イエス FULL CIRCLE TOUR
日付:2003年9月16日
場所:横浜県民ホ−ル
イエスは、数あるロックバンドの中でも、最も映像作品の多いバンドである。個人的にも、ドイツからの帰国直後に最初に購入した2枚組ビデオ「Keys To The Ascension」から始まり、1989年の欧州出張時にロンドンでライブに飛び込んだ「ABWH:An Evening with YES Music Plus」のDVD二枚の映像版、1991年の在籍者が勢ぞろいした「The Union Tour Live」、またこの時に作成されたインタビュ−を交えたバンドの履歴を辿る「Yesyears」、そして最近購入した「House of Blues」等、一つのバンドの映像としては最も数多く入手してきた。しかし、こうして彼らの映像に頻繁に接していたため余り意識していなかったが、実はライブ自体からは随分遠ざかっていた。例えば、87年ロンドン時代の「90812ツア−」はチケットを購入しながら、仕事でキャンセル。フランクフルト時代にも何度か現地公演があったものの、何となくチャンスを逃していた。その結果、先に触れた1989年のABWHロンドン公演を除くと、イエス名義のコンサ−トは、1974年の初来日時の渋谷公会堂以来、約30年参加する機会がなかったのである。
今回の公演は、こうして私にとっては久々の、また幾たびのメンバ−チェンジを経た後、稀しくも30年前の初来日時に見た時と同じメンバ−に戻ってのライブとなった。そして、それは一方では、映像に頻繁に接しているため、とても30年振りとは思えないほど見慣れたものであったと共に、他方でその間に過ぎた年月について、いろいろな思いを抱かざるを得ないものになったのである。
まず当日の演奏曲目を整理する。
(第一部:7:00−8:10)
@Siberian Khatru (Close To The Edge, 1972)
AMagnification (Magnification, 2001)
BDon’t Kill The Whale (Tormato, 1978)
CEnergy (新曲)
DWe Have Heaven (Fragile, 1972)
ESouth Side Of The Sky (Fragile, 1972)
FAnd You And I (Close To The Edge, 1972)
GUnknown + The Clap (Yes Album, 1971) スティ−ブ・ハウ・ソロ
(第二部:8:30−9:45)
Hチュ−リップ/新曲 ジョン・アンダ−ソン・ソロ
ICatherine Parr 他 リック・ウェイクマン・ソロ
JHeart Of The Sunrise (Fragile, 1972)
KLong Distance Runaround (Fragile, 1972)
LThe Fish (Fragile, 1972) クリス・スクワイア−/アラン・ホワイト・デュオ
MAwaken (Going For The One, 1977)
アンコ−ル
NOwner Of A Lonely Heart (90812, 1983)
ORoundabout (Fragile, 1972)
7時過ぎに会場に着くと、既に扉の内側より、彼らの開演前の定番であるストラビンスキ−「火の鳥」のテ−プ音が流れており、オ−プニングの「Siberian Khatru」が開始されると同時に、二階席奥の正面に着席した。神奈川県民ホ−ルは、私は初めて訪れた会場であるが、小振りのホ−ルで、二階奥とは言え、ステ−ジからは然程離れていない。
ステ−ジのセッティングはシンプルで、アンプを始めとする資材も、それこそ30年前に見た時と大差ないような印象。ステ−ジに向かい、左からスティ−ブ、ジョン、クリス、リックと並び、アランが後方。スティ−ブは柄のシャツとベ−ジュのパンツ、ジョンは紺のシャツに薄緑の上着とパンツ、クリスは白い絹シャツに黒の長いマント、リックはトレ−ドマ−クであるスパンコ−ルの長いマント。特にリックは、一時髪を短くしていたが、この日は、ストレ−トの長髪ということで、スパンコ−ルのマントとも相俟って、まさに30年前の全盛期を意識したかのようなファッションである。
「Siberian Khatru」は、当時のライブ・アルバム「Yessongs」や90年代末のビデオ「Keys To The Ascension」でも演奏されていることから、曲自体は余り新鮮味はないものの、30年前の初来日公演のオ−プニングでもあったことから、否応なくこの頃の思い出が甦る。聞きなれたフレ−ズが多い後半のギタ−ソロから、リックのサビ、そしてライブでの定番でのエンディングに至る流れも予期していたとおりの展開である。
続く「Magnification」は、最近の同名アルバムのタイトル曲。その前2枚のアルバムで参加していたロシア人キ−ボ−ドのI.カラチョフ(「House of Blues」では、彼が多彩なプレイを見せている)が抜け、その埋め合わせをオ−ケストラでやったことから、やや評判の悪かった作品であるが、この日は、アルバムとはまったく異なるアレンジで、リックがそこそこソロをとっていた。ジョンは、スティック状のギタ−を持ちながらのボ−カルであるが、最近の映像で見ていたとおり、既に50台後半(1944年10月生まれであるので、もうすぐ59歳)に入っているにも係らず、全く音質の変わらない、しっかりとしたソプラノボイスを維持している。
このエンディングから間髪を入れず始まった「Don’t Kill The Whale」は、1978年のアルバム「Tormato」からのシングル曲。宇宙的な愛やロマンを歌ってきたジョンにしては、余りに単純な、捕鯨に反対する直接的なメッセ−ジソングで、モチ−フがやや気に入らないのと、シングル曲を意識したこともあり展開に緊張感がないことから、昔から決して好きな曲ではないが、それでも映像として見るのは初めてである。スティ−ブのレスポ−ルが硬質なサビを入れるところもスタジオ録音そのものである。
続いて「新曲をやります。海や木、人間、我々を取り巻く全てのエネルギ−を唄った曲です。」とのアンダ−ソンの紹介でCが始まる。リックのピアノ伴奏でジョンが歌う静かなイントロから、全員が加わり、後半はドラマチックに展開する10分程度の曲であるが、新曲であるが故に、印象は余り残っていない。次の作品に収録された時にでも改めて確認することにする。
「次の曲は、地下のスタジオにこもって録音したのを思い出します。テクノロジ−が可能にした曲です」という紹介で始まったのは1971年の「Fragile」からの珍しいチョイス。映像のみならず、過去のライブ・アルバムでも取り上げられたことのない「We Have Heaven」。スタジオ版のノ−トでは、ジョンが全てのボ−カル・パ−トを多重録音した、と書かれているが、この日はもちろんスティ−ブやクリスが加わったコ−ラスで演奏された。スタジオ版と同様短い繋ぎである。そして「同じ日に録音した曲」とアナウンスされ「South Side Of The Sky」に移る。これも映像/アルバムを通じて初めてのライブ版である。ジョンのボ−カルをスティ−ブのギタ−リフが切り裂くメインパ−トから、リックの叙情的なピアノでの間奏を経て、再びメインパ−トに戻り終息していく。
続く「And You And I」は、映像で何度も見慣れた作品である。スタジオ版でのイントロのハ−モニックスが省略され12弦ギタ−のコ−ドから入るが、途中のアコ−スティック部分でクリスのマウスハ−プが挿入された(「House of Blues」収録のこの曲は、確かにこのアレンジで演奏されていた)他は、ほとんどスタジオ版通りの演奏。後半はスティ−ブによるスティ−ルギタ−のソロとリックのシンセが正確に絡み、スティ−ブの飛び去るようなフレ−ズで終了する。
続いてソロに移る。まずはスティ−ブのギタ−。最初の曲は、「Not Necessarily Acoustic」等彼のベスト的な選曲のアルバムにも収められていない、私も初めて聴く曲。ミディアムテンポのアルペジオ中心の曲で、余り緊張感はない。そして定番「The Clap」。これはイエスとは別に、「ASIA」のUKデビュ−や前述のABWHロンドン公演等のライブ、あるいは映像で過去に何度も接しているが、今回もさすが、という感じ。コンサ−ト前半がここで終了した。
約20分の休憩後は、ジョンのソロで再開。まずは「みんなで唄おうぜ」というアナウンスに続き、スティック・ギタ−の弾き語りで、日本語で「チュ−リップ」を唄ったのはご愛嬌。そして「最愛の妻ジェ−ンに捧げる」ということで、曲名不明のバラ−ドがスタ−ト。コ−ドだけの弾き語りの途中からリックが伴奏に入ると、突然曲の深みが増すのはさすがである。
ジョンは、実質1曲だけで、続けてリックのソロ。これも定番どおり「ヘンリ−八世の六人の妻」からの「Catherine Parr」で始まるが、直ぐに「Marlin The Magician」他のフレ−ズを繋ぎ合わせながら、歳を感じさせない早弾きの連続で盛り上げていく。この日はパイプオルガンの音を多用していたという印象である。
再び全員が揃い、「Heart Of The Sunrise」。これもライブの定番で映像版でもおなじみの作品である。30年前の東京公演では、展開部で挿入されるリックのシンセの音が出ず、ベ−ス音だけが空しく聴こえるというチョンボがあったが、この日はスム−ズに移行。スタジオ版通りの安定した演奏を聞かせた。
更に「Fragile」からの「Long Distance Runaround」及び「The Fish」が続けて演奏されるが、これは30年前の渋谷公会堂と続けて発表された3枚組ライブ「Yessongs」以来のライブ版(「The Fish」と名打ったクリスのソロは映像にもあるが)。スティ−ブが「The Fish」のイントロのハ−モニックスを弾き始めると、クリスがステ−ジ中心に移り、大袈裟に腕まくりの仕草をして、いかにも「これからやるぞ」とばかりに挑発する。ベ−ス・ソロはまずは「The Fish」の通常のフレ−ズから始まるが、クリスは1フレ−ズ終る度に見栄を切るサ−ビス振り。その後スティ−ブがステ−ジから消え、クリスとアランのデュオになると、次第にアップテンポになり、「Tormato」に収録されている「On The Silent Wings Of Freedom」のフレ−ジングが挿入され盛り上げていく。「Yessongs」時代よりも、ソロのフレ−ズが広がった、という印象であるが、スタジオや「Yessongs」とは異なり、最後のコ−ラスは入らずベ−ス/ドラムのデュオのまま終了した。
「Awaken」は、ジョン自身が「Yesyears」のインタビュ−でも、「僕がイエスに求めたものが全て詰っている最高傑作だ」と断言する、彼らの「マスタ−ピ−ス」である。レコ−ド片面20分を使う大作ということで言うと、「Close To The Edge」に始まり、「海洋地形学の物語」の4作品、「The Gates Of Delirium」を経て、この「Awaken」に至る、70年代末から80年代始めにかけての大作路線の頂点に位置する作品であり、この後は、一部の実験的作品(「Keys To Ascension1,2」のスタジオ録音に収録されている「That, That Is」と「Mind Drive」の2作は20分弱の作品であるが、彼らの作品の中での存在感はない)を除き、こうした作品は発表されていない。言わば、彼らにとっては、レコ−ド時代の片面20分という物理的制約下での試みの完成された作品として位置付けられ、その後の映像作品の中でも、私が持っているYES名義の3作品全てで取り上げられている。彼らにとっても思い入れの大きな作品であることは間違いない。リックのピアノ・ソロから、ジョンの飛翔するようなハイト−ンのボ−カルが入り、スティ−ブのギタ−と絡むメインへ。間奏の静寂はリックのフ−ガによる旋律が、スタジオ録音ではではスイスの教会で収録されたパイプオルガンの荘厳なリフに移行し、再びメインへ。そして再びジョンのハイト−ンボイスで静かに終息していくという展開は、映像で何度も見慣れているとは言え、この日も感動的であった。喝采の中、クリスがトリプル・ネックのベ−スを、リックの助けを得て、やっとのことで肩からはずしたのが、いかにも大作の演奏を無事完了したという雰囲気をかもしていた。
アンコ−ル1曲目は、「Owner Of A Lonely Heart」。言うまでもなく80年代末の復活をもたらしたT.Rabinの作品であり、彼のシャ−プなギタ−が要になる曲である。スティ−ブは、トレバ−風の演奏をしていたものの、やはりどうしても彼の色が出てしまうのはしょうがない。因みに、その後新聞に載った東京公演のレビュ−によると、この曲は東京では演奏されなかったとのこと。神奈川県民ホ−ルという、小ぶりの会場であるが故に、衒いなくサ−ビスしたということだろうか。
そして2曲目は定番「Roundabout」。スティ−ブについては、イントロ、エンディングのアコ−スティック・ギタ−への持ち替えはなく、全てセミアコ1本で演奏されたが、途中のリックとスティ−ブの掛け合いも含め、30年の歳月を全く忘れさせない演奏であった。
結局、この日は、まさにこのメンバ−が結集した第一期及び、P.Morazが脱退しリックが復活した第二期の作品を中心としたコンサ−トであったと言える。その意味では、T.Rabinが抜けた後で復活した「Keys To The Ascension」の再現という色彩が濃いライブであったが、その中で、やはり特筆すべきは、今までのライブ録音の実績がない「We Have Heaven」と「South Side Of The Sky」を含め、「Fragile」の主要曲中心に進行したことであった。「Yes Album」ではまだマイナ−なバンドであった彼らがブレイクしたのは、まさに今回のメンバ−が揃ったこの作品であり、その意味で、30年以上に渡るバンドの歴史の中でメンバ−は入れ替わってきたが、この「Fragile」こそ、自分たちの原点である、と言っているかのように感じられたのである。
同時に、リックのいでたちとも相俟って、この日の雰囲気は、まさに、今まで何度も触れてきた30年前の初来日公演とその後に流れた歳月を、否が応でも想起させるものであった。当時大学に入りたてであった私も、今や50歳という大台替わりを近々迎える年代になり、その間の自分の歩みに対し、いろいろな思いを抱かざるを得なくなっている。もちろん、自分の場合には、彼らのような豊富なアウトプットは残せていないものの、決してその間の歳月を悔いることはない、しかし、この過ぎ去った時間に対し、やはり一抹の寂寥感を抱いたことは否定することが出来なかったのである。
しかし、そうした思いも長く続いた訳ではなかった。コンサ−ト後の週末、彼らのアナログ・レコ−ドやDVDを聞きまくることになったが、特に、数十年振りにほぼ全編を通して聞くことになったのは、1974年のライブ3枚組の「Yessongs」であった。まさにこの日の作品を中心に収録された彼らにとっても初めてのライブ版であるが、そこでの演奏の荒削りな緊張感に接することによって、実は、この日の演奏が、ほとんど同じ展開をしていても、やはり緊張感というよりも、歳相応の円熟感を感じさせるものであったことに気が付いたのであった。それは、決してコンサ−ト当日に感じたような30年前の追体験ではなく、やはり今回の公演は、30年前と同じメンバ−が略同じ曲を演奏しているとはいえ、やはりそれは2003年のイエスなのだ。そう感じることで、コンサ−ト当日の感傷が、最終的には全て吹き飛んでしまったのであった。
2003年9月 記