アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第一章 序論 歴史からの出発
中世の窓から
著者:阿部謹也 
 同じ著者のドイツ中世物もこれで3冊目になる。しかし、本書も2冊目と同様、小論文の集成であるから、個々の論文では興味深いものはあるにしろ、全体としての論旨はややつかみにくいものになっている。とは言うものの、人間関係の基礎にあるものを、ヨ−ロッパ中世に遡り明らかにしようという著者の姿勢は一貫しており、その意味では本書は前二作の課題をその後深化させたものとして読むことができる。

 ヨ−ロッパ中世の人間関係を知る上で参考になるのは、中世都市の人々の生活である。こうした観点から著者はまず中世ニュ−ルンベルグとハンブルグの都市成立の過程から話を始める。かつて初めてドイツを観光で回った際に、観光ル−トとして知られるロマンチック街道の小都市以上に、ナチの戦犯裁判が行われたことでのみ記憶していたニュ−ルンベルグの落ち着いた佇まいに強い印象を受けたのを記憶している。実際中世ドイツ最大の画家であるデュラ−の出身地でもあり、また現代ではクリスマス時期の賑やかな露天マ−ケット(バイナハツ・マルクト)で知られるこの都市は、皇帝直轄の帝国都市としての特権も享受しつつ、巧みな商業政策を展開し、15、16世紀には経済的にのみならず、芸術・文化面でも繁栄期を迎える。−方で清貧の生涯を送った裸足の聖者、聖セバルドュス伝説が広がると同時に、富める商人の町として豪華な建物や贅沢な食物、衣服に彩られた富裕な都市へと変貌していったのである。同様にハンブルグについては、友人に案内してもらった郊外エルベ川沿いの瀟洒な住宅街が印象的な町であったが、こちらはハンザ同盟の自由都市として聖母マリアヘの信仰を強めると共に、ビ−ル醸造と輸出を挺子に、商業都市として富を蓄積していった。こうした市民の経済生活と守護聖人信仰が同時に強まっていったところに中世都市のダイナミズムがあった、と著者は見るのである。

 こうした都市の発展に伴い、その中での人間関係も変貌する。都市自体がアジル(平和の場)としての性格を持つにつれ、従来のアジルであった家がその機能を失っていく。また貨幣経済の発展が人間相互の関係を相互に分断していく。こうした人間関係の変化を基底で支えたのは何か、というのがこの書物の主題となる。

 まず人間関係を見るうえで重要なのは、「つきあいの形」である。著者は従来のギルドやツンフトをつきあいの基礎と考える見方に代え、「兄弟団」なる組織を通じた関係に着目する。著者によるとそれは、「死あるいは死者によって結ばれた組織であると同時に飲食と祭りによって結ばれた組織」であった。そこでは独自の作法や掟が作り上げられると共に、保険や年金といった相互扶助を行い、また祭りや宴会を通じて社交の中心ともなった、と言う。

 但し、著者が取り上げているニュ−ルンベルグのケ−スは、市参事会の権力が強かったために、これらの機能は兄弟団ではなく市参事会により代替された。そしてその諸制度の中で最も注目されるのが、時の成功した商人であるメンゲレ家によって1388年に建設された「12人兄弟の館」なる養老院であった。何故ならば、商業活動の活性化による巨万の富の蓄積という現実と、聖者ゼバルドュス伝説のような清貧の理想との間の緊張関係が、こうした資産家による慈善活動の中に象徴されていたからである。著者はこの「12人兄弟の館」に残された799枚の職人の肖像画を通じ、靴職人、仕立て職人、石工、鍛冶職、飛脚といった職人の世界を再現しているが、同時にそれは靴、衣服、石造建築、金属鋳造、通信の文化史ともなっている。

 しかし、これらの文化史の中では依然として、著者の課題である聖と俗の緊張関係の根源に達することはできない。このため著者はなおも歴史を朔行し、11世紀におけるヨ−ロッパ世界の変化へと目を向ける。都市とそれを結びつける交通の飛躍的発達、都市における成文法の成立と教会文化の生活への浸透、そして大学の誕生と異端思想の発生という流れの中で、その頃ヨ−ロッパの地理的・文化的景観が現在と変わらない形で成立していく。その時期から始まる大量の巡礼の波は、三圃農法の導入による生産力の増大と富の蓄積、そして貨幣経済の発達により可能になったという。壮大な教会建築等に従事する都市労働者が発生し、彼らを中心に黙示録的信仰が広がるのもこの時代であった。

 こうした社会的変化は、従来の個人間の、一般的贈与を媒介に成立していた人間関係に変化をもたらしていく。即ち「11世紀における富者は、モノを配る代わりに大聖堂を建築し、その行為によって社会的尊敬を集めた」のである。「教会を通じての彼岸における救いの保証というキリスト教的彼岸信仰」がこの転換の精神的基盤であり、また商業活動を通じて大量の財貨を集めるという、従来の贈与慣行から見れば後ろめたい行為を、教会への寄進という行為により相殺し、人々は安んじて商業活動に専念することができるようになったのである。ニュルンベルグの「12人兄弟の館」設立の背後にあった社会意識の変化はまさにこのような11世紀に端を発するヨ−ロッパ社会の変化を象徴していたのである。

 かつて「英国産業精神の衰退」なるアメリカ人による英国産業論を読んだ際に、英国産業の限界として、経営者の慈善意識を挙げていることに、驚きと共に、ある種の納得感を覚えたことがある。ここで著者がその成立まで遡って指摘している社会意識はまさにこの意味で、特殊英国的現象であるのではなく、キリスト教倫理に根ざした欧州一般の近代市民意識であることが明らかになる。もちろんこうした意識は、ドイツでは16世紀の宗教改革による、聖と俗の分離や、その後の農民戦争による都市と農村の二重化という変容を受けながらも、また現代においては、企業経営が、個人経営から、所有と経営の分離により社会化されるという変貌を余儀なくされながらも、基底では変化することなく現代にまで受け継がれていると言えそうである。

読了:1992年5月3日