猟鬼
著者:B.フリーマントル
先日読んだ「ダニーロフ&カウリー・シリーズ」の第一作で、原作の発表は1992年。二人の主人公ダニーロフはロシア民警の警察官、カウリーは米国FBIの捜査官で、第二作の「英雄」は、米国で起こったロシア大使館員他の殺人事件を巡る二人の捜査であったが、こちらはモスクワで発生した米国大使館員他の殺人事件についての米露共同捜査である。ここではこの二人の最初の出会いから捜査、解決に至るまでが、前作を上回る面白さで語られることになる。先に読んだ第二作で、時折この第一作にも言及されていたことから、なんとなくその展開は頭に入っていたが、実際読み始めて見ると、その予想を超えた読み応えがあり、いっきに読了することになった。原題は「THE BUTTON MAN」である。
ロシア大使館勤務の若い美人の米国人女性エコノミストが、モスクワの路上で刺殺される。モスクワ民警のダニーロフに指示が下り、彼は有能な部下パヴィンと共に捜査を開始するが、直ぐに被害者が米国大使館員で、且つ有力な政治家の縁戚であることが判明し、ロシアのみならず米国FBIも巻き込んだ共同捜査が始まることになる。ダニーロフは、これは米国のみならずロシア連邦保安局(旧KGB)の関与もある、面倒な事件になりそうだとの予感に苛まれている。そのダニーロフは、オリガという妻がいながら、同僚の警官であるコソフとの妻ラリサと愛人関係にある。そして事件の方は、犯人が、被害者の髪の毛や服のボタンを切り取るという猟奇的趣向をもっていることが示唆されており、過去にレイプの罪で逮捕され、その後精神病院に収用されていたエジョフという男が捜査線上に上がっている。そして米国では、被害者である女の縁戚である有力政治家が、国務長官やCIA長官更にはメディアも巻き込む大騒ぎを引き起こし、FBIのロシア課捜査官であるカウリーにモスクワに跳んで捜査を開始する指示が下っている。そのカウリーは、FBIのモスクワ駐在員であるアンドルーズの妻ボーリーンの前夫であることから、その指名は、カウリーとアンドルーズ双方にとって複雑な個人的感情を惹起させている。
こうしてロシアでの被害者の検死や自宅強制捜査が始まり、彼女の生活や交友を巡る数々の事実が読み取れる手紙等が押収されるが、それは同時に米国大使館から強いクレームを受けると共に、旧KGBの担当官からは、外交的配慮を行うよう示唆される。これらは後ほど、旧KGBが被害者の女の電話の盗聴記録と共に、女の奔放な性生活を明らかにすることになるのである。またモスクワでは女が殺されたのと同じ地域で、これに先立って同様の手口によるもう一つの殺人事件が発生している。その被害者は、男のタクシー運転手で大使館関係者と接点があったことが判明しており、大使館員の女の事件との関連も意識されている。そうした中でのカウリーのモスクワ到着と、前妻の現在の夫であるアンドルーズや大使を始めとする大使館関係者、そしてダニーロフとの最初の会見。夫々の思惑が、当初から慎重且つ相互に警戒感に溢れたものであることが巧みに表現されている。検死で、被害者の女が殺される直前に性交渉を持っていたことが関係者に共有され、カウリーは大使に対して、犯人が大使館関係者である可能性も示唆している。
こうしてダニーロフとカウリーによる共同捜査が始まるが、双方のプロ意識を確認することで、当初の警戒感が次第に薄れていく様子が語られる。カウリーは大使を始め、被害者の女の上司や同僚の女に対し、犯人が大使館関係者であることも示唆しながら聴取を進め、彼らの微妙な発言などを引き出している。またダニーロフは妻オルガを伴い、浮気相手の同僚コソフ夫妻との夕食に参加しているが、ここでオルガは、賄賂により優雅な生活をしているコソフ夫妻をうらやむと共に、ダニーロフの浮気に気がつき彼を追求している。しかしダニーロフはそれをごまかしながら、事件の鍵に気がつき始めている。またカウリーは、アンドルーズから自宅で前妻と一緒の夕食に招待され受諾している。そうした中、被害者の縁戚の有力政治家がモスクワに乗り込んできて大々的な記者会見を開いている。また被害者の女が殺される前日、大使館の上司であるエコノミストのヒューズと外食を一緒にしていたことが判明し、ダニーロフは、殺人事件発生日に被害者と一緒にいたことについても嘘をついていたヒューズを有力な犯人としてマークすることとし、カウリーと米国FBI本部にもそれを告げている。その犯人の独白で、次の殺人が示唆されている。
アンドルーズ家での夕食での、カウリーと前妻ボーリーンの再会。現在の夫のアンドルーズは、米国への帰国内示が出ており、カウリーの勤務するFBIのロシア課への配属を希望していることが語られる。一旦事務所に連絡のために戻るアンドルーズ。しかしその時に第三の殺人が発生する。今度の被害者は、近所のホテルでウェイトレスをしているロシア人の女。彼女は助かり、病院で傷の手当を受けながら、ダニーロフとカウリーによる犯人像を含めた事情聴取に応じている。そして二人は、病院から直ちにヒューズの自宅に向かう。しかし、二人に対し、ヒューズは、大使館員の被害者との性交渉や当日夜会っていたことは認めたものの、殺人は否定。そして彼のもう一人の愛人の部下の証言によるアリバイも成立することになる。この捜査ミスでカウリーは一旦米国本部に召喚されることになる。今回の捜査ミスで外されることを覚悟していた彼の予想に反し、その召喚は、CIAによる事情聴取で、むしろヒューズがロシア側に盗聴されていたことで、彼が旧KGBに脅されその手先になっていたのではないか、そして大使館員の殺された女の盗聴電話記録をきちんと入手し調べることを指示されるのである。ヒューズは、殺人容疑は晴れるが、米国に召喚され、旧KGBのスパイ容疑で尋問されることになる。同時に、FBIの上司からは、本国に異動するアンドルーズをロシア課で受け入れることについての是非を打診され、彼はそれを受けざるを得ない。殺された大使館員の手紙の交信相手の何人かとも面談し、彼女の倒錯した性関係もより判明することになっている。更には、行動心理学の専門家から、今回の事件の犯人像についての情報を得ている。また同じ頃、捜査情報を公開しろと大騒ぎしている大物政治家と面談したFBI長官が、被害者のその倒錯した性関係に関わる盗聴電話記録を見せて、政治家を黙らせている。そしてモスクワでは、第4の同様の殺人事件が発生し、高級娼婦が犠牲になっている。
再びモスクワに戻ったカウリーは、ダニーロフとの合同捜査を再開。ダニーロフは、カウリー不在の時期、旧KGBと米国政治家の圧力を受けながら、ヒューズ以外の容疑者を捜査している。その内の精神異常者の可能性について、浮気相手の夫で、民警地域ヘッドのコソフから、自分の影響下にあるマフィアに、不審人物をあたらせよう、との提案を受けて拒否できないでいる。そしてそのマフィアの協力により、容疑者として捜査線上に浮かんでいたエジョフが逮捕されるが、彼は自白を取れるような精神状態ではない。しかし、米露両国での科学調査を含めた状況証拠は、十分ではないが、これらの犯罪がエジョフにより引き起こされたことを物語っており、事件は一件落着となる。二人はそのあっけない結末に虚脱感さえも覚えるのである。
しかしエジョフは真犯人ではなかった。起訴に向け証拠固めを慎重に行っているダニーロフとパヴィンは、そこでの矛盾に気がつく。それは証拠として米国に送られた被害者のボタンの数の矛盾で、押収された以上の数が米国に送られていたのである。そしてカウリーの依頼を受けて、その送付を行ったのはアンドルーズであった。こうして新しい仕事のため米国に帰国していたアンドルーズは、そこでカウリーとダニーロフによる尋問を受けて犯行を認めるのである。それは大使館員の女に、その性的不能を馬鹿にされ、他の男に乗り換えられた彼の復讐だったということになる。しかし、倒錯した米国大使館員による犯罪であったということで、アンドルーズの逮捕は公には公表されず、彼は精神病施設での拘束となり、妻のボーリーンも年金を保障された隠遁生活に入ることで、この事件は収束する。ダニーロフとカウリーはお互いの信頼感を固めるが、ダニーロフの浮気の行方は分からないままである。
第二作で、この前編が、米国大使館員によるものであったことが示唆されているが、それはここでは最後の数10ページになるまで判明しない。むしろ終盤でエジョフというロシア人精神薄弱者が逮捕されたことで、あれ、どう展開するのだろうかと思っていたら、最後の最後でそれがどんでん返しされるのである。そしてそれから遡って、途中多く挿入される犯人の独白や、アンドルーズの行動を思い出していくと、確かに彼が犯人であることを物語る表現が散りばめられていることが分かる。捜査過程で、米国ではFBI、CIAに、大統領に影響力を持つ有力政治家や国務長官が、そしてロシアでは旧KGBが介入し、カウリーとダニーロフは、それらの干渉を受けながら、最初はお互いに対し疑心暗鬼で、しかし次第に双方のプロ意識に対する敬意を高めながら共同で真相を解明していくという壮大な構想と、そこでの真犯人がどんでん返しで判明するということで、著者の構想力とその表現には改めて敬服する。ダニーロフの浮気やカウリーの元妻との関係といった夫々の個人的事情とそれを巡る駆け引きも、こうした大きな枠組みに、スパイスを与えている。ただ第二作で、ダニーロフの浮気相手の末路を先に知ってしまったことで、この辺りの関心が弱まってしまったのが残念であった。やはりシリーズ物は順序通り読んでいかなければいけないと痛感している。ということで、この著者のチャーリー・マフィン・シリシーズをまた順序通り読むことに帰っていこうと考えている。
読了:2025年8月17日