アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第一部:ロンドン音楽通信(1982−1988年)
ASlA  U.K.デビュ−・コンサ−ト
日付:1982年10月27日
場所:ウエンブレイ・アリ−ナ 
 ASlAの音に初めて接したのは、私がロンドンに到着して間もない時期、住居がまだ決まらず、一時滞在用の狭いスタジオ式のフラットで悶々とした日々を過ごしていた頃のことだ。到着直後の物珍しさから昼夜となく忙しく動き回ってはいたものの、夜、ソファベッドを広げるだけで部屋が一杯になってしまう空間、窓から外を跳めると、すぐ隣のビルしか目に入らないような空間に疲れきって帰ってくると、ある種の寂莫感を抱かざるをえなかった。唯一の居所であるベッドの上で、テレビを見、ラジオを聞く、そんなことしかする気になれなかったのだ。ASlAの音楽が耳に飛びこんできたのは、そんな雰囲気の中でだった。以前、印象深い音楽に最初に接した時と同様、それは何気なくラジオ・プログラムの中に組み込まれていた。そして疲れ切った身体と心は、ただその心地良いサウンドに無意識に反応していた。曲の終了と同時にDJが、それが Steve Howe、 John Wetton、Carl Palmer、 Geoffrey Downes による新グル−プ、ASlAであることを告げた瞬間、それは私の15年にわたるロック経験の中に確かに位置付けられたのであった。言うまでもなく彼らの背後には、YES 、Emerson Lake & Palmer 、そしてKing Crimson という、ブリティッシュ・プログレの中心であり続けた三つの歴史的なバンドが潜んでいる。そして、それらのバンドを基軸として系譜を作ると、それは、ほぼ英国の先進的なロック・ム−ブメント全体を覆うものとなる。Nice,Refugee,Crazy World Of Arthur Brown,Peter Bank’s Flash,Tony Key’s Badger,Strawbs,Family,UK,Soft Machine,Jean Luc Ponty Band,Daryl Way’s Wolf,Curved Air,Sky, Camel等々。ASlAのメンバ−はこうしたバンドと過去及び現在において、人間的な,そしてそれが故に音楽的な関係を有している。その意味でASlAの音楽は、ここ10年の英国のロック界の有り様をまさに象徴していると言えるのである。到着直後の慌ただしい生活の中で未だ地に足がつかないような不安定感を抱いていたにもかかわらず、私はラジオから流れてくる音楽の中にあるこの歴史と、その歴史の最終地点に集約されたそうした諸関係が、それまで遠く離れた日本という僻地で抱いていた感覚をしっかり受け入れてくれるのを感じていた。故郷に帰ってきたのだ。決して誇張ではなく、そうした気分に包まれていくのは、ある種の快感であった。その週末、ただちに彼らのレコ−ドを購入、そしてそれから半年が経過し、私は彼らの英国デビュ−・コンサ−トに参加することができたのである。

 会場の Wembley Arenaは、ロンドン北西にあるウェンブレイ・オリンピック公園、日本の言わぱ駒沢公園といった趣の一画にある体育館である。それは、私がこちらに到着参加したロック・コンサ−トの会場では最も大きいものであり、当然のことながらPA効果を期待することはできない。しかし、これ程の歴史を背負った知名度の高いバンドであることを考慮すれぱ、それはやむを得ないだろう。

 前座は今までのコンサ−トと異なり、蛍光塗料で輝く玉や布を使った見世物。コベント・ガ−デン等のストリ−ト・エンタ−テイナ−に毛の生えた程度の曲芸であるが、Jean Luc Ponty や Who の音楽、あるいは Beatles の Sergent Pepper’s Lonely Hearts Club Band や A Day In The Life といったBGMに合せて、美しく、また不気味に暗闇の中を動く光が次第に雰囲気を盛り上げていく。そして、そうした中でASIAのコンサートの幕が落とされたのだった。

 オープニングは Time Again 。ステージに照明があてられると同時にユニゾンによるイントロが流れ、直ちにアップ・テンポのロックヘと移っていく。ステ−ジ構成は、前面左から Steve ,Carl , John が並び、後方の一段高くなった、あたかもステ−ジ全体を覆う屏風のように並べられたキ−ポ−ドの前に Geoffreyが陣取っている。John による太いボ−カルが入り、Steve は始めからファズを必要以上にきかせたギタ−を唸らせる。後方上で、Geoffrey がキ−ポ−ドの前を跳び跳ねながら各種の音を挿入していくのが印象的である。続けて Wildest Dream 。ELP時代のように Carl はサビの部分の激しい連打でその存在を誇示している。それぞれの曲の構成はほとんどレコ−ドと同じである。” This is a love song ”という Steve のアナウンスと共に始まるのは Without You 。エレキ・ピアノによる静かなイントロに John の絞るようなボ−カルが重なり、テ−マがスロ−・テンポながらも刺激的に進行していく。そして後半シンセサイザ−が怒涛の如く覆い被さった後、再び静寂の中で終焉していく。彼らのデビュ−・アルバムの中でも最も印象的な曲の一つである。

 ここで、Steve がアコースティック・ギタ−に持ちかえソロを聞かせる。予想されたこととはいえ、Mood For A Day のイントロが流れると、ある種の感激が背筋を貫くのが分かる。それは丁度 Yes の名作「危機」がリリ−スされた直後であったから、もう10年も前になるだろうか、渋谷公会堂でこの曲を聞いたのは。その後過ぎ去った歳月は、自分の中であらゆる体験の記憶として凝縮されながら確かな時間として残っているが、あたかもこの瞬間、この歳月が飛び越えられ、自分がそうした経験から白紙の状態でこの音楽に聞き入っているかのような錯覚に陥ってしまうのだ。しかし今回はレコ−ド等に比べ、やや遊びを多く加えている。続けてこれまた予想されたとおり The Clap 。早弾きのこのスパニッシュ・ギタ−は何度聞いても見事である。途中に彼のソロ・アルバムからのフレ−ズを挟みつつ、彼の特徴的な、歯をくいしばるような表情での演奏が続けられる。因みにこの曲が含まれている YES ALBUM の録音は1970年である。

  Steve のソロが終了すると共に他のメンバ−がステ−ジに現れ、再び4人による演奏に戻るが、その初めは、Midnight Sun と題された新曲である。ドラムの Carl を残し、他の3人は全員後方段上のキ−ポ−ドに張りつき、重厚なシンセサイザ−音の波が会場を包む。各人各様のその音の波の中から次第にメロディ−・ラインが形成されてくると、Steve とJohn は自分たちの本来の楽器に戻り、そして、アップ・テンポになったところで John のポ−カルが加わる。曲のモチ−フは、一時期の Pink Floyd に見られたものである。続けて、Only Time Will Tell 、One Step Closer が演奏され、次に John によるバラ−ドの新曲が披露される。

 ここまで進んできたところで、当初の感激からも解放されてきた私は、ある種の物足りなさを感じ始めていることに気がついた。そしてそれは、こうして実際の音に接しての不満ではなく、むしろ当初レコ−ドを聞いた時から心にひっかかっていた感覚であった。それを一言で言ってしまえぱ、いったいこのバンドの目指すものは何なのか、という疑問なのだ。

 彼らが在籍してきたバンドは、それぞれ特徴的なスタイルと哲学を持っていた。一言でそれを表現するのは難しいが、例えばYesの音楽は、壮大な構成カと緻密なリリシズムの、ELPの世界は奔放なテクニックと美しいメロディ−・ラインの統合であった。そして、King Crimson は、ブリティッシュ・プログレの申でも絶えず時代を先取りしたアバンギャルドな世界を有していた。しかし、Yesのメンバ−のソロ・アルバムが次々に発表され、その最後に John Anderson の Olias of Sunhillow が現れた時、我々はYesの構成美とリリシズムは、まさにこの John Anderson の世界であったことに気づかされたのだった。同様にELPの世界も、核となっていたのは Keith Emerson の斬新なフレ−ズとテクニック、そして Greg Lake のメロディ−であり、また King Crimsonは言うまでもなく、Robert Fripp の音楽観の表現であったのだ。Steve Howe のソロ・アルバムは、彼のテクニックをもってしても単調という謗りを免れず、Carl Palmer のELP時代のソロ(例えば、Works における)は、退屈であった。それに対し、John Wetton が King Crimson 脱退後結成したバンド、UK は、その当初はAlan Holdsworth という印象的なギタリストを、そして彼の脱退後は Edie Jobson という強力なフロント・ラインを持ちながらも、基本的には John Wetton がリ−ダ−シップをとっていた。その意味でASlAの結成の中心になったのはおそらく彼であり、あえてこのバンドを音楽的に位置付けるとすれば、それは UK の後継バンドということになろう。実際、ASlAのデビュー・アルバムでは、John のみが全ての作曲に参加しており、また今まで進んできたコンサ−トも John のポ−カルを中心に置いているのは確かだった。

 彼らの前身バンドが、その哲学の表現のために長時間の曲を必要とした−短時間の曲があっても、それはアルバム構成上の必要からの言わば「つなぎ」として使われてきた−のに対し、彼らのデビュ−・アルバムで特徴的なことは、全曲が4〜5分の間に収められていることである。その形式はいわぱポップ・グル−プがとってきたものであり、確かに彼らの曲はどれをとっても覚えやすいメロディ−または主題を持っている。実際コンサ−トでも必ず観客が声を張り上げ、合唱するパ−トを持っているのだ。それに加え、レコ−ドではそのボ−カル・パ−トが重厚なコ−ラスとなり、各楽器間の調整も整っており、その点彼らの出身バンドを意識しないでも十分に楽しみうる世界を作っている。

 しかしながら、こうしてコンサ−トが進んでくる過程で、そうしたポップな方向に向かおうという彼らの姿勢が、徐々にバランスを失してくるように感じられてきたのだった。John のポ−カルは力強いがやや単調で色彩感に乏しく、Steve も Yes 時代に聞かせた美しいアコ−スティックな伴奏は全くなく、ファズを響き渡らせるのみである。そして曲想はあくまでレコ−ドと同じで数分のうちに終了してしまう。Geoffrey は彼ら二人の単調さを覆すにはやや非力であり、Carl は基本的には共演者によりその力量を引き出されていくタイプのドラマ−である。結局自分たちの過去から脱出し新しいタイプのロックン・ロ−ル・バンドを目指そうという彼らの試みは、彼ら自身の過去に足を掬われ中途半端に終わっているのではないか。

 こうして僅かな不安感が広がる中、曲は Cutting It Fine に入る。曲の終了近く、キ−ボ−ドだけが残り Geoffrey のソロヘ移っていく。アナログ3枚組のライブ・アルバムYessongs中の Rick Wakemanのソロに似て、当初いくつかのメロディを聞かせた後、次第に効果音の世界に移っていく。左右に広がったキ−ボ−ドの前を飛び回る姿は印象的であるが、必ずしも特徴的な音造りを行っている訳ではなく、出来は今一歩である。続けて Here Comes The Feeling 。コンサ−トも終盤に近づき否が応にも盛り上がる中、 Carl のドラムソロヘ移っていく。これもELP時代に良く聞いたものであるが、さすがにテクニックと迫力は申し分ない。ソロの後半ステージが暗転し照明が目まぐるしく点滅する中、ステ−ジが回転を始め、180度回転したところで静止すると共に、彼の背後(その時点では正面)にある2枚のドラが、あたかもキエフの大門が開くかのように左右に広がり、照明がティンパニ−に向かう Carlを浮かび上がらせるという趣向。そして再び暗転しステ−ジの方向が戻ったところで他のメンバーが現れ、Here Comes The Feeling のエンディングヘなだれこむという進行である。
  
 割れるような歓声の中、最後の曲 Soul Servivor へ移っていく。サビの部分では、もはや会場中大合唱であり、我々の席の前ではELPマ−クを背中につけたマントをはおった女の子の1団が踊り狂っている。そしてアンコ−ル。曲はもう1曲しか残されていない。Heat Of The Moment だ。

 重々しいイントロにかぷさる John のポ−カルからコ−ラスへ、キ−ボ−ドによる間奏から再びメロディ−、そして最後はギタ−ソロがテ−マに重なり合いながら、一気に終焉へ向かっていく。たしかに有終の美を飾るにふさわしい曲である。こうしてASlAの英国におけるデビュ−コンサ−トは、前記のような若干のわだかまりを残しつつも圧倒的な力量をもって我々を一つの流れの彼方へ押し去ったのであった。

 彼らの志向するのが、果たして私がここで感じたような、ボップな感覚を持つポスト・プログレのロックン・ロール・バンドであるかどうかは、1枚のアルバム、1回のコンサ−トを聞いただけでは断言することはできない。そして私の抱いた感覚はあくまで彼らが在籍した過去のバンドの幻想をあまりに強く抱き続けていることの結果に過ぎないかも知れない。何といっても彼ら1人1人のテクニックはしっかりしており、少なくとも現存するバンドの中でも今後の展開がもっとも期待される一つであることは明らかである。その意味である種の不満を抱いたにもかかわらず、このコンサ−トが今後のブリティッシュ・ロックの変化を指し示す歴史的なものであったことは確かである。一つの青春の記憶とそれからの脱却或いは昇華への道。彼らの今後の歩みが私個人の歩みとまさに並行して進んで行くことを確信しつつ、一つの里程標を持つことができた、そうしたコンサ−トであった。

1982年10月31日  記