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シンガポール通信
旅行
香港B級グルメ紀行(写真付)
2010年3月13日ー16日 
 80年代末から90年始めのバブル時期に、この地を訪れて以来、約20年振りの香港である。かつて訪れた時は、もちろんまだ中国への返還前。英国から帰国して、英国的なものに郷愁を感じていた我々は、マークス&スペンサーを始めとする英国系の小売店舗を見つけ、懐かしさを感じた記憶がある。しかし、その後、香港は中国に返還され、また私もアジアに勤務するようになった。中国に返還された20年振りの香港の変貌を感じることが出来るだろうか?そんなことを考えながら、日本からの家族と、初めて降り立った香港新空港のバゲージ・クレームで合流し、香港の4日間の休暇が始まった。

 とはいっても、今回の家族との短い休暇は、それほど観光スポットを動き回った訳ではない。我が家の旅行が常にそうであるように、余り予定はたてず、朝起きた時の気分で動き回る休暇である。その結果、香港は初めての子供たちのため、海峡を横断するスターフェリーに乗ったり、その後香港島の展望台であるヴィクトリア・ピークに昇るケーブルカーに乗ったりした以外は、ほとんど香港島や九龍の雑踏をうろうろしながら、雑多な店を眺めたり、道端のキオスクで売られている様々なスナックを食べたりしていたような状態であった。その意味で、この旅で伝えることがあるとすれば、昼や夜の食事と、その間の時間を過ごした下町の雑踏であろう。それ故に、この滞在記は「B級グルメ紀行」を中心に、到着の翌日14日から報告させてもらう。

3月14日(日)

 ホテル近所のマクドナルドで購入したサンドイッチとコーヒーで簡単な朝食を済ませた後、朝霧が立ち込める中、九龍の港から、お馴染みのスターフェリーに乗り、香港島へ渡る。僅か15分程度の船旅で対岸の船着き場に到着し、そこからタクシーでケーブルカー駅まで行き、ヴィクトリア・ピーク頂上に昇る。20年前にも辿ったコースであるが、頂上からも霧がすっぽりと下界を覆い、景色は心の目で見るだけである。そして再び下りのケーブルカーに乗り麓に降りてから、最初の「B級グルメ」の旅が開始された。

(霧の香港島オフィス街)
      

(山頂も真っ白)

 

 まずケーブルカー駅からタクシーで、地下鉄「中環(Central)」駅近くにある「Hillside Escalator」まで移動する。この800mに渡り続く動く歩道の周囲に庶民派食堂が数多くあるといわれている。動く歩道から垂直に抜ける路地には、香港特有の通りに被さるような多くの看板が溢れ、それを眺めているだけでも結構楽しめる。そしてエスタレーターに乗り始めてすぐ、一つの通りにある「麺」という字が目に付いた。動く歩道を降りて、その通りに入る。

 通りの入口の左にある店の「麺」に惹かれて動く歩道を降りたのだが、その通りにはそれ以外にも何軒か小さい店が並んでいる。結局、その向かいにある餃子屋に、家族が好きな「酢辛麺(サンラー麺)」があったので、そこに入ることにした。

 入口を入ると、左側にキッチンがあり、その横の狭い通路に二人掛けのテーブルが並び、奥に入るとスペースが少し広がる。こうした構造の店は、その後も何軒かあったので、狭い香港のビルでレストランを作る時の一般的なデザインなのだろう。奥のスペースでは、おばさんが、客相手の合間に、せっせと餃子を作っている。

(餃子作り)
              

(奥から入口を臨む)

 
 サンラー麺と普通のワンタン麺、それにゆで餃子等を注文する。サンラー麺は、それほど辛くなく、むしろ酢がきつい感じ。ワンタン麺は普通の味。やはり作りたてのゆで餃子が、ニラがたくさん入り、また手製の厚手の皮がなかなか美味しかった。飲み物と合わせ、4人でHK$130は、お昼としては手頃な値段である。

 店を出て、地下鉄の「中環」駅に向かって歩くが、表通りは普通の店ばかりで面白くないので、屋台で溢れている小さな路地に入る。野菜や果物に乾燥魚等の中華街特有の食品屋台が所狭しと並んでいる通りや、衣料品やカバン、安物時計や装飾品の屋台が並ぶ通りなどを眺めながら駅に向かう。カバン屋あたりからやたらとフィリピン人が目についたが、駅に向かうにつれ益々目立つようになる。あとでガイドブックを見てみると、近所にカトリック教会があったので、ここでの日曜日のミサを終えたフィリピン人が溢れていたということであろう。

(中環地区の路地)



 地下鉄で海峡を潜り、いったんホテルのある「Tsim Sha Tsui」に戻る。今回宿泊したホテルは、この地下鉄駅から徒歩5分の至近距離にある「Hyatt Regency」であるが、これは最近再開発され新しくオープンしたホテルとのことである。開店セールで安く泊まれたのみならず、九龍地区を動き回るのには最適な場所にある。因みに、この九龍地域で最も高層の建物であるこのビルは低層階がホテル、高層階が居住用コンドミニアムになっているが、その居住用コンドミニアムは、最近、現時点での最高価格で売買されたとのことである。

(ホテル近くの九龍の街並み)

   
(Hyatt Regency Hotel)

 

 昨日到着直後、ホテル周辺を散策し、特にホテルから5分ほど歩いたところにある狭い「厚福街」という通りがすっかり気に入ってしまった。昨日も、到着直後このあたりを、屋台で売られているカレー味のおでん風魚の練り物やクレープを頬張りながら散策していたのであるが、この日も、またこの周辺をいったん徘徊し、昨日と違うクレープなどを摘まみながらいったんホテルに戻った。

 アジアの楽しみは、安いコストで楽しめるマッサージであるが、この散策の途中で、道で客引きをしていたおばさんからもらったパンフレットのマッサージが、取り敢えずそれまで街で目にしていたこのサービスの値段としては最低の、45分足マッサージでHK$88(約1200円)であった。もちろんタイであれば、この値段であれば2時間のフル・マッサージが出来るし、シンガポールで私が行きつけの中華街の値段とほぼ同じくらいの水準である。しかし、日本から来た家族にとっては、たいへんお得な価格である。

 ということで、ホテルで小休止した後、夕食前にこれをやろうということになり、5時前にホテルを出て「厚福街」の雑居ビル6階にあるこのマッサージ屋に向かった。到着時はやや混んでいたが、少し待って家族4人、また雁首を揃えて45分の足マッサージでゆっくりした。私はシンガポールで行きつけの店のお兄さんの感覚が気に入っているので、この日のおばちゃんの腕はまあまあといったところであるが、家族は満足した様子であった。

 マッサージを終わってから、タクシーで、この日の夕食場所として考えていた「男人街」に向かう。余談であるが、香港のタクシーは最低料金HK$18からスタートするが、トンネルさえ越えず、九龍地区で動いていれば、だいたいHK$20前後で上がる。この日向かった「男人街」は、地下鉄で北に一駅、HK$5/一人である(反対側に一駅行くと、トンネルを越えるのでHK$8.5となる)ので、4人いればタクシーと同額である。

「男人街」は、正式名テンプル・ストリート廟街という、いわゆる「ナイト・マーケット街」である。愛称のとおり、男性衣類や時計、電気製品等の屋台が主体の通りである。買うものはあまりないので、雰囲気を味わいながら、ブラブラと夕食の場所を探す。歩行者天国になっている通りの角に、大きな蟹の飾りを看板に付けている海鮮料理屋があったので、その通りに並んだテーブルに席をとった。

 この日注文したのは、鶏の炒めものと野菜、それにカレー味の海鮮スープ。香港の「カレー味」というのはどんなものかな、と思ったが、またシンガポールの「フィッシュ・カレー」ともまた一味違った味で、ココナッツはほとんど入っていない。カレーだけの香りで、シンガポールの辛さに慣れている身からすると、辛さが物足りないくらいであった。
また、この時店においていたビールが、こちらで一般的なチンタオ・ビールではないブランドであり、飲みやすく、且つ値段も安かった。この日の夕食は4人で締めてHK$220であった。

 その後、食事前に見つけたCD/DVD屋等で買い物をした後、海峡までタクシーで戻り、毎晩そこで行われているレーザーを使ったライトショウである「Symphony of Lights」を見てからホテルに戻り、入口の向かいにあるバーでカクテルを飲みながらゆっくり過ごしたのであった。バーでは、日曜日のテニス帰りのような日本人の20人位のグループが盛り上がっており、どうもその中のメンバーの送別会であったようで、帰りがけにも通りで集合写真などを撮っていた。

(男人街)
 
           
(男人街:露天の海鮮レストランで)


(男人街近所の大通りの夜景)

 

3月15日(月)

 早朝、私が会社の香港拠点のオフィスを訪問したりしていたので、遅い出発である。この日は、深センやマカオに遠出することも考えたが、まああくせく動くより近所でのんびりしようということで、10時半頃ホテルを出た。朝昼兼用で飲茶を食べようということになり、ネットで評判の良かったホテル近所の店を探す。ホテルと同じ地下鉄駅の別の出口を出たところにある「客家機好」という店を探した。地下鉄駅のある「Nathan通り」に面したビルの6階にある小奇麗な飲茶レストランである。

 我々が店に入ったのは11時少し前であったが、既に店のテーブルは半分くらい埋まっている。観光客というよりも、地元のおじさんが一人で新聞を読んだり、主婦やOLらしき女性のグループがいたりで、むしろ地元中心のような印象である。我々も早速5−6皿注文したが、どの皿もさっぱりしていてとても食べやすかった。料金は、何と驚きのHK$77。昨日の朝食としてホテル近所のマクドナルドで、コーヒーとサンドイッチを4人分購入しHK$100ちょっと払ったことを考えると、たいへん満足な朝昼兼用であった。

(飲茶レストラン・客家機好)



 その後、昨晩ライトショウを見た海峡沿いを散策し(昨日よりは日射しも強く、霧もひどくなかったが、ヴィクトリア・ピークの上はやはり見えなかった)、タクシーでホテル近所の香港歴史博物館や科学博物館を眺めて、再び「厚福街」経由、徒歩でホテル方向に向かう。途中、家族が「買い物組」と「ホテルゆっくり組」に別れ、私たち「ホテルゆっくり組」は、「厚福街」入口にあるお気に入りの甘物屋「新留山」で、マンゴやそのアイスがたっぷり入ったフルーツ・アイスクリームのデザートを頬張ってから帰ったのであった。家族3人はいったんホテルに戻った後、もう一回マッサージに出かけたが、私はホテルでゆっくりしていた。

 夕刻、タクシーで、地下鉄モンコック(旺角Mong Kok)駅近くにある「Sino Centre」雑居ビルに向かった。ここは香港の「オタク・ビル」と呼ばれているが、狭い雑居ビルの4−5階にCD屋、ゲーム屋、雑誌屋、アクセサリー屋その他雑多な「オタク」好みの店が所狭しと入っている。日本のアイドル系芸能人グッズを取扱う店もあり、制服姿の地元の中高生といった感じの若者で溢れている。日本の消防法ではとても許容されないような雑居ビルである。家族が芸能人グッズなどを眺めている間、私は、60年代ロックの珍版を安い価格で見つけたりしていた。

 そこを出ると、直ぐに「女人街」である。昨日行った「男人街」と対をなすナイト・マーケットであるが、そこは散策するだけにして、昨日のような気楽な屋外レストランを探した。しかし「男人街」と異なり、しばらく散策したが、こっちには、そもそも屋外レストランが無く、また気楽に入れる店が見つからなかった。そうこうしている内に通りに人が溢れてきた。週明け月曜日の帰宅時間なのであろう、多くの人々がモンコックの地下鉄駅から外に向かって出てくる。これはやはりちょっと混みすぎ、ということで、田舎者の私たちは、早々にそこを逃げ出してホテルの近所に戻ることにした。押し寄せる人波に逆らうように地下鉄で二駅の「Tsim Sha Tsui」に着くと、そこはモンコックのような雑踏はなくほっとする。ホテルの近所で、到着直後から気に留めていた「潮州麺食」というやはり小さな食堂に入ることにした。

 ここは魚の練り物がお得意の食堂のようで、一般的なワンタンや麺類等に加え、イカや魚の練り物を注文する。名物親父なのだろう、中高年のおじさんがMr.ビーンのように目を剥きながら大袈裟な仕草で料理を推薦し、注文を取る。潮州料理は、シンガポールにもあるが、油をあまり使わずさっぱりしていて、私など中高年にはとても食べやすく胃腸に楽である。ビールも飲んでHK$200は、昨日の夜とほとんど同じ値段であった。

(潮州麺食)



 食後、また昨日と同じホテル前のバーで、今日は日本人集団もいない静かな雰囲気の中でカクテルを飲んだ後、家族はまたデザートを食べるということで、お気に入りの甘物屋「新留山」へ向かったが、私は一足先にホテルに戻ったのであった。

3月16日(火)

 帰国日である。私は、家族の成田行よりも2時間ほど早い午後1時半発のシンガポール行なので、11時半頃にはホテルを出なければいけない。しかし午前中の時間はあるので、9時半頃ホテルを出て、地下鉄で6つほど行ったところにある占いで有名な、香港庶民の信仰のメッカという仏教寺院、黄大仙廟(ウオンタイシン)に行くことにした。

 地下鉄の出口を出ると、そこはすぐに寺の入口である。金キラ金の飾りを売る屋台と線香を売るおばちゃんで一杯である。線香を買って境内に入ると、今度は線香の着火場所に人が群がり、そして火がついた線香を持って本堂前に向かうと、朝の10時ちょっと過ぎというのにそこも人で溢れ、線香の煙があたり一帯に充満している。早々にお参りを済ませ、家族がその有名な占いを引いてから、早々に寺を出て、出口の反対側にあった小奇麗なショッピング・センターに入る。入口で飲茶レストランの宣伝が出ていたので、それを探すと、2階に富金海鮮酒家という店が見つかった。昨日同様、飲茶で朝昼兼用にしようということになった。

 午前10時半を過ぎた時間であるが、昨日の飲茶屋以上に広い店内は、ほぼ満杯である。店の人間も英語はほとんど出来ず、そこは完全に中国人の世界である。ここに溢れている中国人の客が香港外から来た観光客か、地元なのかは分からなかったが、例の中国的喧騒が渦巻く世界であった。身振り手振りで注文をしたり、勝手にキッチンの前においてある皿を取ってきたりして適当に注文をしたが、昨日の店と同様、なかなか美味しい飲茶であり、値段もHK$110とリーゾナブルであった。

(黄大仙廟の構内)

          
(黄大仙廟そばの富金海鮮酒家)

   

 11時前にそこを出て、地下鉄でホテルに戻る。ホテルで簡単な荷造りをして、部屋の出口で家族と別れて、エアポート・エクスプレス九龍駅行きのシャトルバスに乗る。ホテルを幾つか回るため、思ったより時間はかかったが、エアポート・エクスプレスは頻繁に出ており、車内も快適で、車窓からランタオ島の海岸線を眺めているうちに15分程度で空港ターミナルに到着したのだった。

 今回の短い休暇は、家族との時間を過ごすことが主たる目的であったが、同時に冒頭にも書いたとおり、中国への返還を挟む20年振りのこの滞在で、返還前との変化などを感じられたら、という気持ちもあった。

 20年前の記憶はさすがにあまり定かではないが、今回ここを訪れた印象としては、昔同じ頃に訪れ、その後現在居住しているシンガポールがより西欧化しているのに対し、やはりこの町は、より中国化しているような感覚が残った。もちろんそれは、今回我々が九龍地区を中心に歩き回っていたせいもあるのだろうが、例えばシンガポールのオーチャード通りが再開発され、しゃれたショッピング・センターが次々に開業しているのに対し、この町のネーサン通りは、海峡に近いあたりは多少洗練されているものの、モンコックなど北に行った地域ではもはや再開発の余地の無いほど古い高層ビルが密集し、益々中国的雰囲気が強くなっているような気がしたのである。もちろん「アジア的」な物を愛好する我々にとっては、日本とあまり変わらず、街を歩いてもあまり刺激の無いシンガポールよりもこうした雰囲気の方が、旅行で偶に滞在するには新鮮なのであるが、生活する場所しては、やや息苦しい感じがするのは否定できなかった。もちろん、それがこの地が中国に返還されたことが原因であるのかどうかは定かではない。しかし、一国二制度とは言いながらも、返還後のこの地における欧米文化の影響が徐々に後退していくのは当然のことであろう。益々政治的・経済的存在感を増す大陸中国が、この街を今後どのように変えていくのかは興味深いところである。

2010年2月21日 記