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女が動かす北朝鮮
著者:五味 洋治 
 北朝鮮については、メディアで様々なニュースが流れる中、今まで余りまとまった本を読む機会がなかった。その国内情勢等については、関心があるものの、厳しい情報統制があることから、基礎になる情報は、かつての「クレムリノロジー」と同様、当局発表の大本営報道を、想像力により読み解くか、亡命者(脱北者)からの情報を精査して、その中から「真実」に近い情報を引き出す必要がある。ただそうした手法は、読者の関心を喚起するために、得てして必要以上に「ゲテモノ好み」的なものになる危険も内在している。そんなことから、今までは、あえてそうした関連の著作は避けてきたが、今回図書館で気軽に借りられたこともあり、この2016年4月出版の東京新聞論説委員の新書を速読してみた。著者は1958年生まれ。中日新聞記者として韓国に語学留学した後、1999年から2002年まで、ソウル支局で勤務している。また中国勤務時代の2004年に、北京国際空港で金正男に偶然会ったことから、後に彼の独占インタビューを基にした著書も出版している。ここでは、戦後の北朝鮮の動きを、三人の独裁者に関連した女性に焦点を当ててまとめている。

 そもそもこの国は、良く知られている「喜び組」のように、独裁者や政権幹部を「慰労」する女性たちの存在の様に、今時の東アジアでは珍しい慣行が依然存在しているだけで、下世話な関心を呼び起こす。そして実際、戦後の3人の独裁者(金日成、金正日、金正恩)も、複数の妻(ここでは、金日成は二人、金正日は五人。金正恩は今のところ一人となっている)を含め、こうした「美女選択システム」を経て提示された女性たちや、親族の女性たちに取り囲まれ、そして時にはそうした女性たちの影響を受けながら政策決定自体も行ってきた節がある。他方で、目障りになった女性たちは、痕跡を残さず消されることも多い。その意味で、この国の女性たちは、上層階級に属する者たちを含め、依然前近代的な地位に置かれていると言えるが、それがまた、その世界に対する下世話な関心を喚起することになるのである。そんなことで、この新書も余りまじめに読んだ訳ではないが、朝鮮半島を巡る情勢全般に関わる事項を中心に、簡単に興味を引いた部分だけまとめておく。

 まずは、近年その存在感が拡大している金正恩の実の妹、金与正(1987年9月生まれ)。最近の報道でも、この国の重要政策事項を決定する「国務委員会」委員就任で、更に存在感を増しているこの女性について5年前の評価が紹介されているが、「底抜けに明るい性格」で、2011年2月には、もう一人の兄、金正哲と、シンガポールでのE.クラプトンのコンサートで目撃された等、現代の若者の感覚もあるという。余談だが、この時は、偶々シンガポールで、クラプトン、イーグルス、サンタナのコンサートが立て続けに開催され、私は、3つは多いので、今まで観たことのなかったイーグルスとしばらくご無沙汰していたサンタナは参加したが、クラプトンは行かなかった。その金与正は、金正日が一時期後継候補と考えていたというが、その後も金正恩の公開活動に随行することも多く、金正恩の補佐役に徹している。しかし、見るからに病気持ちの金正恩の後継の可能性もあると著者は指摘しているが、その金正恩は、最近の映像では以前よりも肥満が収まり、減量した感があるので、当面そうした事態は考えられないと思われる。著者は、金正日の2番目の妻との間にできた娘である雪松というのがいて、金正日が特に可愛がっていたとしている。この本の時点でも、「労働党組織指導部で重要職責を担っており、張成沢の粛清を主導した」として、重要な女性であるとしているが、この名前は少なくとも最近の報道では全く目にすることはない。しかし、著者は、将来的に、金与正、雪松、そして金正恩の妻である李雪主(楽団の看板歌手であり、その当時、日本を訪問したこともある)の3人の女性の間で「側近争い」が起こることになろうとしているので、一応名前は憶えておこう。

 以降は、この金王朝の中で運命に翻弄され、むしろ不遇を強いられた女性たちの話が中心なので、簡単に済ますことにする。まずは金日成の二人の妻、金正淑と金聖愛。前者は、金正日の母親でもあり、そのため北朝鮮では「三大革命将軍」、「国母」という賛辞が与えられ、誕生日が祝日とされている。しかし、32歳で早世した際は、夫の金日成には別の女性がおり、彼女が急死した時の状況については、様々な憶測が飛び交っているという。また後者は、その時の金日成の愛人で、その後妻となり、1975年頃をピークに政治的な影響力も強めたというが、金日成の死去後は、公式資料から記載や姿が消され、その子供たちも外交官などに就いているが冷や飯を食わされているという。金聖愛は2014年頃にひっそりと逝去したという情報があるが、公式には発表されていない。

 金正日は、確認されているだけで4人の妻がいるが、彼女らについては徹底的に秘密にされている。まず紹介されているのは国民的女優であった成恵琳。金正日が見初めた時には既に結婚していたが、夫を捨てて金正日と同棲を始め、長男金正男が生まれたことで、金日成も結婚を認めたという。しかし、金正日は、間もなく別の女性に走ることになる。金正男は、その後著者が単独インタビューに基づく本を出版することになるが、2017年2月、クアラルンプール空港で暗殺されるが、この新書の出版時点ではまだ生存していた。その母親は、金正日に捨てられた後体調を崩し、療養のためモスクワと行き来する生活に入り、またスイス・ジュネーブでも療養したというが、2002年、モスクワでひっそり逝去し、そこに墓が残されているという(享年65歳)。当然金正日恩にとっては成恵琳や金正男は「消されるべき存在」であった。また彼女の存在を含め、金正日の女性関係を暴露した男が暗殺される話なども紹介されているが、詳細は省略する。

 金正日の次の妻は高容姫。金正恩や金与正の実母である。彼女は、済州島出身で1929年に日本に渡り、大阪の軍需工場で働いていた男の長女としてそこで生まれたが、10歳の時、親と共に北朝鮮に帰国したという。しかし日本からの帰国家族は、期待に反してスパイ扱いをされるなど差別されたことから、高容姫は、そこから這い上がるために金日成が創設した舞踏団に加わり頭角を現す。21歳の1973年には日本も訪れ公演を行ったという。そして同時期「喜び組」としても働き、金正日に気に入られることになり、1981年に長男の正哲を始めとして、3人の子供を産むことになる。彼女のお蔭で、一族も優遇を受けたようであるが、90年代に入ると乳癌を発症し、2004年に51歳で逝去。死亡後、その墓の墓碑で彼女の本名が初めて公表されたが、彼女が日本出身ということは一切公表されていないという。金正恩の実母と言うことで、彼女の偶像化が何度か試みられたこともあったようであるが、彼女の妹を含めた縁者が脱北したことで、それも立ち切れになったという。

 その他、金正日の実の妹である金敬姫(親の反対を押し切り張成沢と結婚するが、その後彼の浮気に悩まされ、彼の逮捕・処刑後は消息不明。因みに、張成沢が、金正日の後継に可愛がっていた正男をつけようとした、というのも処刑の理由であった可能性が高い)や、4人目の妻といわれる金オク(金正日死後、消息はなくなる)も紹介されている。また指導者層の縁戚ではないが、1987年の大韓航空機爆破の犯人で逮捕・生き残った金賢姫や、金正日の愛人であったが浮気で銃殺された女優等、あるいは金正日の未確認の子供等もネタとして取り上げられている。

 ここに描かれているのは、一時代前の「王朝愛欲物語り」を見ている様な、権力者と愛人たちの物語である。そして、こんなことが繰り広がれている国家が長く続くことはないであろう、というのが率直な印象である。低俗な娯楽ドラマとして観るのなら兎も角、実際の国家指導者たちの姿としては余りに悲しい実態である。現在のところ、金正恩にはこうした愛欲物語りは聞こえてこないが、さすがに現代に至り、この国も少しはまともな姿に近づいたということであれば喜ばしい限りである。

読了:2021年9月30日