アジア・ドイツ読書日誌と
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川崎通信
城壁に手をかけた男(上/下) 
著者:B.フリーマントル 


 2002年の出版。前作に続いてモスクワが舞台である。ソ連崩壊を受けた新生ロシア。そこで雪解けを象徴する米露条約の調印に訪れていた米国大統領夫妻が、同席していたロシア大統領夫妻と共に狙撃され、ロシア大統領と米国大統領夫人が重傷を負う。銃撃犯として逮捕されたのは、英国人のソ連スパイであり、かつてソ連に亡命した男の息子ジョージ・ベンドール。狙撃を可能とした警備の不備が非難される中、狙撃犯の尋問を含めた捜査のため、英米ロシア合同の捜査本部が設けられる。そして英国側からそのチームのリーダーとして指名されたのはモスクワ在住のチャーリー。彼は、捜査チ−ムの米国側代表ジョン・ケイリーFBIモスクワ支局長、ロシア側代表オルガ・メルニコワ上級調査官と共に動き始めるが、当然のことながら、3か国の思惑が入り乱れ、3人の間でも疑心暗鬼が渦巻く駆け引きが繰り広げられることになるのである。

 まずは狙撃犯ベンドールとその父親の情報収集。しかし、その情報は旧KGBからなくなっている。続いて死んだスパイの未亡人の拘束と事情徴収。彼女は拘束中に自殺するが、チャーリーはその死体の検証から殺害された疑惑を抱く。また逮捕時の重症から徐々に回復してきた狙撃犯ベンドールの、ロシア、英国、米国夫々による尋問。そしてチャーリーは、押収された銃弾とその際のテレビ局の映像分析などから、狙撃犯はジョージの他に存在し、ジョージは彼らに利用されただけである、という推理を行い、それが何者かのリークにより、メディアで報道されることになる。上巻では、これらの事実を踏まえ、英米ロシア3国と担当官3人が、夫々の国内での批判勢力からの妨害を受けながら奔走していく姿が描かれることになる。そしてチャーリーは、同棲しているナターリヤとも私的な情報交換を行うと共に、この捜査が、彼とナターリヤ及び娘サーシャとの関係に影響を及ぼすのではないか、という懸念も消し去ることは出来ない。

 かつて、ドゴール暗殺をネタに、「フォーサイスの「ジャッカル」より自分の方がうまく書ける」と豪語した要人暗殺事件を改めて素材として取り上げた作品であるが、言うまでもなくケネディー暗殺事件の闇も念頭においている。反対勢力の妨害を如何に跳ね返し、また英米ロシア3か国の担当官の今後の絡みがどうなっていくかを楽しみに下巻に入ることにする。

 そして下巻。途中に幾つか別の本が入ったため間が空いてしまったが、著者特有の細部にこだわったチャーリーの捜査と、それに伴う彼とナターリヤの関係の危機を中心に話が展開していくことになる。

 まずは、ロシア側の共同捜査官オルガの動きであるが、彼女は、上司であるモスクワ民警司令官のゼーニンと懇ろな関係になり、捜査に当たり、より彼の意向を受けることになる。またチャーリーは本国への報告と、ベンドールの母親の死因解明や第三者の狙撃を証明する弾丸の分析などの追加調査のため、モスクワ大使館付の女法律顧問のアンと英国に一時帰国しているが、そこでアンと肉体関係を結び、チャーリーはナターリヤを裏切ることになる。そしてモスクワでは大統領代行のオクロフ首相により、ナターリヤを委員長とする調査のための大統領委員会が設立されーそれにはゼーニンやオルガも参加しているー、失われたベンドール家族のファイルの調査を含めた追求のため旧KGBである連邦保安局長官を召喚しているが、ナターリヤへのプレッシャーは強まっている。そしてチャーリーとアンがモスクワに戻る頃、狙撃されて重傷であったロシア大統領ユドキンが死亡したとの報告が届けられている。帰宅したチャーリーはナターリヤと再会し、お互いの情報交換を行うが、そこにはよそよそしい空気が流れることになる。

 容態の回復してきたベンドールの罪状認否のための裁判所への出廷が準備され、チャーリーは、ロシア人の弁護士も交えたベンドールへの再度の尋問が行うが、ベンドールの態度は依然頑なである。またチャーリーはオルガとも再会するが、彼女はこの捜査からは外されたことが伝えられる。しかし、チャーリーの動きは彼女を通じてゼーニンに伝えられている。そして米国大統領は、ケイリーに、ユドキン大統領の葬儀で再度モスクワを訪れることに合意するが、それ以上の関与は行わないと断言している。

 ナターリヤの連邦保安局長会への尋問と、その結果としてのベンドールの軍属時代の関係者名簿の提示、ゼーニンとオルガの捜査への復帰と、彼らを交えたチャーリーのベンドールへの再度の尋問等。この辺りになると多くのロシア人の人物名が飛び交い、その多くは死んだり、殺されたりしているが、各人の関係がなかなか複雑で追いかけ辛くなる。分かるのは、それが今回の事件の黒幕をあぶり出すための捜査であることだけであるが、ベンドールからの証言は取れず、むしろ彼は近々行われる公判で「全てぶちかましてやる」と息巻いている。そしてその捜査は常に壁に突き当たることになるが、チャーリーは、情報のリークを含めて、そうした全体の捜査を困難にしている黒幕はナターリヤではないかという疑惑を持ち始める。しかし、その公判の場で、ベンドールは射殺され、彼を撃った男も警備員に撃たれて絶命することになる。あれあれ、まさにケネディー暗殺時のオズワルド射殺そのものであるが、それは事件を聞いた米国大統領のコメントとして語られている。

 こうして最後の展開に入っていくが、以降は、ベンドール射殺のビデオを見て、チャーリーが当初の両大統領狙撃事件の際のビデオで見落としていたことに気がつき、それを検証していく様子が中心になる。そして決定的な証拠は、ベンドールによる狙撃後にカメラマンと揉み合っている際の二人の言い合いを、ロシア語の読唇術者に読み取らせた証言で、そこではカメラマンが、彼の銃撃を阻止しようとしたのではなく、用済みとなったベンドールを殺そうとしていたのである。そしてその男は、TV会社に潜り込んだ元KGBの工作員であった。しかし、そうした捜査で疲れ果てて帰宅した彼に対し、ナターリヤは、彼とアンとの関係について問い詰めることになる。そして大団円。ベンドールやカメラマン、法廷での射殺犯等の関係者に共通の入れ墨があることが判明し、彼らが一連のグループであり、彼らを繰っていたのが、共産党の政権奪取と組織復活を目指す旧KGBの面々であったことが明らかにされる。その犯人グループの一人を、チャーリーは米国FBIのケイリーに引き渡し、ケイリーは彼の証言と引き換えに英国亡命を認めることで、このクーデター計画の全貌が明らかにして事件は解決。ケイリーは大統領から称賛され、ナターリヤも地位を確保する。彼らと共に、ゼーニンとオルガも逮捕されるのであるが、この二人の逮捕理由は今一つ理解できないままである。しかし、チャーリーとアンの関係に疑惑を持つナターリヤは、結局彼の元を去っていくのである。

 いやいや、米露大統領暗殺事件と、その解決に向けてのチャーリーの独自の動きを、相変わらず細部にこだわった凝った構成で描いた作品であった。2002年という時期はまさに革命後の新生ロシアがエリツィン政権の下で、新たな政治的・経済的・社会的危機に瀕していた時期であり、そのタイミングでこうした旧共産党と旧KGBの陰謀を取り上げ、それを英国人スパイのソ連への亡命者の息子が関わることで、チャーリーを関与させるという発想もなかなかのものである。それに相変わらずのチャーリーとナターリヤの微妙な関係。正直、途中ではロシア人たちの関係が全く追いかけられず難儀することになったが、こうした物語を構想し作品化する著者の力量には、改めて感服させられる。最後の決着はやや短絡的で、繰返しになるが、ゼーニンとオルガの逮捕等、理解できない部分も残ったが、この時代のロシアの雰囲気を味わうことができた。プーチンが大統領に就任したのは、この作品発表の直前の2000年。その後の4半世紀のロシアが、この時代から大きく変わったことは言うまでもない。その変化を著者は、この後どのように作品に反映させていくのかという興味を抱きながら、引続きこのシリーズを追いかけていこうと思う。

読了:6月10日(上)/ 7月4日(下)