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アジア読書日記
インド
インド現代史ー独立五〇年を検証する
著者:賀来 弓月 
 1998年出版の、当時チェンナイの総領事を勤めていた外交官によるインド現代史に関する新書である。ブックオフで見つけた古本を、6月初めの日本出張終了後の帰国便の機内で読了した。著者は1939年生まれであるので、出版当時、現在の私と略同年代。学生時代からインドには関心を持っていたと書かれているので、この作品はある意味、自分の総決算でもあったのだろう。

 この作品が書かれた1990年代後半のインドは、80年代の政治・経済の閉塞状況を打破するため、1991年に市場経済型に舵を切ったものの、まだその成果が現われず、いろいろ暗中模索をしていた時期にあたる。その中で、著者のコメントは、インドに愛着の気持ちを持ちながらも、あらゆる面でネガティブな見方が多いように思える。その意味で、この本はまだ現在のようにインドに対する関心が盛り上がる前の時代を反映したものであると言うこともできる。しかし、当初の予想に反して、その内容は結構充実している。また単にインドの当時の事実を羅列的に記載するのではなく、政治・経済に関する多くの大局的な理論も踏まえつつ、他方で現地にいないと知り得ないローカル有識者の議論などもふんだんに織り込みながら論述を進めている。ここでは、時代が変わり、議論が古くなっている部分は出来る限り省きながら、他方で現代のインドを見る上でまだ有効と思われる議論を中心に見ていくことにする。

 「理解しがたいインド」の国民国家としての価値観、政治社会構造、機能メカニズムを、単純化を避けながらも理解することがこの作品の目的である。インドに関する非インド人の発想が常にそうであるように、この国は「違う」。その「違い」は何なのかという問題の立て方は、これまで読んだインド本に共通する。但し、その理解を試みる時に「視点のおきどころ」が重要であると著者は言う。「都市化された市民社会の中産階級以上の知識人やパワーエリート」の視点で見るのと、「社会の底辺の最貧層」の視点で見るのとで大きく異なるし、また宗教を見る時もヒンドゥーの「最高位の哲学体系」(日本人がまずインドに入っていったのは、この「イン哲」の世界からであった!)で見るか、「下位の土着信仰や神話」の世界から見るかで差が出るという。そうした見方を受けて、著者はインドに関する著名人のコメントを紹介しているが、ここで一つだけ抜き出すとすれば、米国初代インド大使ガルブレイズの、「インドは『機能しているアナーキー』」という言葉だろうか?少し後で紹介されている、ネルーの「私は、インドを支配する最後のイギリス人であろう」というのも、著者の言う視点の相違を端的に指し示す言葉である。その上でインドの政治・経済・社会の分析に入るが、その際に使われるのは、「インドの社会と国民の異質性の強い、各階層間での権力と富と利益の配分問題」を軸とするという、現代の政治・社会分析の一般的な手法である。

 インドを語る時の導入部は常に人種、言語、宗教等の多様性である。幾つか気になったのは、北インド人はコーカサス起源で、南インドのイラク、イラン起源の人々とは遺伝子的な相違があるということ。また宗教面では、1997年時点の人口8億4000万人中、ヒンドゥー82%に対し、ムスリムは12%であるが、それでもこのムスリム人口は、パキスタンの総人口に近いという。しかし言語に関しては、ヒンドゥー語人口は僅か30%である。そして都市と農村の格差は大きいが、それでも農村部の政治意識は強く、「現代インドの政治家の階層基盤は、農村部の下層カースト移ってきている」という。文明論的には、従来は「南インドのドラビダが北インド人によりアーリア化された」という見方が主流であったが、著者は、これは極めて北インド的な見方で、むしろ北の形而上学的な精神と、南の「具象的、感情的、創造的な芸術に邂逅した時に(中略)ヒンドゥー的な文明が誕生した」と考えるべきと指摘している。

 著者はまずインドの政治状況から議論を始めるが、それは一言で言えば「政治の混迷」である。インドの政治システムについて「社会主義型混合指令経済の失敗」を主張する議論が有識者の間で広がっているという。しかし、著者に言わせるとこの「政治の混迷」は、「紛争多発型社会構造」を反映したものに過ぎない。社会そのものの問題という訳である。
 
 言うまでもなく、インドは「世界最大の民主主義」国であると共に、その発足時から、教育・財産・性別に関係なく、すべての青年男女に選挙権と被選挙権が与えられた稀有な例である。これはインド憲法の起草者たちが、特に農村部での大土地所有を弱体させるために議会を利用しようとしたことが大きな動機であったという。しかし、市民階社会と中間階級が未成熟な「紛争多発型」社会で普通選挙を導入することが、他方では政治の混乱を招くことになる。著者は、その政治文化の特徴を、総選挙の「カーニバル化」、地方政治における党首の大衆迎合主義と体臭の重視、そして全般的な英雄崇拝・個人崇拝といった概念で説明し、それらは、「有権者の絶対多数が社会の下層階級か非識字階層に属するという事実と無関係ではなかろう」と推測している。まさに究極のポピュリズムがインド政治の特徴であるというのである。ガンジー=ネルー神話は、その一つの現われ(「制度化されたカリスマ」)であったが、インディラ・ガンジーの例に見られるように、個人レベルではそのカリスマが凋落する時も早いという。

 またより日常的なレベルでは、「政治の犯罪化とルンペン化」も無視できないという。もちろんこれは、政治家や公務員の汚職問題やネポティズム(血縁優先主義)等と同様、途上国の民主主義ではどこでも発生しうる問題であるが、巨大な民主主義国インドでは、その規制・浄化はより困難であるということであろう。この例として「タンドリ殺人事件」(1995年)等、この時代のインドの政治絡みの凶悪事件や、「ボーフォールズ事件」(1987年)等の汚職事件が取り上げている。

 政治家の下層階級化(「非ブラーミン化」)が、こうした傾向を更に進めるのか、あるいは真の民主主義に近づいているのかは議論が分かれるところであるが、他方で連邦議員の学歴は全体として上がっているというから、本当の姿はどうなのだ、と聞いてみたくなる。更に「特定主義(=特定集団への利益誘導政治)」とか、「脱党の政治学(政治的買収によるものも含めた原則なき政党間での多数派工作)」、南インドで特に強い「銀幕政治(=映画関係者の政界進出)」、「超憲法的権威(=正規のポストを持たない人間による意思決定。インディラ・ガンジー時代の二男サンジャイ・ガンジーの横暴が例とされる)」等、インド政治について指摘されている問題は枚挙にいとまがない状態である。植民地時代の制度を引き継ぎ、従来は優秀と言われていた官僚制度の中にも、前述の汚職などが瀰漫するようになってきているという。

 こうしたインドの「過剰な民主主義」(リー・クアンユー)がもたらした問題を「国民国家の危機」と捉え、多少権威主義的でも「強い政府」を求める論者も少なくないという。制度面では「司法積極主義」をギリギリの線まで拡張しながら、政治家の疑惑を摘発することにより国民の支持を得てきた裁判所がこうした「強い政府」の機能を果たしてきたという見方もできる。しかし、その裁判所が一般レベルでは、膨大な数の訴訟を抱えて機能マヒしているという実態もある。そして「1996年の総選挙をもって会議派支配体制が最終的に終焉し、インドの政治はポスト会議派時代(注:「国民的な総意」が失われていく「混乱の時代」)に移行した」というのが、この時点での著者の見方であり、それをグラムシの「社会同盟の失敗」や「支配階級のヘゲモニーの失敗」という概念で説明しているのはなかなか面白い。そこで登場したのが、@ヒンズツバ・パラダイム(コミュナリズム)、A社会正義パラダイム(中間カースト中心主義)、そしてBダーリット・パラダイム(不可触選民政治)という相互に矛盾する新しい政治パラダイムであるという。政治的安定を指向するための国民政府型の政権や大統領制等が模索されると同時に、エスニシティを守る制度としての連邦制を強化しようという議論も行われるという、求心力と遠心力が常に拮抗するという難しい環境が続くことになる。またこの時点では、伝統的に、文民統治に甘んじてきたけれども、その結果不満がたまっているという軍部のクーデターの可能性も、著者は排除していない。しかし、最後に著者が述べているように「独立以降の苦悩に満ちた五十年間のインドの民主主義において、中央の政権が、国民の占拠あるいは民主主義的な過程を経ずして誕生したり、変更されたりしたことが一度もなかった」ということはきちんと認識しておかねばならないだろう。「議会制民主主義はインドを天国にしなかったが、少なくともインドを地獄から救った」のである。そして著者は新たな国民を代表するような政治指導者層の台頭、政治意識の高い有能な中産階級の成長、そして政治における腐敗と暴力をチェックできる世論の力が、この混乱を克服する鍵と見ている。実際この本では触れられていないが、結局インドは2000年代に至り、こうした層に支えられた会議派が再び支配力を固めることで、その後の相対的安定に向かっていくことになるのである。

 インドにおける宗教の問題も、単純そうで複雑である。インド憲法の基本は世俗主義であり、著者の考えでは、インドでは「神学をめぐる諸宗教間の対立」があったり、「多くの宗教が存在していること自体が紛争を巻き起こしている」訳ではないし、コミュナリズム(宗教を政治が利用する宗派主義)も、あくまで近代の現象で「宗教の違いそのもの」が紛争を引き起こしているものではないという。しかしそれでは、インドでの宗教上の対立はいったい何なのだ、ということになる。

 著者は、まずインドの世俗主義が、あくまで宗教を私的世界に留めると共に、公的世界では異なる宗教、なかんずく二大宗教であるヒンドゥーとモスレムを平等に扱うという原則の上に立っているとする。しかし、実際は、社会的危機が高まると、それが宗教間対立に至ることは当然である。特に、パキスタンの独立自体が、最終的には二大宗教観の争いの結果であったことは明らかである。

 しかし、それでも著者は、インドにおける宗教の政治化は、あくまで政治家が宗教を利用しようとした結果に過ぎないと看做し、コミュナリズムの盛衰を分析している。その上で、世俗的な利害関係の争いに、宗教的基盤を利用しようとする結果、その宗教色が過激化していくという一般的傾向があり、それが端的に示されたのが、「高度に西欧化された世俗主義的なインテリ」であったモハンマド・アリ・ジンナーが、パキスタンの建国に至る過程で変貌していった姿であるという。「ジンナーの二国家論は宗教的なものではない。あくまでも、政治的な対立の上に立脚していた」のであり、彼には「『イスラム国家』を建設する気は毛頭なかった」というのである。パキスタンを「イスラム国家」とする決議は、ジンナーの死後、その後継者により採択されたものである。そしてより一般的に言えば、日常生活においては、インドの人々は宗教以外にも地方、言語、階級、カースト、社会的地位、社会的慣習、食物習慣、衣服習慣等で細分化された集団に帰属意識を抱いていることが多いという。偶々そこでは宗教的相違が政治的に利用されただけであるというのである。

 しかし、そうは言っても、社会が危機にある時には、宗教的アイデンティティーが最も強い統合力を発揮するのは、古今東西共通した姿である。実際、インドでも1980年代以降、前述した「ヒンズツバ」運動と呼ばれるヒンドゥー原理主義的な運動が活発化し、その全国政党でもあるインド人民党(BJP)は、1998年から2004年まで連立政権に参加するところまで力をつけたのである。そう考えると、インドの政治への宗教化を、単純に「政治の手段として使われただけ」という著者の議論は弱いと思われる。そして他方で、インドに残った、この時点で1億人を越えるムスリムは、生命と身体の危険に晒され、また経済・社会・教育面で「不可触民」よりも差別されていることが多いという。確かにそのムスリム集団が、伝統的には会議派の支持基盤であったという事実は、インド社会の複雑性を物語るが、それでも、ヒンドゥー原理主義が強まれば、それに対抗するムスリムも先鋭化することは十分考えられる。それだけではないが、やはり社会の対立構造を見る時に、宗教が最も頑迷な帰属意識を促すことは間違いないだろう。

 カーストについても、著者は詳しい考察を行っている。「社会的排除」のシステムとしてのカースト制が、「インドの社会、文化、歴史、意識に深く根ざす、最も包括的で、精緻で、体系的なもの」であることは言うまでもないし、それ故にそれに反対する運動も、古代から連綿と続いてきた。しかし、その反カースト運動も、現代では、「反ブラーミン」であったり、「先進諸カースト/サブ・カースト全体に対抗する」運動であったり、またその「先進諸カースト/サブ・カースト」内にも構造化された貧困があったり(この階層が逆差別に抗議したのが、1991年の「マンダル事件」であった)と複雑な様相を呈している。そして何よりも農村部を中心に、このカーストが依然「分業体制(ジャマニ制度)に組み込まれている」ことなどから、「単に法による禁止(注:インド憲法はカーストによる差別を禁止)やイデオロギー的な攻撃にすぎない社会運動だけでなくなる性格のものではない」と著者が言うのも納得できる。著者は、こうしたカースト間の抗争を、政治の世界における「非ブラーミン化」の過程と位置付けて詳細に説明しているが、「アイデンティティーとしてのカースト/サブ・カーストは、今後も厳然たる社会的な現実として、様々な機能を果たし続けるだろう」という一般的な著者の結論だけ踏まえて、ここではこれ以上の説明は省略する。

 インドの経済改革については、まさに著者がこれを書いている時点は、インド経済のボトムとも言える時期であり、1991年の市場経済化(インドにおける「新古典主義派経済学の勝利」)の先行きがまだ見えていなかったことが、著者の記載の中にも垣間見られる。ここで面白いのは、この「自由化と構造改革」は、当時の蔵相であったマンモハン・シンのリーダーシップで進められたと言われているが、シン自身はむしろ「先進国のガット/IMF体制を強く攻撃していた人物」であったが、周囲の人間が驚くほど彼は見事に「変身」したという点である。それはアジア危機後の韓国等でも見られたような、「事態が最低、最悪のレベルまで悪化して」やむを得ず採用された「危機強制型」の対応であったということである。

 この経済改革で批判の対象となった、ネルーによる「国家指令型混合経済」については、著者は、「独立当初のインドがおかれた厳しい現実」を考えると、それ以外の選択肢はなく、むしろこの「準備期間」があったので、1991年の「思い切った方向転換」も可能であったと考えている。そしてこの経済改革についても、経済改革を歓迎する都市中間階層と、その効果をすぐには享受できない貧困層の間で大きな違いがあることから、「インド国民の各層において受容されている」がどうかについては、やや疑問視している。実際、経済改革の必要性を十分説明できなかったことが1996年の連邦下院総選挙における会議派の敗退の要因であったという見方もあるという。結局のところ、この時点では「経済における国家の役割と程度と性格」については、インド国内の議論はまだ百家争鳴状態であったということである。

 具体的な問題としては、@経済改革の内容が、これまでのところ投資と貿易と外国為替の自由化という、比較的狭い範囲に限定されており、人口の大多数を占める農村経済の活性化に繋がっていないこと、A社会開発面(保険、教育、社会保障、インフラ整備等)への国家の積極的関与が伴っていないこと、B市場経済をテイクオフさせる条件(徹底的な土地改革、若年層の高い識字率、インフラの充実)が整っていないこと、C他方で「市場の失敗」に対する社会的、制度的インフラも整っていないため、自由化が無秩序を招く傾向が在ること等が指摘され、公営企業改革なども不透明且つ足踏み状態になっているという。

 また私企業の世界を見ると、@経営と所有の分離が一般的でなく、Aそのため企業統治が不透明、B財閥が幅広い産業を抱えていることによる企業レベルでの経営戦略欠如乃至は近視眼的な経営、C顧客対応力とマーケッティング能力の欠如が顕著であり、市場経済下で、これから厳しい淘汰が行われるだろうと予想している。

 その一方で、主として「文化ナショナリズム」に起因する「経済ナショナリズム」は依然根強く、前述の「ヒンズツバ」運動のように、外資系排斥を強行に主張する勢力の力も強まっている(1996年のKFC襲撃事件とミス・ワールド美人コンテスト開催反対事件等)。しかし、その「経済ナショナリズム」も、財界レベルでは、むしろ「競争力と生存能力についての真摯な自己認識に由来する戦略的なものである」とも指摘されている。著者のインド経済についてのその時点での結論は、「政治危機の時代には、特に政治が経済を圧倒・支配し、改革は緩慢で斬新主義的なものになる。」その意味では、まさにこの時代、インドは市場経済化に向けた多くのハードルを抱え、生みの苦しみを味わっていたのである。

 最後は、著者の専門であるインドの外交である。独立後のインド外交は、まず完全な「英国人」であると共に、徹底した「反帝国主義者(反植民地主義者)」であるネルーの発想に従ったが、それは、「非同盟、反植民地、新国際経済秩序(国際的な分配的秩序)、国際平和主義(国際社会における非暴力主義)」といった概念に示されている。しかし、それは硬直したものではなく、例えば「非同盟」と言いつつも、中印紛争やパキスタンとの戦争勃発時は、夫々米国やソ連に支援を要請することを正当化したという。しかし、それらは、まさに冷戦構造の中での現実的な選択肢であっただけで、冷戦終了後は、新たな世界のパワーバランスの中で、自らの外交と安全保障政策を見直す必要性に迫られている。

 かつてソ連とのパイプは、カシミール紛争に際しての国連でのソ連の拒否権発動に見られるように、「インドが国家的な危機に直面したときの『最後の切り札のひとつ』」であった。他方、「国際的な規制と価値観を一方的に押し付けてくる」米国に対しては常に嫌悪感を持っているという。しかし、冷戦終了後は、米ソ間でのバランスを使い分ける発想は有効性を失う。他方、従来は超党派的な合意形成ができた外交、安全保障政策の分野でも、1979年12月のソ連によるアフガン侵攻時に、インディラ・ガンジー首相がソ連支持を表明してから、その合意形成が簡単ではなくなってきたという。こうした中で、新たな時代に適応した外交、安全保障政策面を打ち出すことができず、国際政治の場で存在感を弱める自国に対し敗北感・挫折感を抱く有識者も多いと言う(「重要でないインド」症候群)。

 そうした中でインドが辛うじて自信を維持しているのは、@米国の対中政策の中でインドが果たす役割と、A東アジアと中東を結ぶパイプとしての役割を認識しているからである。特に、前者は、実際その後、米国のインド接近の最大の動機となったものであり、彼らの自信が独りよがりのものではなかったことを示すことになる。

 インド外交の弱体化は、マハトマ・ガンジーの理想主義的な思想に由来するのではないかという批判に対し、著者は、ガンジーの思考・行動様式はむしろ人々が想像するよりもずっと柔軟で現実主義的であったこと、そしてむしろネルーらの「フェビアン主義者」の考え方が「国際社会でインドが合理的な行為主体になること」を妨げてきたのではないか、と主張している。しかし、従来からのインドの外交方針であった「非対称性の外交戦略」は、1992年以降放棄され、「世界の現実のパワー方程式の中において軍事的、経済大国というハードかつリアルな意味における大国の地位を正面切って要求する」ようになった(対称性の論理の選択)といわれ、この分野でも新たな転換が試みられている。それは、1974年に最初の核実験に成功した後、長い間封印してきた核オプションを、1998年5月に至り最終的に採用したことにも示されているが、これは同時に「宿敵」パキスタン側への核拡散を招くことになったことは言うまでもない(もちろん、これは双方の疑心暗鬼の結果ということなのだろうが・・・)。

 カシミール問題を含めたこのパキスタンとの関係を始めとした、主要国との具体的な外交関係についての説明で、この章が締めくくられている。特記すべきことは、まだこの時点では、米国がインドに対し、核拡散を防止するというための制裁措置を実施していたことがまず挙げられる。しかし、これはその後劇的に変化することになる。また中国との関係は、この時点で既に大きく改善している。1962年の国境紛争で決定的となった両国の対立は、中国がパキスタン支持を続けたこともあり厳しい状態が続いていたが、1996年の江沢民のインド訪問等で、中国がこの地域のバランス論から、より大きな覇権国家米国を見据えた地域の協力を支援する方向を明らかにしたことで、変わってきたという。しかし、それでもインドが保有する核の一義的な標的は、パキスタンではなく、中国である、というのが著者の見方である。

 パキスタンを除く南アジア周辺諸国との関係では、インディラ/ラジブ・ガンジー時代の「内政干渉的で高飛車な『筋力外交』」から、「インドは相互主義を要求せず、可能なことを、信義誠実(非対照的な善意)をもって行なう」という「グジュラール原則」(1996年、時のグジュラール外相が表明した方針)に変わってきているという。周辺諸国からのインドの「覇権支配」という懸念を払拭し、南アジアの地域統合(SAARCプロセス)により柔軟に対応していこうという意志が示されているという。そして、戦後は、特にインドネシアとの関係悪化等で警戒感のあったASEAN諸国との関係も改善してきているとしている。

 最後に、著者は、日本との関係を簡単に総括して、この新書を締めくくっている。経済面では既にこの時点で盛り上がりつつあった「インド・ブーム」を歓迎しつつも、必ずしも伸びていない日本からの直接投資の問題や、両国間の「心理的な距離」の問題を指摘している。「日印双方が相互の能力を過小評価しがち」であり、「それぞれの視野の中に米国、ロシア、中国は登場しても、相互に日印という相手国は不在になっている」というのも重要な指摘である。おそらく駐印の外交官としては、実はこれが最も主張したいことだったのではないか、と思われる。しかしそれは単に、この「二十一世紀前半には確実に世界の超大国の地位を約束されている」この国と日本との関係の「拡大と進化」を期待するという、月並みな言葉で締めくくられている。本当はもっと書きたいことがあったのだろうが、立場上敢えて抑えたのではないか、という印象が残ることになった。

 インドについては、以前に二人の英国人ジャーナリストの翻訳物を読む機会があった(別掲参照)。それらは、最近の著作であることから、むしろ多くの問題を抱えながらも、それなりに成長してきた最新のインドのポジティブな姿を報告していたとの印象がある。それに比較すると、この1990年代後半に書かれたこの本では、1991年以降の改革の効果が見えず、政治的・経済的に苦しむインドが前面に出ているように感じることは、繰り返し指摘してきたとおりである。

 それにもかかわらず、前二冊の翻訳本と比較しても、インドの政治・経済・社会の分析としては、この新書の方がより体系的であり、また大局的なアカデミックな理論と、駐在職業外交官ならではの現地情報を組み合わせているところも、著者の意欲を感じさせるものであった。この本で描かれている、インドが、90年代に直面していた困難は、その後それなりに克服され現在に至っているとは言え、他方でそのインド社会の構造問題の多くが、依然新しい流れとの軋轢を生んでいることも間違いない。私の仕事の関係では、先般読んだ財閥群のように、この転換期に成長し、成功した組織や人々を見ていかざるを得ないが、全体としてのインドの政治・社会はまた別の力学で動いているのである。その意味で著者が意識したような、依然インドの人口の大多数を占める下層社会の人々の視点を忘れずに、今後のこの国の成長を見ていきたいと思うのである。

読了:2012年6月3日