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シンガポール通信
旅行
ジャホール・バル ジャラン・ジャラン(散策) (写真付)
2011年8月9日 
 8月9日(火)は、当地は第46回のNational Day(独立記念日)の祭日である。例年のことであるが、約1ヶ月前から、会場となるマリーナ地区を中心に、毎週土曜日に予行演習が繰り広げられ、交通規制が敷かれる。そしてその当日は、いつものとおり特設ステージの上でパレードと余興が繰り広げられ、最後は夜8時の花火が打ち上げられる。

 毎年の恒例行事であり、行事の内容やそれに前後した首相のスピーチ等も聞き飽きているが、今年は飛び石の火曜日となり、ロング・ウィークエンドとならなかったことから、当日シンガポールから最も近いマレーシアの町であるジャホール・バル(以下「JB」と略称)に日帰り予定で軽く足を伸ばすことにした。

 この町を訪れるのは、かつて80年代終わりに、初めてシンガポールを観光で訪れた際、日帰りのバス・ツアーに乗った時以来である。当時のシンガポールの記憶さえ薄れているので、この時のJBの印象はそれ以上に残っていない。ローカル然としたマーケットを訪れた記憶がかすかに残っているが、この時の我々の訪問は、まずはシンガポール4泊の滞在で、シンガポール内だけでは時間を持て余していたこと、及びこの時点ではまだ入ったことのないマレーシアに、取り敢えず足を踏み入れた実績を残そう、ということだけだったような気がする。それから約20年強の時間が過ぎ、当然この町もシンガポールと同様大きく変わっていることは間違いない。シンガポール直近のこの町の雰囲気を感じると共に、ここへのアクセスがどの程度容易かも確認したいと考えたのである。

 JBへの小旅行は、6月に一回試みていた。昨年、1965年の独立以来マレーシア領のままであったマレー鉄道のタンジョン・パガー駅と、今後新たな起点になるウッドランド駅までの路線が、両国の合意により本年7月1日を持ってシンガポールに返還されることになった。この時が迫る中、ただタンジョン・パガー駅からマレー鉄道に乗ることを目的にJBに行こうと画策した。しかし、結局ネットでの予約が出来ず(後で判明したのは、JBは近すぎてネット予約の対象になっていなかった、ということであった)、この企画は断念することになった。その後今度は単純にJBを訪れる機会を探していたが、通常の週末は一週間の疲れや諸々の週末の用事から、なかなかその気にならなかった。今回飛び石の火曜日の祭日というのは、その気にさせる格好の機会であった。

 こうして朝、8時前に地下鉄で2駅のブギスに向かう。JB行きのバス発着所は、ここから徒歩5分程度のエリザベス通りにある。予約も何もしていないので、若干の心配もあったが、発着所に着くと、直ぐにJB行きのバスが待機しており、横のテーブルでチケットが売られていた。片道S$2.40(約150円)のチケットを購入し、バスに乗り込む。因みに、バス停の直ぐ横にJB行きのタクシー・サービスもあり、一人当たりS$10、一台のミニマムS$40とのことであった。

 既にバスは満員に近く、乗り込むと直ぐにバスは出発した。後ろにもバスが控えており、どうも時刻表があるということではなく、適当に一杯になれば出発するという感じである。両側二席づつの普通の観光バス仕様である。

8時17分に出発したバスは、既に8時40分にはシンガポール側の通関地点であるウッドランド・チェックポイントに到着。一旦バスを降り、通関手続きを済ませ、また反対側で待っているバスに乗り込むというのは、以前のマラッカやKLに行った時と同じであるが、バスの出発前に特段人数チェックをしないのがやや気になった。そして9時前にマレーシア側の通関に到着した。出る前に、会社のローカル社員から、「渋滞するので9時前に通関したほうが良い」と言われていたが、確かに一般の自家用車の車線は、すでに結構渋滞していた。

 ここで、先ほど感じていた不安が顕在化した。マレーシア入国で、私が並んだ列の処理時間が長く、特に私の直前の女性が完全にスタックしてしまった。やや時間が経過し、ようやく通関を終え、バス・ターミナルに降りる階段から、私の乗ってきたバスがまさに出発しているのが見えた。「やはり!」。しかし、他に方法はあるだろうと、関係者と思われる男に、「JBセントラルに行くバスはあるか?」と聞くと、一般のバスを指差し、「あれで行くよ」とのこと。料金も何故かリンギではなくS$1.20とのことではあるが、安いのでそれでも良いだろう、ということで、古い一般のマレーシアの公共バスと思われる車両に乗り込み、10分もしない内に、広いバス・ターミナルに到着した。時間は、まだ9時15分。それでは観光開始だ、ということで、まずはそのバス・ターミナル前の大きなコンプレックスの中を彷徨ってみる。

 典型的なマレー型バザールである。まず2階に上がると小さな屋台に毛が生えた程度の店が連なっているが、まだ午前の早い時間ということもあり、開いている店はまだ限られている。スペースの端の一階は野菜や肉など食料品が並べられ、東南アジア特有の乾燥魚の匂いが鼻につく。2階からもう一段上がった場所は「リラクゼーション」と書いているので、間違いなくマッサージもあるのだろう。町の中で探して適当なところが無ければ、帰りがけにここでマッサージをやれば良いだろう、などと考えながら、まずは、バス・ステーションから抜けられる中心街に行こうと考え、通路を探した。

 事前に会社のマレーシア出身のローカルスタッフからもらった地図だと、バス・ターミナルから広い通りを横切ると「City Square」という新しい大きなSCがあるということであったが、回りを見渡してみても、それらしき建物も、表示もない。まあ良いだろう、ということで、偶々目の前に溜まっていたタクシーに声を掛け、まず最初の観光地点である海峡沿いの丘に立てられた「アブ・バカール・モスク」へ行くことにした。

 10分程度、メーター料金で9リンギ(約230円)の走行で、9時40分に、このモスクに到着する。降りる時に、「次に博物館に行きたいのだが、どっちの方向だ?」と聞くと、運転手は、「海に沿って500メートル位のところにある白い大きな建物、すぐ歩いていける距離だよ」と言い残し去って行った。

 天気は晴れ。しかし時々雲がかかるので、それほど暑くない。海峡から僅かにそよぐ風も心地良い。モスクはどこもそうであるが、イスラムが偶像崇拝を禁止していることから、中は全く殺風景である。建物の周りを回りながら、モスクと海峡の向こうのシンガポールを眺めるが、10分ほどの滞在で飽きて移動を開始する。

(アブ・バカール・モスク正面)


(アブ・バカール・モスク裏側)


(アブ・バカール・モスクから海峡・シンガポールを望む)


 モスクから海峡に降りる通り沿いに、何かの入り口があり、子供を連れた家族連れが入っていくので覗いてみると、動物園であった。道沿いからも鹿などの動物が、簡単な檻の中で動いているのが見える。後で地図を見ると、王宮であるイスタナの一角がこの動物園になっているのが分かった。しかし、男一人で動物園も無いので、それはしかとして、海岸沿いの大通りに沿って、街の中心部に向かって歩き始める。

(動物園)




 シンガポールは祭日でも、マレーシアは通常のウイークデイである。海岸沿いに走る街道は、車の流れは多いが、人の影はほとんどない。行きかう車から見ると、小さなリックをしょった変な観光客が一人ぽつんと歩いているように見えるのだろうな、等と考えながら10分ほど歩くと、道の左側に大きな白い建物が見えてきた。マレー語の看板は読めないが、これがローヤル・アブ・バカール博物館であるのは間違いない。しかし、通りから上がる通路には通行止めの鎖が掛かっている。「もしかしたらこれは裏口で、反対側に入り口があるのかもしれない」と思い、そのまま建物に沿って歩き続けると、広大な庭園の端まで来てしまった。この庭園はイスタナであるのは間違いないので、明らかに行き過ごしているが、途中にはそのイスタナに入っていく道はない。そしてその広大な庭園の端にある立派な門も「関係者以外立ち入り禁止」マークである。

(ロイヤル・アブ・バカール博物館ー閉館中)


(イスタナ入口)


 その向かいにある建物の入り口管理事務所のおばちゃんに地図を見せながら「博物館はどこか分かるか」と聞くと、どうも英語は分からないようで、手振りで横の道を行った建物に観光センターがあるから、そこで聞けという雰囲気。それこそ人影のない建物に入っていくと、確かに観光センターはあるが、そこも人気はない。しょうがないので、裏を覗いてみるとようやく男が出てきた。しかし彼は案内担当ではないらしく、別の女性がカウンター席につき、話し始める。

 スカーフを被ったモスレムの女性であるが、英語はきれいでたいへん親切である。博物館は、まさに私が通り過ぎた建物であるが、最近1年くらい修復のため閉館しているということである。「他に何か見ものは?」と聞くと、「夜までいるのであれば、ナイト・バザールが賑やかよ」というのであるが、当方は残念ながら日帰りである。その他は、余りなさそうだなと思い、余り長居せず、「それじゃあ適当に歩き回る(ジャランジャランする)」と言って、そこを出た。

 シンガポールでもまだ残っているような、小さな通りに商店や食堂が並んでいる通りを歩くと、町の中心街であるウォン・ア・フック通り(Jalan Wong Ah Fook)までは5分もかからなかった。この通りに会社のスタッフお奨めの「フィッシュ・ヘッド・カレー」の店があると聞いていたが、一件既に20人位の行列が出来ている中華料理屋が目に付いた位で、それ以外には、これはという店はなかった。通りから見えた派手なインド寺院などに立ち寄りながら、新しい大規模SCであるCity Squareに入る。時刻は丁度11時。結局1時半くらい、ウロウロしていたことになる。

(ウォン・ア・フック通り)






(インド寺院)


 入り口にあったマックで1リンギのソフト・クリームを舐めて小休止した後、SCの中に入る。シンガポールのSCと変わらない、きれいなSCであるが、これもシンガポールと同様、変わった商品を売っている訳ではない。いつものとおり、CD/DVD屋でシンガポールよりも安い商品をいくつか購入しただけで、昼も近くなってきたので、地下にあるレストラン街へ向かった。

(SCーシティ・スクエア)


 これもなかなかきれいなレストラン街で、シンガポールで一般的なフードコートの一角はない。回転寿司屋とその横にある和食レストランを眺めていたら、そこでの昼食の定食メニューがだいたい15−20リンギであった。本来は、町のローカル・レストランに行くべきなのであるが、またウォン・ア・フック通りに戻るのも面倒臭くなり、JBの500円の和食がどんなものか、試しておこう、という言い訳を自分にした上で、軟弱にもその和食屋に入ってしまった。結果は、天丼を食べたのだが、シンガポールのローカル経営の和食屋でのそれと似たようなものであった。シンガポールでは、一応レストランで食べるとS$15はするので、半分位の値段である。12時近くなり、私のいる周りのテーブルも埋まってくる。このSCの高層階はオフィスビルになっているので、そこのサラリーマン的なグループや若いカップルなどが目に付き、それなりにここでも和食がローカルに定着している様子が感じられた。

 あまり観光資源もないのと、この日の夜もシンガポールで予定が入っていたことから、マッサージだけやって、シンガポールに戻ろうと、指示に従って、SCの反対側の大通りを陸橋で越えたところにあるバス発着所に向かう。この時も、私は、その発着所は、朝到着した場所で、そこにはマッサージの店があると思い込んでいた。しかし、陸橋を渡った先のビルも近代的な建物で、朝の雰囲気とは全く違う。通路には「woodland方面」という表示があり、私はそれを「シンガポールに向かうバス発着所」という意味だと考えていたのであるが、そのビルに入る前の通路で、二人の警備員がパスポート・チェックを行っている。「あれっ」と思ったが、もう戻るのも面倒臭い、と考えそのまま進むと、ガラス越しに通関窓口が見えてきた。しかも、その雰囲気は、朝通関に手間取り、バスが出てしまった建物、そしてそこから別のローカルのバスにのった建物の雰囲気そのものだったのである。そこで初めて、ここが朝到着したバス発着所ではなく、まさに朝マレーシアへの入国手続きを行った場所であったことに気がついたのであった。これは即ち、今朝、そこで私はローカルのバスに乗り換える必要がなく、ただ陸橋で反対側に行けば、JBの中心街に出ることができたということである。確かに、それが行く前に会社のローカルスタッフから聞いていたJB中心街の地理であった。一体私は朝、どこに行ったのだろう、と考えながら、マッサージも出来ず、そのまま通関し、3リンギでシンガポールの中心部に行くバスに乗り込み、海峡を渡ったのである。時間は午後1時を少し越えたくらい。朝も渋滞していた、マレーシアに入国する一般車用の車線は、この時間になるとシンガポール側の通関地点から完全に車で埋まった渋滞状態であったが、シンガポールに帰る方は全くスムーズで、10分程度でシンガポールへの入管を越えることになった。

 しかし、まだ終わっていなかった。私の乗ってきたバスの位置が分からずいろいろ聞くと、長蛇の列の後ろで並んで待てという。しかし、すぐ横ではシンガポールの一般のバスが頻繁に出発している。「ああ、面倒臭い」ということで、長蛇の列から離れ、別にS$2を払って、その一般のバスに乗り込んだのであった。これは私が通勤などに使う車両で、各バス停に泊まりながら中心街に向かうので、行きに比べて結構時間はかかったが、2時前にはニュートン・サーカスに到着。そこで地下鉄に乗り換え、2時20分には自宅に帰りついたのであった。

 今回のJBへの旅は、まずはこの国境を越えたシンガポールから最も近いマレーシアの町への移動方法を確認するのが主目的であった。その意味では、朝、「私は、今、いったいどこにいるのか?」という経験は予想外のものであったが、結果的には、自分の認識違いが分かることになった小旅行であった。しかし、それは旅行というには、あまりに安易なものである。しかも、数時間の滞在で、この町の観光資源はほとんどないことが分かってしまった。それでも、逆にこれだけ簡単に移動が出来、尚且つ一応この町ではシンガポールとは異なったアジアの雰囲気が感じられることは確かである。次にいつこの町に行くことになるかは分からないが、少なくとも、次は今回のような間違いはせずに、直ちに中心街に辿り着けることだけは間違いない。

2011年8月14日 記