アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第五部:シンガポール編 (2008−)
Musical – Les Miserables
日付:2016年7月20日                                       会場:Esplanede Theatre 
 2013年11月にStarlight Expressを観て以来、久し振りのミュージカルである。5月にこの公演が始まってから行く機会を探していたが、なかなか同行者もない中、公演自体も忘れかけていた。ところが、引越し後の新居の状態を見ることも含めて、突然妻が来ることになり、そのタイミングで、終演まであと僅か、というネットの広告が入ってきた。妻の到着日だけ、夜の予定を入れていなかったこともあり、その日のチケットを調べたところ、僅かではあるがまだ残っていることが分かり予約を入れた。終演まであと4日に迫った水曜日夜、到着直後の妻と共に出かけていったのである。ここのところミュージカルは、ほとんどMBSのサンズ・シアターで観ていたことから、この日の会場もそこだと思い込み、その近くで夕食を食べて劇場に行ったところ、この日の会場はEsplanede Theatreであることに気がつき、慌ててタクシーでそちらに移動したのはご愛嬌。それでも開演の15分前には、席に着いたのだった。さすがに直前の予約であるので、S$172/一人のチケットであるが、3階席中央で、ステージはかなり遠いのはやむを得ない。

 Starlight Expressと同様、このミュージカル版を見るのは80年代のロンドン以来、およそ30年振りである。しかし、この映画版は、2013年1月に、日本への帰国時に観て、その際調達したサウンドトラックのCDもこちらに持ってきている(さすがに、オリジナルのアナログ版もロンドンで聴いていたが、それは現在、日本の自宅の倉庫の中である)。そんなことで、チケットを購入してから、そのCDを何度か聴き直し、この日に備えた。

 30年前のロンドン公演は、確か当時アンドリュー・ロイズ・ウエーバーが劇場自体を買収したことで話題となっていた、ソーホーのShaftesbury Theatreで観た記憶が残っているが、彼が買収した劇場での最初の公演が、彼の作品ではないということも、奇妙に感じたものである。サイトで確認すると、このミュージカルがロンドンで上演されたのが1985年10月ということなので、私が見たのは、それから1988年1月の帰国までの間、ということになる。その他のミュージカルと同様、このミュージカルも、ロングランが期待されていたことから、そのステージ装置が素晴らしかったことを今でも覚えている。特に、Act1からAct2にかけての市街戦のバリケードが、とても劇場のセットとは思えないような派手なものであった。

 当日のパンフレットでの、プロデューサー、Cameron Mackintoshのコメントによると、彼がオリジナル版をシンガポールで上演したのは1994年であるが、当時は、この規模の公演を行えるのはカラン劇場だけで、それも十分なものでなく、今回の会場となるエスプラネードの建設を推奨したということである。今回の演出は、この作品の25周年(というので、2010年だろう)に彼が改定したバージョンということで、演じているのは、メルボルン、ブリスベーンで上演されていた英国人とオーストラリア人中心のメンバーで、シンガポール公演終了後は、ドバイに向かうとのことである。

 8時丁度にホールが暗転し、囚人キャンプでの労働からジャンバルジャンが解放される場面(1815年)からミュージカルが始まる。席からの距離と、薄暗い照明の演出でもあることから、俳優の表情はあまり良く見えないが、何度も見ている公演なので、ストーリーは頭に入っている。教会の銀器を盗み逮捕されたジャンバルジャンを、司祭が「私があげた物だ」と弁明し、彼は改宗、そして7年後、縫製工場の経営者で、町の市長になっている。その工場での薄幸の女フォンティーヌの物語。映画では、アン・ハザウェイが演じていたが、この日はやや豊満な女優が演じており、有名な「I Dreamed A Dream」が披露されるが、貧困の中売春婦に身を落とし、客とのトラブルが原因で死んでいく女の割には、やや栄養が行き届きすぎていると感じたのは私だけであろうか?もちろん歌唱力は申し分なかったのであるが・・。フォンティーヌの娘コゼットが奉公に出されているテナディエールの酒場。コゼットをいたぶる夫妻は、劇中では重要なトリックスターである。彼らの実の娘エポニーヌと共に、二人の子役が登場するが、歌を披露するのはコゼットだけ(Castle on a Clouds)。フォンティーヌの死に自分の責任を感じているジャンバルジャンは、夫妻に大枚を払い、コゼットを引き取るのである。

 偽名を使っているジャンバルジャンを追いかけるジャベール警部。彼の歌う「Stars」も、劇中では印象的な楽曲である。そして1932年、街では、下層民に同情的なレマルク将軍の解任をきっかけに、学生たちが反政府的な活動を始めている。エポニーヌは、その学生の一人マリウスに惹かれているが、彼は町で出会ったコゼットに夢中になる。エポニーヌは、自分の気持ちを押し隠し、マリウスにコゼットを会わせる。街では学生たちが「One Day More」を歌い、第一幕が終了する。時間は9時半、丁度1時間半の第一幕であった。

 30分の休憩を挟み、10時に第二幕が始まる。まずは、街頭バリケードに集結する学生たち。マリウスと共にエポニーヌもそこに集まっている。マリウスのコゼットへの気持ちを知りながら悩むエポニーヌが歌う「On My Own」は、この作品の中での最大の名曲であり、何度聴いても感動的である。そしてバリケードを巡る戦闘が始まり、エポニーヌは、その最初の犠牲者となり、マリウスの腕の中で息絶える。一方警察のスパイとしてバリケードに潜り込んだジャベールは、その正体を学生たちに見破られ拘束されるが、ジャンバルジャンの機転で解放され、そして戦闘が始まる。

 戦闘場面は、このミュージカルの演出力の見せ所であるが、この日は、ライトの点滅で炸裂する砲弾や銃弾を示しながら、学生たちが次々に倒れていく。舞台であるので、派手な転落などは出来ないが、倒れるところは暗転し、次に明るくなる場面で、バリケードの中で倒れている彼らが浮かび上がるということになる。そして瀕死のマリウスを助けるジャンバルジャン。マリウスを抱えながら、有名なパリの地下水道を逃げるジャンバルジャンを、背後のスクリーンに映し出された下水道の映像が動くことで、あたかもジャンバルジャンが歩みを続けているように錯覚させる演出である。この場面が、オリジナルでどのように演出されていたかは記憶にないが、おそらく映像技術の進歩による新しいものだと思われる。

 マリウスと共に逃げるジャンバルジャンの前に立ちはだかるジャベール。しかし、ジャンバルジャンは、瀕死の青年を助けてから逮捕して欲しいと嘆願し、ジャベールは受け入れる。ジャンバルジャンを逃したジャバールは正義と温情の狭間に苦悩し、セーヌの橋から飛び降り果てるが、ここで彼が歌う「Soliloquy」もこのミュージカルで聴かせる曲の一つである(因みに、映画サントラCDでは、この曲は「Javert’s Suicide」とクレジットされている)。また彼の飛び降りる演出も、背後の映像が動き、彼が落下していく様子を表現するが、河に落ちる効果音は使われなかった。

 コゼットの看病で回復したマリウスのもとをテナディエール夫妻が訪れ、ジャンバルジャンとコゼットの正体を暴き脅すが、逆にマリウスは自分を助けたのがジャンバルジャンであったことを知る。そしてコゼットとの結婚式と、ジャンバルジャンの告白と死で、このミュージカルが終わるのである。

 この日の俳優たちについて、ブローチャーからピックアップしておこう。まずジャンバルジャン役はSimon Gleeson。ネットによると、オーストラリア、ニューサウスウエールズ生まれの、現在39歳。豪州のみならず、英国ウエスト・エンドでも活躍し、例えば「Mamma Mia」等のミュージカルや、英国の人気TVドラマである「EastEnders」にも出演したという。2015年に「Elements」というソロ・デビューCDを発表している。

 ジャベール役のEarl Carpenter(46歳)は、英国出身で、ウエスト・エンド中心に活躍してきた。「Phantom of the Opera」の25周年記念版では、「Phantom」を演じている、ということである。

 フォンティーヌを演じるのは、Patrice Tipoki。豪州出身で、ライオン・キング、美女と野獣、Wicked等数々のミュージカルに出演し、ソロCDも出している。エポニーヌ役のKerrie Anne Greenlndと、コゼット役のEmily Langridgeは、双方豪州出身。Kerrieは、今回の「レ・ミゼラブル」が、初めての本格的なミュージカルのデビューということである。そしてマリウスは英国人。その他テナディエール夫妻は、Cameron BlakelyとHelen Walshというベテラン風の俳優たちであるが、夫々英国人と豪州人のようである。こうしてみると、やはり今回の劇団は豪州人中心で、それに若干の英国ウエスト・エンド陣が参加しているという感じである。

 音楽に関して映画版CDと比較してみると、やはりCDの容量のためであろう、劇場版の方が、歌の数は多い。中には上記のようにタイトルが異なる曲もあり、映画版は、劇場版をベースに編集したと思われ、その意味では劇場版が本家である。そして、席の位置故に、俳優の表情は捉えられなかったが、この生身の歌唱は迫力十分だった。そして何よりも、他のミュージカルに比較して、この作品は文芸作品をベースにしているだけに、物語の展開が感動的である。オリジナル・キャストではない俳優たちにより演じられている作品ではあるが、本家ロンドンで見る舞台と遜色ないのではないかと感じさせられたのであった。

2016年8月6日 記