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シンガポール通信
旅行
ラオス ルアンプラバン滞在期
日付:2019年5月2日−4日 
 日本が10連休となっている今年のゴールデンウィーク、当方も5月1日のメーデーから5連休となったことから、ラオスへの2泊3日の小旅行に出かけることになった。

 もともとこの休暇は、3泊5日の予定で、スリランカを訪れる予定であった。しかしながら、出発直前の4月21日(日)朝9時(現地時間)に、コロンボ市内5箇所で大規模な爆発が発生。その後イスラム過激派による同時テロ(自爆テロ)であることが判明したが、市内の高級ホテルに宿泊していた外人(現地在住の日本人女性1名を含む)を含め、300人以上の死者がでる大惨事となった。

 こうした中で、既にツアー料金は払込み済みであり、規定ではキャンセル不能の時期になっていたことから、これに行くかどうか悩むことになった。しかし、数日後、旅行会社から、「ツアーは行われているので、出発は可能であるが、お客様の気持ちに配慮し、全額返金でキャンセルすることも可能」との連絡が入った。そうであれば、まだテロの再発も懸念され、厳戒態勢で空港や交通での不便も予想されるスリランカにあえて今行く必要はない、ということで、それはキャンセルすることにし、代替案を考えることになった(但し、オンラインで取得していたスリランカのヴィザ料金US36.40は捨て金となった)。

 こうして代替先として、夜ベッドの中で思いついたのが、ラオスのルアンプラバンだった。ラオス自体は、首都ビエンチャンに、業務出張で滞在したことはあるが、古都で世界遺産にもなっているルアンプラバンは、まだ行ったことはない。昨年末に当地の友人が遊びに行ったことをフェイスブックに上げていたのも思い出し、ここを振替先とすることにした。出発日は直前に迫っていたが、フライトを含めて、アレンジすることができた。

 ラオスについての基礎知識は、2011年に読んだ、1995年刊行の新書(「ラオス インドシナ緩衝国家の肖像(青山利勝著)」。「アジア読書日記」に別掲)が、唯一の参考書であるが、今回は旅行前には、これを眺める時間もなく、全く事前勉強なしで出発することになった。

5月2日(木)

 今回のフライトは、シンガポール、チャンギ空港を朝9時ちょうどに出発するスクート・エアー(TR350便)。事務所に残していく休暇予定表を作成している際に、帰国便も同じTR350であることと共に、1時間の時差を勘案しても、往路のフライト時間は3時間であるのに対し、帰路は5時間かかることに気がついた。その理由は、往路はプランプラバン直行であるのに対し、帰路はビエンチャン経由であること、そしてフライト自体は、ルアンプラバンとビエンチャンを回わり、チャンギに戻るフライトということで、コードが同じになっていたのである。昔、ミャンマーの国内便でパガンに行った時が、同様に3つの町を回り、ヤンゴンに戻るフライトであったことを思い出した。それと同じことが、この国際便でも行われていた、ということである。しかし、2014年10月に業務出張でビエンチャンを訪れた際は、シンガポールからの直行便はなく、バンコク・トランジットで入ったことを考えれば、便利になったものである。当日は早めにチャンギ空港に到着し、前週に一般公開が行われたばかりの空港の新ショッピング・ドームであるJEWELを短時間眺めてから、ゲートに向かった。

 1時間時差で戻り、現地11時過ぎにルアンプラバンの空港に到着する。機体からバス移動かと思っていたら、きちんとゲートに到着。また機内は外人客を含め満席であったものの、入国もヴィザを必要としないことから入国も順調で、ほとんど待たされることもなく、直ぐに出口で迎えに来ていた旅行会社の看板を持った女性と合流した。彼女は、ソンさんと名のり、これから3日間、案内をするとのことであった。空港の天気は薄曇であるが、気温は結構高い。但し、出てくる前のシンガポールでは湿度が高かったのに比べると乾燥しているので気持ちは良い。そんな中、まずは車で昼食に向かう。ホテル近所で、ルアンプラバン名物の「カオソーイ」を食べるとのこと。空港からは20分もかからず、その店に到着し、ローカルな雰囲気の店でその昼食をとる。以前タイのチェンマイ市内で、同名の「カオソーン」を食べた記憶があり、その際は「カレーうどん」という印象であったが、ラオスのそれは、カレー風味という感じではなく、ピリ辛ソースにビーフンのきし麺、それに豚ひき肉がかかった料理で、見かけよりはさっぱりして食べやすかった。ソンさんは、別にサンドイッチも調達してくれたが、これは食べきれずに持ち帰ることにした。

 12時過ぎにホテルであるVICTORIA XIENGTHONGに到着し、チェック・イン。部屋は、やや冷房の利きは悪いが、必要なものはそろっており、全く問題はない。ただ、事前にチェックしたホテルのサイトに書かれていたプールはない、という。世界遺産であることから、最終的に設置が許可されなかったということであるが、おそらくはそれだけの問題なのではなかったのではないか。結局、滞在中、プールサイドでのんびりするような時間はなかったことから、どうでも良かったが、少なくともホテルの設備リストからは削除しておくべきである。

 荷物の整理をして、着替えをしてから、午後1時半、市内観光に出発。事前に、この日と翌日、男性が一人同行すると聞いていたが、高橋さんという、年代は私と同じくらいであろうか、北海道からこの連休を利用して、タイ・パタヤで数日過ごしてから、こちらに移動してきたとのこと。それから1日半、高年男性2名での道中となった。

 ここルアンプラバンは、1560年、首都がビエンチャンに移されるまで首都(正確には、1353年に統一されたランサーン王国の首都で、この年、ビルマによる侵入から逃れるために、その進入路から遠いビエンチャンに遷都したとのこと)であったということで、当時をしのばせる仏教遺跡が主体の観光である。まずはホテルのすぐ横にある「ワット・シェントーン」。ここのメインは、ラオス最後の王の遺骸を運んだ霊柩車であるが、タイヤのついた仏教飾りに彩られた車体は、これを最後に使われなくなり、建物の中に安置されたという。続けて王宮博物館。フランス植民地時代にフランスが建設した王宮が、現在は博物館になっているという。かつての王族の生活を偲ばせるが、展示物は、他国から最近になって贈られた記念品が多いという印象であった。

 そこを出ると、正面入り口の道を挟んだ向かいに、パーシーの丘への入り口がある。街が一望に見渡せる丘で、約400段の階段を登るという。直射日光こそないが、同行者の携帯にある温度計では、気温は39度と表示されているとのこと。ガイドのソンさんも同行し、登り始めるが、直ちに汗が噴出してきて、タオルを持ってこなかったことを後悔することになった。それでも休み休み15分程かけて登りきると、確かに素晴らしい眺望が待っていた。西側には、山並みに沿って雄大に流れるメコンに沿って、薄い赤みを帯びた屋根に統一された低層の街並みが広がり、東側は先ほど到着した空港まで、少し濃い色の町並みが、山に向かっている。これはメコンに沿った地域が世界遺産として最も規制の厳しいところで、東側は規制がゆるいことによる、というのがソンさんの解説であった。20分ほど滞在してから、再び来た道を通り下山。その後は、町の人々が使う市場を眺め、スーパーでビール(同行者のお奨めでビアラオ)とつまみを購入(支払いはタイ・バーツ。お釣りはキップ)して、5時過ぎにホテルに戻った。

 シャワーですっきりしてから、ビアラオ小瓶2本で、すっかり良い気分となったところで、6時に、またソンさんが迎えに来た。まずは、昼に出されたが食べきれず持ち帰ったサンドイッチを遠慮がちに差し出すと、ソンさんは嬉しそうに受け取ってくれた。この夕刻は、ナイトマーケットと夕食ということであるが、ナイトマーケットは、街の中心街で、王宮博物館やプーシーの丘のある地域を夕方歩行者天国にして開催されている。ただそこで売られている土産物は、アジアのどこでもある品物がほとんどなので、ソンさんには申し訳ないが、散策するだけで、夕食のレストランに向かった。

 夕食は、メコンの岸辺にあるいかにも高級そうな「CALAO」というレストラン。ホテルはすぐそば、ということで、確認するとホテルの裏口まで数10メートルの距離(そこで初めてホテルもメコンに面していることに気が付いた)。当然、帰りは一人で帰れるので、ソンさんと車は帰し、ゆっくり、ビアラオのドラフト(12,000キップなので、200円くらい。ソンさんによると、これを出すのは街には、この店を含め2軒しかないとのこと)とラオス料理を楽しんだ。前菜のかぼちゃスープから、豚肉の炒め物、川海苔のテンプラやひき肉の筍詰め等々。すべて薄味で、たいへん食べ易かった。ただ量が多く、籠に盛られた黒もち米ご飯は、5分の1位しか食べることはできなかった。

 食事の後半から、頭は次のマッサージに行っていた。7時半には食事を終え、いったんホテルに帰り、バーツの現金を補充してから、マッサージ屋探しに出かけた。ホテルの並びは、ほとんど灯りもなく静かであるが、メインの通りに出ると、しゃれたレストランやバーも多く、かと言ってそんなに人出がある訳でもなく、のんびりとした雰囲気である。今回は、夕食付のツアーを申し込んでしまったため決められたレストランでの食事であるが、自由に探してもまったく支障はなかったな、等と考えながら、適当なマッサージ屋を探す。

 到着時、昼食をとった店の向かいに「スパ」の看板があり、1時間のボディーマッサージで120,000キップ(約2000円)と表示されていた。ソンさんによると、「ここはお奨めしている店です」ということであったが、値段が、タイどころか、マレーシアでの値段と比べても高いので気になっていた。しかし、通りに沿って歩くと、すぐ一軒目の看板が目に付き、値段を見ると1時間のボディーマッサージで50,000キップ(約850円)と表示されていた。それほど汚い店ではないことから、まずはここで、ということで、ラオスで第一回のマッサージに臨んだ。結果は、若い女性のマッサージであったが、丁度、旅行前にテニスで痛めた右足腿を柔らかく、という私の要望も踏まえたタッチで、なかなか良好であった。値段もタイの水準と粗同じであることから、10,000キップのチップを渡し、「また明日、同じ位の時間に来るよ」といって、9時少し過ぎた時間に帰路についた。静かな裏道に入り、ホテルまでは5分もかからず、そのまま、TVニュースを見ながら、10時過ぎには、眠りについた。

5月3日(金)

 5時前に目が覚めたが、まだ外は暗いことから、シャワーを浴びてから、行きの機内で読み進め、最終盤に入っていたYuval Noah Harariの、「21 Lessons for the 21st Century」を読み終えることになった。この著作については、これからまとめることになろう。6時半にレセプションに下りると、朝食は7時からということだったので、いったん部屋に戻り、しばらく待ってから、7時に朝食会場に着く。朝食会場は、昨日夕食後にそこから入った入り口の横、ホテルのメコン沿いにあることから、その一番川沿いの席に座り、木々の間から早朝の川の流れを眺めながらの朝食となった。昨日の昼食の店にも、何組かの日本人旅行者がいたし、昨日の市内観光時にも、同行の男性以外にも、多くの日本人観光客に出会ったが、朝食会場でも、若い夫婦や子連れの家族など、既に何組かの日本人が目に付いた。

 この日は、メコン・クルーズ等の1日観光であるが、出発は9時ということであるので、しばらく部屋でゆっくりしてから、定刻にソンさんと、今日も同行する高橋さんと合流した。5分もかからず川沿いの船着場に到着し、停泊していた観光船に乗る。かつて、タイ北部を旅行して、そこでメコンを航行するときに乗ったボートとは雲泥の差がある大きな船で、日本の屋形船ではないが、3−4人用のテーブルが7−8席置かれている。ソンさんによると、今日は、我々二人以外に、あと二組が乗船予定ということで、しばらくすると、日本人と思わしき女性二人が合流する。しかし、もう二組が遅れているということで、出発予定時間の9時半を過ぎても、まだしばらく待つということであったが、結局、携帯で催促していたようであるが、最後の一組は、乗船することがなくなった、ということで、10時前に、我々を含む2組だけを乗せ出航。メコンを北に向かい航行することになった。

 天気は、昨日同様薄曇であるが、乗船時には既に気温は相当上がっていた。しかし、空気が乾燥しているのと、航行で風が入ってくることから、船内はたいへん心地よい。最初の目的地の地酒「ラオラーオ」を製造しているバーンサンハイという村まで1時間半かかるということで、両側に広がる山並みを眺めながらのんびりと過ごす。ここで、高橋さんに「連休ということではあるが、ラオスに来る日本人が多いのでびっくりしている」と話していると、そこで高橋さんが、村上春樹の文庫本を持ってきている、ということで、その「ラオスにいったい何があるというのですか」という表題の本を眺めることになった。

 村上春樹は、私の学生時代のデビューから、ある時期までは追いかけてきたが、特にシンガポールに着てからは、目だった作品もないことから、まったく関心がなくなっていた。しかし、この昨年(2018年)4月刊行の文庫本で、ラオスを含む何カ国かの紀行文を発表していることを初めて知ったのだった。ラオスについては、表題になっているものの、記載自体はさして多くなく、高橋さんに言わせると、「出版社の金で高級ホテルを泊まり歩きながら、きままに綴った紀行本」ということで、ルアンパバーンでも、この街の最高級ホテルに宿泊し、あまり一般の旅行客の行かない場所について、短く触れられているだけということである。確かに、村上春樹のように、影響力のある作家が紹介したとなると、内容の如何に関わらず、それ目当ての日本人客が増えることは容易に想像される。何となく、今回の滞在で日本人が多く目に付いたのを納得したのであった。

 出発してすぐ建設中の橋があったが、これは中国昆明とビエンチャン、そして最終的にはバンコクを結ぶ鉄道の橋で、中国が建設しているという。ラオスは、中国と国境を接していることもあり、カンボジアほどではないが、メコン上流のダムを始め、中国の進出が進んでいる。中国の「一帯一路」の一部をここで目撃したことになる。

 船が進む間、別グループの中年女性たちとも言葉を交わしたが、日本人女性二人は一緒の旅行者ではなく、むしろもう一人の外人男性と一人の女性(東京から)が一緒、もう一人の女性(大阪から)は一人旅ということであった。外人男性は、ネパール人で、日本人女性の他の友人とバンコクで合流し、そのうちの二人でラオスに入ってきたということであった。男性とネパールの気候などについて雑談している内に、最初の寄港地であるバーンサンハイの村に到着した。

 船着場から上がったすぐのところに、ドラム缶で醸造しているプリミティブな酒造り場があり、製造されたアルコール5度前後の「ドブロク」と50度程度の蒸留酒が小さな瓶で販売されている。それぞれ小さなグラスで試飲するが、まあ、50度のほうが、泡盛に比べると臭いが少ないといったところで、あえて買う気にはならない。その後、その小さな村の寺や土産物屋が並ぶ道を散策し、30分程で、また船に戻った。そこから15分程で、このクルーズのメインである「パクウー洞窟」に到着する。

 垂直に切り立った崖の切れ目が見え始め、その前に観光船が数隻停泊していることで、それが観光地であることが分かる。日本でも良くあるが、天然の洞窟が、信仰の場となり、そこに多くの人々が祈願に訪れる。ここも、1850年頃にフランス人により発見された後、そうした場になり、多くの人々が夫々の仏像を持ち寄り、祈願を行うことになる。仏像の数は、何年か前に、外国の研究機関が数えた際は4000体ほどであったという。その後は数えた人がいないので、今は正確には分からないが、現在は6000体ほどになっているのではないかとソンさんは解説する。かつてはラオスの正月(タイのソンクランと同じ時期)には、国王がここに祈祷に訪れていたそうである。

 船着場からすぐ上がったところが主たる「祭壇」であるが、これはそれほど大きくない。確かに、大小、新旧様々な仏像が安置されており、夫々を置いた人々の思いを感じることができる。しかし、それほど長く滞在する必要はない。もうひとつ、横の崖を上ったところに大きな洞窟がある、ということで、そちらに向かう。ソンさんは、ここは同行せず、待っているとのこと。

 再び汗をかきながらの登坂である。午後の滝訪問に備えタオルを持ってきていたが、午前中は不要と考え、車においてきてしまったことを、また悔やみながら、300段程度の階段を10分ほど上り、その洞窟に到着する。メインの洞窟よりも大きいが、内部の照明はなく、入り口の自然光が届かないところは、携帯の照明が必要である。ただ、こちらは基本的に人々が勝手に仏像を置くのではなく、整備された仏像だけが置かれていた。

 こうして1時前に船に戻ると、船上での昼食準備が整っていた。別のグループが戻る前に、高橋さんとビアラオで乾杯を始め、全員揃うと船が出港し、昼食がサーブされる。こちらも、ピリ辛カレーを中心にしたラオス料理であるが、たいへん食べ易いが、量は相変わらず多い。全部は食べきれず、その後はビールのほろ酔いもあり、ついうたた寝をしている間に、下りは流れに沿っていることもあり、あっという間に、朝出発した船着場に到着した。時間は、午後2時を少し回ったくらいである。

 車に乗り換え、午後3時前に、次の目的地である「クワシーの滝」に到着した。街中からは約30キロ、メコンの支流にある滝で、入り口でソンさんの簡単な案内を聞いてから小道を歩きはじめると、まずは月の輪熊園。10匹程度の月の輪熊が広い檻の中で、寝たり、ココナッツを齧ったりしている。昔はこの地域には、こうした野生の熊がいたということだろうが、現在はこうした形で保護されているようである。

 そこを過ぎて5分も歩くと川の流れが目に入り、滝の水音が聞こえてくる。現在は雨季の始めということで、水量が少なく、ブログの写真で見たような高低差のある滝はなく、岩の間を抜けて落ちる穏やかな滝といった趣である。ただその滝壺や下流に何か所か遊泳が許可されているということで、中国人や西欧人が水につかったり、岩の上から飛び込んだりしていた。簡単な着替え小屋もあり、私も水着とタオルを持参していたが、やや面倒になり、結局膝まで冷たい水に浸かる程度で済ませることになった。雨季が進み水量が増えると水が濁るということであったが、この日は水量が少ない分、水は「エメラルド」色で、魚の群れがここそこにいるのを眺めることができた。1時間ほど滞在し、入り口に戻ると、そこで待っていたソンさんが、今、滝壺で人が死んだ、という。若い男性が、いくつかある遊泳許可地域の水底に沈んでいるのが見つかったという。確かに水は冷たかったが、人は多いので「何ですぐ気がつかなかったのだろう」と不思議であったが、私たちが車で駐車場を出る時に、救急車のサイレンが聞こえた。翌日ソンさんが話してくれたところでは、亡くなったのは30代半ばの中国人男性観光客で、死因は心臓マヒということであった。

 再び中心街に戻り、高橋さんを下ろしてから、5時過ぎにホテルに戻った。昨日のチェック・イン時に、レセプションでホテルのスパでの15分マッサージのチケットを貰っていたので、まずはこれを使ってしまうことにした。もちろん、料金表を見ると、通常の1時間マッサージで、200,000キップと、所謂ホテルの外人向け価額である。唯チケットで簡単な肩マッサージだけ受けてから、部屋でシャワー、休息を取った上で、6時半に再びソンさんの案内で、この日の夕食に向かった。

 案内された「Elefant」というレストランは、昨日のマッサージ屋の近所。ソンさんによると町で最も値段の高いフランス料理屋であるということである。そんなレストランで、一人で食事をとるのは、あまり気分が良いものではないが、時間が早く、店が空いているので、まだ良しとしよう。前菜のかぼちゃスープ、メインで選んだテラピアのレモンソーズあえ、そしてデザートのココナッツアイス、全てが大変美味で且つさっぱりしていて食べやすい。この日は量も丁度良かった。晩酌は当然ビアラオであるが、この日はドラフトではなく、瓶のビアラオ(昨日のレストランよりも値段は高く、22,000キップ)であった。

 8時前に食事を終え、歩いて数分で、昨日のマッサージ屋に入る。カウンターのおばちゃんは当然私の顔を覚えていて歓迎してくれる。担当の女性は、昨日とは変わっていたが、右腿の痛みもなくなってきていたので、全身通常の力でやってもらう。心地よい1時間を過ごし、9時過ぎにはホテルに戻り就寝した。

5月4日(土)

 最終日である。この日は、早朝の托鉢があるので5時半にソンさんがホテルに来ることになっている。薄明りの中、いつもの中心通りに出ると、既に托鉢のために観光客が歩道に並んでいる横では、托鉢用の籠を売る屋台が出ているが、籠の中身は一昨日の夕食で食べたようなもち米であるという。もちろんそれを購入し、直接僧侶たちに与えることでご利益を期待するということもできるが、私はそうしたタイプではないので、ただその様子を眺めるだけにした(因みに、一般の人たちは、裏通りで、自らが炊いた米を寄進しているということである)。

 しばらくするとオレンジの僧衣をまとった僧侶の集団が、通りに現れ、人々の前を通り過ぎていく。いくつかのグループで歩いているが、それは寺院毎の集団であるという。年齢は、まだあどけない、恐らくは10歳前後くらいの少年がほとんどである。中に、同じオレンジ系でも少し色違いの僧衣を着ている僧侶も交じっているが、彼らはリーダーであるという。4−5つくらいの集団が、表通りを通り過ぎたところで、裏通りに回ると、ソンさんの説明のとおり、そこでは地元の人々が、恐らくは自宅の前で寄進を行っている。20−30分眺めたところで、最後の集団が、まさに通りに面した寺に帰っていき、この朝の托鉢が終了した。時間は6時を回ったくらいで、その後、ソンさんの案内で、裏通りの一部に広がっている朝市を簡単に眺めて、この朝のスケジュールが終了した。スケジュールでは丁度正午発のフライトに乗るため、次は午前10時にホテル・ピックアップとなっていた。ただ最後にマッサージをもう一回やろうと考えており、昨晩、今まで2日続けて行った店の開店時間を確認したところ、朝は午前9時からということであったので、開店一番1時間のマッサージをやってホテルに帰れる10時10分ピックアップということで、ソンさんの了解を取ってホテルで別れた。朝食にはまだ時間があるので、メコンに沿ってブラブラ歩く。空気は乾燥して清々しい。5分ほど歩くと、メコンの支流であるナム・カン川との合流点に来る。合流点を見下ろす小さな公園から河沿いに斜面を下っていくと、ナム・カン川を渡る、木作りの簡単な橋が渡されている。一昨日の観光時に、同行の高橋さんが、同様の別の橋を渡り、対岸の街に行ったと言っていたのを想い出し、朝は早いけれど、ちょっと渡っても良いかな、と考えたが、たもとに来てみると、10,000キップの有料と書かれた看板があり、横のほったて小屋で管理人と思しき男が寝ていた。キップは、最後のマッサージにとっておくことを優先し、橋は渡らず引換し、ホテルに戻った。

 7時に相変わらず日本人の多い会場で朝食を済ませ、シャワーを浴び、荷物整理をしてから、しばらくゆっくりし、8時半過ぎに、ホテルをでた。

 9時にはまだ若干の時間があるので、先ほど托鉢の集団が練り歩いた表通りを少し先まで行ってみる。既にバー・レストランや土産物屋で開店している店もあり、また別のマッサージ屋も開いており、声をかけられた。1時間ボディで60,000キップということである。その上で9時の5分前頃に、なじみの店に戻ると、カウンターには誰も見えないが、店頭にサンダルが一組置かれており、人が来ていることが分かる。扉は開いているので店内に入り、声をかけるが反応はない。ボディーをやる二階にも行ってみるが、人の気配はない。それこそ備品でもなんでも勝手に持っていけるような不用心さであるが、おそらく若干の席外しだろうと考え、座って待つことにした。

 しかし、5分、10分と時間は過ぎるが、相変わらず人の気配はない。ホテルのピックアップ時間に合わせて戻るのが難しくなることもあり、そこは諦め、先ほど誘われた60,000キップの店に向かい、10時には終えてくれ、ということで、プランパバーンの最後のマッサージを別の店で過ごした。こちらも若目の女性であったが、腕は可もなし不可もなし。ホテルに戻ったのは10時10分を少し越えてしまい、ソンさんは既に待っていたが、問題はない、とのこと。部屋に戻り、荷物をピックアップ、チェックアウトの上、空港に向かった。15分程で空港到着。残ったキップをソンさんに渡し、空いている出国カウンターを順調に越え、予定通り、12時発のフライトで帰途についた。

 既に書いた通り、帰りはビエンチャン経由であるが、ビエンチャンには、ほとんど15−20分のフライトで到着したが、トランジットでいったん荷物も全部持ち機外に出ろ、とのこと。手荷物チェックの受け、今度は1時50分発と表示されている同じ飛行機を、混雑したゲートで待つことになった。1時20分頃、ようやく搭乗が開始され、降りる前と同じ席につき、そこから約3時間のフライトで、定刻午後6時より20分程ほど早く、チャンギに到着したのであった。

 今回の旅行は、冒頭に書いた通り、当初予定したスリランカ旅行が、突発的なテロにより、急遽キャンセルとなったことの代替で、出発前一週間のところでアレンジを行ったため、久し振りに、一都市の観光にも関わらず、フルボードの大名旅行となった。その意味では、あまりに安易なお任せ旅行であり、また事前にラオスの勉強もせず出かけて行ったこともあり、現地でも細かい観察をするということがなかった。

 そうした旅であったことから、2日半の滞在は、のんびりした街の雰囲気を楽しむと共に、直前の足の怪我を連日のマッサージで癒す、リハビリの時間となった。ベトナムもそうであるが、アジアの社会主義国は、あまり社会主義という感覚を味わうことがなく、また一方では治安は良好であることから緊張感もほとんどない。その点では、今回テロがなかったとしても、スリランカ等とは比較にならないくらい能天気なものであった。かつて、「バンコク・ナイツ」という日本の独立プロ制作の映画(「映画日誌」に別掲)の最後で、主人公の一人が、タイはイサンからメコンを越えてラオスはビエンチャン近辺に入り、そこでベトナム戦争の幻影を被せる映像が使われていたが、この国の近代史を改めて頭に入れた上で、この町と、場合によっては、以前は出張で短時間滞在しただけのビエンチャンも併せて再訪してみたいという気持ちを抱かせる3日間の旅であった。

2019年5月11日 記