ヒトラーの贋札
監督:ステファン・ルツォヴィスキー
2006年アカデミー賞80回外国語映画賞を受賞した作品である。原題で「Die Faelscher」、英語題で「The Counterpfeiters」という、ナチスによる連合国通貨偽造作戦の内幕である。原作は、アドルフ・ベルガーという、実際に、収用所に設立されたナチスの贋札工場で働いたユダヤ人の回想本である。その著者は、この作品の公開に先立って、本のプロモーションで来日をしていた。ヒトラー物が新たに人気化する中での、更なる原作本と映画の二本立て公開という訳である。主演のソロヴィッチをKarl Markovicsが、彼と対立するブルガーをAugust Dhielといった俳優が演じているが、夫々の俳優についての情報はない。
シンガポールに生活の拠点を移し、約4ヶ月。久し振りに一時帰国した日本でDVDで見ることになった。この作品については、既にシンガポール転勤前にいろいろ紹介されており、前述のとおり、原作本の著者が来日するという報道もあったりしたが、赴任前は見る時間がなかった。今やアジアが自分の拠点になっていることもあり、ドイツへの関心はやや遠のいているが、しかし、ドイツ現代史の異常な時代は、まだ私の世界認識の中では特別な位置を占めている。それは言うまでもなく、近代化した理性の時代に発生した、「整然とした狂気」の時代であり、それ故に人間の本質を徹底的に明るみに出した時代である。それは決して過去になることはないし、近代化の過程で必ずしも同じ経緯を辿っていないアジア諸国でも、90年代のカンボジアで起こったように、決して遠い世界の出来事ではない。そしてこの映画で取り上げられている「通貨偽造による経済混乱を惹起させる作戦」は、現在も北朝鮮の「ウルトラ・ダラー」等に引き継がれている。それは高度な現代の技術と狂気の統合された作戦なのである。こうした国家による組織犯罪に巻き込まれた人間は、そうした狂気の渦中をどのように生きたのか、そしてそれに抵抗することは可能であったのか。映画はこうした課題を淡々と表現していく。
いつものように、まず作品構成を示しておこう。
(作品構成)
@オープニング、Aモンテカルロの夜、B贋札師サリー、C収容所へ、Dコーリャとの出会い、Eベルンハルト作戦、F死と隣り合わせの日々、Gポンド紙幣の完成、H銀行の検査結果、I危険な正義感、Jいらだち、K仲間割れ、Lヘルツォークの家、M5人の運命、N謝肉祭、O操業停止命令、P終戦、Qエンディング
主人公ソロヴィッチが、贋札作りの犯罪で逮捕される。彼は、ユダヤ人であったためアウシュヴィッツを経て、ザクセンハウゼン収容所ヘ移送される。偶々彼を逮捕した警察官(ヘルツョーク)が、収容所の印刷所担当となっており、その技術を買われ、彼は偽札工場で働くことになる。そこで行なわれていたのは、英国ポンド作り。ソロヴィッチの技術により、結果的には、13200万ポンド相当分が作成されたが、これは当時の英国外貨準備高の4倍にあたったという(ベルンハルト作戦)。続いてドル札作成命令が下されるが、この頃から囚人印刷工の中に、こうした敵国の偽造紙幣作成に協力することについての疑念が広がる。その急先鋒ブルガーによるサボタージュ。ソロヴィッチは、それが自分と仲間を危険に晒すと警告し、仲間割れの危険が高まる。病気が悪化した若い友人の銃殺。ドル紙幣の完成が遅れれば、一人ずつ銃殺者を出すと脅したヘルツォークに対し、ギリギリの瞬間に完成した偽ドル札を渡すソロヴィッチ。しかしそれは既に戦争が最終局面に差し掛かっていた時期であった。結局、ビュルガーのサボタージュは時間稼ぎの効果を持ち、ドル紙幣の製造はわずかにとどまり、またソロヴィッチによる偽ドル札の完成が仲間の命を救うことになったのである。囚人印刷工たちは、1945年3月マウントバッテンへ、その後エーベンゼーへ移動し、5月6日に解放される。解放時、なだれ込んで来たパルチザンが、囚人たちをナチと考え発砲しようとしたのに対し、ブルガーが腕に刺青された囚人番号を示して難を逃れることになる。
「ベルンハルト作戦は、国家による史上最大の紙幣贋造作戦であった」。戦後、モンテカルロのカジノで狂ったように博打で金をするソロヴィッチ。彼がそこで使ったのが偽札であったのかどうかはコメントされていない。
これまで何本か見たドイツ映画がそうであったように、夫々の挿話がやや図式的に描かれているきらいはあるが、基本的には、淡々としたソロヴィッチの生き方を中心に、周辺人物をそれとの対比で描く手法を採用している。ソロヴィッチは、言わば運命に身を任せ、命令されたことを淡々と実行していく。彼はことの善悪を突き詰めて考えるという姿勢を表に出さないタイプの人間として描かれる。それに対しブルガーは、善悪を突き詰める人間として描かれ、そこでソロヴィッチと対立することになる。しかし結局、仲間の銃殺を救ったのはソロヴィッチであるとすることにより、実はソロヴィッチのほうが状況を踏まえ対応していたかのような印象を残している。間違いなく、原作本では、少なくとも囚人印刷工を銃殺から守ったのは自分である、と主張されているのであろう。そうした印象を薄める効果を狙ってか、映画ではあえて、エンディングに「囚人たちのサボタージュの結果、偽ドル札の完成が遅れたことで、連合国に決定的な経済混乱が発生するのを避けることができた」といったコメントを入れている。
ユダヤ人として絶滅収容所に送られるが、偽札作りという犯罪行為に手を貸すことでのみ生き残ることができるという状況。確かに、ある者は倫理観から悩み、ある者は抵抗を試みる。しかし抵抗を試みる者がいれば、その犠牲は全員に及ぶ。そうした状況下で、協力もせず、犠牲者も出さずという道は非常に限られている。この映画は、そうした極限状況を、ある意味で極限状況らしくなく描いた作品であると言える。ナチスの強制収用所とそこでの国家的犯罪行為の一面を描いた裏面史である。
鑑賞日:2008年10月18日