アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ドイツ読書日記
第二章 政治
第四節 ナチス
ドイツの秘密情報機関
著者:関根伸一郎 
数年前にツェッペリン飛行船の歴史についての本を読んだが、同じ著者が今度はドイツの秘密警察をテ−マにした本を出版した。ツェッペリンから秘密警察と全く脈絡はなく、著者の趣味的逍遥につき合わされているという感がしなくもないが、それこそドイツについての雑学暇つぷしというつもりで読み始めた。旧西独の情報機関BNDの成立と現在の姿並びに旧東独シュタ−ジがテ−マとして取り上げられているが、シュタ−ジの過去は東独崩壊過程の中で多くの事実が批判的に明らかにされ、また多くの書物で取り上げられてきたのに対し、西独BNDの場合は、依然活動中の国家機関ということで、余り話題にされることがない。その意味でこの書物への最大の関心は、このBNDを巡る戦後ドイツの情報活動の歩みと、この組織の現在の姿についての多少の認識を得ることにあった。しかし、著者の趣味的探索はやや脈絡がなく、個々の事実が歴史の論理性を無視して現れることから全体感を捉えるのに戸惑う箇所が多く見られることになった。

第一章では第二次大戦終了までのBDNの前史が説明される。第一次大戦後の1921年に秘密裏に発足した国防軍の軍事情報部が強化されるのはナチ政権奪取後の1934年、海軍畑のカナリス提督が就任してからであったとされる。戦争の危機が迫る状況下、この組織は、ハイドリッヒ率いるナチ親衛隊と競いながら諜報活動に従事していくが、時を同じくしてソ連を始めとする周辺国からのスパイ活動も活発化し、例えばゾルゲによる日独防共協定情報のソ連への通報等も行われていた。

戦争の開始と共に、国防軍とナチとの相克は情報部同士の相克ともなり、多くのヒトラ−暗殺計画でカナリス自身が黒幕として関与したと言われている。結局カナリスは1944年7月のシュタウフェンブルクによるヒトラ−暗殺計画に連座し、ベルリン陥落の僅か20日前に処刑されることになる。

他方東部戦線のドイツ陸軍参謀幕僚として対ソ情報活動を行っていたゲ−レンという少将が、その後のドイツ諜報機関の創設者としてクロ−ズアップされてくる。その悲観的な東部戦線の見通しの為ヒトラ−に解任され、バイエルンの山中で終戦を迎えたゲ−レンは、米軍に逮捕され各地で尋問を受けた後、次第に自身の対ソ情報の持つ価値を連合軍に認識させるに至る。冷戦の開始により彼の情報は価値を増し、1946年に入るとゲ−レンは米軍の庇護のもとで極秘の内に「ドイツ諜報部」創設のための組織ゲ−レン機関作りを進める。そしてこのゲ−レン機関が、1955年7月の政府通達で正式な国家機関である連邦情報局(BDN)ヘと引き継がれていく(但しこの組織の権限が公式に発表されたのは1963年10月になってからであった)。

こうして戦後の東西ドイツに跨るスパイ戦の組織的後ろ楯が出来上がる。著者は戦後ドイツを騒がした多くのスパイ事件に言及しているが、記載が場当たりなことから、全体像は極めてつかみ難い。それでも個々の事件は、戦後の混乱期における魑魅魍魎の徘徊という観点から眺めるとそれなりに面白い。元ナチスのヘンリ−・トロルという推理作家は、東独で小説を書いた後、西独に亡命。ここで東独のスパイとしてゲ−レン機関の東独ネットワ−クについての情報を東独に売るが、危険を感じ再び東独に亡命したと言う。あるいはハインツ・フェルフェというスパイ。元ナチの情報将校であり、戦後ゲ−レン機関に潜り込むが、ソ連のスパイとなり適度のソ連情報提供を挺子に本部要員にまでなるが、ソ連側スパイの寝返りにより最終的に摘発されることになる。相手の情報を得るため、意識的にこちら側の情報も流す。それが餌なのか、それとも本当の情報流出なのかを見極めるのが最大の問題である。他方、敵国スパイの寝返りにより情報源が明らかになった時、その情報源となった者が摘発されるかどうかは、最後は信頼感の間題となる。我々の日常生活でもある程度存在するそうした情報のバランスシ−トを巡り、冷戦の最前線ドイツではゲ−レン機関を中心におぞましい世界が繰り広げられていたことが分かる。

国内でもBDNは多くの事件に関与していたと言われるが、一つの例は1962年のシュピ−ゲル国家機密漏洩事件である。この事件は従来から、シュピ−ゲルと国防相シュトラウスの対立と前者が代表するドイツ戦後リベラリズムの勝利、という観点から理解されてきたが、著者の回りくどい表現を整理すると、著者はこれをBDNと国防軍諜報部(HlAD)、ゲ−レンとシュトラウスの権力闘争という視点から見ている。シュピ−ゲルにNATOの合同演習に対する批判記事を漏らしたのはゲ−レンであり、背後には再軍備強硬派シュトラウスと米国の意向に近い慎重派ゲ−レンの対立があったと言う。著者はこの事件はシュトラウス失脚の契機となったのみならず、ゲ−レン自身もアデナウア−の信頼を失い、1968年の引退をもたらした、と書いているが、それでも6年以上ゲ−レンが生き延びたことを考えると著者の解釈もやや無理がある。

1969年の社民党ブラント政権の成立で、二代目のベッセル長官に受け継がれていたBDNの組織も近代化、合理化を迫られることになり、1971年には組織図が公表される。しかしそのブラント政権は1974年、秘書ギョ−ムのスパイ事件により崩壊するが、この事件もおそらく多くの裏がある話であろう。また1979年にはBDNの三代目長官としてキンケル(現外相)が就任するが、同年起こったスティラ−事件は、こうしたスパイ事件が見近に存在していることを思い起こさせる。即ち、東独から亡命した大物スパイのスティラ−は、BDNやClAの庇護を受けた後、金融界に転身し、現在は偽名でフランクフルトの銀行勤めをしている、と言う(現在48歳のはず)。こんな輩が交渉相手に出てきたら、日本のサラリ−マンなどひとたまりもない、と思わざるを得ない。

このキンケルの時代には同じ自民党の外相ゲンシャ−の支援も受けBDNの国際化が進んだとされる。アフリカでの活動強化と英国諜報部との関係改善がこの時期の特徴であると言われる。1979年にはイラクとの間で協力関係を創設し、ボンとバクダットの諜報組織の間で事務所の相互設置が行われた。湾岸以降、ドイツのイラン貿易に対する国際世論の風がきつい背景にはこうした緊密な両国の関係に対する懸念が控えているのである。キンケルの時代にはまた民間の探偵上がりの伝説的スパイ、「マウス」の挿話がある。政治スパイとしてのみならず、国際環境問題にも関与したこの男の活動は、冷戦後のスパイ活動の一つの行き方を示しているように思える。

80年代のいくつかの事件を素描した後、舞台は89年の壁崩壊から翌年の統一に至る激動期に入る。この時期のBDNの活動については、多くの逸話があるが推測の域を出るものではない。実際最近56年のハンガリ−動乱時にClAの煽動隊が紛れ込んでいた、という報道が行われたが、この壁崩壊から統一という歴史的事件にこの組織が多く絡んでいたとしてもおかしくはない。世界の至るところで政変が起こるとき、その裏には必ずこうした情報機関が絡んでいる。更に最近ではシュピ−ゲルが追求しているように、ドイツの武器取引を主導しているのがBDNである、という噂もある。他方冷戦後のBDNの活動は麻薬や国際テロ、核拡散、更には産業スパイ活動に向けられていると言う。94年にミュンヘンで、ロシアからプルトニウムを密輸しようとした男が捕まり大事件になったが、シュピ−ゲルによると、これもロシアの核管理のずさんさを警告するためにBDNが仕組んだものだとされる。いずれにしろこの世界がいまだに胡散臭い、裏取引に満ちたものであることは疑いない。

第3章は一転旧東独シュタ−ジをテ−マにする。シュタ−ジについては既にドイツ統一物で過去の活動の多くが報道されているので繰り返すことはしない。実際この組織は、創立時からのメンバ−で、統一まで長官職に鎮座していたミ−ルケや大物スパイ、ポルフ等の名前と共に既に過去のものになっている。著者は多くのエピソ−ドを主としてシュピ−ゲルの記事から取っているようだが、この週刊誌の取材力とそこから得た事実に基づく大胆な推測には驚くばかりである。日本のオ−ム真理教事件等は、こうしたスパイ戦の知識が、宗教家により悪用されたケ−スと言えなくはないが、いずれにしろこうした隠された情報活動は今後も無くなることはない。とにかく論理性なく逸話を並べていく著者の気まぐれから全体の印象は漠然としたものになってしまったが、平凡なドイツの日常生活の陰に蠢く闇の一端は垣間見ることができたように思う。

読了:1996年8月24日