アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第三部:ドイツ音楽日誌 (1991−1998年)
ボニ−・タイラ−  Bitterblue Tour ’92
日時:1992年4月26日
場所:Music Hall 
〔演奏曲目〕
@He’s Got A Hold 0n Me(Bitterblue,1991)
AIf You Were A Woman(I Was A Man)
(Secret Dreams And Forbidden Fire,1986)
BSave Me(Bitterblue,1991)
CAgainst The Wind(Bitterblue,1991)
DNo Way To Treat A Lady
(Secret Dreams And Forbidden Fire,1986)
ENotes From America(Hide Your Heart,1988)
FWhy(Bitterblue,1991)
GHide Your Heart(Hide Your Heart,1988)
HTo Love Somebody(Hide Your Heart,1988)
IWhenever You Need He(Bitterblue,1991)
JWhere Were You(Bitterblue,1991)
QBitterblue(Bitterblue,1991)
LTotal Eclipse 0f The Heart
(Faster Than The Speed 0f The Night,1983)
MFaster Than The Speed 0f The Night
(Faster Than The Speed 0f The Night,1983)
(アンコ−ル)
NIt’s A Heartache(It’s A Heartache,1978)
OTurtle Blues(Hide Your Heart,1988)
PHolding 0ut For The Hero
(Secret Dreams And Forbidden Fire,1986)

 フランクフルトでの初のロック体験は、「Bitterblue Tour 92」と題されたディスコテックでのボニ−・タイラ−のコンサ−トとなった。考えてみれば、彼女のような女性ロック・ボ−カルは、レコ−ドこそ数多く持っているが、今までなかなか生を聴く機会に恵まれなかった。唯一の例外は、1987年、ロンドン・ウェンブレイ・スタジアムでのマドンナのコンサ−トであるが、これもマンモス・スタジアムでのものであったことから、舞台は遥か彼方、マドンナの姿は舞台後方のスクリ−ンでかろうじて見える程度であり、コンサ−トというよりは、音楽付きのお祭りといった感覚のものであった。その意味では初めてといってもよい、女性ロッカ−のコンサ−トであったが、結論を先に述べてしまえば、あらゆる意味で想像を超えたもので、同時にここフランクフルトでの今後の音楽生活に大きな期待を持たせてくれるものであった。

 会場のフランクフルト・ミュ−ジック・ホ−ルは、メッセ会場の近く、工場や倉庫の立ち並ぶ、夜ともなれば、人通りも疎らになる産業地区に位置するディスコテックである。それこそ外見は古い倉庫であり、今まで何度もこのあたりを通りすぎていたにもかかわらず、余りに何気ない外見故に、それがディスコであるとは全く気付かなかったくらいである。昼間、当地で初めての競馬を楽しみ、タ刻友人とのパ−ティ−を済ませてから、やや道に迷った末、開演時間に数分遅れてそこへ飛び込んだ。幸いなことにまだコンサ−トは始まっていなかった。

 普段はティ−ンエイジャ−で溢れているであろうこのディスコも、今日は20年近いキャリアを持つシンガ−のコンサ−トとあって、心なしか集まった世代は年齢が上のような気がする。200人程度の収容力しかないと思われる空間には、中央にダンス・フロアがあり、三方が階段状の席になっている。そして正面に高さ2メ−トル、広さ40u程度のステ−ジがセットされている。遅れてきたせいもあり、これらの席は既に一杯である。しかし落ち着いてよく見てみると、ダンス・フロアにはまだ余裕があるのが分かった。早速人を掻き分け前に出て、ステ−ジに向かって右側の至近距離を確保すると同峙に、場内が暗転、ただちにこの日のコンサ−トが始まった。

 サポ−ト・バンドはギタ−、ベ−ス、キ−ボ−ド、ドラムのシンプルなユニット。ボニ−は黒のタイツに黒のティ−シャツそして黒のレザ−・ジャケットという服装である。最新アルバムからのミディアム・テンポの@で演奏が開始されるが、最初から彼女のハスキ−だが太い力強い声で聴衆をぐいぐいと引っ張っていく。予想以上に明るいブロンドのカ−ルした髪とはっきりした目鼻立ちが、黒一色の衣装に映えて、視覚的にも十分刺激的である。アップ・テンポのA、ミディアム・テンポのBで盛り上げた後、バラ−ドのCを切々と歌い上げるというように、動静を織り混ぜながらステ−ジは進行していく。B.アダムスの作曲によるE、1988年のアルバムのオ−プニング・トラックであるE、レコ−ドではサックスが使われるイントロと間奏を、ギタ−の泣きで表現するバラ−ドのF、迫力満点のG、そしてビ−ジ−ズ初期の名作のカバ−であるHと、ほとんど休みなく歌い続けるエネルギ−には圧倒させられる。最新アルバムからのシングル・カットとなったJはなるほど覚えやすいポップ・ナンバ−、Kは同じアルバムのタイトル・トラックである。会場がディスコであることから、サウンド・エフェクトは決してベストではなく、時析ギタ−の音が歪み、ボニ−の声が楽器の影に隠れてしまうこともあるが、至近距離の追力はそうした細かい不満を補って余りある。昔、ロンドンのディスコのダンス・フロアで、同じように立ちっぱなしでキング・クリムゾンを聴いたことがあるが、この時でさえこれほどの距離ではなかった。しかも、この時は、ほとんど鮨詰め状態で、側で踊る女の子の髪の毛が顔にぶつかるような状態であったが、この日はむしろこちらが思いきり体を動かしても決して他人に迷惑がかかるわけではなかった。人口60万程度のヨ−ロッパ都市にいることのメリットがここにある、と感激していると、続けてLが始まった。

 この曲こそ私のボニ−・タイラ−体験の実質的出発点であり、この日、最も楽しみにしていた曲であった。結婚直後のロンドン生活の中で、妻がこの曲を英語学校の教材として使ったことから初めて彼女のアルバムを購入した。それまでいくつかのヒット曲で彼女の名前はもちろん耳にしていたが、とてもレコ−ドを買おうという気にはならなかったのだが、このアルバムを聴いた時、その出来の素晴らしさに驚愕した。同時にこのアルバムはそれ以前の数年、方向性を失い、ロック・シ−ンの背後へ退いていたボニ−を再び表舞台に引き戻した、彼女にとっても記念すべき作品であった。この時期、英国のテレビで、この名曲が生まれるまでの彼女の軌跡を特集した番組を見たことを、今でもありありと覚えている。そしてこれ以降彼女のアルバムは全て購入してきているが、失望させられたものは皆無である。

 サポ−ト・バンドの男性コ−ラスが、「Turn around, Bright eyes」というテ−マをリフレインする中、絞るようなボニ−の声が被さり、次第に頂点に上りつめていく。流れるような間奏から歌の頂点に到達し、そして最後は再び抑えたボ−カルで静かに終息していく。この曲が今までの彼女のベスト・トラックであるのは疑いない。もちろんレコ−ドに比べると粗削りな音になってしまうのはしょうがないが、感情のこもりかたは、レコ−ドよりも数段上である。既に一時問以上歌い続けているのだが、顔中に溢れる汗に対し、声には全く疲労の色はない。この曲が終了した時、私はもうこの日の目的は十分達成されたという満足感に浸っていた。しかしステ−ジは尚も続く。83年発表の同じアルバムのタイトル・トラックであるMはレコ−ドよりも幾分スロ−に開始されるが、終了近くに2ビ−トに転じてからは、俄然スピ−ドアップする。それに合わせ、場内の照明が激しく点滅し、ステ−ジで激しく動き同るボニ−の姿があたかもスロ−モションのように見える中、エンディングに向け突入していくのである。

 いったん引っ込んだ彼女たちは、アンコ−ルの声で再びステ−ジに呼び戻される。ボニ−は皮ジャンを脱ぎ捨て、黒のティ−シャツとタイツで登場。まず「16年前に帰るわ」と言い私の知らないポップ・ナンバ−を歌い始めるが、それはただちに聞き覚えのあるイントロに移っていく。78年のミリオン・セラ−であり、私が初めて彼女の名前を知った曲でもあるO。紹介のセリフは、この曲を既に76年には歌っていたということだろうか。初期の曲らしくシンプルなポップスであるが、古さはあまり感じさせない。続けて「ブル−スをやるわよ。」との紹介。88年のアルバムで、敬愛するジャニス・ジョプリンに捧げられたジャニス作曲のOを絞るように歌い上げる。ハ−ドなロックン・ロ−ル以上に、こうしたブル−スでこそ彼女の歌唱力の真価が発揮される。彼女はロックン・ロ−ル・シンガ−というよりも、本業はこうしたブル−ス・シンガ−であることを再確認させてくれる。そして三曲目のアンコ−ルは、映画「フット・ル−ス」からのヒットで、88年のアルバムにも収められたP。そしてこの曲がこの日のラストとなった。9時少し前に始まったコンサ−トが終わったのは10時半近くであった。

 結局最新アルバムからは7曲、88年、86年、83年のアルバムからそれぞれ4曲、3曲、2曲、そして初期の作品1曲と、やはり最新アルバム中心に披露されたコンサ−トだったが、ヒット曲は全て網羅するというサ−ビス精神に溢れていた。ボニ−がパブやクラブで歌い始めたのは1970年、彼女が17歳の時であるというので、もう20年を越えるキャリアを持っていることになる。その間、一時的な不振はあったものの、83年の復活以降は、J.スタインマンやD.チャイルドといった有能なプロデュ−サ−にも恵まれ、個々のアルバム、個々の曲を全身全霊を込めて製作してきた。その歴史がこの日のコンサ−トにも見事に示されていたと言える。アンコ−ルで皮ジャンを脱ぎ捨てて出てきた時に、私とほぼ同年代のこの歌手の身体に、その年齢が明らかに刻印されているのを感じたが、彼女の歌には、その年齢からくる力の衰えは微塵たりともなかった。否むしろ、歳を経るにつれ成熟した歌唱力がそうした力強さを一層引き立てているとさえ感じたのである。スピ−カ−から数メ−タ−の距離にいたため取れなくなった耳鳴りと共に夜のしじまの中に出た時、この日のコンサ−トとここフランクフルトでの生活に十分な満足感を覚えながらも、一方で自分が果たしてこういう歳のとり方をしているだろうか、という不安も禁じえなかったのである。