アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第五部:シンガポール編 (2008−)
Bob Dylan And His Band-Live in Singapore
日付:2018年8月6日                                                                        会場:The Star Theatre 
 ボブ・ディランのシンガポール公演である。

 いうまでもなく、一昨年(2016年)のノーべル文学賞受賞と、受賞後のやや思わせぶりな振舞いで再び注目を浴びたディランであるが、そんなことでもなければ、私も彼のコンサートに行こうという気にはならなかっただろう。ちょうど、私がティーンエイジャーで洋楽を聴き始めた頃、彼はバイクの事故(1966年7月)で、活動はほとんど停止している状態であった。その後、後追いで彼の初期の主要曲は時折聴くことになったが、そのダミ声は、あまり感覚的に好みでなく、むしろ彼のバックバンドであったバーズや、彼の影響を受けたと言われ、同じく一時期(1986年頃)バックバンドを務めたトム・ペティなどが肌に合い、聴くことが多かった。結果、彼の音源は全く保有することなく現在に至っている。それでも、現在齢77歳になり、さすがに彼のライブに接するのも最後の機会だろうと考え、チケットを購入することになった。

 改めて、彼の履歴をネットで簡単に眺めてみて、今まであまり意識していなかった、現在に至るまでの彼の旺盛な活動を確認することになった。

 1941年5月、ユダヤ系の家族に生まれた後、フォーク歌手として活動を初め、1962年にレコード・デビュー。折からの公民権運動等の時代の流れの中で「フォークの貴公子」として人気を高めるが、1964年頃からエレクトリックへの志向を強め、従来の「反戦フォーク」愛好者からの批判を受けるなど物議を醸したのは、私がポップスを聴き始めた頃の伝説であった。その後、私が当時、「ロック・リボルーション」と呼ばれた流れの中で好んで聴いていた、アル・クーパーやマイク・ブルームフィールドらと競演。バイク事故による隠遁・休養を挟みながら、バーズやその後ザ・バンドとなるメンバーのバックアップを得ながらマイペースで作品を発表。70年代末にキリスト教に改宗してからは、「キリスト教三部作」なども発表しているようであるが、このあたりは私は全く記憶がないほど、彼に対する関心が失われていた時期である。

 その後80年代半ばの私のロンドン時代には、「ライブエイド」に参加したり、ジョージ・ハリソン等と一時的にトラベリング・ウィルベリーズを結成したりするなど、他のミュージシャンとの競演が多くなったことは記憶に残っている。ただその後の彼の活動には、再び関心を払うことがなかった。しかし、90年代以降も彼はコンスタントにオリジナル・アルバムを発表しており、最新作である2017年発表の「Triplicate」(今年のグラミー賞「Best Traditional Pop Vocal Album」にノミネートされている)に至るまで、スタジオ録音だけで、実に38枚のアルバムを発表している。そしてその流れの中で、2016年のノーベル文学賞受賞があったということになる。好みの音楽ではなかったものの、やはりこれだけの活動を、一貫してソロ中心に行ってきた歌手は、この世界でも稀に見る存在であるのは確かである。

 今回のアジアツアーは、7月27日のソウルから始まり、7月29日には、日本のフジロック・フェスティバル3日目に登場している。この時の様子は、新聞報道によると、「ノーベル賞受賞後最初の日本公演」で、「メイン会場となる『グリーンステージ』で、予定の午後6時50分より数分早く演奏を始めた。ピアノを弾き、ときどきハーモニカを吹く。ギターは弾かず、MCもアンコールも一切ない。ステージ横の大型ビジョンには、グランドピアノに向かって淡々と歌い続けるディランの姿が映し出された。『風に吹かれて』など、どの曲にも大幅なアレンジが施されている。ディランは張りのある声で1時間半、よどみなく歌いきった。77歳とは思えない力強さだった」とのことである。この流れの中で、一週間後のこのシンガポール公演が行われた。因みに、この間の8月2日には台北公演、4日には香港公演が行われ、シンガポールの次は8日にオーストラリア、パース公演が予定されている。

 今回の会場は、2015年のE.ジョン、昨年のジャーニーと同じ、Star Theatre。私のオフィスのすぐ近くにあるThe Star VistaというSCにあることから、夕刻徒歩でその建物に向かい、そこのレストランで、同行する友人たちと合流し夕食をとってから会場に入った。今回のチケットはS$194。2階の、ステージに向かい左側の席である。セッティングから見ると、ピアノに向かうディランをほぼ正面から眺められる位置である。

 開演予定の8時30分過ぎに席に着くと、直ちに8時36分、会場が暗転し、ディランとバンドが登場、映画のサウンドトラックでそれなりにヒットした2001年の Things Have Changed でコンサートが開始される。バンドは、ステージに向かい左から、サイドギター、ドラム、ベース、リードギター、スティールギターの5人が並び、一番右のピアノにディランが陣取るという配置。左から3人は、よくディランがかぶるお揃いの黒の帽子を頭に載せているが、ディランは今日は帽子はなし。年齢的には、リードギターだけやや若いが、あとはおじさんたちのバンドという雰囲気である。

 今回のアジア・ツアーのセットリストは、前述のソウル(7/27)、日本のフジロック(7/29)、台北(8/2)、香港(8/4)のものがネットに公開されている。概ね似たような作品が演奏されているが、一部順序や入替えが行われているのは、その時々の気分なのだろうか?結局、当地のリストは、ほぼ2日の台北と同じで、18曲目だけ、私が期待していた All Along The Watchtower の替りに Gotta Serve Somebody となったこと、及びソウルと香港と同様、アンコールが2曲となったことのみが違った点であった。

(演奏曲目)

1. Things Have Changed (Wonder Boys-Sound Track, 2001)
2. It Ain't Me, Babe (Another Side of Bob Dylan, 1964)
3. Highway 61 Revisited (Highway 61 Revisited, 1965)
4. Simple Twist of Fate (Blood on the Tracks, 1975)
5. Duquesne Whistle (Tempest,2012)
6. When I Paint My Masterpiece (first since 2011) (Bob Dylan's Greatest Hits, Volume II, 1971)
7. Honest With Me (”Love and Theft”, 2001) 
8. Tryin' to Get to Heaven (Time Out of Mind, 1997) 
9. Make You Feel My Love (Time Out of Mind, 1997)
10. Pay in Blood (Tempest,2012)
11. Tangled Up in Blue (Blood on the Tracks, 1975)
12. Early Roman Kings (Tempest,2012) 
13. Desolation Row (Highway 61 Revisited, 1965)
14. Love Sick (Time Out of Mind, 1997)
15. Don't Think Twice, It's All Right (The Freewheelin' Bob Dylan, 1963)
16. Thunder on the Mountain (Modern Times, 2006)
17. Soon After Midnight (Tempest,2012)
18. Gotta Serve Somebody (first since 2011) (Slow Train Comin’, 1976)

(Encore)

19. Blowin' in the Wind (The Freewheelin' Bob Dylan, 1963)
20. Ballad of a Thin Man (Highway 61 Revisited, 1965)

 公演が開始されてのまずの印象は、やはりバックバンドの巧さと、PAの素晴らしさであった。以前同じ会場で見たE.ジョンや Journey と比較しても、それぞれの楽器のバランスがよく、音がきれいに耳に入ってくる。もちろんエレキ主体の演奏であるが、全体に音量を控えていたことあったのであろう。ディランの声は、相変わらずのダミ声で、あまり好みではないが、それでもバックの音量と調和している。初期の3曲は、それなりに聴いていた曲であるために、直ちに認知できる。

 それ以降は、ほとんどが同時代的には聴いていなかった曲が続くが、今回は、事前にYouTube で最近の映像を見て予習していき、且つ、直前のセットリストを持参していったことから、それを眺めることでそれぞれの曲を楽しむことができる。ベースは、エレキとウッドベースを持ち替え、スティールの演奏者は、その後、マンドリンやバイオリンに持ち替える等、多彩なところを見せていた。ただ、彼らの演奏は、やはり控えめで、時折リードギターが挑発的なフレーズを繰り出すと、都度ディランのボーカルや、巧いとは言えないピアノ、そしてハーモニカがそこに介入し、あくまで主人公は自分だ、と自己主張することになる。そしてフジロックの時と同様、ディランは、ピアノに着席したまま、全くコメントもなく、淡々と歌い続けていくのである。バンド演奏だけで変化のないステージであるが、アップテンポの3、からスローな4、再びアップテンポの5、といった感じで、メリハリをつけようという意図は感じられる。またノーベル賞受賞理由のとおり、彼の音楽は歌詞を聴かせることが主体であるが、残念ながら、彼の歌い方では、まず英語の歌詞を理解するのは難しい。

 ブルース調の12、以降、再び知った曲が13、14、15、16、と続くが、終盤の17、18、は、やはり今回の予習過程で初めて聴くことになった作品で、これをもってメインステージが終わることになる。

 そしてアンコールは2曲。バイオリンのイントロで始まる19、は、私は最近の映像を見ていたことから、かろうじてこの曲と認識できたが、同行した友人は、この曲とは分からなかったくらい、全く原曲を留めないアレンジである。そして2曲目のアンコールでこの日のステージが終わったのは、10時20分。1時間50分のステージであった。結局、最後までディランは一言もコメントを発することもなく、またバンドメンバーの紹介も一切行われることなく、ステージは終了。彼の初期のスタイルであったアコギの弾き語りもなかった。77歳の年齢で、2時間弱のステージをこなすのは難儀であったのだろう、最後までピアノに向かい座って、表情を変えることなく、ひたすら歌い続けることになったのである。

 洗練されたバックバンドの演奏で、大人のステージを感じることができた一方で、ステージから引き上げる際のやや覚束ない彼の足取りを眺めながら、何となく、彼の Never Ending Tour も、そろそろ終わりに近づいているな、という雰囲気を感じさせたこの日の公演であった。

2018年8月7日 記

 公演後、当地新聞(8月8日付 The Straits Times)に、「改革の達人は評判どおりの活躍( Master of reinvention lives up to reputation )」と題されたコンサート評が掲載された。いつものように、最後にその記事を紹介する。

 「米国音楽のカリスマ、ボブ・ディランのライブでは、ロックの経典となった過去50年の作品の忠実な再現を期待してはならなかった。これを期待して月曜日のスター劇場での彼の公演に向かった人々は、ただ裏切られるだけであった。

 シンガポールで三度目となる、この77歳の歌手は、単に彼の持ち歌を披露する訳ではなく、改革の達人といわれる彼の評判を見事に発揮したのであった。例えば、1962年の彼の代表曲 Blowin' in the Wind は、アンコールの最初に演奏されたが、その主要な旋律は微塵もなく、最近顕著となった彼のしわがれ声のせいもあり、最初のいくつかのフレーズが過ぎて初めて、これがこの作品であることが分かるほどであった。1965年のアルバムタイトル曲である Highway 61 Revisited も、そのアップテンポのリズムは変わっていなかったが、同様の取扱いをされることになった。それでも、同じアルバムからの Ballad of a Thin Man は、その雑な呟きのような唱法にもかかわらず、ほとんど精神的なレベルに高められ、確かにこの公演のハイライトのひとつとなった。

 2時間近くにわたったこの公演で、ディランは赤のトリムのついたダークスーツに身を包み、歌い、黒いグランドピアノの鍵盤に向かい続け、2011年のTimbre Rock & Roots音楽祭(前のシンガポール公演?)のように、ギターを手にすることはなかった。それ以外は時折、叫び声のようなハーモニカを吹くだけだった。

 ステージは殺風景で、彼とバンドメンバー、楽器があるだけ。時折柔らかい照明が灯るが全体は暗いままである。撮影はメディアさえも禁止され、8時半の開演前に約4500人の観客は、いかなる録音も行わないよう警告を受けたのであった。

 彼は、曲やメンバーの紹介を含め、観客に向けて一言も発することはなかった。ファンの歓声に応じたのは、メインステージとアンコールが終了し退出する前に、舞台中央で、観客と向き合った時だけである。でもそれはどうでも良い、歌が自らを語るのだから。

 2016年にノーベル文学賞を受けたディランのこの日の演奏曲は、彼の長く多産な作品群を通じて音楽的な変化を遂げてきた歌で溢れていた。彼の最近の3作は、米国のスタンダートやトラッドな曲のカバーであったが、この日の演奏曲の新しいものは Pay in Blood のように、オリジナル作では最後となる2012年の Tempest からのものだけだった。これらがアルバムに近い形で演奏されたのは、それが最近の作品であったというのが理由だろう。しかし間違えないように!これらの曲も時間と共に、ライブでは変わっていくことは間違いない。彼が、この日、古い曲でそうしたように。」

 確かにこの日の警備員のスマホ監視は、非常に厳しく、私が、暗い中で手元のセットリストを書いたメモを見るためにスマホを点滅させただけで注意されたくらいであった。最近は、コンサートでのスマホ撮影は一般的であったが、ディランは、それこそ、こうした撮影があると、演奏を中止してしまうというリスクもあり、主催者も神経質になっていたのだろうと想像される。

2018年8月8日 追記