アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第六章 思想
遅ればせの革命
著者:J.ハ−バ−マス 
「未来としての週去」は質疑応答形式による形を変えた対談集であったことを考えると、今回の書物は、私がハ−パ−マスの活動拠点であるフランクフルトに来て初めて読んだ彼の著作ということになる。しかし出版時期としては今回の書物−原題「Die Nachholende Revolution」−は前述の対談集よりも先に出版されたものであり、従って今回の政治評論集には、前記の対談集で論じられた議論の原形が示されていると言える。以降二つの論文を中心に主要な論点を紹介しておこう。

表題となっている第一論文は、中東欧の革命をテ−マに、西欧左翼が直面している思想状況とそこから脱却する展望を、現代史の中での思想と現実の運命をたどりながら整理したものである。中東欧の革命は19世紀に起源を持つ西欧社会主義にとって如何なる思想的意味を持つのかとハ−バ−マスは問う。彼はますこの革命を解釈する際のパタ−ンを6つに整理する。スタ−リニズム的解釈、レ−ニン主義的解釈、改革共産主義的解釈、ポスト・モダン的解釈、反共産主義的解釈、そして自由主義的解釈である。そして共産主義的な前三者の解釈のみならす、一見冷戦後勢いを増しているように見える後の三つの理論も、同様に実はマルクスが看破した「資本の自己増殖という強制命法に服している文明は、価格として表現でさないすべての重要性に盲目となることにより、破壊の芽を白己自身の中に宿している」資本主義の運命を克服していない、と見なす。なぜなら、「投資先を求める資本が国家社会主義によってひからぴてしまった市場に進出している状況を描く最も適切な引用は(これらの6つの解釈ではなく)いまなおマルクスである」からである。

こうしてハ−バ−マスら西側の非共産主義的左翼は、「現存する社会主義」の破産を前に改めてこうした解釈とは別の次元で現実に耐えうる理念を打ち立てねばならなくなる。こうした観点から、まず彼は1920年代以降進められてきたマルクス主義の内在的批判のポイントを整理しつつ、「西側方式の大衆民主主義は、正当化のブロセスの操作という調子を帯びている」という「晩期資本主義の正当性の諸問題」で彼が提示した認識を再確認する。そして次にマルクス主義の批判的言説を維持するための規範として「自由で平等な市民からなる社会の、理性的な自己組織化のための諸制度に対する信頼」を形成するための「コミュニケ−ションの条件」ヘの関心を示した上で具体的な視座を探っていくのである。

その際のポイントは「我々のシスチムに固有に生み出された問題(市場外コストの評価、第三世界の貧困、自然サイクルの世界的危機等)のどれかひとつも、ベルリンの壁の崩壊で解決されたわけではない」いう認識である。他方現代社会に制御能力をもたらしているのが「貨幣、権力そして連帯」であるとすれば、この連帯という社会統合力が民主的公共性と制度を通して貸幣と行政権力に対する自己主張の源泉となる。前者の認識を「排除を知らぬ意見形成過程及び意志形成過程の持つコミュニケ−ション上の諸前提を通して、法及び行政によって媒介された社会関係へと転移」させるのが「連帯という社会統合力」の役割となる。こうした急進民主主義的な意見形成・意志形成を求める闘いこそが、国家社会主義崩壊後の社会主義的左翼の課題である。そしてこの社会主義は「批判されている社会が自らのアイデンチィティを変え、価格で表現できないすベてのものを、その重要性において知覚し、真剣に受け止めることがでさる日」まて消滅することはない、と言う。

こうした「価格で表現される価値」が一人歩きする状況を批判的に分析したのが第二論文である。統一に際して顕在化したのは「全てのテ−マがドイツマルクで計量され、ドイツマルクを使って貫徹される」状況である。それは、戦後のドイツ人を形成してきたアイデンティティである非政治的態度、東独の差別化、「保護供与国」としてのアメリカ志向、そして経済的成功への自信という4要素中、唯一戦後史の週程で問題視されなかった4つ目の要素が今や全ドイツを覆う最大のアイデンティティの契機になっていることを示している。それは共和主義的平等とが社会的正義の問題といった普遍的理念ではなく、ドイツマルクに化体されたドイツ国民という個別問題が統一を契機に支配的になったことを意味した。これを普遍主義的理念に置さ換えようとしたラフフォンテ−ヌは政治的には手痛い失敗をすることになる。しかしハ−バ−マスは社会哲学者としてあえて政治的には無カな普遍概念を「憲法愛国主義」という形で再確認していくのである。何故ならば、アウシュビッツの後では「ドイツ人は白分たちの歴史の連続性を頼りにすることはできず」また政治的アイデンティティは「普遍主義的な国家公民の諸原則」以外に依拠することはできないからである。

その他の論文も含め、ドイツ統一という歴史の大転換期に、ハ−バ−マスはこれまでの自身の思想的営為を総括しているように思える。拠って立つ地点とそこからの分析は論理的に一貫しているのは疑いない。しかし、今までドイツ統一を扱った書物の評で記載してきたとおり、老境に入ったハ−パ−マスの主張に対して、かつて巻さ起こったような知識人、学生からの鋭敏な反応は起こらなかった。結局彼自身が認めているように、マルクに群がる東独民衆を遠くに眺めながら彼は皮肉を言う程度の役割しか担えなかったのでである。そこでは知識人の社会的影響力の後退が間違いなく進行していたのである。

しかし翻って考えると、これらの論文が現実の流れに竿を刺そうとしていた時期には、反社会主義的言辞とマルクヘのオプティミズムが社会全般に漲っており、それがハ−バ−マスの主張を傍流に押しやった最大の理由であった。しかし、それから約5年の後、世界は資本主義アメリカと欧州における閉塞感と周辺部での民族、宗教問題からの緊張を中心とする新たな危機の時代を迎え、他方ドイツではマルク・ナショナリズムがその万能な効力を失いつつある。統一に際してのラフォンテ−ヌの正論と同様、ハ−パ−マスのこの書物での批判は、実は今こそ改めてじっくり検討されねばならないのではないたろうか。ハ−ハ−マスにその力がまだ残っているか、それとも彼の役割を引さ継ぐ十分な力を持った人物が現れるかは興味のあるところであるが、少なくとも彼が統一の過程て提示した、この書物の議論が終了した訳ではなく、今後も続いていくであろうことは間違いない。

読了:1995年10月20日