アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第五部:シンガポール編 (2008−)
Musical - Evita
日付:2018年2月25日                                                      会場:Master Card Theatre 
 2016年7月に「Les Miserables」を見て以来の久し振りのミュージカル。そしてこの演目としては、1983年6月にロンドンで見て以来、何と35年振りである。

 当時の模様は、別掲の「ロンドン音楽通信」記載のとおりであるが、これは私がロンドンに赴任して、現地でのコンサート等の報告を始めた最初の時期に、友人の主催する同人誌に寄稿したものであった。当時、このミュージカルは、1978年に初演された後、既に4年目に入っていたが、折しも英国は南大西洋に浮かぶフォ−クランド諸島の領有をめぐる問題からアルゼンチンと交戦状態にあり、ちょうど私がこの公演を見たのは、首都であるポ−ト・スタンレイを英国が制圧し、事実上戦争が終結した直後であった。こうした状況において果して、このアルゼンチンの精神的指導者を描いたミュ−ジカルがいったいいかなる反応で英国人の観客に迎えられているのだろうか、というのが、劇場に足を運ぶ前の私の最大の関心であったが、実際に会場に入っても、あるいは舞台が始まっても、そうした戦争の影は微塵たりともこのミュ−ジカルの上に落ちていなかったことに、ある種、英国の「懐の大きさ」を感じたことは、今だに鮮明に覚えている。また当時は、この作品の作曲者Andrew Lloyd Webberと作詞者Tim Riceについてはほとんど知識がなかったが、その後、特にAndrew Lloyd WebberがCats やStarlight Express、The Phantom of the Operaの大成功を受け、英国ミュージカル界の大御所となっていったことは言うまでもない。

 その後、90年代に、米国でこのミュージカルが映画化された際に、主演にマドンナが起用されることになった。マドンナの品格が「エヴァ・ペロン」とはかけ離れている、という批判が当時話題になったが、それでもこのマドンナ版「エヴィータ」のサウンドトラックはCDにもなり、私もこれをこちらで購入し保有している。今回の公演に際し、このCDを聴きこむと共に、同時にAndrew Lloyd Webber作のThe Phantom of the OperaやCatsなど保有している映像を眺めた上で、週末の夕刻、会場のMBSに向かった。

 今回の公演は、2月23日(金)から3月18日(日)までの、約3週間。シンガポールとしては清々しい気候となった日曜日の夕刻、定例のテニスを一時間で切り上げ、軽い夕食をとって、会場であるMBSのMaster Card Theatreに向かった。今回の料金設定は、S$185/155/125/95/75/55の5種類であるが、私の席は2階Dress CircleのS$125、ステージに向かい中央。アリーナとは比べるまでもないが、まずまずの位置である。定刻6時過ぎに会場が暗転して幕が上がる。

 物語については35年前の評に書いたとおり、貧しい私生児として生まれたEva Duarteが、27才でアルゼンチン大統領ペロンの二人目の夫人となるが、33才でガンのために他界するという現代のシンデレラとその夭折の物語である。ストーリーに関しては、ほぼ35年前のものがそのまま使えるので、まずここでもそれを短縮して再録しておく。

 舞台は二幕に分かれている。第一幕の緞帳が引き上げられると、まず若いアルゼンチン学生「Che」−彼は明らかにゲバラを想起させる容貌をしている−が登場し、エヴァの葬送のシ−ンから始まる。チェの独唱が終わると舞台は暗転し、1934年、エヴァの故郷の田舎町のナイト・クラブヘと移る。そこで15才の彼女は一人の歌手マガルディと出会い、彼と共にブェノス・アイレスに向かう。エヴァが街へ出ることの期待と不安を込めた「Buenos Aires」を歌うと、マガルディは、「Eva beware of the City」と歌い返す。

 以後物語りは、ブェノス・アイレスに出た彼女がモデルから女優へと成功の道を歩み、アルゼンチン地震の披害者を救援するチャリティ−コンサ−トでペロンと出会うまでを歌と踊りでつづっていく。彼女は、寝室からペロンの若い愛人を追い出し、ペロンの生活の中へ入ってゆくが、それは軍隊と貴族性という生涯彼女の敵でありつづけた勢力の怒りを買うことになる。しかし将来のアルゼンチンを指導してゆくには、労働者を味方に引き入れていくしかない。こう判断したのはペロンではなく、むしろ極貧に生まれたエヴァの方だったのだ。こうして労働者にペロンとエヴァは支持され、「A New Argentina」の大合唱が歌われる中、第一幕が終了する。

 エヴァの野望は達成された。第二幕はペロンの大統領就任のシ−ンで開始される。大統領官邸での大衆の歓声をあぴてのペロンの演説に続き、正装したエヴァが登場、聴衆に答える。ここで歌われるのが、このミュ−ジカルのテ−マ・ソングとも言うべき「Don’t Cry For Me Argentina」だ。しかし他方で聴衆に混じったチェは、ペロン政権の許でも未だにアルゼンチンには多くの暴力と悲惨が存在することを指摘する。そうした批判に答えるため、エヴァは貧民救済のためのペロン基金を創設。それは、その基金の恩恵を受けた者たちから支持され彼女を神にまで祭りあげるが、国の政治・経済には何ら寄与するところはなかった。いまやチェは彼女に矢望し、彼女にペロン政権の腐敗を申し述べる。「Waltz For Eva And Che」が歌われる中、エヴァの結論はこうだった。「悪はいつの世にも存在する」。彼女は自分の病気に気がついていたのだった。

 反エヴァ感情は今や軍隊の中に主として広がっていた。悪化する政治状況と自分の健康から、彼女は副大統領に就任することを断念する。そして感動的な「Eva’s Final Broadcasting」を消え入るような声で歌いつつ、彼女は息絶えるのであった。

 35年前のロンドンでの演出の細部は、さすがに記憶が薄れているので、この日の演出と比較するのは難しい。ただ、長い年月に渡りひとつの劇場で続いたロンドン公演に比較して、この地での短期公演の舞台装置が簡単なものになるのはやむを得ないだろう。しかしロンドン公演でも使われていた、後方スクリーンに写し出される実物のペロン、エヴァのフィルムは、そうした短期公演でも十分な効果を発揮した。特に、やはり実物のエヴァの映像は、このヒロインの当時の国民的人気を十分に伝えている。

 そして実際の俳優たちの歌と踊り。今回の公演でエヴァ役を演じたのは、Emma Kingstonという英国人女優である。彼女の経歴等については、翌2月26日の当地新聞にインタビュー記事が掲載された(末尾参照)ので、そこでも触れるが、さすがに歌唱力は申し分なく、メイン・テーマである「Don’t Cry For Me Argentina」は感動的であり、また病魔に冒されていく中、細々と搾り出すように歌う「You Must Love Me」も、場内の同情を引くに足る演技であった。チェを演じるのはJonathan Roxmouthという俳優であるが、プログラムからは出身地は明確ではない。ペロンとエヴァをブェノス・アイレスに連れ出すマガルディ、そしてエヴァに追い出され、切なく「Another Suitcase in Another Hall」を独唱する愛人役は、南アフリカ出身のようである。今まで当地で見たこうしたミュージカルは、オフ・ブロードウェイか、豪州の劇団が主流であったが、こうした布陣を見ると、今回の俳優たちはロンドンで活躍している人々が中心のようである。

 その他、演出で特記されるのは、ペロンが権力を獲得していく過程を椅子取りゲームでコミカルに表現した部分や、軍隊との対峙を示すのに、軍服を着た9人の隊列での一糸乱れぬ行進を使いややコミカルに表現した部分など。また愛人を追い出した後の寝室のベッドに二人で倒れこんだり、また情事の後と思わせるベッドの上でのデュエットなど、小さい子連れで来ていた家族にとっては、やや刺激的ではないかと思える演出もあった。しかし、結局ミュージカルの真骨頂は、その歌曲にあり、第一部の「A New Argentina」で終わる12曲、第二部の「Don’t Cry For Me Argentina」、「You Must Love Me」を含む13曲につき、ラテン・アメリカ風のサンバやワルツから、アップテンポのロック調や正統的なバラードまで、かくも印象的な作品を生み出したAndrew Lloyd Webberの力を改めて痛感することになったのである。やはり彼は「現代のモーツアルト」と呼ばれるに相応しい天才である。

 前述のとおり、2月26日の当地新聞(The Straits Times)に主演のEmma Kingston(以下「エマ」)のインタビュー記事が掲載された。インタビュー部分は省略して、彼女の紹介部分を以下に簡単に紹介しておく。

 「エヴィータに涙するー主演女優のエマは、エヴァ・ペロンが死の淵に立ち、副大統領となる夢を捨てざるを得ないというミュージカルの最後の場面に心を痛めた」と題された記事で、エマの母親は、エマが12歳の時にアルゼンチンから英国に、両親と3人の子供で移住したことを明かしている。エヴァ・ペロンは、1946年から1952年まで大統領夫人であったが、エマは、彼女の祖父から、クリスマスの時期に、エヴァによりアルゼンチン市民に配布された無償の宝籤とアイスクリームを受取りに郵便局に行った話を聞いたという。27歳のこの女優は、その無口だった祖父が、エヴァの話になると彼女の素晴らしさを語っていたと語る。

 このミュージカルは、そのエヴァが、父なし子から、軍の指導者であるJuan Peronと結婚し大統領夫人となり、南米で最も影響力ある女性に上り詰める過程を描いている。このミュージカルの舞台は1934年から1952年までのアルゼンチンの首都ブェノス・アイレスであるが、オリジナルの(ロンドン)ウエストエンドと(ニューヨーク)ブロードウェイ版は20個以上の主要な賞を受けている。作詞がTim Rice、作曲がAndrew Lloyd Webber。今回のシンガポール公演は、世界ツアーの一環で、ブロードウェイの伝説的演出家Hal Princeが監督を務めている。

 今回主演のエマがこの初めてこのミュージカルを見たのは2006年で、直ちに魅了された。彼女が言うには、「今までこれを見なかったことが信じられなかった。音楽もストーリーも素晴らしかった。私はすぐに虜になったわ。」それから12年後に、自分がその主役の座を射止めることになるとは、その時これっぽっちも考えられなかった。

 ロンドンのMountview Academy of Theatre Artsを卒業した彼女のデビューは、ミュージカルGreaseの端役だった。その後、いくつか多少ましな役を経験―特に2014年から2016年にかけて、ウエストエンドのLes Miserablesで、エポニーヌの控えとなるーした後、昨年2月、彼女は、自分の代理人から、エヴィータのエヴァ役に選ばれたとの電話を受けることになった。彼女は床に倒れ伏し、感激の涙にくれたものだった。「私がついに得た本当の仕事。しかも、代役ではなく主演女優なの」と現在独身の彼女は振り返っている。この喜びを最初に分かち合ったのは不動産業界で働く52歳の父親。54歳の母親は主婦で、他に若い二人の弟妹がいる。

 英国以外で初めての公演、そして初めてのシンガポール旅行について、彼女は興奮気味だという。彼女は言う。「ミュージカルを観る時、みんな、どこか別の世界に連れていってもらえるストーリーを期待して、普段と別の経験をしたいと思う。このミュージカルはそうした要素を全て揃えているわ。」(以下、彼女へのインタビュー、一問一答が続くが、省略する。)

 35年前、このミュージカルについて、「人々は、このミュ−ジカルの世界を、決して彼らが今現実の戦争の中で戦っている当の国であることなどは考えず、彼ら一人一人の心の中に形成された祝祭の世界としておそらくは受けとめているのだろう。それはまさに希望と絶望、歓喜と悲惨、熱狂と沈黙といったあらゆる相反する要素に満ちた現代とそこにおける生のありように対する総体としての介入を行うことを意味する。一つの閉ざされた空問で展開される世界の中に私たちは全体として巻き込まれ、そしてその混沌の中から各人が各人なりの脱出口を見出していくのである。文化というものが、そうした混沌を私たちの前に呈示することによって再び私たちは確かに人間的なあるものを取戻し、そこに帰ってゆくことが出来るようになる。そうした意味でもこの舞台は私たちに確かに人問的なあるものを回復させてくれたように思えるのである。」と書いた。英国―アルゼンチンの戦争が続く中で見た前回のような切迫した感覚は、アルゼンチンや南米を巡る情勢が当時と大きく変わっている今は、あまり感じることはない。しかし、人々に寄り添いながら、若くして息絶えたヒロインへの愛情は、長い時間を経ても変わることなく生き続ける。このミュージカルの最初の公演は、1978年6月21日、ロンドンのPrince Edward Theatreであったが、当日のプログラムにも紹介されているとおり、今やこのミュージカルの初演からの年月は、エヴァが生きた33年の生涯を越えている。このミュージカルによって、まさにエヴァ・ペロンは、アルゼンチンだけに留まらない、世界のヒロインとして伝説入りすることになったのである。

 公演後、前記のマドンナによる映画サウンド・トラックを繰り返し聴いている。

2018年2月27日 記