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韓国大乱
著者:牧野 愛博 

          
 2025年3月出版の新書で、著者は1965年生まれの元朝日新聞記者。ソウル支局長などを経て、出版時点では広島大学客員教授となっている。韓国については、昨年末に、元日経新聞記者による、文在寅大統領時代の「反米・従中・親北」政策を批判的に論じた2022年出版の新書を読んだばかりであるが、こちらは2025年1月、時のユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領による戒厳令布告とその後の大混乱を受けた状況を中心に、やはり韓国の政局について、左右両党の権力闘争激化を批判的に報告することになる。

 2024年12月3日午後10時半頃に突然ユン大統領が布告した戒厳令は、いかにも唐突であった。前回戒厳令が布告されたのは、1979年10月、パクチョンヒ(朴正煕)大統領が暗殺された約45年前、その後の粛軍クーデターで権力を掌握した全斗煥(チョン・ドンファン)によるもので、韓国を取り巻く国際情勢も、現在とは全く異なっていた時期であった。そんな現代に、ユン大統領はなぜ戒厳令といった「前時代の遺物」に政権運営を賭けたのか、そしてそれは韓国の政治・社会にとって何を意味しているのかを、韓国の多くの関係者へのインタビューを通じて、当時の政治状況やユン大統領の政権運営手法や個人的性格等から探っている。しかし、この戒厳令は短時間で失敗し、その後は、いろいろ経緯はあったものの、ユン大統領は逮捕・拘束され、まさにこれを書いている1月13日には、ソウル中央地裁で彼に対する特別検察による死刑求刑が行われたところである(但し、韓国は1997年を最後に死刑を執行しておらず、事実上の「死刑廃止国」といわれているとのこと)。他方、彼の失脚を受けて後任大統領となったイ・ジェミョン(李在明)は戒厳令問題では尹錫悦とその関係者を厳しく追及しているが、対日米関係については、当初予想したよりも柔軟な姿勢で対応。そして、やはり同じタイミングの1月13日には来日し、奈良で高市首相との首脳会談に臨んだ。その前日NHKで、来日直前の李在明大統領の単独インタビューが放送されていたが、その中で彼は過去の激しい日本批判について、「一野党指導者時代と、国政に責任を持つ立場では発言は異なる」と述べ、日韓歴史問題を、経済・安保等とは切り離す姿勢を強調していた。その意味で、そのNHKの論評でもコメントされていたように、彼は日本(そしてその前に習近平と会談した中国)に対しては「実利」を重視した柔軟な姿勢をとっているのは確かである。もちろん今後の尹錫悦への訴追の展開にもよるが、韓国内の左右両派の対立もいったんは落ち着きを取戻しているようである。その意味で、このユン大統領の戒厳令騒ぎは既に過去のものとなってしまった感もあり、それを考えると、あまりこの戒厳令を巡る議論を詳細に記録しておく必要もないと思われる。そんなことでここでは著者による報告のポイントだけ簡単に記載しておく。

 まず戒厳令布告の過程であるが、政治的動機は、議会で過半数を有する最大野党「共に民主党」による来年度予算の削減決議であった。ユン大統領は、これを含めた野党による政権運営への妨害に剛を煮やし、12月3日夜の閣議で戒厳令の布告を宣言したのである。少なくとも3人の閣僚は反対したと言われるが、軍が動員され、国会封鎖が試みられるが、軍の動きは基本的に「非暴力」で、野党や民衆の抵抗運動の結果、翌14日午前4時過ぎ、ユン大統領はこの戒厳令の解除を発表。戒厳令はわずか6時間足らずで収束することになったのである。

 この戒厳令の布告については、著者は特にユン大統領の性格によるものとして説明している。まとめてしまえば、気さくな性格で大酒飲み、仲間とは深夜まで議論をすることを好むが、自説を曲げることはほとんどない「検事特有の白か黒かの二分法の思考様式」。それに沖岩高校やソウル大同窓生及び検察仲間等、ある意味素人集団による政権運営といった要因が、今回政局が行き詰まった際に「戒厳令」というウルトラCに賭けるという思いを振り切ることができなかったということになる。政権運営に加え、妻である金建希に対する幾多の汚職疑惑があったことも、この暴挙への誘因とされている。

 いずれにしろ、戒厳令は短時間で撤回され、ユン大統領や金夫人他関係者は逮捕・拘束され、今後の訴追を待つ状況になっているので、これにつぃてはこれ以上の記載は不要である。しかし、日本でも自民党の議会少数与党が、何とか連立で予算を含めた議案について「平和的」に政権運営を進めているのとは大違い(但し、今回の高市首相による突然の衆議院解散・総選挙は、日本版「戒厳令」と言えなくもないが・・)な、韓国での「大乱」であった。韓国民主主義の課題を提示した事件であったことは間違いない。

 以降、著者は、この戒厳令への関与の際に示された韓国軍の「権力者の軍隊から国民の軍隊」への変貌の様子や、「歴代大統領の栄光と末路」についてのまとめ、そして韓国民主主義についての考察や対北朝鮮・中国・日本を含めた外交政策の今後について議論しているが、これらは、既に多くの韓国関連著作で接してきたものとそれほど相違はないので、ここでは省略する。

 この新書とは別に、同時に読んだ木村幹という神戸大学大学院教授による、李在明大統領政権下での韓国政治と日韓関係についての小論(学士会会報2025―V号)について補足しておく。まずユン大統領による戒厳令布告から丁度6か月後の大統領選挙で「共に民主党」の李在明が大統領に当選・就任したが、これにより韓国では3年1か月振りに、大統領与党と国会の第一党が同じになる安定政権が生まれたことが指摘されている。韓国は大統領任期が5年一期、国会議員任期が4年となっていることから、任期が一部重なる米国と異なり、大統領と国会の歪みが生じるが、今回これが解消されたことで、李在明大統領の政権運営は、相対的に楽になったということである。

 更に現在の「共に民主党」に連なる大統領たちは、1987年の民主化運動の活動家であった人々で、彼らにとっての敵である保守派は「植民地時代の日本への協力者に連なる人々と、その背後にいる日米両国やそこに基盤を持つ多国籍企業」であったことから、この保守派の支配を打倒するためには「植民地支配を巡る歴史認識問題から、国内の民主化、更には北朝鮮との対話実現や米韓同盟の相対化」が同じ論理上の課題であり、それが日本に対する歴史問題や領土問題への強硬姿勢となっていたと見る。

 しかし、李在明大統領は、こうした従来の韓国進歩派とは異なり、苦学して弁護士となった彼は民主化運動を経験していない。そして政治家に転身し、地方の知事等で政治に関与してからも、市財政再建や若者失業対策等の実務で評価を受けてきた。それが彼の言う「実用主義」、就中経済成長や雇用創出であり、日米(そして中国)との関係も、歴史認識問題や安全保障問題よりも、経済的利益を目指したものになるだろうとする。それが今回の日本(あるいは中国)訪問を含めた彼の外交政策における「柔軟性」を生んでいると見るのである。

 ただこれまでも韓国では、国内政治に息詰まると、民衆の不満を逸らすために、歴史認識問題を含め突然対日姿勢が硬化するということは何度も見られてきた。取り敢えず穏当な滑り出しを見せた李在明政権がこの同じ轍を踏むことがないことを祈るのみである。

読了:2026年1月11日