欧州統合、ギリシャに死す
著者:竹森 俊平
年末読了したユーロ懐疑論につき、同じ著者が昨年(2015年)8月刊行した、続編とも言える作品を、そのまま続けて読了した。前著の刊行は2012年10月と、ギリシャ債務問題で予断を許さぬ状態が続き、ユーロに対する懸念が広がっていた時期であったが、その後3年弱を経過し、再びギリシャ問題が注目を浴びたのが昨年6月から7月の時期で、まさにこの間、ドイツ、フランス等のユーロ中核国と、ギリシャの熾烈な駆け引きが繰り広げられたことは記憶に新しい。そして特に、その過程でのギリシャのチプロス首相のとった「支離滅裂」な行動は、今から考えても、不思議なところが多い。著者は、まさに、3年前の考察を受け、この駆け引きの内幕を分析しようとしている。そしてそこから垣間見られるのは、ユーロを巡るドイツとフランスの基本的な考えの相違が、ギリシャ問題のみならず、ユーロそのものの存続につき、大きなリスクとなりつつある姿である。前著とは異なり、著者はここでは、週刊誌的な分かり易い説明で、その問題を解説している。
2015年6月から7月にかけてのギリシャを巡る交渉は、端的に言えば、ギリシャに対し緊縮財政による財政再建を主張するドイツと、債務免除を行うと共に財政刺激策をとることによって財政基盤が改善すると見るフランス(そしてアメリカの影響力のあるIMF)の間で意見が分かれ、その間隙をつく形で、ギリシャが二転三転する対応(尻をまくって国民投票を言い出したかと思えば、最終的には、国民投票の結果に反して緊縮策を受け入れる)を繰り出したことで、外から事態を見ている者からすると、特にギリシャが「支離滅裂」な行動を取ったように見えた、ということである。しかし、この本を読みながら改めてこの経緯を辿ってみると、それぞれの当事者の思惑はそれほど単純ではなく、またチプロスの行動もそれなりに理解できるような気がするのである。
結論的にはこの交渉は、7月12日から13日にかけての徹夜の交渉で、「ギリシャが500億ユーロ分の国有資産を民営化ファンドに移管し、それを売却した収入で債務の返済に充てる」という案で、但し、この民営化ファンドは、当初提案されたルクセンブルグではなく、ギリシャ国内に置かれる、そしてこの500億ユーロの25%は、債務返済ではなく、ギリシャ国内の投資に使用できるという債権者側の妥協で決着し、一時懸念されたギリシャの「ユーロ脱退」という事態は回避されることになった。
こうした債務交渉は、ギリシャにとっては実は初めてではなかった、として、著者は1832年のギリシャのオスマントルコからの独立前後から繰り返された、この国の債務不履行と債務返済交渉の歴史を紹介している。独立前の1820年から2015年までの「債務不履行期間」は実に90年以上、更にその「債務不履行期間」中にも政府が新たな債務の借入れができた歴史上唯一の国であるという興味深い事実が語られている。これは、この国が、その地政学的、歴史的な意味合いから、ある種の特別扱いが認められてきた、ということで、今回の債務問題でも、同じ思惑が働いたと考えられる。他方で、そうした体験を経て、ギリシャ側でも、ある程度での「わがまま」を通せる、という思惑があったということである。今回の交渉が、ギリシャにとっては厳しいものであったにも関わらず、最終的には、フランスとアメリカの表裏両面での支援を受けて、もっとも強硬であったドイツ案から妥協を引き出したところに、この歴史が反映していたと言えるのである。また19世紀後半に、トルコとの戦争準備のため「債務不履行期間」にも関わらずロンドン市場での借入れを目論んだ際、債権者側が設置した「国際金融委員会(IFC)」という仕組みは、言わばギリシャの財政を直接管理下に置く、という意味で、今回の「民営化ファンド」の原型と考えられるという。まさに歴史は繰り返されているのである。
続いて著者は、「為替リスクがない」ことで「ソブリン・リスクを忘れ」借入れを膨らませ、その結果債務不履行に陥った、2001年のアルゼンチンの例を取り上げ、この時に、一方で「コンテージョン(金融危機の拡散)を防ぐ」という考え方と、「IMFは支援を申し込んだ国を救援するのが目的で、国際的に活動する銀行を救援するのが目的ではなく」、「支援を申し込んだ国の財政が『中長期的に持続可能である確立が高い』のでなければ、IMFはその国に支援をしてはいけない」という「ノー・モア・アルゼンチン・ルール」という2つの考え方の深刻な対立があり、今回のギリシャ危機においてもこの対立が惹起したとしている。これもまさに「歴史は繰り返す」ことを示した例である。
こうして再び議論はギリシャ危機に戻るが、アルゼンチンのケースを参照しつつ、著者は、今回の危機を長期化、深刻化させた要因は、ドイツとフランスが、「コンテージョン(金融危機の拡散)を防ぐ」ための「無制限の国債購入(=流動性供給)」という考え方と、「ノー・モア・アルゼンチン・ルール」に基づく「債務免除」という考え方に分裂したことであったとする。更に其々の具体的な内容も二転三転し、その結果双方の対応策が取られないまま、冒頭に述べたギリシャにとって過酷な債務返済プランである第三次支援策がまとまったという。しかし、これは著者の見方では単なる問題の先送りであり、根本的な解決にはなっていないと結論付けている。
第三次支援策の過程でのチプラス首相の「支離滅裂」な行動は、著者によれば、当初は老獪なヴァルファギス蔵相による「デフォルト宣言」プランを考えていたが、それにより発生する「輸入決済の停止」という可能性に、チプロスが最後は恐れをなした結果であった、としている。しかし、その結果受け入れた第三次支援策の前提となっている公債残高の削減や中期的なプライマリーバランスの黒字目標などは、現在のギリシャの実情を考えると達成は困難であるばかりか、むしろ今後悪化していくことになると予想されるからである。そしてそれを見越したIMFが、第三次支援策が固まった直後から「債務免除」を言い始めており、またこのIMFの主張についても、ドイツ、フランス双方の姿勢が揺れているという。少なくともドイツは「債務免除」のためには、ギリシャのユーロからの「一時的離脱」が条件(ショイブレ・メモ)であるとし、他方フランスは「一時的」であってもギリシャの離脱はありえないという立場である。これはユーロが「ゲルマン・エリート・クラブ」(ドイツ)であるのか、「欧州統合の夢」(フランス)であるのかという両国の根本的な哲学の相違であり、これを前提とする限り、根本的な解決はありえない。この解決策は、著者の意見では、「あくまで特例とする」ギリシャのユーロからの「一時離脱」と「債務免除」であり、その「一時離脱」により発生すると予想される輸入決済危機に備えた外貨準備の支援を行うことであるとする。そして今後電子決済が進んでくれば、こうした国内の流動性問題もますます解決が容易になり、それこそ「離脱」のコストも低減していくと見る。それまでに、まずは「特例」扱いで、ギリシャの根本問題を解決しておく必要がある、として著者はこの書を結んでいる。
しかし、私から見れば、著者が一方で、公債残高の削減や中期的なプライマリーバランスの黒字目標などがギリシャにとっては達成が困難な問題であるとしながら、「債務免除」により、ギリシャ経済が立ち直る、としているのは、それこそ楽観的な展望ではないかと思われる。それは決して「ギリシャ問題の根本解決」という訳ではなく、如何なる策を取ろうと、この国はいつかの段階で債務問題を再発させることになる。それは、この国の神話に登場するシーシュポスのように、永遠の苦難を課されたこの国の宿命であり、そしてユーロもその運命と共に生きていかなければならないのである。テクニカルな現実対応は当然重要であるが、こうしたユーロとギリシャのシーシュポス的宿命は、何とロマンチックなドラマであることか。ドイツという国が欧州で抱えた永遠の地政学的問題と同様に、これが何よりも私がこの問題に対する関心を抱き続ける理由である。
著者が前著で、この危機からの脱出のためには、@今やユーロ圏における唯一のリーダーとなったドイツが自覚的にその役割を果たすこと、及びA現在ドイツが主張しているような「新財政協定」のような極端な財政緊縮政策は、欧州全体の不況を深刻化し、政治的の不安定を高める。従ってむしろ資本逃避の心配がなくなるような環境作り(例えばユーロ圏全体にまたがる金融システムのセーフティネットの構築)により、GIIPSであっても、ある程度、景気と雇用に配慮した政策が実施できるようにすることが必要、と主張した。しかし、他方で、この条件をドイツが受け入れることは、「欧州同盟がトランスファー同盟に転化するのを防ぐ」ことが、ドイツの政策上のトッププライオリティに置かれていることから困難であるとし、その結果ユーロの危機は、大恐慌時にフーバーが招いたのと同じような悪循環を引き起こしていくだろう、予測した。そして今回の危機再発に当たって、改めてドイツは、「トランスファー同盟か、ユーロ崩壊か」という二者択一を求められ、再びその選択を先送りすることになった。言わば著者が考える「ユーロ崩壊」のシナリオは、一時的に難民対策が地域的な優先課題となる中、引続き時限爆弾のように、時を刻み続けているのは間違いのないところである。しかし、その時限爆弾―シーシュポス的に言えば、頂上近くまで押し上げた石が、再び転げ落ちてしまい、また新たな苦難を繰り返すことになる瞬間―は、「夢」を追い続ける人間の営為を止めるものではない。いや人間というのは、そうした営為を止めることのできない宿命を抱えた存在なのである。ユーロにいかなる根本的な欠陥があろうと、このプロジェクトは前に向かって進められなければならない。現実的には、前著の評で最新の動きとして紹介した「欧州『銀行同盟』第二弾」としての「ユーロ圏19か国の銀行の破綻処理の一元化」や、ギリシャ四大銀行の資本増強の完了といった技術的な対応を通じて、次なる時限爆弾の爆発に備えるしかない。こうした最新の動きは、この作品では反映されていないが、ユーロの構造的(かつ「シーシュポス的」)な問題を再確認する上では、十分参考となる作品であった。引続き、この地域での次なる動きを注視していこうと思う。
読了:2016年1月17日