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ASEAN諸国の科学技術情勢             
編著:科学技術振興機構 
 シンガポールでの勤務先事務所のお隣さんで、日常的にお世話になっている日本の政府関係機関がまとめ、その事務所の所長もシンガポールについての執筆者になっている、ASEANの科学技術情勢についての解説である。

 主としてASEANの「地域スペシャリスト」として現在の仕事について1年超。その間、業務上の必須要件である科学技術の基礎知識とそれに関連する担当域内の組織、関係者などの情報を懸命に吸収してきたが、後者については、まだ場当たり的な知識に留まっており、自分が直接関係した国、組織、業務分野を除き、とても全体観が体系的に入っているとは言えない状態であった。その意味では、丁度良いタイミングで上程してもらった本である。しかし、丁度眼のトラブルが発生する直前に寄贈されたことから、読み始めたのは、手術後ようやく眼の状態が安定してからということになってしまった。

 内容的には、ASEAN及びそのメンバー10か国の科学技術情勢を、統一された項目に従い各国毎にまとめたもの。その項目は、一部例外はあるが概ね、1、国情、2、科学技術体制と政策、3、科学技術実施機関、4、高等教育と大学、5、科学技術指標、6、国際協力、7、トピックス、8まとめ、となっており、それにより、ASEAN各国の科学情勢が容易に比較できるようになっている。過去1年の私の業務では、シンガポールを除くと、具体的に関与した国は、中進国ではマレーシア、タイ、途上国ではミャンマーとラオスということで、それらの国の情報はまずリアルに受け止めることができる。今後関与する可能性は高いが、まだ具体的な案件としては上がってきていないのがインドネシアとヴェトナム。そしてブルネイ、フィリピン、カンボジアについては、当面は知識としてだけしまっておくことになるのではないかと感じている。以下、興味深い記載のみ書き留めておく。

 ASEANについては、「ASEAN COST-Committee on Science and Technology」を確認しておこう。AECといった経済・関税同盟と並行して科学技術面でもASEAN共同の部隊があるというのは、ある意味当然である。事務局はASEAN同様、ジャカルタにあり、食品化学技術、バイオテクノロジー、マイクロエレクトロニクス、材料科学技術など、9分野の小委員会が設定されているという。

 各国の研究開発費を対GDP比で見ているが、これによると「シンガポールの2.1%は、韓国の4.0%、日本の3.4%よりは低いが、中国の2.0%より高く、主要国並みと考えられ、ASEAN諸国では突出している」とされている。これは私が別のところで使った数字(同じベースで、日本の研究開発関係の政府予算は1%以下)との比較で、やや違和感があるので、改めて確認する必要がある。研究者数は、絶対人口の要因もあり、ASEANではマレーシアが最大で、シンガポール、タイ、インドネシアと続くが、中国、韓国、日本とは大きな開きがあることが分かる。

 私の業務上の大きな課題である人材循環という観点でASEANから海外への留学生の出先国(中国の統計がある国)を見ると、日本は、マレーシア、タイ、インドネシア、ヴェトナムで5位に入っている他、シンガポールでは5位以下と、戦後のこの地域との緊密な経済関係を考えると非常に低い数字になっているのが大きなポイントである(中国の統計がない国でも、日本がトップなのはミャンマーのみ。双方とも2012年のUNESCO統計)。これらの国では、もちろん華人系の留学生が多いということもあろうが、中国への留学が圧倒的に日本への留学生数を上回っており、これは今後の科学研究や人材循環のハブとしての日本の地位を高める上で、シリアスに考えざるを得ない事実である。ASEAN科学研究の水準としては、「日本、中国、韓国の研究者と実質的な協力関係を結ぶレベルにある」のは、シンガポール、マレーシア、タイで、それに続き、今後の経済発展で可能性が出てくるのはヴェトナム、インドネシア、フィリピンで、その他4か国は国作りのインフラが優先するか、ブルネイのように科学研究のインセンティブに欠ける、と総括されているが、それは私の実感と符合する。

 シンガポールに関しては、様々な機会にその筆者から直接聞いていることがほとんどであるが、一つ、2010年に、「政府資金の重点を出口志向型で産業系の研究にシフトさせるべく、Industrial Alignment Fund (IAF)が立ち上げられ」、これを契機に、基礎研究を行うため海外から招聘された大物研究者がシンガポールを離れ、「蜜月の終わり」と一般紙でも揶揄された、というのは初めて聞く重要な逸話であった。

 マレーシアについて注目されるのは、まずマハティール時代に、ITCインフラを整備したマルチメディア・スーパーコリドー(MSC)という産業クライスターが形成され、技術移転、人材育成、産業育成と雇用創出に努めたこと、及びこの過程で「ルックイースト」政策の一環として、多くのマレーシア人が、日本の大学への留学や企業へ派遣されたという点。マレーシアはその後のアブドゥラ首相時代にバイオテクノロジー研究にインセンティブを与える「バイオネクサス」という政策を導入したというが、その時期以降、マレーシアからの留学は米国や中国が、日本を上回るようになったという。私の日本の組織でも、研究部門での東南アジアからのスタッフの数では、マレーシア人がトップであるが、絶対数としてはまだまだ少ない。総論で指摘されているように、もともと日本に親近感を持っている国からの留学生や研究者を維持・増加させるための施策が求められているのは、マレーシアとの関係についてもあてはまる。尚、「ルックイースト政策の集大成」としてマレーシア工科大学のクアラルンプール・キャンパス内に日本からの円借款でマレーシア日本国際工科院(MJIIT)が設立され、日本型の工学系教育や労働倫理の育成が行われている(2015年に最初の卒業生が輩出される予定)、というので、ここの出身者を核にした中長期的な日本の今後の巻き返しに注目しよう。また、この地域の特徴的な産業として、パーム油産業があり、これは私の前職でも、関連産業は投資対象として注目していたが、科学技術面でも、この収穫量を増やすための品種改良や、その廃棄物(最終的に製品化されるのは全体の約10%のみ)を利用したバイオ燃料やバイオポリマーといったバイオ製品の原料として利用する研究が進められているという。これも私の現在の仕事で貢献できるかもしれない分野の一つであると思われる。

 タイに関しては、「タイ王室が伝統的に科学技術や教育の振興に積極的」であるという指摘を確認しておこう。150年前の王、ラーマ4世は「自ら天文学を研究して皆既日食を予測し、タイ科学技術の父といわれている」他、ラーマ5世は近代教育の基礎を築き、ラーマ6世がチュラロンコン大学を創立している。そして現在の王女(Princess Sirindhorn)も科学技術に造詣が深く、私もシンガポールでの科学関係の集まりで何度か尊顔を拝したことがあり、また先週は、南洋理工大学の私の知人である日本人科学者の研究室を訪れ、彼のプレゼンに耳を傾けた、という話も仄聞している。更に、個人的にも、すでに過去1年の間に、国家科学技術開発局(NSDTA)やチュラロンコン大学と業務で関わったことから、1年ちょっと前のクーデターや最近の市内での大規模テロといった政治・社会問題はあるものの、個人的な親近感は強い国である。ただ、研究開発費が2009年で、対GDP比0.25%というのはいかにも少なく、まだこの分野に大きく力を注ぐところまではいっていないことが読み取れるのは残念である。ただ前述の執筆者の一人によれば、確かに対GDP費では少ないものの、GDPの絶対額はASEAN地域ではインドネシアに次ぐ第二位であり、且つ特定の研究分野に集中投資しているので、そこでは優れた研究や成果もあるとのこと。トピックで紹介されている「農産物放送フィルム」(私も面識がある日本人研究者が紹介されている)、や「非可食バイオ燃料」、「医療ロボット」等がそうした競争力のある分野なのであろう。

 以降は、私はまだ直接関わっていない国が続くが、まずヴェトナムについては、研究開発費が対GDP比約0.8%という数字もあり、東南アジア諸国の中では比較的資金を投入しているといえる。日本からも各種援助が行われており、ハノイ郊外のハイテクパークや宇宙開発でも日本の援助が使われているという。日本関連ビジネスの獲得のためのIT人材育成機関として私企業が設立したFPT大学は、日本のテレビでも報道されていたのを記憶している。もともと人材は優秀な国であることから、私の仕事でも、今後関係が深まることは十分予想される。

 インドネシアは、絶対人口と名目GDPが大きいこともあり、研究開発費のGDP比は、2009年で0.08%という低い水準である。興味深いのは、主要研究組織としてインドネシア科学院(LIPI)と、技術評価応用庁(BPPI)という二つがあり、前者が私の勤務先に、後者が産総研に類似するという特徴を持っているということである。しかも、スハルト失脚後に一時大統領を務めたハビビは元BPPI長官ということで、科学技術に対する国家的関心も強いと言える。豊富な生物資源を利用したバイオ研究、赤道直下という地理的特徴を利用した気象学、地球物理学、そして自然災害が多いことからの防災研究などが注目分野であるという。特に防災研究は、同じ環境にある日本にも還元できる研究分野として、日本からの支援も期待されているというのは、その通りであろう。

 フィリピン、カンボジア、ブルネイについては、私も今まで全く関わっておらず、また近い将来関わる可能性も小さいと思われるので省略し、実際に仕事が進行しているラオスとミャンマーを見ていこう。

 ラオスは、人口七百万人弱の内陸国であるが、ここでは個人的に科学技術省及びラオス国立大学とコンタクトがある他、国立パストゥール研究所も1年前に訪問した経緯がある。国立パストゥール研究所は、「パストゥールの名称を用いることを許可すると共に、一定の支援を行っている」とのことであるが、日本人研究者1名を含む50人弱の研究者・職員が、近代的な建物で勤務する様子は、研究施設の建物自体がまだ建設途上であった科学技術省との比較で、印象的であった。またラオス国立大学については、「研究力強化のために、2020年を目処にアジア開発銀行の支援を受けつつ大学附属の研究所を創設する予定」とのことであり、これも私の業務に関係してくる可能性は高い。

 ミャンマーは、まさに先月、私の眼の手術もあり、1年振りの出張が延期されてしまった訳であるが、まさに昨年出張時に目撃したとおり、JICAの援助は科学技術省傘下のヤンゴン、マンダレー両工科大学にのみ向けられており、教育相傘下の一般大学、例えば私が関与しているヤンゴン大学については、この本では全く触れられていない。それだけ一般大学は日本の政府ベースの支援からは遠い位置にあるということであろうが、それだけに、この分野に我々が関わる意味は大きいことを改めて感じることになった。科学研究インフラ及び研究者の水準が低いということは、実際の接触を通じて実感させられているとはいえ、今後の国家の成長過程で、こうした科学技術の水準上昇が大きな原動力になることは疑いなく、中長期的な視点で、こうした動きを支援していくことの意味は大きい。

 こうしてASEAN10カ国の科学技術動向を俯瞰してみると、全く当然であるが、科学技術面のみならず、その他のあらゆる分野において、この地域で大きく異なるそれぞれの国情、国力に合わせた付き合い方があることを、改めて痛感することになった。各国の個別のニーズと特徴・強みをきちんと認識しつつ、科学技術研究協力という素材を使いながら、それぞれの国の成長に貢献すると共に、それを通じて如何に日本としての政治的、経済的、そして科学研究上の利益を引き出していけるか。現在の業務に着任して1年という節目で、頭を整理するちょうど良い機会となった。

読了:2015年8月29日