による「ヒンドゥー・ナショナリズム=権威主義的」傾向が強まってきていることが強調されている。日本でこの国との関係の重要性が語られる時に常に言われるのが「基本的価値観(民主主義や自由等)の共有」であるが、例えば、かつての国民会議派政権のもとで行われてきた「諸宗教を対等に扱い、政治利用を慎む政教分離主義(セキュラリズム)」が、モディ政権の下で、モスレム社会への露骨な抑圧等で危機に晒され、欧米ではこれに対する批判が強まりつつあるが、モディは、一方でインドが民主主義国家であることを強調しながらも、それらの批判は「内政干渉」であると反発しているという。そうした姿勢は、中国などの権威主義国家の対応と同じではないか?そしてそうした欧米の批判は、インドの権威主義国家への接近を促す(あるいはその理由とされる)危険があるのではないかと見るのである。インドという国は、そうした国内での政策と、外交面でのバランスを巧みに利用する技を持っており、単純にこの国を「民主主義陣営」の同伴者と考えることはできないということである。
そうは言いつつも、特にインドにとって中国は歴史的に安全保障、政治外交、経済といったあらゆる側面で歴史的な脅威であるという事実には変わりはなく、インドにとって、ソ連・ロシア及び欧米日本との関係強化は、こうした中国への対応であったことも確かである。こうした中では、中国の影響力を弱める新たなサプライチェーンの構築や「一帯一路」とは別のインフラ支援等で日米等とインドとの利害関係は一致しているが、他方でそこには先進国と途上国(新興国)という溝もある。こうした要素を考慮しながら、著者は「(日本が)インドと距離を置く選択肢があるか」と自問しているが、結論的には、それは得策ではない、ということになる。なぜならインドが経済力や軍事力で米中と並ぶ日は遠くなく、その国力を無視することはできない。「インドという国は、いくら嫌でも、厄介でも、やはり関わらざるを得ない」のだ。それではそうしたインドとどの様に関わっていくのか?
結論はある意味ありふれている。インドは、欧米豪などの西側や、中露の「どちらか」を選択する可能性はなく、「自国の利益の観点から主体的に行動できる」「政略的自立性」を捨てることはないことから、日本を含めた西側諸国は、この国に対しては個別の課題毎に、総体的な現状分析に基づく実利的な対応をしていくしか選択肢はないだろうということになる。それは繰り返しになるが、新たなサプライチェーンの構築や「一帯一路」とは別のインフラ支援といったインドとの利害関係が一致している分野での協力を地道に進めていくしかない、ということになる。この国への日本企業の進出も増えてはいるものの、在留邦人数1万人といったところは、中国のそれの1/10、タイの1/8、ベトナムや台湾の半分にも満たない水準で、また進出企業も州毎の制度の違い等で苦労しているというが、それは逆に言うと、まだまだ成長の余地があるということである。「厄介な国」ではあるが、やはり中長期的展望に基づく政略的対応はしていかなければならない。そうしたありふれた結論ではあるが、それなりの納得感をもって読了したインド論であった。
読了:2025年12月25日