アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第五部:シンガポール編 (2008−)
Musical - Phantom of the Opera
日付:2013年7月27日                                                                         会場:Sands Theatre 
 前回1月に「Jersey Boys」を見て以来久々のミュージカル。しかも演目は、今年初め日本で劇団四季版を見て、ややがっかりした、「オペラ座の怪人」。公演期間は7月16日から9月1日までの1ヶ月半ということで、4月のチケット発売開始後直ちに予約してから約3カ月待っていた公演である。その日朝から雨が降り続く、シンガポールとしては圧倒的に涼しい週末の土曜日夕刻、「Jersey Boys」と同じマリーナ・ベイ・サンズ劇場に出かけていった。

 このミュージカルが最初にロンドンで上演されたのは、私のそこでの滞在期間の後半の時期であった1986年。当時名声の絶頂にあったアンドリュー・ロイド・ウェ―バーの野心的大作ということで、全くチケットが取れず、諦めて見る機会のないまま帰国することになった。その後、彼の他の作品と同様、この作品もロングランとなったことから、90年代にフランクフルトに赴任した時期に、休暇で出かけたロンドンでようやくウィークディのチケットを調達し、ソーホーの劇場で見て感激した覚えがある。

 そんなことで、今年初めに日本に一時帰国した際、家族がチケットを調達していた劇団四季版のこのミュージカルは結構楽しみにしていた。ところが、冒頭に書いたとおり、この日本版はややがっかりするものであった。その理由は別に書いたが、まずは「怪人」と「クリスティン」の存在感が弱かったこと、そして何よりも日本語に翻訳した歌が、ストーリーを追いかける上では必要なのであろうが、この作品の歌曲が持っている本来の雰囲気を壊してしまったことが要因であったと思われる。その意味で、今回、当然ながら本来の英語歌詞で歌われる当地での公演についての期待感は高まっていった。しかし、他方で、ロンドン版や劇団四季版は、ロングランを前提とした舞台装置が整っていたが、僅か1ヶ月半の当地公演で充分なそれを準備できるのだろうか、という不安もあった。実際、前回見た「Jersey Boys」は、舞台装置は非常に簡単なものばかりで、それがやや物足りなくもあったのである。会場に到着し、席でそんなことを考えている内に、午後8時過ぎ会場が暗転し、公演が始まった。今回のチケットはS$165/一人。S$230/一人のVIP席に次ぐ、上から2番目のカテゴリーで、ステージに向かい右側の端、前から約20席程度の位置である。

 3回目にもなると、ほとんどストーリーを追いかける必要はない。冒頭のオークションの場面から、シャンデリアが上昇していくのに合わせ、あのパイプオルガンの聴きなれた序曲が壮大に演奏される。そして「ハンニバル」リハーサルで起こる最初の事件。そこで抜擢されたクリスティンが最初のソロである ”Think of Me” を披露するが、冒頭では緊張で音を外すが、直ちに通常の音程に戻るという演出。クリスティン役は、オリジナル・キャストであるサラ・ブライトマンを彷彿とさせるきれいなソプラノである。そこに幼馴染であることが分かったラウルが加わる。しかし、控え室にいるクリスティンを夕食に誘ったラウルがそこに戻る前に怪人が現われクリスティンをさらっていく。迷宮への道。ここで最初のテーマ曲が二人のデュオで、また続けてボートでの旅路での ”The Music of the Night” が怪人のソロで歌われる。怪人はがっしりした体格で、劇団四季版での俳優に比べて圧倒的な迫力がある。歌唱力については、もちろん申し分ない。

 この怪人役は Brad Little という俳優が映じているが、パンフレットの解説によると米国ブロードウェイ公演を含めて怪人役を2250回演じているそうである。2000回を越えてこの役を演じた俳優はまだ4人しかいないというので、その演技力・歌唱力は折り紙付である。その他エヴィータ、ジーザス・クライスト・スーパースター、レ・ミゼラブル等数多くのミュージカルで中心的な役割を演じている。また2006年の韓国ソウルでのソロ・コンサートがCDになっているということで、この日の会場でも売られていた。パンフレットでは彼の国籍には触れられていないが、別に見た彼のサイトの記事から想像すると米国人のようである。

 クリスティンを演じているのは Claire Lyon。オーストラリアでのミュージカルを中心に活動している経歴からするとオーストラリア人なのであろう。この公演に先立って、タイ、韓国、フィリピン公演でこのクリスティン役を演じてきたという。やはり劇団四季版の配役と比較すると目鼻立ちが派手で、存在感は十分である。彼女も最近ソロのデビューCDを出したということで、これも会場で販売されていた。

 怪人の敵役となる二枚目のラウルは Anthony Downing が演じている。ロンドンの音楽学校等にも在籍しているが、主とした活動は南アフリカが中心であるので、やはり出身はそこであろうと考えられる。今回の「オペラ座の怪人」の世界公演では、ケープタウン、ヨハネスブルグ、マニラ、ソウル、バンコクでこの役を演じて、今回続けてシンガポール公演に参加しているという。

 こうした3人を中心に舞台は進んでいく。心配していた舞台装置も、湖水のボートや怪人の地下室等を含め、なかなか見ごたえがあり、また「ハンニバル」での衣装など、全体的に劇団四季版のそれよりも一層派手なように感じる。怪人の地下室でクリスティーヌが仮面を剥ぎ取るところから、新たなオペラでのクリスティンを抜擢するという怪人の要求。監督たちがこれを拒否すると、バレーのリハーサル中に舞台裏で新たな首つり殺人事件が発生する。この辺りもストーリーが分かっているので、どのようにそうした展開に持っていくのか、というところに関心が集中するが、面白かったのは、怪人のメッセージを舞台にいる監督たちが読み上げると、それが次第に、姿を見せない怪人の声となり、それが会場を回転しながら響いていき、そして最後にまた舞台の俳優が引き取り読み終わる、という演出。私の席は、前記のとおりステージに向かって右側20列目くらいの場所で、すぐ横で回ってきた怪人の声が聴こえてきたが、そこには特段スピーカーが設置されているようには思えなかった。その後も何回かこの演出が繰り返されたが、この会場にはそんなインフラもあったのかと改めて認識することになった。

 舞台ではオペラ座の夜の屋上で、クリスティンとラウルが愛を確かめ合うが、そこで上空に降りてきた黄金の飾りに乗り込んだ怪人が一部始終を眺め、クリスティンの裏切りを非難する。これも何時ここから怪人が現われるかをドキドキしながら待つということになった。そして「自分の意向に逆らう時には、とんでもないことが起こる」という怪人の予言を受け、新たなオペラの舞台でのシャデリア落下で第一幕が終了する。8時20分であった。

 15分の休憩の後、8時40分から第二幕が始まる。冒頭歌われるのは “Masquerade” であるが、この大がかりな階段のセットといい、大人数の派手な衣装といい、期間限定公演とは思えない演出である。婚約したクリスティンとラウルが踊る中、いつ怪人がどこから現われるか、とわくわくしていると、階段の上から彼が楽譜を持って現われ、またもや彼のオペラをクリスティン主演で上演するように言い渡し、花火の爆発と共に消えていく。議論の末、ラウルたちは、このオペラを、クリスティンを囮に怪人を捕まえる機会に利用しようと計画する。不安を隠せないクリスティンが、夜に父の墓を訪れる場面でも、墓の上から怪人が現われる。そしてオペラの当日、厳重に警備を固める警察をあざ笑うかのように、神出鬼没の怪人の声が、会場を回っていく。オペラの終了後、彼は別の出演者を殺し、彼の衣装をまとってクリスティンに近づく。ラウルらが駆けつけるや否や、彼はまたもやクリスティーヌを拉致して、彼の迷宮へと連れ去るのである。追いかけてきたラウルは怪人の罠にはまり、首に縄を付けられ、クリスティンは、怪人を選ぶか、ラウルの死を選ぶかという選択を突きつけられる。クリスティンの選択。そして怪人はその選択を受け、ラウルを解放、そして鏡の椅子に座り、黒の布地を被る。ラウルを追いかけて怪人の迷宮に入った小さなバレーダンサーが椅子を覆った黒の布地を取り去ると仮面だけが残されているエンディングは、何度見ても感動的である。カーテンコールを終えて幕が降りたのは10時40分であった。繰り返しになるが、1月に見た劇団四季版と比較しても、圧倒的な印象で、1ヶ月半という限られた公演期間ではあるが、キャスト、舞台装置、演出のどれをとっても、こちらに来てから見たミュージカルの中でも最高の部類になる作品であった。観劇前に予習を兼ねて聴いていた、このオリジナル・キャストでのCDを、観劇後の週末もしばらくの間聴き続けることになったのであった。

 いつものように、当地の新聞でのレビューを要約しておこう。私が見に行く前日の「The Business Times」が、「最初の公演から27年振りに感じる怪人の冷気」と題するレビューを掲載している。

 そこではまず、「オペラ座の怪人のタイトル曲を知らない人はほとんどいないが、それにも関わらず、その序曲がひとたび演奏されると、人々は体の芯に冷気が走るのを感じるだろう」として、1986年にロンドン・ウエスト・エンドで始まったこの舞台が、これに関するどんなに多くの文章に接しても、また部分的なその音楽の公演に参加しても、実際のミュージカルを見るのとは比較にならないような魔術的な魅力を保っていることに触れている。そして、「荘厳な舞台セットや華麗な衣装、そして強力な和音と息を飲むようなメロディーの全てが人々を魅了し、劇場を一杯にし、そしてロングランを続けてきた。しかし、それら全てが観客を真に感動させるのは、それを実際に演じる人々の力量次第である。そして7月16日(火)の初日、彼らはそれを実現した」と、そのキャストを賞賛している。

 簡単に「怪人の支配、陰謀、そして嫉妬」という主題に触れた後、怪人を演じた Brad Little が、「その怒り、狂気そして哀愁」を見事に演じていたと評している。そして「クリスティンがなぜこんな社会的変質者に惹かれたのかについて疑問に思う観客は、”The Music of the Night”でのLittleの魅力、優しさ、希望を兼ね備えた眠るようなバリトンを聞くだけでそれを消し去ることができるだろう」としている。しかし、それ以上に最も印象的だったのは、怪人が必死に感情を抑えながら披露する歌で、「それは特に Little が心破れた心情を披露する”All I Ask Of You (Reprise)”で披露されていた」としている。

 また「Claire Lyon は、繊細で才能に溢れたクリスティンを巧みに演じていた。重要な歌であるThink of Meで、神経質なコーラスガールが自信に満ちたリードシンガーに変わっていく姿は鳥肌が立ってもおかしくないものであった。」しかし、「彼女の美しいソプラノ・ボイスや巧みな演技にも関わらず、Anthony Downing が演じたラウルとのデュエットによる"All I Ask With You"はやや迫力に欠けていた」として「技術的には全く問題はなかったが、燃え上がる気持ちを歌い上げるには至らなかった」。

 「しかし、それは全体の中ではほんの小さな一部で、この世界的に有名なミュージカルに対する大きな期待を裏切るようなものは、ほとんどなかった。コーラスのメンバーでさえ素晴らしかった。一部の俳優のアクセントが、喜劇的な安らぎをもたせるにはやや行き過ぎたところもあったが、このミュージカルがあまりに有名であることから、一つ二つ聞き逃してもストーリーを追うのに全く問題がないのは幸運であった。」

 そして「このミュージカルが偉大であるのは、これだけの月日が経っても全く古さを感じさせないことである。誰もがそのストーリーを愛し、怪人の暗いが悲哀に満ちた姿は観客の心を打つ。その点で、”Masquerade”の場面での骸骨の衣装やプーケットへの言及といった、現代化やローカル化の試みは場違いなものと思われる。」としているが、この骸骨衣装は、昔からあったような気がしなくもない。またプーケットについて言及されたのは、私は全く気がつかなかった。

 最後に「おそらく、このミュージカルはオリジナルのままで演じられるのがベストである。結局のところ、これは長い年月にわたり古典であることが証明されているのだから。そしてこの日の多岐にわたる年代の観客から見て、そこには常に『オペラ座の怪人』という特別な場所があり、それは単に古いオペラハウスに留まらない、世界にここだけの場所になっているのである」と結んでいる。

 このレビューは、私は上記の自分の印象を書いた後に読んだのであるが、確かに主役の二人は素晴らしかったし、またラウルとのデュエット曲も、私にはそれなりに印象的に聴こえた。私の20年前の記憶は、もはや定かではないが、少なくとも劇団四季版との比較で、これが素晴らしかったのは何度も繰り返しているとおりである。移動公演で、これほどまでの感動を与えられるのは、やはりオリジナルの魅力と、この作品に長く関ってきた多くの優れた俳優たちの功績であろう。

2013年7月28日 記