アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第五部:シンガポール編 (2008−2020年)
Metallica  Live in Singapore (写真付)
日付:2013年8月24日                                                                            会場:Changi Exhibition Centre 
 涼しい気候が続く今年の8月の週末土曜日の夜、米国のメタル・バンド、メタリカのシンガポールでのコンサートが開催された。前回は、1993年2月であったということなので、この地では20年振り2回目のコンサートということになる。

 メタリカは、1981年、ジェイムズ・ヘットフィールド(ボーカル・ギター)とラーズ・ウルリッヒ(ドラム)らによりロスアンジェルスで結成されたバンドで、現在のメンバーは彼ら二人に加え、1983年参加のカーク・ハメット(ギター)と2003年参加のロバート・トルゥージロ(ベース)の4人。30年を越える活動過程で、メンバーの解雇・脱退や、ツアー中のメンバーの乗った車の交通事故でのベーシストの死など、いろいろな事件があったようであるが、バンドは核になる3人により維持されてきた。年齢的には、オリジナル・メンバーのジェイムズとラーズが1963年生まれ、カークが1962年生まれであるので、略50台に足を乗せた、あるいは乗せようとしているところである。

 そのメタリカと私の関係であるが、彼らが「Kill’em All」でメジャーデビューした1983年7月は、私のロンドン滞在の初期であり、米国の、特にメタル系のロックの音源にはあまり接することがなかった時期である。ただその後、彼らはメタル・バンドとして次第に成功し、1996年には6枚目のアルバム「Load」が全英・全米で1位になったという話題もあり、ドイツから日本に帰国した時期に、この作品をレンタルで借りて聴いたのが、このバンドとの最初にして唯一の接点であった。しかしその時の印象も、確かにこの手のバンドとしてはメロディーラインがしっかりしているという印象をもったものの、それ以外の作品に入っていこうという気持ちになるものではなかった。今回、このコンサートの予習用にベスト・アルバムがないかと探したが、それは見つからず、日本帰国時にレンタルで見つけたオーケストラと競演した2枚組みアルバムだけを急遽事前に何度か聴きこんだが、正直あまり頭には残らなかった。

 こうしてデビューから30年、彼らは生き延び、今回ここシンガポールでの2回目の公演となった。彼らは、これに先立つ8月10日、日本でのロック・フェスティバルである「サマーソニック」で、1日目のトリをつとめており、その公演も日本の新聞評によるとそこそこ好評であった。

 当日の会場は、Changi Exhibition Centre。初めていく場所であるが、そもそもここでロック・コンサートが開催されるのは初めてということである。地図で調べると、チャンギ空港に隣接するオープン・スペースで、公共交通機関はなく、地下鉄のExpo駅からのシャトル・バスでの往復になるようである。当日、同行した友人と軽く夕食を済ませた後、Expo駅で下車すると、すぐに、それらしき集団が並んでいる長い列があり、我々もそれに加わったのであるが、それはタクシー待ちの列であった。近所でシャトル・バス乗り場がないか探してみたが発見できず、結局タクシーでS$20程度をかけて移動することになった。但し、行きはまだ三々五々での集まりであるので、タクシーの待ち時間も20分程度で済んだが、帰りの交通手段については不安を残すことになった。早めに動いたものの、結局会場へは開演の8時半直前に到着。駐車場に入る自家用車組が延々と列を成しているのを眺めながら、彼らは開演に間に合うのだろうか等と話していた。

 Expo会場といっても、入口はだだっ広い倉庫といった感じの建物である。その建物内でチケット・チェックを受け、そこから前列と後列の二つに分かれて進むことになる。この日のコンサートは全席立ち見で、我々のチケットはS$151のBスペース(後列)であるが、これは前列ではおそらく体力的にとてももたないだろうと考えたからでもある。しかし、この倉庫は単に通路に過ぎず、実際の会場はその倉庫に隣接したオープン・スペースで、そこにステージがセットされ、既に相当数の観衆が集結している。ここの入り口横の売店でビールとペットボトルの水を買い、オープンエアーの適当な場所に落ち着くことにした。

(会場入口)



 乾燥して、時折涼しい風が流れていく、当地でのオープンエアーのコンサートとしては絶好の日和である。但し、前回当地で参加したオープンエアーのコンサートであったWhitesnakeの時と比べると、圧倒的に観客数が多く、ステージも遥か彼方である。

 8時40分、ステージが照明で照らされると、バンドの4人が登場し、コンサートが始まった。後に新聞記事で前座がいたことが分かったのであるが、それとの比較はできないものの、PAはまずまず。まずは、アップテンポのストレートなロックでの開演である。その後も、曲名については、同時代ではこのバンドを聴いてこなかったこともあり、事前の予習にも関わらず、時々聴いたことのあるフレーズが出てくる以外は、ほとんど特定はできなかった。ボーカルは、ほとんどオリジナル・メンバーの一人であるジェイムズが担当し、コーラスはほんの一部を除いてなし。リード・ギターのカークは、さすがにこの世界で生き残ってきただけあり、指の滑らかな動きを含めて力強いが、他方で、これは、という独自のフレージングは印象に残らなかった。時折ジェイムズがリードを取ったり、ユニゾンを聴かせたりもしている。もう一人のオリジナル・メンバーであるラーズは、「ドラムは体力」というとおり、50台に迫った年齢にも関わらず、最後まで正確なビートを叩き続けた。最も新しいメンバーであるベースのロバートは、一曲だけソロを聞かせたが、アルペジオ奏法中心の無難なものであった。

(ジェイムズ)





(カーク)



(ジェイムズとカーク)



(ラーズ)



 この日、唯一私が認知できたのは1991年の「ブラック・アルバム」からの「Enter Sandman」。その他は、例えばギターのアルペジオで始まり、次第にアップテンポになっていく展開の曲は、もしや認知している曲か、と思うと違っていたりしていた。こうして曲名が特定できないことから、この日のコンサートは、私にとっては必ずしも充分に乗り切れないものであったが、周りの聴衆は時々コーラスに便乗するなど、充分聴きこんでいる様子であった。

 10時半を過ぎてから、何度かのアンコールを繰り返し、コンサートが終わったのは略11時。メンバーの4人は、その後しばらくステージに残り、ピックやタオルを観客席に投げ込んだり、シンガポールの旗を広げたりしていたが、我々は、帰りの心配もあることから、早々に出口に向かう。しかし、たいへんな人である。取り敢えず目に付いたタクシー表示のある列に並ぶことになったものの、何時になったら前列にたどり着けるのか、全く見当はつかない。列はゆっくり進むが、それでも先はまだまだである。そうこうしている内に、時間は零時を過ぎ、そして午前1時を過ぎる。コンサートからずっと立ち続けていることから、足の疲労もだんだん厳しくなる。そして、まだ先に100人は残っているような状況で、ついにその列が全く動かなくなった。先頭を見てみると、人々が通路に腰を下ろしている。時々来ていたタクシーも、もうこの時間になると、ほとんど来なくなっている様子である。これはまずい、ということで動いてみると、別の出口からシャトル・バスが出ているのが分かった。タクシーよりまだましと考えこちらに移動、そして最終的にそのシャトル・バスに乗れたのは1時半過ぎであった。コンサートが始まってから約5時間、立ち続けていたことになる。その後20分ほどで、バスはExpo駅と思われる場所に到着。地下鉄は既に終電を終えているので、これからまた一苦労か、と思っていると、シャトルを降りた人々が、傍で停止している「NR7」という番号のバスに乗り込んでいる。とにかく街中のどこかまで行ければ、タクシーもあるだろうとそれに乗り込むと、幸いなことに、その路線は私の自宅のあるオーチャード地域に行くということであった。ようやく安心し、一席だけ空いていた席に腰を下ろし、30分ほど走った午前2時40分、見慣れた近所のバス停に到着、そして午前3時少し前に家にたどり着いたのであった。

(タクシー待ちの長蛇の列)



 いつものとおり、早速週明け月曜日の新聞に「メタリカはロック・ファンを喜ばせたーバンドの観客は、ギグを通して歌い、ヘッド・バンギングを続けた」と題された評が掲載された。それを以下に要約しておこう。

(The Strait Times ― 2013年8月25日)

この日のコンサートには、約4万人が、まだ試されたことのない会場に集まった。この会場は、通常はシンガポール航空ショウなどの大規模イベントに使用される会場で、その意味でここがロック・コンサートの会場になるというのは画期的なことであった。しかしそこに設営されたステージには特段変わった照明や演出も、またロック・コンサートでよく見られる壁のように並んだアンプも置かれていなかった。確かに、広い二段になったステージは、このたいへんなセールス実績のあるバンドとしてはそれで充分だったのだろうが、ステージ後方と両脇に設置された巨大なLEDスクリーンを除けば全く単調なセッティングであった。

 しかし、聴衆が求めていたのは、そしてメタリカがその2時間半のギグで披露したのは、バンドが32年前に結成されて以来演奏してきたスラッシュ・メタルの代表曲であった。フロントマンのジェイムズは、クイーンのフレディ・マーキュリーのような派手なカリスマでも、ストーンズのミック・ジャガーのような自信家でもないが、その力強いボーカルとジャンルを超えたリスム・ギターのリフで、バンドの中心となっていた。

 彼と共にバンドのオリジナル・メンバーであるラーズは、単に背後でビートを刻んでいるだけの役割に留まらないフロントマンとしての存在感を示していた。リード・ギターのカークは、メタルの最も名の知れたギタリストとしての本領を発揮し、ギターを持ち替えながら早弾きで盛り上がるソロを披露した。そして最も新しいメンバーのロバートは過去の彼らの10枚のアルバムでは参加していないただ一人のメンバーであるが、蟹歩きやヘリコプター回転といったファンシーな動きでステージを盛り上げていた。

 明らかにバンドのファンはこの20年で急増している。20年前に、彼らがインドア・スタジアムで演奏した際の聴衆は、この日の4分の1程度であった。この日の演奏曲は、ほとんどが彼らの代表作である1986年の「Master Of Puppet」を含む1980年代に発表された初期の4枚のアルバムからの作品であった。

コンサート前のプレス・インタビューで、彼らは、世界中のファンは4人のメンバーと同様バンドの一部だ、と述べていたが、この日のコンサートもファンの声に耳を傾けた結果であったといえる。複雑で攻撃的、重層的な「Battery」、「And Justice For All」、「Ride The Lightning」は、正確さと怒りが同等に表現され、「Fade To Black」「Nothing Else Matters」といったパワー・バラードは、バンドの音楽的ダイナミズムを感じさせた。

 2008年の「Death Magnetic」などの最近の作品からの選曲は少なく、また、構想自体失敗であり世界的に評判の悪かった、2011年のルーリードとの競作である「Lulu」からの選曲はなかった。最初と最後は、彼らの1983年のデビューアルバムである「Kill ‘Em All」で挟まれ、オープニングは「Hit The Lights」、アンコールは「Seek & Destroy」を含めた3曲であった。

 ファンたちは、多くがバンドのシンボル・カラーである黒のシャツをまとい、コンサートを通して歌い続け、また激しい曲ではバンギングで答えていた。

 この日の前座では、6時から30分、ローカルバンドの「The Sacrilege」が、そして続けてベテランのカナダのメタル・バンドであるAnvil―彼らは、最近2008年に発表したバンドの盛衰を追ったドキュメンタリーで、再び注目を浴びることになったーが演奏した。このバンドのフロントマンであるSteve “Lips” Kudlowは、「Metal On Metal」といった曲を聴かせた。

 しかし、この日の会場からの脱出は悪夢であった。タクシーと、ExpoあるいはChangiの地下鉄駅に向かうシャトル・バス待ちの列は延々と続き、自家用車で来た人々は、駐車場から出るだけで大渋滞にはまることになった。会場であるChangi Exhibition Centreは、その広大なスペースと秩序だった入場・退場管理で、巨大なロック・コンサートの会場としては素晴らしい場所であっただけに、この移動の問題だけが残念であった。

 尚、週末の金曜日(8/30)には、経済紙であるThe Business Timesにも評が掲載されたが、こちらはその直後に行われたG.Bensonのコンサートと併せた簡単な記事である。この記事については、当日の演奏曲について、「Master of Puppet」、「Creeping Death」、「Battery」、「Nothing Else Matters」、「Enter Sandman」の5曲に加え、1983年のデビューアルバムからの「Hit The Lights」、「Seek & Destroy」を紹介していることだけ記しておく。

 こうして、コンサート後の週末は、この帰宅の疲労もあり、この日のライブを振り返ろうという気持ちにならなかった。しかし、その後、上記の新聞評を読んだ後、ユーチューブに溢れている、日本でのサマーソニックを含めたこのバンドの最近のライブ映像の幾つかを眺めてみると、このバンドは、メタル・バンドではあるものの、非常に安定しているバンドであることが分かってきた。即ち、ジェイムズのボーカルは力強く、時々不気味な笑い声なども交えるが、他方で不要なシャウト等はなく、淡々と歌い続けていく。カークのギターも荒々しい早弾きであるが、実は非常に緻密であり、アドリブはほとんどないのではないかと思われるくらい整然としている。そしてラーズのドラムも、同様に遊びはほとんどなく、計算されたとおりにリズムを刻んでいる。その結果、サイトのライブ映像は、ほとんど当日のライブと瓜二つとなる。それらにより、私はこの日のライブをまさに追体験できたのである。

 もちろん、ベテランのバンドであればある程、演奏の「再現性」は高まるのであるが、メタル系のバンドで、これだけ「安定」している、というのにはたいへんびっくりしたのである。そしておそらくは、そうした安定性が、メタル・バンドとしてのメタリカを生き残らせてきた最大の理由だったのではないだろうか。ステージの最後でシンガポールの国旗を掲げるといったサービス精神も含め、実はメタルのイメージとは別に、彼らは人間的には実はたいへんな優良児なのではないかとも感じてしまったのであった。

2013年8月31日 記