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ミャンマー 驚きの素顔
著者:三橋 貴明 
 経営コンサルの傍ら経済評論などを手掛けている中年経済評論家によるミャンマー報告である。著者の本来の仕事の関係で、特にミャンマーに関係があったようには見えないが、ミャンマーの日系進出先への訪問ヒアリングなどを中心にまとめたこの報告は、意外とポイントを押さえた、そして読み易いものになっている。自分自身のこの国への観光の思い出ともかぶる部分も多く、個人的にも楽しめる作品であった。

 著者がこの国に注目したのは、このASEANの最貧国が有している天然資源などの経済的成長可能性に加え、国民の仏教への信仰心が篤く、基本的に親日的であるこの国は、日本のパートナーとして将来に渡り関係を強化していく価値がある、という確信に基づいている。しかし、それは現在欧米企業も大挙して押しかけ、日本の関係者もそれに便乗しているような一時的な熱狂と、進出先の一方的な利益確保を目指すようなやり方ではなく、双方の国民経済にとってウィン・ウィンの関係になるようなものでなければならない、とする。そのとおりなのであるが、それは具体的にはどのようなやり方で可能なのだろうか?

 2005年の、軍事政権によるヤンゴンからネピドーへの遷都からルポは始まる。イギリス人による植民地時代に発展したヤンゴンは、バーミー(ビルマ族)にとっては「心のふるさと」ではない。更に安全保障上からも、アンダマン海に面したヤンゴンは好ましくない。他方、マンダレーやバガンまで行くと中国の影響を受けやすい。それがネピドーが選ばれた理由であるという著者の推測もあながち外れているとは言えない。

 広大で非効率と思われるネピドーの町並と、渾然として日本車の中古車が渋滞の通りに溢れるヤンゴンの対比。脆弱な電力インフラと、2015年の総選挙を展望し、電力を工業団地ではなくヤンゴン住民優先に供給するテイン・セイン政権。2003年の欧米や国際機関からの経済制裁を受けて停滞していた、外国投資法や証券取引法を始めとする各種法的インフラの整備の必要性(日本は対ミャンマーの経済制裁関連の法律は一切通していないが、欧米に配慮して自主規制した、というのは認識していなかった)。他方、経済制裁中、唯一経済援助を依存した中国に対しては、国民の反中感情の高まりを受けて、経済制裁解除後急速に距離を置いていることはよく知られているとおりである(人気歌手リンリンの反中ソング!)。

 軍事政権の官僚制の下で格差が拡大し、崩れ落ちそうな町並みと中古車の群れの中に、大豪邸や高級新車を目にするという。しかし平均所得やジニ係数のみならず国勢調査による人口を含め、正確な統計自体がないことから実態は不明である。国勢調査は国連の協力を受け、これから行われるという。それでもこの国に「貧困」を主因とした暴動がないのは、この国の豊かな食糧資源と敬虔な仏教国であることによるのではないか、というのが著者の推測である。

 経済制裁解除後の安倍首相の訪問(2013年5月)による、5000億円の債務不履行の承認と910億円のODA提供(主として電力インフラ整備とティラワ経済特区の開発に充当)。それを受けて日本企業の関心も急速に強まっている。ただ著者は工業団地としてはメコン第二南部経済回廊とタイと結ばれているダウェイの方が、今後の成長性が高く、こちらにも積極的に関与すべきであると奨めている。

 テイン・セイン政権による検閲廃止、日刊紙の発行認可、政治犯釈放等の政治的自由化が説明されるが、著者がアウン・サン・スーチーの行政経験に懐疑的なのは一般的な見方だろう。

 そのミャンマーの戦中・戦後の歴史は、ある意味、この国の日本に対する両義的な関係を示唆していて面白い。即ち、イギリス領インドから中国への補給路(援蒋ルート)を絶ちたい日本は1940年に陸軍の鈴木大佐がアウンサンと接触し、彼らに中国・海南島で軍事訓練を行った上で「ビルマ独立義勇軍」を結成させる。こうして日本軍はアウンサンの部隊と連携し、1943年イギリス軍をインドへと駆逐、アウンサンは「ビルマの英雄」として日本に招かれ旭日章を受章する。しかし、イギリスが反攻を開始し日本の形成が悪化すると、アウンサンは「反日抵抗組織」の議長に就任し、日本に反旗を翻す。しかし、戦後イギリス軍が鈴木大佐(当時は少将)をBC級戦犯として軍事裁判にかけた際はイギリスに猛抗議し、鈴木は釈放されたのみならず、独立後のビルマ政府からはビルマ最高位の勲章を受けたという。この話は、この本の中で最も印象深かった挿話である。

 人口の6割を占めるバーミーに加え、シャン族、カレン族、カチン族などの少数民族からなる「ユナイティッド・ステイツ・オブ・ミャンマー」の人口構成や、日本語と同じ「主語、述語、目的語」であるビルマ語と、シャン語との相違、百万人近い「無国籍」の住民がいるラカイン州のロヒンギャ族問題と仏教徒とイスラム教徒の衝突等を説明した後、欧米の経済制裁下で停滞したこの国の経済問題に移る。

 ここでのポイントは、中国の影響力の増大であるが、著者は中国の援助については、「インド洋への出口の確保」、「中国製品の市場」、そして「中国資本によるインフラ建設による中国人雇用の創出」しか考えていないため、中国の経済援助下ではミャンマー経済の供給能力はほとんど拡大しなかった、と批判的である。この主因は言うまでもなく軍政下での官僚主導の「ビルマ式社会主義」であり、その成立の歴史を、英国に裏切られて暗殺されたアウンサンの挿話も交えて説明している。欧米の経済制裁解除後、中国の影響力には陰りが見えるが、それに替わる欧米や日本からの経済援助で、そもそも国内供給力の限られているこの国のインフラ整備がどこまで進むかは、今後のアウン・サン・スーチーの動きや国内の少数民族問題等も考えると、予断を許さないだろう。

 著者は、経済制裁解除を受けた「第二次ミャンマー・ブーム」の中で、この国に進出している日本企業を取材している。ここで著者が提唱しているのは、ブームに乗っかった安易な対外直接投資や輸出拡大ではなく、より中期的な視点から、「日本企業が利益を稼ぐ」「日本政府は安全保障を強化する」、そして「ミャンマー国民が豊かになる」という条件を満たすべく行動することである。中国へのミャンマー国民の反感を踏まえた提言であるが、これはミャンマーに関わらず、全ての海外経済進出の原則であろう。しかし、もちろんそれは著者が考えるほど容易ではない。

 現実には、そもそもこの国に進出しようとすると、「国際標準の設備を持つ工業団地の不足」と「不安定な電力供給」という二つのボトルネックがあり、労働集約型の縫製業や軽工業を除き、この国への日本企業の進出は進んでいないという。それを改善するため、日本連合は「ティラワ経済特区」の開発整備を進めており、スズキ自動車などが進出を表明しているという。また国民の日本語習得能力が高いことから、日本のIT会社がオフショアでのシステム開発サービスを始めているという。ただ認可を巡る官僚制の壁や通信インフラの低さが、ここでの障害になっているようである。更に外人向けオフィスや住居・ホテル料金が急騰しているという問題もある。実際、第一次ブームの時に建設され日本企業が多く入っている「サクラタワー」という日本企業が所有するビルは、経済制裁時期には赤字が累積したが、昨今は家賃の急騰で、赤字を解消した上大きな利益を計上しているという。その他、銅精錬事業などを手掛ける千代田化工や証券取引所整備に協力する大和総研などの活動が、経済制裁時期を乗り越えた日本企業のこの国での活動例として取材・報告されている。また日本企業の最近の進出で面白いところでは、日本の農業技術を導入したアグリ・ビジネス等も注目されるという。

 本の最後は、観光ビジネス報告という名目での観光旅行である。ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダから始まりバガンに飛ぶ。シュエサンドー・パゴダからの景観やダヤマンジー・パゴダを巡る悪名高い王の物語、美しいアーナンド寺院など、かつて自分も旅行で訪れた観光地を懐かしく思い出しながら流し読むことになった。マルコ・ポーロも訪れ、「東方見聞録」にこの町の記述があるというのは、その時は知らなかったが、先に読んだ中国史と併せて、この本をきちんと読んでおいても良いかもしれない。著者が訪れた観光地で、私が行くことができなかったのは、ポッパー山の山頂に聳えるタウン・カラットの寺院くらいだが、併せてバガンに日系が経営する高級ホテルがある、というのは、この本で初めて知ることになった。最後はこの地での第二次大戦の激戦であるイラワジ会戦などを受けた日本語の世界平和記念碑の話で、このミャンマー報告は終わっている。

 著者がどのような経緯でこの国のルポを書くことになったかについては特段の説明がなされている訳ではない。おそらくこの取材旅行に関係した編集者から著者に対し、このルポの執筆依頼があったのだろう。その意味では著者はミャンマーについては、この取材の前は素人であったと思われるが、そこでのにわか取材で、それなりのポイントを抑えた本をまとめることができる能力はりっぱなものである。著者のそれ以外の本を読もうという気にまではさせないが、少なくとも現在のミャンマーについて解説した本の中では、もっとも判り易い入門書であることは間違いない。

読了:2014年1月19日