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イスラエルの自滅
著者:宮田 律 


 「剣によって立つ者、必ず剣によって倒される」との副題がついた、2025年1年出版のイスラエル批判書である。著者の名前はどこかで耳にした覚えはあるが、読書目録を調べてみると、著作を読んだ記録はない。1955年生まれということなので、私と略同年代。大学勤務の後、独立して「現代イスラム研究センター」という機関を設立し、そこを拠点に、中公新書の「歴史」シリーズでの「イランの歴史」を始めとして、中村哲医師やガザ紛争など多くの著作を発表している。そうしたパレスチナの歴史を踏まえながら、基本的にモスレム支持の立場から、現代のイスラエルとそれを支える米国などを、これでもかこれでもかと批判していくことになる。

 2023年10月7日、ハマスはイスラエルに奇襲攻撃を仕掛け、それに対する報復としてイスラエルのネタニヤフ政権は、ガザ地区への攻撃を実行。徹底的な破壊によりハマスのみならず、4万人を越える民間人を殺戮し、ロシアによるウクライナ侵攻と共に、ここ数年の最も悲惨な戦闘として、今なお国際社会の懸案であり続けている。こうしたイスラエルによる「過剰防衛」ともいえる報復は、内政面では、ネタニエフ自身が汚職事件の被告として裁判にかけられているが、首相である限りはその有罪を覆すことができること、そしてその政権維持のためにユダヤ原理主義(「修正シオニズム」)の右翼政党との連立を維持する必要があるため、彼らの意向を受けた反イスラム強硬策をとらざるを得ないという要因がある。しかし、こうしたイスラエル・ネタニヤフ政権による反イスラム強硬策は持続可能なのだろうか?著者は、それはイスラエル社会の分裂や経済的・人口動態的な破綻、そして国際社会からの孤立といった要因から必ず破綻すると主張することになる。以下、こうした著者の見方のポイントを整理しておく。

 まずイスラエル社会の分裂であるが、一方で、オスロ合意などの過去の和平の機運を知らない若い世代の間で、2000年に始まる第二次インティファーダでのパレスチナ人の暴力や、2005年のイスラエル軍のガザからの撤退がハマスのガザ支配をもたらしたことなどから、パレスチナへの強硬策を支持する機運が高まる半面、ネタニヤフによる自己保身のための司法改革に対する大規模な反対運動が、退役軍人なども含めて盛り上がっていることが報告されている。また2022年に国防大臣に任命されたガラントが、ハマスの不穏な動きに対する懸念を伝えていたにも拘らず、ベングビール国家治安相(極右政党「ユダヤの力」党首)ら、極右からの要求で解任された事などは、政権と軍の分裂を示すことになる。ベングビールら極右政治家たちの経歴や思想について、著者は細かく紹介しているが、それは省略し、他方でこうした極右への反対運動もそれなりに強まっているという。著者は、歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリが2024年4月に発表したネタニヤフ政権への批判を紹介しているが、これなどは、私が、何故彼が依然イスラエルに留まっているのか、そしてこの事態をどのように見ているのかという疑問に一部答えてくれた。こうした知識人の批判は、後述の「イスラエルの国際社会からの孤立」という論点にも関わってくることになる。

 経済的・人口動態的な破綻というのは、イスラエル社会にとって一層シリアスな問題であると言える。戦闘による個人消費、企業活動の低下や外国からの投資減少は、イスラエルのGDPの落ち込みとなり、また巨大な戦費負担は財政悪化をもたらしているが、財務大臣である極右政党のスモトリッチは、戦闘への予算を優先し、また企業の労働力不足を補うためのパレスチナ人の雇用拡大に反対している。海上輸送へのモスレム側からの攻撃による海運危機や、その結果としての輸入減少、そして自国農業の不振による食料自給の不足も顕著である。更に戦闘激化による外国人観光客が激減し、航空会社を始めとした観光産業の収入も激減している。加えて今回のハマスの奇襲とそれに対するネタニヤフのガザ攻撃を嫌気した、主として中道・左派のイスラエル人の海外移住の増加も顕著で、逆にイスラエルへ移住しようという人々は減少している。こうしたイスラエル人の人口減少は、中長期的な人口動態上は、国内のモスレム人の比率の増加という形で、国の人口構成を益々難しくすることになる。

 そして最後に、イスラエルの国際社会での孤立。2024年5月、ハーグにある国際刑事裁判所(ICC)はハマス指導者に加え、ネタニヤフやガラント国防相らに逮捕状を出した。当時の米国バイデン政権はこれに反発したものの、日本を含めたICC加盟国は、彼らが自国に入った場合には逮捕義務が生じることから、ネタニヤフ他の国際行動は制約を受けることになる(もちろん、2024年のプーチンのモンゴル訪問の様に、それが実行されないことはあるが・・)。そしてローマ教皇を始めとするイスラエルの軍事行動への批判。イスラエルの大きな支持母体である米国でも、左派の学生による反対運動に加え、福音派の中でも批判する動きが出てきているという。米国第二次トランプ政権は、当然ながらイスラエル支持を鮮明にしており、日本もパレスチナ国家未承認など、米国の顔色を見る姿勢を変えていないが、国際社会でのイスラエル批判の動きは、収まることはなく、むしろ高まることは大きな流れであることから、日本も今後態度を鮮明にせざるを得ないだろうというのが著者の予想である。

 著者はこうした議論を受け、ナチス・ドイツの崩壊や、米国のベトナムやイラクなどでの失敗と同様にイスラエルも「自滅」する命運を持っていると結論付けている。そのイスラエルの「自滅」とは、現在のネタニヤフ政権が崩壊し、ガザやパレスチナとの融和を目指す政権が成立、パレスチナ和平に向けた動きが進むことを意味すると思われるが、恐らく米国の政治的・経済的支援を受け続ける限り、ネタニヤフは簡単に退陣することはないと思われる。そして現在米国主導で進められているガザ和平の動きも、それほど簡単に決着することはなく、現在の緊張はまだ当分続くことになるであろう。また著者は、日本や米国のウクライナ戦争でのロシアへの対応と、今回のガザ戦闘でのイスラエルの対応についての「ダブル・スタンダード」を批判しているが、この間には、前者は明らかにロシアの侵略であるのに対し、後者はまずはハマスの奇襲攻撃への反撃として行われたという決定的な違いがある。もちろんイスラエルのそれが「過剰防衛」ではないか、というのが問題であるが、プーチンのそれと同様に論ずることは適当ではない、というのが私個人の考え方である。その意味で、ここでの著者の議論はややパレスチナ側にバイアスがかかっていると思わざるを得ない。しかし、それにも関わらず、私と同年代の著者がこの地域研究に長らく従事し、この地域問題について多くの論考を著していることには敬服する。彼の他の著作も機会があれば読んでみたいと考えているのである。

読了:2026年1月25日