東アジア共同体をどうつくるか
著者:進藤 榮一
2008年1月の読書会課題作品である。先日読んだ船橋の「日本孤立」でも散々指摘されているとおり、世界のパワーバランスにおける日本の地位低下が著しい今日、日本の生きる道は「アジアとの共生」にあることは間違いないが、その具体的な動きとその展望はどうか、という関心から、私の主導でこの作品を取り上げることになった。
この新書の論点は、別に読書会のレジュメで詳細を記載したので繰り返さないが、会での全体としての評価は非常に低かった。その理由としては、この作品から、アセアンの政治・経済統合が急速に進捗してきていることは認識できるものの、その中で、日本がどのようなポジショニングをすべきか、という論点に関しては、著者の見解は余りに楽観的・理念的で、穿った見方をすれば、ただ単なる「反米主義」的発想から、東アジア共同体への接近を唱導しているだけではないか、ということであった。
個別の論点を挙げれば、例えば、第五章の「中国脅威論」批判については、言わば上記の立場から幾つかの都合の良い項目を並べているのみで、実は中国軍部の分散された指揮命令系統や地域的な緊張関係等を全く視野に入れていないのではないか、といった議論や、第6章の地域安全保障に関しては、アセアン諸国が日本に期待しているのは、例えばフィリピンのアロヨ大統領が2002年の小泉訪問時に直接伝えたとおり「中国の脅威への、(米国の関与も含めての)日本のバランサーとしての役割」のみであり、著者が楽観的に見ているようなものではないのではないか、といった議論である。
私自身、個人的には、東アジア共同体創設・発展というベクトルは、前述のとおり、現在、徐々に凋落傾向が顕れてきている日本の、将来に向けての戦略上、非常に重要なものと考えているが、他方で、欧州統合との比較から、経済統合のモーメンタムは間違いなく進捗しているものの、政治統合という観点では、はるかに大きな障害を抱えていると認識しており、上記の議論もそうした観点からの議論であると理解される。そしてその政治統合のハードルの最も大きなものが、この地域における中国の存在と戦略であることは言うまでもない。
船橋洋一の「日本孤立」の書評は、このサイトには掲載していないが、この本でも、米国筋の見方として、「中国は、東アジア地域を中国の特殊権益の下に置くことを意図して、アセアン+3を推進してきた。」「中国の長期的な狙いは、東アジアから米国を除外し、日本を孤立させることだ。日本はアジア主義などかついでいるゆとりはないはずだ。」といった議論が紹介されているが、まさにこの中国の存在と戦略を偏見無く、どのように認識し、それをベースに日本が東アジアにおいてどのようなポジショニングを取っていくかということが、この問題を考える際の日本にとっての最もシリアスな問題である。その際の最も現実的な領域は、やはり船橋の本で指摘されているように、日米同盟と中国とのバランスをどのように取った外交政策を行っていくかという点であろう。小泉時代のように、「対米追従」一本やりでもなく、とは言いつつも一定の米国の支持も得ながら、中国、韓国、そしてアセアン等との距離感を保ちながら日本固有の地域政策を如何に実行していくかというのが重要である。そこで反米主義を露骨に出すのは、あるいは米国の不安を刺激するような政策を強行するのは得策ではない。あるいは中国との関係においては、経済的な相互依存を強化しつつも、彼らの地域あるいはグローバルの覇権を阻止するよう米国や韓国・アセアンを利用する。こうしたバランサーとしての日本の地位をより鮮明にしつつ、これらの国やその他の世界に対してメッセージを発信していく。そのために使える武器が何であるかを冷静に議論し認識していくことが必要である。日本の経済力自体に陰りが出ている現在、使える武器は限られている感はあるが、少なくとも日本が戦後黙々と蓄積してきた国内資産(環境技術も含めた工業技術力、民間資本と1500兆円に及ぶ民間貯蓄資金、固有の文化遺産と新たなソフト力であるアニメやゲームといったソフト産業等)にはまだ余力があると思われるので、これを如何に戦略的に生かせるかどうかが、その際の鍵になるのであろう。
読了:2007年12月18日