老いてゆくアジア
著者:大泉 啓一郎
これも今回の日本帰国時に仕入れた本であるが、たいへん刺激的な著作である。出版は2007年9月であるので、既に私の赴任時には出ていたものである。何故その時に購入しなかったのか、という気持ちを持ったくらいである。著者は昭和38年生まれで、現在日本総合研究所勤務の研究者である。
本書の主張は極めてクリアーである。アジア諸国は、その「人口ボーナス」を活用して驚異的な経済成長を達成してきたが、日本と同様、近年少子化傾向が明らかになってきており、遠からずこれが経済成長の足かせになってくる、というのが第一点。加えて人口減少は、人口構成の変化により、社会の高齢化・老齢化を促す。その結果、日本でも大きな課題となっている高齢者福祉の問題に、アジア諸国も近い将来直面することになる、というのが第二点である。
アジア全体での少子高齢化が進んでいるという実態を、著者は統計的に総括している。ここで著者が用いるのは、「合計特殊出生率(一人の女性が生涯で出産する子供の平均数)」と「高齢化率(65歳以上の高齢者人口比率)」という二つの概念である。前者は、2005年で日本が1.3であるのに対し、NIES諸国(韓国、台湾、香港、シンガポール)は既に1.0-1.2と日本よりも低く、ASEAN4(タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン)でも1.9-3.2、ベトナムやインドも其々1.8、2.8となり、1990年と比較し大きく低下してきている。この結果、高齢化率では、2005年で日本が19.7%であるのに対し、NIESと中国、タイも既に7%を超え、「高齢化社会」に入っている。そして2025年には、その他のアジア諸国も高齢化するという。
こうした近い将来の「高齢人口の爆発」という時代に備えて、アジア経済はどのような課題に直面するのか、そしてそこでは新たな社会保障制度が求められることになるが、それに対する対策はあるのか。著者は、「高齢化が加速するアジア地域において、その繁栄の持続については決して楽観視することは許されない」ということを強調する。そこでは、アジアの各国は、今後「経済成長だけではなく、いかに真の豊かさを実現できるかどうか」という問題に真剣に取り組まざるを得ない。以下、もう少し細かく著者の主張を見てみよう。
まずアジアの少子高齢化の実態と予想。人口の経済成長への影響は、マルサスから1972年のローマクラブの「成長の限界」まで、むしろ人口増加が問題をもたらすという文脈で語られてきたが、実際には20世紀後半に至り、先進国を中心に人口増加率の急速な低下が発生した。しかし、実際は、未だに人口増加が続くのは、開発途上国の中でも「低所得国」として分類されるアフリカ諸国等50カ国くらいで、それ以外のアジアを中心とする「途上国」では増加率が既に低下傾向を示している。
2005年の世界の人口は約65億人であるが、その内日本、NIES、ASEAN4にベトナム、インドを加えた人口は31億人強で、世界に占める比率は47.9%。さすがに中国とインドが入るとすごい比率である。しかし、国連の人口推計によれば、このアジアの人口比率は今後低下し、2050年には24.3%まで低下するとされる。このアジアでの人口減少をもたらす要因は何か?
先進国で開発された医療技術等を有効に利用することができたアジア諸国は、その「後発性の利益」により死亡率を急速に低下させ、その結果NIESでは1950-60年代に、ASEANでは1960-70年に人口が急増した。こうしたベビーブーマーが投入労働力の急増という形で経済成長を支えることになる。
しかし、60年代の人口増加の脅威が指摘されていたことも一因で、中国が「一人っ子政策」に踏み切るが、実際にはその時には既に全般的な出生率の低下が始まっており、「一人っ子政策」は単にそれを加速させたに過ぎないと著者は見る。そして他のアジア諸国でも同様の傾向が明らかになってくる。
子供を持つか持たないかを説明するための「ライベンシュタイン・モデル」という理論がある。それによると、子供を持つことの効用は、@それ自体としての充足感、A子供の労働や所得への期待、そしてB老後の介護等の所得保障効果である。他方不効用は、@子供を育てるための直接的な金銭負担の増加とA子供の養育に時間を割かれることによる両親の就業・所得機会の減少・負担ということになる。そして、どの要因がより強いかはそれぞれの国で異なるとはいえ、アジア諸国ではこうした効用が減少し、不効用が増加することで、少子化が顕著になったという。更に欧州や日本でも見られた現象である、@家族形態の変化(核家族化、離婚率の増加)、A女性の高学歴化による結婚観の変化、B子供の養育コストの増加、そしてCメディア普及によるライフスタイルの変化は、アジア諸国でも見られるという。そしてこの結果、インドを含めたアジアの高齢人口は、1950年の47百万人から、2005年に214百万人に増加し、2025年には412百万人、2050年には750百万人になると予想されているのである。また重要なことは、先に高齢化した先進諸国に比べ、アジア地域はその高齢化のスピードが加速しているということである。「高齢化社会(7%超)」から「高齢社会(14%超)」までの期間が、日本が24年と欧米に比べ圧倒的に短かったが、アジア諸国の高齢化も日本と同じくらいの速度で進んでいくと見られているのである。
続けて著者は、アジア諸国が「人口ボーナス」を活用して驚異的な成長を遂げてきた時代を振り返っているが、これはあくまで今後の少子化問題を見る上での過去の成功の回顧ということなので、詳細は省略する。しかし、重要なポイントとして、人口的な観点からの成長モデルを確認しておくことは重要であろう。生産人口の増加が、労働投入量の増加と国内貯蓄の上昇=資本ストックの増加という形で@労働投入量とA機械・設備などの資本ストックを増加させ、他方で年少人口の減少が、初等教育の普及による生産性の向上をもたらし、B技術などの生産性水準を上昇させる。アジア諸国は、まさに80−90年代にこうした「人口ボーナス」による経済成長を遂げたのである。
しかし、本当にアジア諸国は、「経済成長を享受した」のか?確かに韓国や台湾は、「人口ボーナス」の初期に海外からの資金を入れることで、少ない国内貯蓄を補うことができた。その結果、「人口ボーナス」の後半には国内貯蓄が上昇し、それにより重工業化を進めることができたとする。これに対し、例えば中国は、「人口ボーナス」のある初期に国内の政治的制約もあり、その余剰労働力を工業部門で吸収できなかったという。またタイも結果的には似たような成長を遂げたが、それは高成長が開始されたのは「人口ボーナス」の半ばであり、特に外資の進出により、労働集約型と資本集約型が同時に成長するという形をとったという。しかし両国とも経済成長の恩恵は都市部に止まり、地域間格差を発生させたことも類似しているという。その他ASEAN諸国中では、著者はマレーシアの評価が高く、他方フィリピンが政情不安から外資の参入が消極的で「人口ボーナス」期の成長率が低かったとしている。
さて、元に戻り、アジアの「高齢化」が近い将来のことであるとすると、それはアジア社会にどのような影響を与えるのか?特に少子化により労働投入量の減少と国内貯蓄率の低下が必至である限り、成長を持続させるには、それ以外の成長要因=「全要素生産性」を向上させるほかない。それは可能なのか?
この問題につき、著者は別の観点として、中国やASEAN諸国が、「人口ボーナス」が終わりに近づいているにも関わらず、引き続き高い成長率を維持しているのは「都市部の人口ボーナス」を抱えているからだという論点を提示する。この内容は、主として農村部での実質的に生産に寄与していない「偽装失業」の存在であり(中国では、これが2億人に及ぶとの説もある)、これらの遊休労働力が都市部に移動することにより、都市部の労働力需要を補っているというのである。農村人口の多いASEAN4でも、状況は類似しており、これが「人口ボーナス」の後半期でも、依然労働集約型産業による経済成長を支えたとされる。またこの結果都市部での貯蓄率の高止まりと消費の拡大をもたらす。しかし同時にこの現象は、農村部の労働人口を減少させることにより、都市と農村の所得格差と農村部における一層の高齢化を促す、というのは日本でも見られた現象である。またこうした潤沢な貯蓄を効率的な生産投資に振り向けるための銀行システム(資金配分システム)が、これらの国で十分機能しているかも、やや問題のあるところであると指摘する。中国で見られるとおり、こうした余剰資金が、生産投資ではなく、株式や不動産市場に流入し、バブルをもたらすリスクは常に存在しているのである。そして、最終的には「人口ボーナス」が枯渇する前に、如何に全体的な所得水準を高めるか、ということを考えると、これらの国においては、まず労働集約型の産業を支える素材産業や金型・鋳物などの素材産業(その多くは中小企業となる)を如何に早いタイミングで育成するか、というのが鍵になる、と言う。また生産性の向上という観点からは、どの国の教育水準も若年層は全体的に向上しているが、むしろ中高年層の教育水準=生産性を如何に高めるかが一つのポイントになると考えるのである。同様の問題は、これからASEAN4にキャッチアップしようとしているベトナムやインドでも遅かれ早かれ対応を余儀なくされると思われる。
結局ここで著者が指摘しているのは、アジア諸国が農村からの若年労働力を都市部が吸収することにより、しばらくは「人口ボーナス」を享受できるが、高齢化の進展と共に国内貯蓄率は低下し、現状の成長力を維持するのは困難になる。これを維持するためには、中高年層の能力向上が必須である。そしてその過程で発生している都市と農村の格差を埋めるための社会保障制度の構築による所得移転をどのように進めるかが問われてくるというのである。
こうして最後の二章で、著者はアジア諸国の社会保障制度の歴史と現在を概観すると共に、そうした制度整備に先達としての日本が寄与できる部分が多いとし、こうしたノウハウの提供を通じて、日本はアジア共同体に向けての動きに大きく貢献できる余地があると主張している。この部分は、多少私自身のアジア地域での業務とも関係するところではあるが、その議論はやや細かくなるのでここでは省略する。
以上、私の業務では、アジアはこれからもまだまだ成長余地のある地域と考えられており、むしろ問題はその成長のモメンタム及びタイミングがどこにあるかという点にのみ関心があった。しかし、この本で示されているとおり、もしこれらの国の「人口ボーナス」が日本以上に早く枯渇し、且つその時点の国民所得が低い水準に留まっていることになると、この成長シナリオはやや楽観的に過ぎるものになる。確かに、足元中国、インド、インドネシア等の国は、昨年の金融危機から欧米よりも早く立ち上がり、ややバブル感を漂わせながら成長の道に入っているが、実はそれが時間との競争であるということは忘れてはならないだろう。そうであるが故に、これらのアジア諸国は、現在の「人口ボーナス」を含めた資源を如何に効率的に将来的な産業育成に配分していくかが問われることになろう。そして我々の投資活動自体も、まさにこうした道を促す、あるいは見据えたものにならなければならないのだろう。アジアでの業務を行う上で、今まであまり見えていなかった部分を見せてくれた本である。
読了:2009年8月22日