母なる証明
監督:ボン・ジュノ
更にもう一本、友人より薦められた韓国映画。こちらは先日観た「殺人の追憶」や、昨年(2020年)大ヒットした「パラサイト」のボン・ジュノ監督による2009年の作品である。
「殺人の追憶」と同様、韓国の片田舎での殺人事件を扱っているが、「殺人の追憶」とは異なり、こちらは時の政治背景は一切感じない。そのあたりは、2009年という、民主化がそれなりに定着した時期の作品ということであろうか。しかし、その単純な殺人事件を、予想もつかない展開で作品に仕上げるところは、さすがジュノ監督といったところである。
主人公は、そうした片田舎に住む母(キム・ヘジャ)と知恵遅れの息子トジュン(ウォン・ビン)の二人家族。母は、違法性もある無認可の針治療で何とか生計を維持しながらも、正常な社会生活を送ることのできないその息子を溺愛している。その息子は、幼い頃、母親から告げられた、「馬鹿にされたら反攻しなさい」という教えだけは無条件に守っており、そうした罵倒に対しては、直ぐに暴力的に反応するという性格である。
そんな息子トジュンが、ある女子高生の殺人事件の犯人として逮捕されるが、無実を信じる母は、弁護士に冷たく当たられる中、自ら聞き込みを進め、殺された女子高生が売春の常習者であり、その相手全ての写真が全て彼女の携帯に収められていることを知る。女子高生の唯一の家族である祖母からその携帯を入手した母は、それを頼りに真犯人と思われる廃品回収業者を訪ねるが、彼は逆に、その夜、トジュンが女子高生を殺した場面を目撃した(彼は女子高生との売春のため、そこで待っていた)、と言われ、衝動的に彼を殺害し、その粗末な家に放火して逃亡する。しかし、その頃、別件で逮捕された男の衣服から女子高生の血痕が見つかったことから、トジュンは無実とされ出所している。その帰途、焼け落ちた廃品回収業者の家に立ち寄ったトジュンは、無実のお祝いも兼ねたバス旅行の出発時に、そこに残されていた母の針治療用具が入った容器を母に渡し、母はパニックに陥る。自分の殺人の記憶を消すため、自らの足に、そうした効果をもたらす針を刺し、そしてバスでの若者たちのダンスに加わるのである。
無実と信じる息子を助けるために何でもする母親の執念が、最終的に狂気を招くという設定で、それを母親役(映画の中で、母親の名前は出てくることがない)のキム・ヘジャが熱演している。ただ彼女は、役柄がそうであるが、どこにでもいるおばちゃんで、主演女優としての「華」はあまり感じられない。またトジュンを演じているウォン・ビンも、韓国では「イケメン」の人気若手俳優ということで、知恵遅れの青年をそれらしく好演しているが、恐らく彼のファンにとっては余り魅力のある役柄とは言えないだろう(この点では、彼の悪友で、後半、母の捜査にも協力するジンテ役のチン・グの方が、女性ファンには受けるだろう)。その意味では、話の展開だけで見せる映画と言える。そしてその点では、特に前半に仕掛けたトリックを基に、映画の後半は多くの見せ場を作っている。
そのトリックの一つは、ネットに溢れているネタバレの幾つかで触れられているような、「トジュンは実は知恵遅れではないことを母が知ることになった」といった指摘であるが、それは何故そう思えるのかは、私は今一つ理解できない。しかし、そこでも言われている通り、女子高生殺しの犯人は、やはり「馬鹿」と言われたことに反応したトジュンだった、ということであり、また死体が屋上に晒されていたことについて、トジュンが、「犯人は、彼女が早く見つかって助けられるために、そこに放置したのだろう」と、第三者的に呟くのも、面白い設定である。他方、別件で逮捕された男の証拠とされた血痕は、女子高生が度々発症していた鼻血に過ぎない、ということであるが、「殺人の追憶」でもそうであったが、逮捕された被疑者がそれなりに無実の自己弁護をしないのは理解できない。「殺人の追憶」と併せて、監督は、韓国の田舎警察のいい加減さを表現したかったのか、と思いたくなる。
ということで、ボン・ジュノ監督による物語の展開は、さすが、と思わせるが、細部についてはやや疑問の残る作品であった。
鑑賞日:2021年11月29日