アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ドイツ読書日記
第二章 政治
第三節 政治家たち 
メルケル 仮面の裏側
著者:川口マーン惠美 
          

 アンゲラ・メルケル、1954年7月17日、ハンブルグ生まれ。生後2か月で、プロテスタント神父であった父親カスナーに連れられ当時の東独に移り、そこで物理学者となるが、1989年、ベルリンの壁崩壊と共に政治に目覚める。その後所属していた東独政党が、西独のCDUに統合され、そこで一気に存在感を発揮、結局、2005年11月、ドイツ第8代首相となり、2021年12月まで16年の長期政権を維持することになる。しかし、退任後は、EUの役職等も一切辞退して、ほとんど政界からは動静が聞こえなくなっている。そのメルケルについては、今まで多くの著作が公表されており、その幾つかは既に私も接し、評も掲載している。また何よりも彼女自身が出版した自伝「自由(邦訳:上下、2025年5月出版)」を読まねばいけないが、これは、私は高価で購入する意欲もなく、図書館にも入っていないことから、まだ読む機会がない。そんな中、ドイツ在住の長いピアニスト出身の著者が、改めてそのメルケルの軌跡をまとめた2021年3月出版の新書があったことから、そちらを読むことになった。

 この著者の作品は、私は今までも何冊か読んで、評も掲載しているが、これまでに接した本はどれも気楽に読めるドイツに関する随筆という感じであった。それに対し、この新書は、メルケルの人生を追いながら、その時々のドイツの政治・経済・社会状況を私的な感想も交えながら非常に分かりやすくまとめているが、その私的感想が結構説得力がある。またメルケルが私と同年生まれであることもあり、彼女の軌跡を改めて私自身の人生と重ねることにもなった。更に、私がドイツから遠く離れたシンガポールで暮らしていた2008年から2020年まで、あまりドイツの動きを追いかけていなかった時期については、その間のやや複雑で怪奇な政党間の連立の動きを改めて確認することができたのであった。ここではその辺りを簡単にまとめておく。

 メルケルの幼少時に関しては、やはり父親カスナーが、なぜあえてベルリン暴動弾圧直後の1954年に、西独から東独に移ったのか(戦後日本での北朝鮮帰国が思い出される)、そして「宗教はアヘン」とするそのマルクス主義国家で彼がどうやって生き延び、メルケルが普通の教育を受けることができたのか、というのが最大の疑問である。そしてこれに関しては、まずはカスナーの使命感、そして時の東独政府による宗教を通じての西側への宣伝とそれに協力したカスナーの姿勢等が指摘されている。確かに彼は「赤い牧師」として、シュタージの厳しい監視を受けながら、時の東独政権の意向を受けた活動を行っていたようであり、それは統一後、メルケルがCDUという保守党で出世していく過程でも、カスナーのSPD支持が変わらなかったことから見ても、ある意味社会主義は彼の個人的な信条でもあったということであろう。そしてそうした政治的な親の元で育ったメルケルは首相となった後、CDUの中で、移民・難民や原発問題で左寄りの政策に傾斜していくことになるが、それもこうした家庭環境が影響したのではないか、というのが、その後展開される著者の見方となっている。またメルケルは、小学校時代から、青少年を社会主義教育する組織に参加し、そこでロシア語を習得したのであるが、これも当然親の教育方針を受けてのことであった。ただメルケル自身は、物理を専攻し、大学卒業後勤務した研究所で、反体制的な所長と出会ったことで、民主化に目覚め、それが壁崩壊、統一という動きの中で、政治活動としては保守党に参加する道を選ぶことになるのである。

 壁崩壊から統一にかけてのメルケルの政治活動開始が説明される。まずは改良型社会主義のDAという弱小政党に参加しその報道官となるが、その政党は、来る東独新政権の選挙運動の中で西独CDUの指導の下の保守連合に加わる。そして選挙ではDAは惨敗するが、保守連合自体は大勝利し、メルケルはその新政権での副報道官の職を射止めることになる。ただその東独の「民主主義」新政権は、結局は旧共産党政権での幹部で、シュタージとの関係も深い人々で構成されていたことを著者は説明している。しかし、その後の統一過程で、そうした人々が次から次へと失脚していく中、メルケルだけは生き残ることになる。

 ドイツ統一とその過程での関係者の複雑な思惑の交錯、そしてそこでのメルケルの動きがそれなりに整理されて説明されるが、それについては多くが復習なので省略する。しかし、東独首相デメジエーの事実上の秘書官として存在感を発揮し、1990年10月3日の統一後、東独CDUの西独CDUへの統合により後者の党員となったメルケルは、その後の総選挙で、バルト海沿いの選挙区で、これも「幸運」により候補者として選ばれ当選、そしてコール首相の意向で女性・青少年大臣として入閣、更にはデメジエーの引退により、1991年12月にはCDUの副党首の地位までとんとん拍子で出世することになるのである。この辺りは、改めて追いかけると、彼女の「幸運」とそれを可能にした能力が確認できる。

 続いて私がドイツに駐在していた1990年代、ドイツが統一の後遺症で苦しんでいた時期のメルケルの動きが語られる。1994年10月総選挙で緩勝したコール第5次政権で、メルケルは環境・自然保護・原子力安全相となるが、この時期、使用済核燃料の北ドイツはニーダーザクセン州のゴーレーベンへの搬入を巡り壮絶な反対運動が繰り広げられたことは鮮明に記憶しているが、そこでのメルケルの動きは全く覚えていない。著者によると、この時メルケルは原発推進の立場を固持しており、時の州首相で、1998年にCDUから政権を奪いドイツ首相となる反原発のSPDのシュレーダーと対立、その後の二人の確執と、最終的にはシュレーダー引退へと連なっていったとされる。他方で、これによりドイツ人の「原発嫌い」を肝に銘じたメルケルは、野党時代の2008年時点では依然原発推進の立場をとっていたが、2011年後首相となっていたメルケルは、福島原発事故を受け、突然反原発の立場に豹変することになったとされるのである。その意味で、メルケルのこの豹変は、シュレーダーが道をつけた政策を引き継いだ結果であり、彼女はそれを自身の立場とすることにより、シュレーダーを追い落したということになる。この著者の説明はたいへん明快で説得力がある。また環境・自然保護・原子力安全相時代のメルケルの功績で、また国際舞台へのデビューとして、気候会議COP議長国としての京都議定書策定が挙げられているが、これも私はほとんど記憶が残っていない。それだけ、この時期のメルケルはまだ存在感が薄かったということになる。ここでのドイツの大きなCO2削減目標が、1990年という統一時のドイツのCO2排出が極度に大きかった年を基準として定められ、国際社会へのアピールに対し、産業界にとって大きな負担とならないトリックが使われたというのがメルケルの手腕であった、という著者の説明も説得力がある。

 私のドイツ時代は、すべてコール政権時代であったが、帰国直後の1998年9月、総選挙でCDUは敗北、SPDのシュレーダーが首相となるが、その直後の1999年、CDUに、ドイツの戦後最大と言われる汚職・脱税事件が発生し、コール自身もそれに関連した不正献金を受け取っていたことが明るみに出る。この事件を受け、名誉総裁であったコールは引退(それの直接のきっかけを作ったのがメルケルの雑誌寄稿による批判であったことも良く知られている通りである)、彼の右腕であったCDU党首ショイブレも辞任、東独出身でこの献金問題でシロであるメルケルが(当時はあくまで暫定的な)CDU党首となるのである。その時NO2として院内総務となったのがメルツであるが、彼はその後党首の座を狙ったと思われたことから、メルケルに更迭され(彼女と別の党首候補シュトイバーとの密約)一旦政界を去るが、復活し現在のドイツ首相となっていることは言うまでもない。この時のメルケルとメルツの確執の話は初めて聞く話で、メルケルの政治的「陰謀」的な話はたいへん面白い。

 その後SPDのシュレーダー首相は、景気後退で苦しむ中、構造改革を促す「アゲンダ2010」を発表。これに対しメルケルのCDUもそれを上回る改革案を出すことで対抗。2005年の総選挙で、僅差ではあるがCDUが勝利する。しかし単独政権は担えず、これも政治的思惑が渦巻いた交渉を経てCDU/SPDによる大連立が成立。メルケルが「初の女性で、初の東ドイツ出身、しかも最年少のドイツ連邦共和国首相」が誕生し、シュレーダーを政界引退に追い込むのであるが、このあたりのメルケルの動きは、その後、彼女が16年に渡る長期政権を担うことになる政治力を物語っている。そして2007年、メルケルは、ドイツ社会も「統一の混乱をようやく抜け出し経済も上向いた」ことから、自分たちの政治が「再建―投資―改革」を成し遂げたと自画自賛することになるが、それがシュレーダー時代の構造改革の成果であったことはよく言われる通りである。

 そして2008年以降のサブプライム問題からリーマン・ショックによる欧州債務危機以降のメルケルのEU内での指導力の確立に移ることになる。この頃私は、市場の危機を肌身に感じながら、遠く離れたシンガポールから欧州でのこの危機を眺めていた訳であるが、国内的には、メルケルが2009年の総選挙で、CDUの第一党は維持したものの大幅に得票を減らし、FDPとの連立で何とか第二次政権を立ち上げたといったことは全く記憶になく、債務危機におけるメルケルの動きだけが目立っていた。まさに著者が言うように、メルケルにとっては「乱世は、まさに魂が震える魅力的」であり、彼女が真価を発揮できる場であった。

 こうしてギリシャ債務危機でのメルケルの大胆な救済実行や、更には国内的な原発問題での、2011年の福島事故による原発政策の大転換が行われるが、これは連立政党であるFDPを血祭りにあげることになり、この政党はその後2013年の総選挙で5%の得票を達成できず議席を失うことになるのである。また私はあまり認識していなかったが、2011年、ドイツではやや唐突ではあるが徴兵制がなくなったが、これもアフガンでの犠牲者を出していたことも踏まえたメルケルの即断であったようである(「欧州はこうした戦争で使者を出していない」という、最近のトランプ発言で、欧州が猛反発した事案である)。しかし、これを主導した人気のあった国防相が、その後論文盗作疑惑で失脚したが、それもメルケルのライバル殺しであった可能性があるという話も面白い。FDPもこの国防相もメルケルが生んだ多くの犠牲者であったということである。2013年の総選挙で失墜したFDPに変わり再びSPDとの大連立でメルケルは第三次政権を立ち上げるが、原発政策を含め既にメルケルは十分に「左傾化」していたことから、SPDも次第に存在感を低下させていくことになる。
 
 2015年のギリシャの再度の債務危機の救済、同時期のシリア難民の大量受入れ、そしてフォルクスワーゲン危機に象徴される自動車産業を中心とした国内産業危機への対応策としての中国への接近、更には2017年の同性婚の法制化等。こうしたメルケルによる「左傾化」は、メルケルの東独育ちという点と共に、元々ドイツ人の中にある「社会主義への融和的な雰囲気」をメルケルが巧みに利用したという著者の見方も妙に説得力がある。しかしこうしたCDUの「左傾化」への反動が2017年の総選挙(結局6か月に渡る各政党が絡んだ連立交渉を経て、再びCDU/CSU/SPDの大連立での第4次メルケル政権が立ち上がることになる)やその後の州議会での新保守主義政党であるAfDの躍進となり、受け入れた難民対策を含めて現在に至るまでのドイツの大きな課題となっていることは言うまでもない。

 2028年10月、メルケルは2021年の第4次政権の終了に合わせて政界を引退することを表明し、実際に2021年12月に退任する。この著作はその前の出版であることから、この実際の引退については触れられていないが、この時点では、2019年のCDU党大会で、党首を引退したメルケルに変わり、「ミニ・メルケル」と呼ばれたアンネグレート・クランク=カレンバウアーが、復活したメルツを破り党首を引き継ぐが、彼女は州選挙等でメルケルの貧乏くじを引いた形で退陣し、この著作以降、SPD政権のシュルツ首相を経て、現在はCDU政権、首相はメルケルの宿敵であったメルツに取って代わられることになるのである。そしてこの著作はメルケルの新型コロナ対応などが説明され終わることになる。

 繰り返しになるが、退陣後は彼女の動静は、自伝の出版とその宣伝旅行で来日したこと等を除けば、ほとんど聞こえてこない。更に現在のドイツは、ウクライナ戦争を受けたロシアからの天然ガス供給停止による、国内経済、原発問題や中国への対応、この著作でも触れられている原発政策の変更など、メルケル時代のツケを払わされていることからも、彼女は既に過去の人となった感はある。しかし、サッチャーと並ぶ、長期政権を維持した女性宰相としての彼女の名声は消えることはないし、また彼女の時代のドイツが日本に与える示唆も重要である。

 後者については、従来の2大政党制が崩壊し多党乱立となった成熟国で、メルケルが連立の相手を変えながら政権を巧みに維持した手法は、現在の日本の政権にも大いに参考になるのだろう。特に、連立政党の主要政策を、むしろ極端化させて自己の政策とすることにより、連立政党の存在感を奪っていった手法は、その政策の是非は別にしても政治的に見事であった。そうした技法を、現在、G7国では、サッチャー、メルケル、そしてイタリアのメローニに続く4人目の女性宰相となった高市が真似ることができるかが、今週末に投票が予定される衆議院議員選挙の結果を含め興味深いところである。そんなことを考えながら、ここでの著者の見方につき妙に納得してしまったメルケル伝であった。その後のドイツの動きについても、この著者の著作が出るのであれば追いかけてみたい。

読了:2026年1月31日