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Bohemian Rhapsody
監督:ブライアン・シンガー 
 11月のタミルの祭日であるディーパヴァリの午後、フレディ・マーキュリーに焦点をあてたクイーンの伝記ミュージカル映画である「Bohemian Rhapsody」を観た。監督はブライアン・シンガーというドイツ系ユダヤ人の血をひいた米国人であるが、ネットでの解説によると、この監督は、映画の完成直前に、キャストやスタッフとの対立から解雇され、新たに監督として就任した英国人俳優のデクスター・フレッチャーの下で完成された。ただ全米監督協会の規定により、監督としてはシンガーのみがクレジットされているという。日本では11月9日より劇場公開されるということであるが、当地では一足早い11月1日より上映が始まっている。

 バンドの結成から、1985年7月、私のロンドン時代に開催されたライブエイド・コンサートまでを取り上げた作品で、メンバー4人を其々本人たちとは別の俳優が演じている。中心となるフレディ役は、レミ・マレックという米国人。音楽は、従来のクイーンの楽曲に加え、ライブエイドからの5曲を含む11曲の未公開音源が使われているという。

 クイーンについては、2012年と今年8月に当地でコピーバンドのライブを観ているが、こうしたバンドは数多いるようで、夫々生活が成り立つような程度のギャラは稼げるようである。その意味で、彼らのようにメジャーとなったバンドは、その遺産で当人たちのみならず、それ以外の多くの関係者を支えている。特に、このバンドは、その中心であったフレディ・マーキュリーを、バンドがまだ人気を保っていた時期にHIVで亡くすという悲劇に見舞われたこともあり、その伝説には大きな付加価値がついた。バンドは、その後もフレディの追悼イベントを開催したり、あるいはリード・シンガーにポール・ロジャース、最近では米国TVオーディション番組であるAmerican Idle出身のアダム・ランバートを起用し、当地のF1レースでのライブに登場したことも記憶に新しい。そしてこの映画も、そうした遺産の一つとしての作品である。

 午前中の炎天下のテニスとその後のビールで、帰宅後ややうとうとした後、午後4時の上映に合わせて、いつもよりも若干早めの20分前に自宅を出て近所のシネコンに向かう。こんな映画は、当地ではそれほど関心を惹かないだろうと高を括っていたが、祭日の午後でもあり、その他の映画も加えたチケット売り場の列は意外と長く、この映画の席も結構埋まっていた。その結果、4時を少し回った広告上映中に、ようやくスクリーン前から3列目の席に落ち着いた。やや近い位置であるが、それほど見難いことはない。周囲を見回すと欧米系は確かに多いが、シンガポール人の若いカップルなども結構目立っていた。上記のように、新ボーカルでF1のコンサートで演奏したり、カバーバンドにもそれなりに人が集まるというように、この国でもこのバンドに対する根強い支持はあるようである。

 こうして本編が始まる。1985年のウェンブレイ・スタジアム、バンドエイドの舞台にフレディが向かうところから始まり、直ちに時間は1970年、バンドの結成の逸話に移る。フレディは、ペルシャ起源のゾロアスター教の家系であるが、その家族は、ごく平凡で実直な家庭のように描かれている。そうした中で、フレディは、ライブバンドが出演しているバーにたむろし、そこでリード・シンガーが辞めたばかりのローカル・バンドのボーカルとなる。

 そこで、クイーンの4人が揃うことになる。若き時代のフレディは、いかにも癖のある顔つきのレミ・マレックという俳優が演じているが、フレディと言うよりは、どちらかというとミック・ジャガーを髣髴とさせるような風貌である。その他の3人は、いかにも、という感じの俳優が演じているので、フレディ役だけが、あれ、という感じを抱かせる。ただその後、バンドがメジャーとなり、髪の毛を切った後は、より本物に近い感じのメイクになっていった。

 映画は、バンドの人気が拡大する過程を辿っているが、そのあたりはやや通俗的である。また下積み時代に知り合った恋人マリー・オースチンとの婚約と別れ、そして一つの山場は、レコード会社の要望に応じて、郊外の農場にあるスタジオに籠り、ボヘミアン・ラブソディーが生まれる様子を辿る。6分に渡るこの曲は、シングル盤には向かない、と言い張るレコード会社への三行半の場面で、同席した男が、「でも(リチャード・ハリスの)マッカーサー・パークは、7分もあったがヒットしたぞ」と口を挟むが、観客のどのくらいが「マッカーサーパーク」を知っているのかな、等と思ってしまった。

 その後、バンドでのツアーに疲れたフレディが、しばし休みたい、と申し出て、制作会社から4百万ドルの予算をもらい、ミュンヘンのスタジオでのソロ・アルバム作成に入る。その前後でのメンバーとの確執。特にドラムのロジャー・テイラーがフレディと対立したように描かれており、ブライアン・メイとジョン・ディーコンはその宥め役である。そしてその頃から、マネージャーの一人との関係を含めたフレディの男色志向が強く描かれ始める。またホテルで出会ったウェイターに恋し、電話帳で、その男の住所を探すが、同じ名前の男は、ロンドン市内だけでごまんといるのである。孤独感からの酒と乱痴気パーティーという、ある意味スターの崩壊過程の典型的な姿。しばらく連絡が途絶えていたマリーも、孤独なフレディの下を訪れるが、既に結婚し妊娠していた彼女は、彼のところには留まらない。しかし、そこで彼女が告げたライブエイド出演の話が、フレディをして再びバンドへの復帰を決断させ、3人のメンバーの下を訪れ、詫びを入れた上で、そのイベントへのバンドでの出演が決まることになる。ボブ・ゲルドフ役は如何にも、という感じであったが、そうして冒頭のフレディがステージに向かう場面に戻ることになる。

 この1985年のウェンブレイ・スタジアムでのライブエイドを、フレディの家族を含めて多くの人びとが会場のみならず、TVで見たということになっているが、私自身は、これをTVで見た記憶はほとんど残っていない。当時の英国では、ケーブルTVもまだ普及しておらず、一般のTV放送はBBC関係2局と民放2局という時代であったので、TVは偶にニュースを見る他は、ウィンブルドンでのテニス(あるいは、激しいパロディ番組である「Spitting Image」や、日本の「ザ・ガマン」等をおちょくった週末夜のお笑いTVショウである「Clive James Show」等)くらいしか見た記憶がない。こうした一流バンドが集結したロックのライブを一般の地上波で流していたら、間違いなく見ていたと思うが、そうした記憶はない。今では、このバンドのみならず、この時の出演者の多くのライブ映像をYouTubeでいくらでも見ることが出来るので、便利な時代になったものである。

 こうしてバンドエイドでの公演が、映画の終幕となる。ミュンヘンでのソロ・アルバム作成時に、既に鼻血の症状が出ていたこと、そして病院でHIVと告げられる様子とメンバーへの病気の告白が描かれているが、既にこのバンドエイドの時には、彼のHIVも相当進んでいたが、フレディはそれをおして熱演したということになっている。

 この時のクイーンのライブは、上記のとおりYouTubeでも映像が公開されているが、それと比較してみると、映画では、まさに会場やステージの様子は略その時と同じにセットされていることが分かる。そこで俳優4人が、実際のクイーンの演奏の口パクやエア楽器で演奏をするのであるが、それは全く違和感がない。この辺りは現在の映像技術の進歩の結果なのだろう。

 このライブで映画は終了。画面では、フレディが、それから6年後の1991年にHIVで亡くなり、それまで、最後の男の恋人(前述のホテル・ウェイターであるが、コンサートの直前に彼を探り当て、ウェンブレイにも招待したということになっている)と静かな日々を過ごしたことが、文字で語られることになる。

 夭折したロックスターの栄光と孤独・挫折というドラマは、ある意味、一般人の「スターへのルサンチマン」を満たすことになる。その意味では、フレディは、格好の「ゴシップ」の対象であったし、それを満足させる映画がそれなりに受けるのは理解できる。ただ一方で、単純にこうしたスターを崇拝するファンも依然多いことも確かだろう。その双方をターゲットにしたことで、まずは当初のこの映画の成功も保証されることになった。帰宅後、保有しているバンドのモントリオール公演のDVDや、ライブエイドを含むYouTubeの画像を眺めながら、やはり俳優の演じたフレディは、本物のカリスマ性は備えていないことを感じざるを得なかったが、それでも物語としては、それなりの感動をもたらすよう、巧みに作られていたことは間違いない。

 この映画を観た日の朝の新聞(11月6日付、The Straits Times)に、この映画と併せて、フレディの秘話の記事が掲載されているので紹介しておこう。

 「北米での先週末の興行収入が50百万ドル(S$69百万)と、トップの人気を集めているこの映画で、クイーンのファンは、フレディの生涯についての新しい詳細を知ることになったが、そこではひとつの秘密が明かされることがなかった。それは、彼が1991年、45歳で亡くなり葬られた際、その遺灰の埋葬場所は、彼のかつての恋人であったマリー・オースチンにより秘密にされたということである。」

 ある情報サイトによると、彼らは1969年に出会い、フレディが別の恋人を作るまで6年間一緒だったという。しかし、その後も二人は関係を続け、バンドが成功すると、フレディは彼女に家まで買い与えた。実際フレディは、1985年のインタビューで、「私の恋人たちは、あなたは何でマリーと離れられないの、と聞くが、単にそれはできないだけさ」と答えている。彼は遺言で、彼のロンドンの家や著作権収入など、資産のほとんどをマリーに残している。

 デイリー・メイル紙によると、マリーは、フレディの最後の遺言について、「彼は、多くの著名人に起こったように、自分の墓が誰かに掘り起こされたくなかった。ファンというのは独占欲が強いので。だから彼の遺灰の埋葬地は秘密のままになっている」と語っている。

 この映画の上映最初の週は、大成功を収め、他の新作をほとんど壊滅させた。ディズニーの新作「くるみ割人形」は、かかった費用125百万ドルに対し、20百万ドルの収入しか確保できず、「Nobody’s Fool」というコメディ作品は14百万ドルに留まった。
 
 以上が新聞記事であるが、フレディの悲劇的な最後と、残された謎が、この映画の成功をもたらした、ということのようである。

鑑賞日:2018年11月6日

(追記)

 2021年6月4日(金)、日本の地上波TVでこの映画が放映され、11時半の終了まで観てしまった。印象は、上記の評とほとんど変わらない。放映後、映画に挿入されていた彼らの楽曲を久し振りにきちんと聴いてみてもよいかな、という気分になったが、実は保有していた彼らの音源はDVDを除くとすべてアナログLPで、昨年全て処分してしまっていた(このバンドは、私にとっては、その程度の存在であった、ということ???)。それでも今後ベスト盤のCDでも調達しておこうかと考えている。とりあえずは、手元にあるDVDでも眺めておこう。

2021年6月5日 記