アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第十章 欧州統合の視線から
第三節 ユーロ
ヨ−ロッパ型資本主義
著者:福島 清彦 
 野村総合研究所で、ワシントン所長と欧州現法社長を歴任した著者による、欧州資本主義論である。先般のE.トッドによる欧州戦略論ではないが、私も心情的に米国型資本主義ではなく欧州型資本主義に親近感を覚えるが故に、こうした作品は気分的に読み易い。かと言って、それがどの程度客観的な説得力を持っているかというと、それは別問題である。特に、90年代末に私がドイツを離れた後、欧州経済、なかんずくドイツ経済は低迷の一途を辿り、日本と同様、それはドイツ型資本主義の根本的欠陥の故であると喧伝され、その後の構造転換を招いたが故に、依然としてこの「ライン型資本主義」を擁護するとすれば、どのようなロジックが可能なのか。これが示されているかどうかで、この新書の価値が決まってくると言える。

 欧州資本主義の共通の関心は、次の点である。即ち、基本は市場主義経済を維持するが、それのもたらす負の側面−社会不安の増大、貧富の格差増大、社会インフラへの投資不足、普通教育の水準低下等−を非市場制度を使って補っていくこと。また企業政策という観点からは、利潤極大化と株主利益の拡大のみを目的としなくとも、競争力と成長を維持できる、という確信。そしてこうした政策を、EU統合の深化と拡大を通じて広域的に実現していくこと。こうした目的に向かっての動きが、90年代末以降の不況期にいかに進められてきたのだろうか。

 まず著者は、欧州側からの、米国型経済政策や企業経営に対する批判あるいは異なるアプロ−チを整理していく。それはまず基本的な経済思想から始まり、金融政策、規制緩和、食料生産、会計基準、企業統治、ストック・オプション、更には地球環境問題、ミサイル防衛網、欧州独自軍といった政治課題まで及んでいく。煎じ詰めれば、米国型市場原理主義と欧州型福祉国家という、言い古された対立構造である。

 この戦いに向かい、欧州の戦略の柱は言うまでもなくEU統合であり、これによりグロ−バル化の衝撃を緩和すると共に、新たな自己蘇生力を期待することとなった。そもそもの伝統的目標である、平和の維持と食料の確保、そして福祉と教育の充実、環境保護を進めることは言うまでもないが、実際には、具体的にとられる対応策は、個別国家の枠組みで行われることになる。

 まず欧州経済の牽引車ドイツ。アメリカ型部門別損益や四半期毎の決算発表など、米国型経営を導入する動きもあるが、基本的な全員参加型経営は変わっていない。しかし米国型資本主義の圧力への対抗策ということになると、先端技術製品でのキャッチアップと大学教育の水準向上といったH.シュミットの指摘以上の政策は示されていない。また政府主導の混合経済的特徴を有するフランスの場合にも、政府主導を維持しながら、情報技術への投資と財政赤字削減策を進めるといったことで、枠組み自体に特に目新しさは感じられない。その意味では、欧州型資本主義が何であるかは明確であるが、それが現実に米国型に対抗できるかどうかは、残念ながらこの著作からは見えてこない。

 これに対し、英国の実験は、より具体的な政策が示されている。まず英国経済衰退の原因を、@短期的利益極大化を求める金融市場、A敵対的な労使関係、B労働者の教育水準の低さ、C旧英連邦の保護貿易、D政府によるインフラ投資の弱さ、に整理した上、第二期のブレア政権による取組みを解説している。

 しかし、著者が個人的に英国に在住して、英国の日常生活における不便さを身をもって体験したからであろうか、この英国の実験に対する見方はややシニカルである。即ち、ブレアはAについて労働党左派の影響力を取り除き「生産手段の国有化」を党綱領から削除したことにより、またCにつき欧州大陸との関係改善をおこなったことにより一定の成果を示したが、それ以外は進んでいないとし、現在医療改革、交通改革、教育改革が課題になっているという。しかし同時に労働慣行や会社法改正といった分野でEU統一指令の圧力も増しており、これへの対応は、ユ−ロへの参加のタイミング問題と併せて英国資本主義の変革(競争力の低下)を促す可能性があるとも指摘する。

 このあたりの論理は、足元ドイツやフランス経済が低迷し、それに対し英国経済が好調を続けていることを勘案すると、やや違和感を覚えるものである。英国は、サッチャ−時代にいち早く米国型市場原理主義に舵をきり、それが奏効し現在の好況を享受している。それが本当に市場原理主義の結果なのか、あるいは米国経済の好況を最も享受したのが英国であったからか、はたまたユ−ロの外側にいたことの結果であったのかは議論のあるところであろうが、少なくとも現在のブレア政権は、経済政策という観点では一定の成果を挙げているのは衆目の一致するところであろう。それに対し、特にドイツ経済はむしろ90年代後半以降低迷の一途を辿っており、その意味で、このライン型資本主義が存続できるかどうか、また存続する価値があるかどうかは、よりシリアスな問題である。著者のドイツ・フランスに対するあっさりした理想論と英国に対するシニカルな見方は、この点でやや奇異に見える。

 最後に著者は欧州の改革が米国との関係において持つ意味を整理しているが、先に読んだE.トッドと同様に、同時テロ以降の米国の一国覇権主義に対抗し、米欧の溝は深まり、場合によってはロシアとの同盟関係が強まる可能性を示唆している点を除けば、一般的な議論が中心である。また日本への意味合いについても、欧州のような国家哲学や経済哲学を要求しているが、結局のところ、繰り返しになるが、欧州型資本主義が、米国型に対して戦略的および結果的な優位性を持っていることを説得できなければ、現在の流れを大きく変えることは難しいであろう。その意味で、特に日本と同様、旧来型資本主義を脅かされているドイツ経済復活のシナリオこそが、今、日本を含め米国型グロ−バリズムの圧力に曝されている我々にとって真に必要なものである。残念ながらこの著作の中にそうした武器は見出すことはできなかったのである。

読了:2004年4月10日