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AVATAR & NINE
監督:J.キャメロン / R.マーシャル 
 ここで取り上げる2作は、ごく一般的な娯楽作品である。私にとって特段思い入れがあった作品でもないが、取り敢えず最近の話題に乗って、映画館に足を運んだものである。双方とも、サブタイトルなしで、英語の会話も、必ずしも十分に理解できた訳でもないが、ここではあえて簡単に印象を記録しておくことにする。

AVATARー監督:ジェイムス・キャメロン
                         
 超話題作である。前作「タイタニック」から12年。3D技術の粋を尽くして「構想14年、製作4年」を費やして完成させたという話題性もあって、全世界で、自身の「タイタニック」の持つ興業収入記録を塗り替えているという。

 ここシンガポールでも、この映画はホットな話題であり、私の周りでも若いスタッフや友人の多くが既に見に行った、あるいはいつ見に行くと盛り上がっている。本や音楽もそうであるが、大ヒット作は別にあえて見たり聴いたりしなくとも、一定の話題は常に入ってくることもあり、へそ曲がりの私としてはこうした映画を見ることにある種の抵抗があったのは確かである。実際、日本にいる時は「タイタニック」など、見に行きたいとも思わなかった。

 しかし、今回は、大作映画であることに加え3Dという話題性が加わったこともあり、土曜日の夕刻、近所のシネコンに足を運んだ。

 案の定、然程大きくないシネコン内の劇場ではあるは、席は完全に一杯である。子供を連れた家族から、カップル、友人同士まで観客層は様々である。入り口で、3D用の眼鏡を受取り、開始を待つ。

 ストーリー自体は単純である。主人公の海兵隊員ジェイク(サム・ワーシントン)が、パンドラという衛星での計画に参加する。そこではナヴィという身長3メートルの人間に似た生物が生息しているが、ジェイクは、植物学者オーガスティン博士(シガニー.ウィーバー)が開発した遺伝子で構成されたそのナヴィに意識を移し、この衛星の侵略に手を貸すことになる。しかし、ナヴィの戦士の女性と恋に落ちたジェイクは、結局ナヴィの側につき、侵略者である人間に対して戦いを挑むのである。侵略者である白人側からインディアンへの寝返りが出て、結局その活躍でインディアンが勝利するという、言わば現代版西部劇と言っても良い勧善懲悪物である。もちろんそこに環境保全へのメッセージを読み取るとか、遺伝子物理学の将来を見るということも可能ではあろう。

 しかし、やはりこの映画をこれだけの人気にしているのが、その3D映像とそれによって描かれた衛星パンドラのイメージの素晴らしさであろう。実際、中国のある地方の風景に触発されたというそのコンピューター・グラフィックの世界は見事であり、それが3Dにより更に一層リアリティを強めている。イラストで言えば、ロックバンド「イエス」のジャケット・デザインで有名なロジャー・ディーンの作品を3Dで再構成したという感じだろうか。サブタイトルのない、英語だけのスクリーンであり、会話をすべてフォローできたとはとても言えないが、それが分からなくとも、映像だけでも十分楽しめる、そうした映画である。そもそも人口の少ないシンガポールなので、世界全体に占める比重はごく小さいものの、ここでも、それなりの観客動員記録を達成していくのは間違いないだろう。

鑑賞日:2010年1月23日


NINEー監督:ロブ・マーシャル

 今年の第82回アカデミー賞に、ペネロペ・クルスの助演女優賞を始めとする4部門でノミネートという広告につられて見に行った。

 そもそもは、F.フェリーニの自伝映画である「8 1/2」をブロードウェイがミュージカル化し、トニー賞などを受賞したらしいが、今度はそのミュージカルをベースにもう一度映画化した、という何ともややっこしい作品である。但し、前述のアカデミー賞助演女優賞候補になっているペネロペ・クルスを始め、ニコール・キッドマンも出演しているということで、女優を目当てに見に行ったというのが正直なところであるが、内容的には今一というところであった。監督のロブ・マーシャルにとっては、「シカゴ」に続く2本目の「ミュージカル映画」とのことである。主演は、人気映画監督をダニエル・ディルイスが演じ、彼を取り巻く女たちとして、上記の2人に加え、マリオン・コティヤール、ケイト・ハドソン、ソフィア・ローレン、ファギーことステイシー・ファーガソン(グラミー賞受賞歌手)といった女優が花を添えている。

 ストーリーはほとんどない映画である。売れっ子映画監督(映画の中では取り巻き連中からは「マエストロ」と呼ばれている)が、新作映画の製作過程で、スランプに陥り、製作を中止し田舎に引っ込むが、2年間の休息を経て、再び製作現場に戻る、というだけの話。そしてミュージカルの映画化ということだけあって、その合間に、絢爛豪華で時としてエロティックなレビューを中心とした歌とダンスが繰り広げられる。そして、男は、妻と、にじり寄って来る女たちの間で優柔不断に揺れ動くが、そうした華麗な舞台は、そうした現実世界にうんざりした男の夢想という位置付けになっているようである。

 かつてミラノの書店で、フェリーニ自身による舞台衣装のデッサン集を喜んで買ってきた身からすれば、彼の映画を想像しつつ、その裏物語と知ってこれを見ればまだ面白いのだろうが、それが無ければただの脈絡のないミュージカル・レビュー映画であり、そうであればミュージカルそのものを見る方がまだ能天気に楽しめるのではないか。「AVATAR」と異なり、映画館がガラガラだったのも分かるような気がするのであった。

鑑賞日:2010年2月20日