ナチスと大富豪
著者:ダーフィット・デ・ヨング
第二次大戦の終戦から今年で80年。ある意味、区切りの年でもあることから、日本でもこれに関連する企画や議論の数々が見受けられるが、それは日本と同様の敗戦国であるドイツでも同様であろう。しかし、ナチスの犯罪については、これまで数限りない著作が世に溢れ、その一部(といっても多くの著作)には私も接してきた。しかし、この著作を図書館で見つけた時には、原著が2022年、翻訳が2024年5月出版ということを知って、まだこの期に及んで、ナチスについて新しい作品を世に問うようなテーマがあるのかという思いを半分抱きながら、それでもナチスについての現在の議論という関心から読み進めることになった。その結果は、大部の著作ではあるものの、ほとんど飽きずにいっきに読了することになった。著者は、オランダ人で、元ブルンバーグの記者。本書の執筆当時(2012年〜2018年)は30代半ばであったということなので、まさに戦争を知らない若い世代のジャーナリストである。「裁かれなかった罪」という副題のとおり、ナチスを利用して富を蓄積したドイツの大富豪の幾つかを取上げ、その戦前・戦中・戦後の歩みを追いかけている。
主として取り上げられる富豪は5家族。クヴァント一族(BMW等のオーナー)、フリック一族(ダイムラー・ベンツの元オーナー)、フォン・フィンク一族(アリアンツやミュンヘン再保険等の共同創業者)、ポルシェ=ピエヒ一族(フォルクスワーゲン等のオーナー)、エトカー一族(食品会社、ホテル等のオーナー)であるが、もちろんドイツ人にとっては良く知られた名前であるのだろうが、ポルシェ=ピエヒを除き、私にとっては初めて聞く名前である。こうしたドイツ有数の富豪たちはどうして現在の地位を手に入れたのか。著者はそれを、よくある家族の内紛や政界との個人関係なども含め、飽きさせない筆致で綴ることになる。
その中でも、冒頭から紹介されるクヴァント一族のナチスとの関係を含めたドラマは特に面白い。1918年、当時軍服などを製造する繊維会社の跡取りであった37歳のギュンター・クヴァントは、戦争から戻ってきたベルリンで当時はやっていたスペイン風邪で妻を亡くすが、その直後に列車で20歳年下の美しい娘に出会い、恋をして彼女と結ばれる。その女性は、マクダという名前で、その後、二人の息子であるハラルトを生んだ後、双方の不貞もあり1929年に離婚。そしてマクダは、1931年に、ナチスで頭角を現していたゲッペルスと再婚し、6人の子供を設けるが、ナチスの崩壊により、マクダは、6人の子供を毒殺した上で、ゲッペルスと共に自殺することになる。この間、典型的なアーリア人の風貌をしたハラルトの親権を巡るギュンターとゲッペルス・マクダの争いから、それにも関わらずギュンターがゲッペルス・マクダとの関係を利用し、戦時経済の下での「アーリア化」を利用し、ユダヤ系企業を中心に買い叩きのし上がっていく姿が描かれる。そして戦後も、ナチス裁判を逃れたギュンターが、やはり連合軍の捕虜になりながら生き残ったハラルトと、前妻の子供であるヘルベルトの二人を操りながら、そのコンツェルンを拡大して、現在に至ることになるのである。
こうしたナチスに取り入りながら、既に大きな企業を経営していた一族が更にその富を拡大していったのは、他の富豪たちも同様である。彼らの中で唯一私が名前を知っていたポルシャ=ピエヒ一族についても、「アーリア化」の一環で、共同創業者のユダヤ人であるアドルフ・ローゼンベルガーを追い出し、彼の保有していた株を安く買い叩くが、これは戦後彼からの賠償訴訟をもたらすことになったという話しは印象的である。そしてポルシェ一族は、「国民車」フォルクスワーゲンから、軍用車両の開発に邁進することになるが、他の富豪と同様、戦後のナチス協力という非難を巧みにかわし、現在に至ることになるのである。そうした他の富豪たちの生き様についても著者は詳細且つ面白く物語っているが、ここではそれは省略する。
こうした経済界による第二次大戦中の戦争協力という問題は、ドイツのみならず日本でも間欠的に政治的課題となってきたことは言うまでもない。この著作でも、ドイツの富豪たちが、大戦中に占領国やユダイヤ人の多くを強制徴用し、過酷な条件で労働させた様子が描かれているが、それは日本でも同様で、国際関係においては、韓国による「日本製鉄」や「軍艦島」等での日本企業の強制徴用問題で浮かび上がることになる。しかし、ドイツの富豪たちと同様、日本の場合も、まずは「戦後賠償は国家間で解決済である」と共に、「そうした場所での労働条件はそれほど厳しいものではなかった」という議論で逃れてきた。日独両国とも、戦後の冷戦開始で、戦犯追及は方向転換し、経済復興への注力という観点から、政治家のみならず、疑惑のある経済人も「復権」し、戦後の経済成長を支えると共に、一族の資産を膨らましていった、というのも似ている。違う点といえば、日本の場合は、ドイツの様にとんでもない富豪がそれを牛耳る、といったケースがあまり目立たず、経済復興が「サラリーマン経営者」により支えられ、とんでもない富豪が現れることがなかったということくらいだろうか。
この著作の最終章では、こうした富豪の末裔たちが、大学や文化・慈善活動への寄付などで、こうした過去に対する心ばかりの償いを行うと共に、その戦争協力については概ね沈黙するか否定している様子を改めて喚起することになる。そして同時に、そうした富豪たちが、「ドイツのための選択肢(AfG)」といった極右政党に献金などの形で接近していることへの警戒感を示すことでこの著作を終えている。このドイツの富豪たちの「ネオナチ」への接近は「いつか来た道」であるが、その事実確認と併せて、移民問題を含む現在のドイツの政治・経済状況とどう繋がっているかは、まだ若いジャーナリストであるこの著者の今後の課題であろう。しかし、こうした若いオランダ人の中でも、著者自らが断言している様な「激しいドイツ人嫌い」という意識が依然残存しているというのは最後に残った驚きであった。
読了:2025年7月1日