アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第四章 社会
プロテスタンティズム
著者:深井 智郎 
 前回の帰国時に、ある大学の学長をやっている友人から薦められた新書である。彼の学校の教授の著書ということで薦められたのだろうと、しばらく手をつけずにいたが、いざ読み始めてみると、現代ドイツの社会論としてのみならず、その他の欧州、そしてアメリカ社会論としても面白い議論が展開されており、一気に読み進めることになった。著者が、20歳台の頃、1992年から1996年までアウグスブルグ大学哲学部で学んでいた、という経歴も、ちょうど私のドイツ滞在と重なっており、もしかしたら、私も度々訪れたこの町のどこかですれ違っていたかもしれない、という親近感も感じさせた。私の別の友人の研究分野とも重なる「ルター改革」とその後の展開についての作品であるが、まずは、今年がちょうど500周年になるその改革の実態とその後のドイツ社会への影響から議論が始まることになる。

 1517年、ルターが、教皇による贖宥状(昔は「免罪符」と教えられた)の販売に納得がいかず、ヴィッテンベルグ城の扉に討論を呼びかける「95か条提題」を張り出したことが、宗教改革の始まりと、その後のプロテスタンティズムの拡大の出発点であることは、誰もが習った欧州中世史の大きな転換点である。しかし、著者の見方は、ルターの改革は、あくまでカトリックの内部での「リフォーム」で、新たな宗派を作るといった意図はなく、それが当時の教皇と神聖ローマ帝国の世俗的支配者としての皇帝の権力関係から、教会秩序の変動に留まらず、領主たちの権力闘争という政治的な動き連なっていったとしている。破門に直面したルターが、精力的に自分の信仰を書き記し、それが当時の印刷術の画期的な発達により急速に人々の間に共感を呼んでいったというのも、よく知られている。宗教的には、「聖書のみ」、「全信徒の祭司性」、そして「信仰のみ(信仰義認)」が宗教改革三大原理、というのも、世界史の授業で昔習ったとおりである。

 こうした論争と政治的混乱の中で、ルター自身は1546年に逝去するが、その後1555年に、アウグスブルグ帝国議会で「宗教平和」という決議が採択され、取りあえず混乱が収束することになる。そしてここでの重要な決定は、「神聖ローマ帝国の領主は、自らの領邦の宗教を決定できることになった」ことで、これ以降「神聖ローマ帝国内各領邦の宗教は宗派ごとにブロック化」することになった。それと同時に、ここで、「当初のルターの意図」とは異なり、新しい「宗派」としてのプロテスタンティズムが生まれることになった、としている。しかし、それは「私たちが今日考えているような信教の自由や、教会と国家の分離とはほど遠いもの」であった。何故なら「宗教の問題は依然として領主の問題として取り扱われ、一つの政治的単位の支配者が宗教を決定し、宗教が政治と表裏一体であることに変わりはなかった」からである。そしてそれが、「保守主義」としてのプロテスタントの源流となり、ドイツ社会の中で今日まで連綿と続くことになる。当然のことながら、そのように「保守化」した宗派に対しては、「改革の改革」を主張する、新たな動きが発生することになる。それらは、例えば「洗礼派(バプティスト)―幼児洗礼を認めない」や「再洗礼派(アナバプテスト)―幼児洗礼は無効で、成人してから再度洗礼」といった立場である。こちらは、言わば、個人の政治権力からの「自由」を前提としていることから、より「近代個人主義」の性格を強く持っているということになる。

 こうしたトレルチ言うところの「二つのプロテスタンティズム」が、その後の欧米キリスト教世界の中で、ある種のダイナミズムをもって展開していく。一つは「教会」を「地域共同体としての政治単位」と考えるもの、もう一つは「信仰者の自発的な共同体」と考えるもの。当然、前者が政治権力と結びついているために、後者を政治的に迫害することから、後者は「抵抗者」としての側面が強化され、また新天地を求める動きになっていく。彼らはそのために「中世後期から発展したさまざまな政治意識であるデモクラシー、人権、抵抗権などを受け入れ、それを見方につけ、その担い手となり、それだけではなく、このような政治的価値を使って既存の教会や政府と戦い始める」ことになる。また他方で、前者は「公営」の教会であることから、その宗教の流布には熱心でないが、後者は「民営」であることから、信者の獲得にも熱が入り、その結果「メガ教会」が生まれることにもなる。また「破門」についても、前者は共同体からの排除となるが、後者は、あくまで「宗教団体」からの「破門」で、市民生活自体が排除される訳ではない、とった違いが生まれる。

 この、「保守主義」と「リベラリズム」の源泉となった「二つのプロテスタンティズム」につき、著者はもう一度整理を行っている。まず前者は、「プロテスタント国家を自認していたプロイセンによるドイツ統一」の際に、「ルター研究の復興」という形で、政治的に「国家のグランドデザインと一体化」し、「ドイツ国民が選んだ新しいナショナル・アイデンティティ」となる。そしてその後も、ドイツのルター派は、第一次大戦時の「戦争推進派」となり、極めつきは、ヒトラーの登場を、「もろ手を挙げて(中略)歓迎したとまでは言わないが、それほど違和感を持たずに新しいタイプの『上に立つ権威』として受け入れ」、またナチスもルターの「ユダヤ人とその偽りについて」等の著書を政治的に利用することになる。そしてナチスの反省の上に成立した戦後のボン共和国でも、ローマ・カトリックと共に、プロテスタント教会は憲法で幾つかの特権を有する宗教として規定されているという。更に、戦後ドイツにおいては一般的には、プロテスタントのみならず宗教全般に渡り信徒の減少が進むことになるが、ドイツ統一後の21世紀に入り再び「ドイツ・ルター派教会は礼拝出席者の人数を増やしている」という。著者は、最近の移民問題などが、「偏狭なナショナリズム」だけでなく、「静かなナショナリズム」を生み出している、と分析しているが、「ドイツ人しかいないルターの教会」がこうした保守主義者の安息の場となっているという現実は注目に値する。

 他方で、ルターやその後のプロテスタントが、宗教的な非寛容からの「不毛とも思える争いを終わらせ、政治や宗教におけるさまざまな見解がとりあえず共存可能な社会システムを作り上げるために努力した」ことも事実であるという。そして、最近のドイツ社会の多元化が進む中で、キリスト教以外の宗教(仏教、ユダヤ教、モスレム等々)を学校の授業で選択できるようにする動きが見られるが、それを支持しているのがルター派であるということに、こうした伝統が生きている、とされている。即ち、ルター派が抑圧、排除したのは、他宗派に対し不寛容な態度をとる極端な宗教であり、それは、戦後ドイツにおける共産主義や極右政党の禁止といった政治思想の底流にもなっているという。

 最後は、「宗教改革の改革」であるリベラリズムとしてのプロテスタンティズムである。これは「一つの政治的領域の支配者による改革の限界」から「教会を作る自由を主張し、信じる自由を徹底しようとし」、また「宗教市場の自由化、あるいは民営化」を進めた、ピューリタン(長老派、会衆派、バプティスト、クエーカーなど)らの運動である。彼らは欧州で迫害されたため、アメリカに新天地を求めるが、皮肉なことにそこで新たな内紛を起こし、主流派で政治的な合理主義者と結んだ長老派、会衆派が、より過激なバプティスト、クエーカーを迫害したという。ただいずれにしろ、「国家から切り離された自由な教会の設立」という思想は「アメリカの建国に関わった人々による、アメリカ社会のグランドデザインとなった。」所謂、「アメリカン・リベラル」の源流である。そしてかつてマックス・ウェーバーが有名なプロテスタント論で指摘した「二重予定説」(世俗社会での成功者こそが、神に救済された者である)がもっとも受け入れられたのがアメリカ社会ということになる。ただ他方で、教会と国家の分離を原則とする米国憲法のもとでも「意識されざる国教」があるとして、例えばオバマの演説の中にも「国民に利益を誘導するアメリカの神」といった、「古いプロテスタント(=国家との関係を要求する宗教)」を想起させるような表現が見られるという。ただそうした中で、著者は最後に、この宗教の歴史は「価値の多元化、異なった宗派の並存状態、それゆえに起こる対立や紛争の中で、(中略)どのようにすれば、異なった宗教が争うことなく共存できるのかという問題と取り組んできた」歴史であり、それ故に「プロテスタンティズムが現代の社会に貢献できることの一つは共存の作法」を提示したことである、としてこの新書を結んでいる。

 確かに、中世のカトリック盤石の世界の腐敗に対する批判として登場したプロテスタントは、より近代的な個人意識の萌芽を内包していた。しかし、ルターの改革は、領邦国家の政治的意図と結合して進んだために、それはまだ不十分であり、より自由な自己が確立するのは、その改革の改革を待たねばならなかった。そして其々が、それが定着した地域の国家の「グランドデザイン」となった、という論旨は分かり易い。

 しかし、そうは言ってもやはり宗教は宗教であり、それが神に対する救済という情動に起因していることから、それを巡る対立は情動的な争いとなり易いのは、いつの時代も同じである。プロテスタンティズムがカトリックに迫害されながら、支配力が強まると、今度はそれを批判する他宗教を排除し、それが終わることなく続いていくのが世の真実である。宗教間の共存を認めるというのは、ある意味でどの宗教も建前としては持っていても、本音では互いに殺し合いをする運命にある。そしてそれが社会的な集団である限り、政治権力と結びつき、その戦いを制しようとすることになる。その意味で、1555年のアウグスブルグの「宗教平和」も、プロテスタンティズムの本質がこの和議をもたらしたのではなく、単に時の権力が宗教間の対立を収めるための政治的妥協をしただけではないか、とも思われる。そうであるとすると、現代の民族・宗教問題の多様化が進む中で、その分裂・構想を抑えることができるのは、宗教そのものではなく、その正統性の源泉は多様であるにしても、あくまで政治権力だけだということになる。

 ただそうしてプロテスタンティズムの寛容をやや斜から眺めながらも、その伝統が、夫々北ドイツやアメリカで残されているという議論はそれなりに納得できる。結局国家の統合はあるイデオロギーを必要とするが、宗教は容易にその統合要因として利用されるのであり、ドイツにおいてはそれが「古いプロテスタンティズム」であり、アメリカの場合は「新しいプロテスタンティズム」であったということである。しかし、そのアメリカでも、単純に、個人の人権や自由を尊重する「新しいプロテスタンティズム」が定着しているかと言うと、そんなことでもない。所謂、「リバタリアン」と「コミュニタリアン」の対立というのは、こうした宗教的対立の政治・社会的な位相での表現と考えられる。共和党と民主党という2大政党は、市民生活への国家の介入に対する態度の違いから、夫々の傾向を代表していると言えなくもないが、宗教的にはむしろ共和党が「古いプロテスタンティズム」に、民主党が「新しいプロテスタンティズム」に近い感じがする。そうであると、政治面と宗教面で、個人と国家の関係についての態度が交錯しているという状況が起こっていると言えなくもない。そして現代は、カトリックやギリシャ正教を含めたキリスト教内部の多様な宗派に加え、モスレムや仏教、ヒンドゥー等、それ以外の宗教が益々複雑に交錯してきているが故に、問題は単なるキリスト教内部の融和というだけの問題ではなくなっている。著者が先に指摘している、ドイツにおける宗教教育問題も、むしろプロテスタント側が宗教的に許容しているということではなく、むしろ政権側が、それなくしては社会統合が維持できないことからやむを得ずとっている対応策と考えられる。ハンチンソンがかつて主張した「文明の衝突」は、今や宗教のみならず、民族、言語を含めた多様な位相で相互の関係が複雑化する中で顕在化している。そうした世界でプロテスタンティズムが、それが経てきた闘争と融和の歴史を糧として、どれだけその複雑化した軋轢の緩和に貢献できるのかは、著者が考えているほど簡単ではないように思われる。

読了:2017年8月27日