アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
アジア読書日記
その他アセアン
ASEANを知るための50章
編著者:黒柳米司他 
 「・・を知るための・・章」シリーズの一冊で、今までにはシンガポールと現代インドについての2冊を読んだことがある。地域研究の入門書であることから、ASEAN諸国については、それぞれの国について出版されているが、あえて今まではそれ以上に広げてこなかった。ただASEANに絞って論じた類書はそれほど多くないことから、今回手に取った。結果的には復習の域を出なかったが、改めてこの「弱者連合」が抱えている課題を再認識することになった。2015年12月の出版ということで、足元のミャンマー問題等、最新の課題については触れられていない。また数多くの筆者が執筆していることで、重複が多くなっているのは、こうした「国際機関」について一冊の書籍にするためにはやむを得ないのだろう。ここでは、そうした重複を避け、この組織の主要な課題をまとめておくことにする。
 
 ASEANの前史と成立の契機。1960年代の海洋部東南アジアは、1963年のマレーシア連邦誕生に触発された3つの紛争―@マレーシアに編入されたサバ州を巡るマレーシアとフィリピンの領土紛争、Aマレーシアとインドネシアの「イデオロギー戦争」、そしてBマレーシア連邦内の華人地域シンガポールの処遇問題―を抱え、友好や協力どころではなかった。それが、1965年、フィリピンでのマルコス政権成立、インドネシアでのスハルト反共政権の成立、そしてシンガポールの独立により地域協力の方向に転換し、1967年8月の5か国によるASEAN結成宣言となる。5か国は「軍事同盟ではない」と強調したが、カンボジアやビルマは敬遠、社会主義諸国は親米反共の「SEATO」の補完物と見なしたのは当然の反応であった。ただ、結成直後の1967年には、サバ州領有問題でのマレーシア=フィリピンの断交やシンガポールでのインドネシア兵士処刑に伴うシンガポール=インドネシア関係の緊張等、成立前の問題は残っていた。他方、1973年には、日本の合成ゴム輸出で難局に陥った域内の天然ゴム産出国(インドネシア、マレーシア、タイ)に、他の二国が同調する形で、日本に輸出自粛を求めたり、1978年には「カンボジア紛争の平和解決」に向けて国際世論に働きかける等、連合体として交渉を進める実績も積んだという。そして1984年のブルネイ、1995年のヴェトナム、1997年のラオス及びミャンマー、1999年にカンボジアが加盟し、現在の10か国体制となる。残る新規加盟候補は、2002年に独立した東チモールで、この国からのASEANへの参加意思はいろいろなところで表明されているが、現在はまだ「加盟国としての審査が継続中」ということで結論は延び延びになっている。この著作の時点では、直ぐにでも参加が承諾されるのではないか、との憶測も出ていたということであるが、私のシンガポール滞在中には、この議論が進んだという情報はほとんどなかったことから、その理由が何であるかは明確ではない。

 ASEANの制度的な特徴について、様々な説明が書かれているが、ここでは、「ASEAN Way」と呼ばれる「主権の相互尊重と内政不干渉、そしてコンセンサス方式」という原則を確認しておけば十分だろう。このため、よく比較されるEUと比較しても、「地域協力を推進する巨大な官僚機構を設立すること」は考えられなかったが、他方ではASEANのみでは発言力が限定されるという弱点にもなっていることは言うまでもない。1988年のミャンマーでのクーデター時の対応がこの限界(欧米諸国の批判を受け、2006年の予定されていたミャンマーの議長国就任の延期程度の措置しか取れなかった)が問題になった典型例として説明されているが、それは足元のこの国での軍の新たな強権支配で、改めて浮き彫りとなっている。もちろん、クーデターが繰り返されるタイの軍事政権に対するASEANの静観姿勢にも議論の余地がある。その意味で、ヴェトナムやカンボジアを含め、「権威主義体制」が多く存在する域内で、2007年に採択されたASEAN憲章で歌われた「民主主義」や「法の支配」実現への道にはまだまだ多くのハードルが残っていると言わざるを得ない(「ASEAN政府間人権委員会」という組織も2009年に立ち上がっているが、あくまで諮問機関で、「規範の遵守を担保する権限はない。」実際、私も、今回のミャンマーでのクーデターを含め、この機関が何か動いた、という報道に接したことはない。他方、2008年と2011年に、タイとカンボジア間で死者が出る戦闘が行われたプレア・ビヒア寺院紛争では、一部の未解決課題はあるものの、一定の域内紛争解決モデルは提示されたとされている。

 こうしたASEANの政治的限界が明らかな中で、経済統合については一定の進展があることは確かで、域内関税の自由化(ASEAN自由貿易地帯)や大メコン圏開発、ASEAN連結性マスタープラン(@輸送の円滑化、A物品の自由移動、Bサービスの自由移動、C投資の自由移動、D熟練労働者の自由移動と人的発展、E国境手続き等のソフト・インフラ整備を含む)といったインフラの共同開発は、その象徴である。環境対策では、私も遭遇した「ヘイズ対策」が紹介されている。ここ数年、これが収まっているのは、ここでも一定の成果があったということなのだろう。

 ASEANを核にした「広域地域秩序の構築」は、「弱者連合」としてのASEANが避けて通れない道であり、ここではAPECやTPP/RCEP、ASEAN+3、ASEAN拡大外相会議、そしてASEAN地域フォーラム(ARF)等、域外諸国を含めた様々な「会議外交」の枠組みが紹介されている。これらはよく知られ、現在も関連の情報は時折伝えられてくるので、詳細は省くが、足元は米中対立が激しくなる中で、ASEANとしては二者択一を強いられることだけは避けたいという姿勢で、こうした枠組みを利用していく方向であることは間違いない。そして最後に、対日関係を含めたASEANと主要国との2者間関係の歴史も紹介されているが、日本にとっては、やはり米中の動向を念頭に置きながら、南シナ海問題への対応を含め、この両国とASEANの間に立ったバランスがとれた外交を遂行できるかが、この地域との関係発展の主要課題であることは間違いない。上から目線ではなく、相手の立場を考慮しながらの、WIN-WIN関係を駆逐できるかどうか、足元益々日本の外交手腕が試されていることは間違いない。そして、個人的にも、今後も引続きこの地域と何らかの関りを持っていくのであれば、個別国に加え、集合体としてのASEANの動きも注視していかなければならないことを再度確認することになった一冊である。

読了:2021年4月7日