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マレーシア政治状況
2015年4月20日 
 今年(2015年)に入ってから、マレーシアの政治が揺れている。

 マレーシアは、政治的には、与党「マレー国民組織(UNMO)」とそれが主導する連立与党「国民戦線(NF又はBN(Barisan Nasional))」が、1963年の英国からの独立以来政権を維持し、経済的には、東南アジア諸国の中では中進国として順調な経済成長を達成してきた。去る2013年4月の総選挙で、アンワル・イブラハム率いる野党連合に押され、一時期は政権交替が行われるのではないかとも言われたが、色々な疑惑はあったものの、最終的にはこの時も与党が政権を維持し、逆に選挙後は再びアンワルを、既に一回無罪が確定した判決を覆し、同性愛の容疑で再逮捕するなど、再び政権側は、野党側に対する攻勢を強めてきたのである(別掲、「2013年マレーシア総選挙」参照)。

 ところが、まず経済・社会的な側面で、昨年以降、マレーシアを巡る環境を厳しくする事件が相次ぐことになった。

 ケチのつけ始めは、まずは2014年3月8日、クアラルンプール国際空港から北京に向かっていたマレーシア航空MH370便が、出発から約1時間後に、南シナ海上空で、突然消息を絶った事件である。よく知られている通り、その後の調査で、出発直後から機体は進路を全く逆に取り、インド洋のオーストラリア沖に墜落したとされ捜索が続けられているが、事故から1年以上経過したにも関わらず、依然機体発見の目処さえつかず、乗客・乗員約250名の安否も確認できないままである。この事件に際しては、事故後直ちにパイロットの自宅の家宅捜索が行われたが、最近のルフトハンザ子会社のフランスでの事故とは異なり、パイロットに関しては事件を裏付ける証拠は何も発見されなかったとして、人為的な事故の痕跡はない、という公式報道が行われているが、これについては政府筋は何かを隠しているのではないか、という見方もない訳ではない。

 飛行機事故に関しては、続けて7月17日、アムステルダムからクアラルンプールに向かっていたマレーシア航空MH17便が、ウクライナ上空で、何者かに撃墜され、乗客、乗員約300名が犠牲になる。そして年末12月28日には、直接の国籍はインドネシアであるが、マレーシアに本拠を置く格安航空の雄エア・アジアのエアバスが、インドネシアのスラバヤからシンガポールに向かう途上で、積乱雲に巻き込まれジャワ海に墜落、乗客、乗員約160名が遭難することになるなど、1年の間に立て続けにマレーシアに関わる航空機の事故が続いたのである。前者は、ウクライナ政府と親ロシア勢力が夫々が、相手の仕業であると非難する中、真実は見えないが、ウクライナの内戦が激化する中、一部の航空会社は、ウクライナ上空の通常ルートを避ける配慮を行っていたことも指摘され、必ずしも“不運”であったというだけでは済まされない。また後者は、季節的にこの地域では頻繁に発生する悪天候の中での、パイロットの操縦ミスという人災であったとの意見も強まっている。

 しかし、それ以上に深刻であったのは、2014年秋から始まった、石油価格の急落による、国民経済の落ち込みである。2014年第4四半期のGDP成長率は前年同期比5.8%、通年では4年ぶり高水準の6.0%成長と順調であったものの、2015年に入ると景気の落ち込みが顕著となり、1月には、2015年通年の経済成長率を、当初の5.0-6.0%から、4.5-5.5%に引き下げることになる。そして政府がそれまで進めてきていた財政健全化についても、原油価格の低下により、、従来は2020年には財政を均衡化させる計画を描いていたが、同じ1月の発表で、財政赤字目標を、従来の3.0%から3.2%に引き上げることになる。財政赤字対策としては、2015年4月1日に、同国としては初めてとなる消費税(物品・サービス税(GST))を導入したが、この結果企業のコスト負担増加と消費減退による景気の落ち込みが予想され、政府への国民の支持がどう推移するかが注目されている。そして最後に、リンギ為替は、石油価格の下落と略並行して下落しており、例えば対シンガポールドルでは、4月15日現在でS$1=2.7リンギと、1981年振りの安値を記録している。こうした中で、与党「マレー国民組織(UNMO)」内での路線対立が発生することになる。それに火をつけたのは、元首相のマハティールである。

 4月2日、マハティールは自身のブログで、ナジブ首相に対し、2つの疑惑につき明確な説明を行うべきで、さもなければ、次回の選挙で与党が勝利する見通しはないことから、ナジブ首相は直ちに退陣すべきだ、と訴えたのである。

 二つの疑惑とは、まず2006年に発生した、モンゴル人女性通訳の殺害事件である。この事件は、2002年の政府による潜水艦購入に関わったこの女性がキックバックを要求したことから殺害されたのではないかと囁かれているもので、殺害後遺体が軍事用の手榴弾でこなごなにされたことから、二人の軍隊関係者が直接の犯人として逮捕されている。しかし、その内の一人が、元ナジブ首相のボディーガードであり、逮捕後の供述で、「自分は命令に従っただけである」と、黒幕の存在を主張したのである。マハティールによると、自身でその犯人と面接をし、その結果、その供述は放置すべきではなく、再度調査されるべきと考えたということである。そして二つ目の疑惑は、1Malaysian Development Bhd (1MDB)という、ナジブ首相がアドバイザリーボードの議長を勤めている国営不動産会社が、政府国有地の買収とある石油会社との契約を行った際に、大きな裏金が動いたのではないか、というもの。マハティールによると、ナジブ首相の義理の息子が、この取引関係者の仲介で、ニューヨークで高価な不動産を買収したことも、この国営不動産会社が関わっているのではないか、というのである。更にマハティールは、ナジブ首相用として新たに購入された私用のジェット機購入も、既に政府が何機か保有している中では、金の無駄使いでないか、とも批判することになる。

 これに対し、ナジブ首相は、翌週の2月10日、「私は特定の個人に対してではなく、国民に対して答える」として、約1時間のテレビ放送を行うことになる。この中で、国営不動産会社問題については、「会社を巡って権力の乱用はなく、財政的にも資金は十分確保されている」と、そして通訳殺害事件に関しては、「自分は、(殺された)女性を全く知らない」と全面否定を行い、「自分が首相を辞することはない」と訴えたのである。しかし、マハティールは翌週12日、再び反論を行い、「ナジブ首相は疑惑に何も答えていない。政府は専門の委員会を立ち上げ、双方の疑惑につき徹底的に調査すべきである」と、対立は泥沼化する様相を示している。

 現状では、与党内では、副首相を含めた閣僚、そして政権に影響力を持つ与党青年団のチーフなどがナジブ首相を支持することを明言しており、政治的にはナジブ首相が有利な展開になっている。また17日には、与党幹部でもあり、この論争を受け辞任するのではないかと噂されていたマハティールの息子が、この件では父親とは距離を保ち、自分の職務に集中する、という会見を行っている。一方でマハティールは、4月19日に行われたある集会で、ナジブ首相支持が多いというのは誤った認識で、自分が接する人々は口々に自分への支持を表明している、とコメントしている。

 なぜマハティールがこの時期にナジブ首相批判を始めたかが、この論争のポイントであろう。1981年から2003年まで、マレーシア首相としては最長22年間にわたり首相を務め、現在でも隠然たる影響力を持つといわれる彼が、また前回2013年の選挙では、危機にあった与党の選挙キャンペーンに率先して協力をしてきた彼が、何故このタイミングでこうした行動に出たのか?もちろん公式に問われれば、彼は、まさにこうした疑惑により、与党に対する国民の支持が弱まり、与党と国家が新たな危機に瀕しているからだ、と答えるであろう。しかし、恐らくマレーシアの政治は、それほど簡単ではない。ブミプトラ政策により、実態的にこの国の権力から遠ざけられている華人社会からすれば、そもそも与党「マレー国民組織(UMNO)」は利権の塊であり、その意味では、今回の論争は、マハティールとナジブの間での利権を巡る権力闘争である、と考えた方がよいのであろう。しかし、それでもなぜこの時点で、マハティールがこれを始めたのか?特に長年の政治家としての勘を有するマハティールが、勝ち目のない権力闘争を仕掛ける、ということは非常に考えにくい。足元の与党内でのナジブ支持の流れができる中で、あえてドンキホーテを演じるという選択肢は彼にはない。そうであれば、また別の意図があるのではないだろうか?

 偶々、この論争が繰り広げられているタイミングで、週末2日だけではあるが、久し振りに首都クアラルンプールに滞在する機会があった。もちろん短期的な滞在者の目からすると、首都の中心街は何の変化もなく賑わっており、現地の友人の話でも、この論争も、結局はマレーシア政治に内在している汚職構造の中での両者の間の利権争いに過ぎないのだろう、とのことであった。また日曜日の現地の英文新聞にも目を通してみたが、この日(4月19日)の関連記事は、前記のマハティールの息子が知事を勤める Keda h州の「マレー国民組織(UMNO)」が、ナジブ首相を全面的に支持すると公表した、という短い記事を掲載しているだけであった。

 シンガポール建国の父、リー・クアンユーが亡くなり、シンガポールが名実とも新たな体制で今後の国作りを行っていこうという矢先、シンガポールに影響力を持つこの隣国の政治的混乱は、シンガポール自体の将来に大きな負荷を投げかけないとも限らない。この「権力闘争」がどう展開していくか、当面注視していきたい。

2015年4月20日 記

(追記)

 4月25日、マハティールは、1000人の聴衆がいる講演会で、ナジブ首相に対し、@4月1日に新たに導入された消費税(GST)の廃止と、A債務危機に陥っている国営投資ファンド 1MDB の調査と共に、ナジブ首相の退陣を改めて要求。

 GSTにより徴収された資金の一部は、貧困層への支援に使われる、ということであるが、マハティールは、これを「非効率的な票の買収」として、現場では混乱を招いていることから、既に存在している「売上税(Sales Tax)」の増率又は範囲拡大で十分、と主張。

 マハティールは、2018年の期限を迎える総選挙への懸念を繰り返しており、これらの問題以外にも、今年初めに行われたナジブの娘の派手な結婚式を、自分の4人の子供の結婚式と比べ、「 今世紀最大の(豪華な)結婚式」と批判。また5月5日に予定されているナジブの地盤であるPahang 州 Rompin 地区の補欠選挙については、「我々が420億リンギ(約1350億円、1MDB が2009年に業務開始して以来の累欠損益)を失ってもよい、と考えるなら、我々は全てを失うだろう」と警告。彼は Umno の慣習にのっとり、Deputy PresidentであるMuhyiddin Yassinが、「(ナジブがやったような)こんなことはやらない」ので、首相となるべきだ、とコメントした。(4/26,The Straits Times)

 4月28日、前首相タン・アブドラ・バダウィは、ナジブ首相は、マハティールからの批判について、国民にしっかり説明する責任がある、と発言。これは、彼の初めての発言ではなく、既に以前に、モンゴル女性の殺害事件については、アブドラの首相時代に充分な捜査がなされ、ナジブは関わっていない、という結論になった、と発言している(4/29, The Straits Times)。

2015年4月29日 記

(追記2)

 その後も、ナジブ首相を巡る疑惑と、それに関わるマハティールの批判を核に、政権与党の混乱は続いている。時系列的に、主要な動きを羅列すると、以下のとおりである。

 5月7日、政府系投資ファンドである Pilgrimage の総裁 Tabung Haji が、1MDB からある小区画の土地を188.5Milリンギ(約60億円)で買い取っていたことが判明し、1MDBへの救済措置ではないかとの批判が高まる。

 5月半ばには、副首相である Muhyddin Yassin が、1MDBの役員は全員直ちに辞任すべき、と発言した映像が広く回付される。

 5月17日、ナジブ首相は、自身のブログの「Frequently Asked Questions」に、1MDBとモンゴル女性の殺害についての彼の反批判を掲載。UMNO は現在「より開けた、より民主的だ」とコメント。

 6月5日、1MDB についての議論が行われた「Nothing2Hide」と題したフォーラムで、当初予定されていたナジブ首相が突然欠席したために、マハティール前首相が脚光を浴びることになる。

 6月22日、1MDB のパートナーであった PetroSaudi International社の前役員がタイで逮捕。マレーシアの公式筋は、彼が文書を改竄し、Sarawak Reportというブログに提供したとコメント。

 7月3日、The Wall Street Journal(WSJ)は、2013年から現在までに、US$700Mil(約860億円)がマレーシアの銀行にあるナジブ個人の口座に振り込まれた、と報道。ナジブは、「外人」と結託して自分を追放しようという「political sabotage」の背後にマハティールがいる、と批判。他方、副首相の Muhyddin Yassin は、WSJ の報道に対する幅広い調査を指示し、マレーシアの官憲は、WSJ が42Milリンギ(約13億円)がナジブに支払われたと報道したファンドに関連する3つの会社の家宅捜索を実施(7/5, The Straits Times)。

 以上のとおり、マハティール前首相とナジブ現首相の権力闘争は、今回の WSJ の暴露で重大な局面を迎えることになった。シンガポールの新聞では、UMNO の指導者のみならず、一般の党員、支持者たちも、遅かれ早かれどちらかの側に立つか、判断を迫られる局面が訪れるのではないか、とコメントされているが、まずはこのWSJの暴露した疑惑に対するマレーシア官憲の捜査結果が大きく影響することは間違いないだろう。当面その経緯に注目したい。

2015年7月7日 記