アイルランド現代史
著者:北野 充

1957年生まれの外交官によるアイルランド現代史で、2022年9月の出版である。著者は2019年から駐アイルランド特命全権大使を務めており、在職時に、自らが滞在する国についてまとめた著作である。因みに、ネットによると、著者は2022年「依願免職」とあるので、この著作の刊行前後に退任したようである。
アイルランドは、私は現在に至るまで訪れる機会がなかった国である。1980年代のロンドン滞在時は、英国の知人から「雨が多い、暗い天気が好きであれば楽しめるよ」と言われたり、町ではユダヤ・ジョーク集と並んでアイルランド・ジョーク集が売られており、ちらっと眼をとおすと、アイルランド人が如何に抜けているかを皮肉った内容であったり、そして何よりも当時北アイルランド紛争が激化しており、私が住むロンドンでも時折関連のテロが発生していた事等が、その時期にこの国を訪れる機会を失った理由であったのだろう。そしてその後も、ケルト音楽を含め、この国への関心は継続的に抱いていたにも拘らず、特に日本やアジアではこの国に関する情報が限られる中、なかなかまとまった歴史に接する機会を持つことができなかった。今回この新書によって、ようやくこの国の姿を総体的に知ることができた次第であった。
ただやはりこの国の現代に至るまでの歴史は、一言でいうと、約750年に及ぶ英国支配と、1922年の独立時の英国派とアイルランド派の間での内戦、そしてそれがそのまま北アイルランドでの武力抗争に繋がる悲惨なもので、それこそ20世紀最後になって、ようやくそうした抗争に落ち着きが出て、経済的にも「ケルティック・タイガー」と呼ばれる経済成長の結果、かつての欧州「最貧国」を脱したものの、先般再読した英国のEU離脱を巡り、再び北アイルランドを巡り緊張が高まるという、なかなか厳しいものであったことが理解される。以下、そうしたこの国の政治、経済、文化の変遷の特徴的な部分を記しておこう。
古代から中世にかけて、ブリテン島から移り住んだケルト系(ゲール人)の諸王が覇権を争う状態であったが、12世紀後半、東部での内紛を契機に、ウェールズ領主の侵略を許し、それを契機に英国王が支配を宣言、実質的に英国の支配下に入ることになるが、宗教的にはカトリックが住民の間に浸透していく。そして16世紀初め、ヘンリー8世が、離婚問題からカトリック教会から断絶し国教会(プロテスタント)を設立、アイルランドへの支配も強化するものの、民衆の間でのカトリック信仰は変わることがなかった。ただ東北部アルスター地方中心にブリテン島からの移住民によるプロテスタント人口が増加し、これが、ピューリタン革命や名誉革命を受けての英国による武力制圧なども経て、この地域での現代に至るまで続く紛争をもたらすことになるのである。他方18世紀後半に入りアメリカの独立やフランス革命の影響により、アイルランドでも独立への動きが起こるものの、それは英国により弾圧され、更には19世紀半ばにはジャガイモ疫病に端を発する大飢饉が特にアイルランド全域に大きな打撃を与えたという。
19世紀後半以降、アイルランド独立への動きが強まり、英国側でも土地改革などによる斬新的な自治を認める動きも出てくることになる。こうした独立運動が高まる中で、アルスター地域ではプロテスタント親英国派(ユニオニスト)とその他のアイルランド統一派(ナショナリスト)の対立が深まり、夫々が武装組織を設立し、それらの抗争がその後現代まで続くことになる。特に第一次大戦中の1915年4月に発生したアイルランド独立の隆起(イースター隆起)と英国軍によるその残虐な鎮圧以降は、双方による武力抗争が激化することになる。この隆起は、この著作では紹介されていないが、U2の楽曲などでもよく知られている通りである。またこの隆起に参加し生き残ったデ・ヴァレラという人物が、その後、英国による逮捕なども繰り返しながら、アイルランド指導者として、独立、そしてその後の国家建設で大きな指導力を発揮していくことになる。
第一次大戦後の独立運動では、対抗国家の整備、ゲリラ戦争、そして国際的な支持の獲得という戦略がその核になる。当初の英国とアイルランド間の武力衝突を経て、次第に交渉に移り、最終的に1922年1月、両国間の条約(英愛条約)が締結され、同年12月、英帝国内の自治領という形ではあるがアイルランド自由国として独立するが、そこでアイルランド交渉団が譲歩した北アイルランドの取扱いを巡り、今度はアイルランド内での英愛条約賛成派と反対派に分かれた悲惨な内戦をもたらすことになる。内戦は翌年5月には一応終結するが、その後の国家建設に大きな傷をもたらすことになったとされる。
独立後、当初10年は英愛条約賛成派、その後の16年は反対派の政権が続き、その間政権交代は1回しか行われなかったという。そして1932年、条約反対派であるデ・ヴァレラが指導的な地位に就くと、時として柔軟な姿勢も示しながら巧妙に、その後「デ・ヴァレラ・モデル」と称されるこの国の形を作っていくことになる。それは「主権の確立」、「保護貿易政策」、「カトリック重視」等で、それに基づく憲法制定や英軍海軍基地の返還等が実行されたが、北アイルランド問題は進展が見られないままであった。そして第二次大戦が始まると、彼は英国やドイツに相応の配慮を行いながらも軍事的中立を貫くことになるが、それも「デ・ヴァレラ・モデル」の特徴となる。
第二次大戦後、連合国主導で世界秩序が構築される中、この中立政策の結果、アイルランドは国際社会からは孤立した国作りを余儀なくされることになる。また経済状態が改善しないことを主因に、条約賛成派と反対派の政権が目まぐるしく変わることになり、また1950年代にはアイルランドを出る移民が急増し人口が減少する等、「デ・ヴァレラ・モデル」を見直す必要が出てくる。それは経済政策では「保護主義」から「開放経済=リベラル・モデル」への転換であり、それを進めることになったのがレマスとウィタカーという2人の指導者であった。そしてその核心は、法人税優遇を核とした外国企業による投資促進と輸出振興策であり、またECへの加盟(1973年)を含めた国際経済への参加で、それは、ホーヒー等、その後の指導者にも引き継がれていくことになる。しかし他方で、1960年代後半になると北アイルランドでの武力衝突が再開し、アイルランドの政権にとっても厳しい試練となっていくことになる。またカトリックの特別な地位を憲法から削除(1972年)するといった、社会的価値での「リベラル化」も行われたが、離婚、避妊、同性婚といった実際の課題については、人々の保守カトリック的な価値観はなかなか変わることがなかったとされる。
1970年代は、2回の石油危機などによる世界経済減速もあり、アイルランドもインフレや財政悪化、デフレによる失業率の上昇に苦しむことになる。また北アイルランド自治政府では、対立するユニオニストとナショナリストによる「権力共有」という発想が出てくるが、双方の過激派はこれに反対しテロ活動が激化することになる。私が英国に滞在した1980年代は、まさにこうした状況下であった。アイルランドは英国にとっては、依然悩みの多い後進国であり、私がこの時期、あえてこの国を訪れようと思わなかったのも、何となく理解できる。
こうした状況に変化が起こるのは、私が英国を離れる直前の1987年、「国家再建計画」がまとめられてからのようである。まずはホーヒー政権の下で、1994年に向けて、インフレ率、債務比率、経済成長といったマクロ経済の安定が実現し、それを受けてホーヒー失脚後のレイノルズやアハーン政権の下で1994年から2008年まで、高度経済成長(ケルティック・タイガー時代)が続き、外国企業の進出も、IT製造業から、ソフトウエア、金融サービス、医薬品・医療機器などに変わることになる。また北アイルランド問題についても、紆余曲折を経ながらも、1997年、英国ブレア政権とアイルランド、アハーン政権の間で、自治政府の「権力共有」を基本とする「ベルファスト合意」が締結され、和平に向けて大きく前進することになった。2005年には、もちろん全てのテロ活動が根絶された訳ではないが、この合意を監視する国際委員会により双方の過激派の武装解除も報告されることになる。
社会的価値の変化も、まずは1990年に、メアリー・ロビンソンが初の女性大統領に就任した頃から進むことになったという。そして離婚、中絶、同性婚といった課題についても、一方ではカトリック教会関係者のスキャンダルや「マグダレン洗濯所」問題などが暴露されたこともあり「リベラル化」が進むことになる。「マグダレン洗濯所」は、2002年制作の映画「マグダレンの祈り(映画評に別掲)」でも描かれているが、まさにこの国の社会的価値変動の大きな契機になったようである。
私がシンガポールに居を移した2008年のリーマン・ショックは、不動産バブルの崩壊などで、この国でも継続してきた高度経済成長をいったん止めることになる。ギリシャ、ポルトガル等と共に「PIIGS」と呼ばれるソブリン財務危機に陥り、EUの財政支援と再建のための指導を受ける立場に陥るが、外国進出企業の牽引等で2013年12月にはこの指導からの卒業を果たし、経済は再び成長軌道に戻ることになったという。ただ北アイルランドでは、課題を抱えながらも何とか自治政府が機能してきたが、2016年の英国のEU離脱で、新たな問題を抱えることになる。先日再読した「EU離脱(別掲)」でも説明されていたとおり、この離脱に伴う「国境」をどこに設けるかというのが、実は大きな課題であることが英国側では認識されておらず、離脱決定後それが明らかになるのである。そして二転三転後、最終的に英国ジョンソン政権が、この「国境」を北アイルランドとブリテン島の間に設定するという、ある意味「主権」を犠牲とする決断を行ったことから、それがこの地域の将来に新たな課題を突き付けることになったのである。
この著作が刊行される2002年時点では、この英国EU離脱とそれに伴う北アイルランドの情勢については大きな動きはないようである。しかし、ジョンソン裁定は、この地域のユニオニストにとっては受け入れられない決断であり、またナショナリストにとっては、将来のアイルランド統一に向けての大きな一歩である。ここで新たな対立激化の契機が潜んでいることには、今後注意が必要である。またロシアのウクライナ侵略に際しては、アイルランドは引続き「軍事的非同盟政策」を堅持しているが、基本はウクライナを支持しつつ、日本と同様、非殺傷性物資の支援を行っている。更に政権は、現時点まではユニオニストとナショナリストの「中道派」中心であったが、ここのところ左派ナショナリスト政党(IRAの政治部門)であるシン・フェイン党が議席を増やしており、これが欧州全域での「右派ポピュリスト政党」の進出と相まって、今後のこの国の行方にもたらす影響が注目されているという。独立後100年を経て、アイルランドは「保守的な貧困国から(離婚や避妊といった社会的価値を含めて)リベラルで豊かな国に変身した」と総括されているが、相変わらずこの国については、日本のメディア等ではほとんど報道されることがない。そうした中ではあるが、この国の今後を、これを機会に追いかけてみたいと思うことになった著作であった。
読了:2025年12月21日