アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ドイツ読書日記
第一章 序論 歴史からの出発
概説ドイツ史
編者:望田幸男/三宅正樹 
 1982年1月出版のドイツ史概説書である。この本は、間違いなく1991年の私のドイツ赴任前後に購入していたことは間違いないが、何故か今まで読んだ形跡がない。そして12年間のシンガポール滞在時は、日本の自宅本棚の隅に埋もれていた。しかし今回、自宅の整理の過程で見つけて読み始めたのであるが、約40年前の著作とは思えないような面白さがあり、結構集中して読み進めることになった。もちろん、1982年という時代は、東西ドイツ統合などは思いもよらず、またドイツとEUとの関係も模索が続いていた時期である。そのため、当然ながらドイツ統一以降の大きな欧州情勢の変化は全く反映されていない。しかし、それにも関わらず、この時代に新たに議論が生まれてきた、第三帝国に至る過去のドイス史に関わる新しい見方や議論が端々に展開されている。その内の幾つかは、その後現在まで、そうした議論がどう展開してきたのか、という興味も惹起する。ここでは、そうした論点を中心に整理しておこうと思う。

 18世紀以降の、トイツ統一国家を巡る「大ドイツ主義」と「小ドイツ主義」の議論から、ナポレオン戦争での敗北を経て、「辺境」プロイセンによる1871年の第二帝国成立、第一次大戦からワイマール共和国を経て、ナチス第三帝国に至る過程は、多くがドイツ近代史の復習である。ただそうした歴史を、農業社会とユンカーによる政治的影響力の変遷や、独占資本主義経済の成長過程の分析、特に1929年以降の大恐慌を契機に、電機・化学業界と石炭・鉄鋼の対立が先鋭化し、後者が接近したナチスの台頭に繋がったといった指摘は、改めて印象深いものであった。またドイツの思想と知識人についての論考では、「ドイツ知識人の多くは(中略)現実社会に対して没交渉の態度」が鮮明で、「政治主義を唱えたにもかかわらず、市民生活の現実に対して疎外感(孤独感)」を有し、それが右翼であろうと左翼であろうと「なにがしかの集団の連帯生活のなかでいやそうとする」彼らの「代償感情が生み出した神話」の共同体を夢想させることになった、という議論もなるほどと思わせる。

 より刺激的なのは、「ドイツ史研究における新しい動向」と題された第U編である。特に、ファシズム論に関して、この体制を単に「罪悪だの狂気だのと断定し、そこに生活していた国民を卑怯者だの集団発狂者だのと罵ることが学問的に適当なことなのだろうか」という疑問は、ある意味、ドイツの戦後が新たな局面に入っていたことを物語っている。新資料の発見も、「ヒトラーひとりが勝手に『狂気そのもの』の政策決定を行い、他の支配者はいやいやそれに盲従しただけだ」という定説を覆すことになったという。その議論の一つが、第一次大戦につき、「ドイツは欲していない戦争に引きずり込まれた」という当時の定説で、それに対し、ドイツの支配者たちは、「ドイツの侵略的外交が国際緊張を高め、ドイツの孤立化を招き」、「できれば早い時期に(中略)戦争を行って、外交的孤立を脱却したい」と考えた、という「主戦論」主導という議論が提示されている。また「ユダヤ人絶滅政策や東ヨーロッパ諸民族を奴隷の身分につきおとすという第三帝国時代の非人間的な政策」も、既に第一次大戦時に存在していたとする議論も現れる。それらは、第二帝政から第三帝国に至るドイツ支配層とその政策の(そして更に国民の社会生活や日常生活の)連続性があり、ナチスは単にそれを利用し、また極端に推し進めたに過ぎないと見るのである。もちろん、この議論には多くの反論もあり、それが新しい定説となった訳ではないが、少なくとも第三帝国の狂気を「ヒトラーひとりの狂気」とする単純な議論を否定し、歴史を複眼的に理解する契機を作ったことは間違いない。

 以降、第二次大戦後の東西ドイツ分裂と、夫々の戦後史は復習である。特に東ドイツについての記載が、1979年10月、東ベルリンの共和国宮殿で、ソ連のブレジネフ書記長を始めとする多くの政府・党首脳を招いて大々的に行われたDDR建国30周年式典で終わっているのは、その10年後の体制崩壊を考えると、なかなか感慨深い。1982年、私自身がロンドンに赴任した時期のソ連・東欧圏の個人的理解も含め、これが当時の一般的な認識であったことは疑いない。また私自身が大学時代に、東欧民主化の試金石として注目した1968年の、ソ連・東欧諸国軍による「プラハの春」圧殺も、単純な社会主義陣営内での民主化運動という視点だけではなく、西独政権による、国際連合憲章中の「敵国条項」によるソ連の先制攻撃の懸念を高め、その後の社会民主党政権による当方デタント政策を促したという、外交面から分析しているのも興味深い指摘であった。そして本書の最後は、日独関係史の概説で終わることになるが、ここでは両国の接触が始まった江戸末期から第二次大戦時の三国同盟に至るまでの、両国の諸関係と、その過程で其々の国に対する誤った国際認識がもたらした多くの悲惨な歴史につき総括している。両国の間には、単に明治政府が、ドイツの軍隊、刑法、教育等を学び、それが第二次大戦での同盟に繋がったということだけではない、紆余曲折の歴史があったことは、当然であるにしても、改めて認識することになったのである。

 こうして(文学の場合は特に珍しいことではないが)出版後40年近く経過している歴史の著作でも、多くの刺激が得られるということを認識させられた著作であった。もちろん、現在のドイツ、そしてそれを取り巻く欧州や世界情勢の枠組みは大きく異なっているが、日本史を見る場合もそうであるが、表面的には大きく変わった社会とそれを前提にした支配層の政策があるにしても、他方では常に変わらず残っている「古層」が存在している。そうした「古層」を無視する者は、いつか歴史によるしっぺ返しを受けることになることを改めて自覚させてくれる著作であった。

 尚、読了後ネットを検索したところ、1992年にこの本の「新版」が出ていることが分かった。年代から考えると、当然1990年のドイツ統一を踏まえた改定が行われていることは間違いない。今後、機会があれば、こちらも目を通しておこうと考えている。

読了:2020年12月22日