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歴史と外交
著者:東郷 和彦 
 元外交官による、アジア近隣諸国との歴史問題を中心にした日本の外交を巡る思索である。著者は、祖父に第二次大戦開戦と終戦時の外務大臣、父親も外交官という一家に生まれ、外務省でモスクワ大使館、ソ連局長等を歴任するが、欧亜局長の時に、鈴木宗雄や佐藤優らと共に、北方領土交渉を巡る政治的抗争に巻き込まれ、駐オランダ大使に転出。それを最後に、2002年外務省を退官し、2007年末に帰国するまで、米国他の大学で教鞭を取ることになる。佐藤優の「国家の陰謀」等を読むと、鈴木や佐藤と共に、逮捕の懸念に晒された著者に対し、佐藤が「今帰国すると危険なので、海外に留まる方がよい」と示唆し、著者の帰国を留まらせた、という記述が出てくるが、まさにソ連の専門家として、鈴木らが強引に主導した北方領土返還交渉に欧亜局長の立場で関与し、その混乱の責任を取らされる形でオランダ大使を最後に退官、しかも佐藤の言う「逮捕の危険」から、そのまま海外に留まり、外国の大学で教鞭を取ることになったものと推測される。個人的には、なかなか辛い時期を過ごしたと想像されるが、逮捕・起訴をエネルギー源として言論界で一気に地歩を築いた佐藤と同様に、こうした「失意の日々」に彼なりの思索を進めたのがこの作品である。ソ連関係や北方領土返還交渉を巡る経緯については、別の本を書いているということで、ここでは全く触れられず、アジア及び米国との外交問題についてのみ言及している。

 この本で取り扱われているテーマは、@靖国問題、A慰安婦問題、B日韓歴史問題、C台湾問題、D原爆投下問題、E東京裁判、という6つであるが、Dと、彼自身の家族問題でもあるE以外は、近隣のアジア諸国との外交問題を扱っている。私のアジアへの省察の一環として、ここでは、DE以外を中心に見ていきたいと思う。其々が、米国やアジア諸国の大学での学生に向けた講義やシンポジウムのために準備されたもので、元外交官らしく、極端な議論を展開するというよりも、論争的なこれらのテーマにつき、外国人の聴講者に出来る限り其々の立場の主張を公平に説明し、その中から自分の考えをやや控えめに提示する、という手法を取る。その際、著者が外交官として仕えた政治家の立場にも相当の敬意を払っている。その意味で、この本での議論は、まさに「外交官による優等生的回答」で、その分、例えば前述の佐藤の本のように「追い詰められた者による必死の叫び」のような刺激と面白さはないが、他方で、時として政治的且つ感情的になりがちなこうした問題を巡る各陣営の主張を冷静に頭に入れる上では参考になる。

 靖国問題。靖国の対立点は単純である。例えば中国側。「A級戦犯が合祀されている神社への戦没者慰霊は、日本の戦争責任者を敬うことになり、日本の対中国侵略を正当化する」という議論。他方、例えば靖国参拝を強行した小泉元総理は、「国のために命を捧げた人の霊を弔うのは当然で、靖国訪問は心の問題である。」この小泉の靖国訪問強行で、日中関係が長いデッドロック期間に入ったことは言うまでもない。

 争点は明確だが、解決は政治的には容易ではない。実務経験者としての著者の考えは、「国民の総意に基づく靖国の改編と、その間のモラトリアム、首相の訪問一時停止。」しかし、そもそもこの問題に関し「国民の総意」が形成されることなどあり得ないという懸念がある。

 著者は、この問題の根源は、戦後日本の3つのねじれの蓄積にあると考える。それは@A級戦犯合祀とその前提に戦争責任、A「遊就館」と靖国神社の歴史観、B戦没者慰霊と憲法20条の政教分離、である。
 
 靖国問題の前提となる戦争責任。東京裁判は、勝者による軍事裁判で、「平和に対する罪」は国際法上認めることのできない事後法として押付けられたものである、という議論が著者の考え方として説明される。実際、ここで裁かれた戦犯は、国内法での処罰は受けていない。しかし、日本政府は、サンフランシスコ条約で、東京裁判の判決を受け入れたことで、日本は国家としてこの判決の正当性を承認したが、それは戦後日本が書く際社会に復帰するに当たり必要なことであった、と著者は結論は受け入れている。そして政治的には、1995年8月の村山談話が、日本の近隣諸国に対する姿勢として今日まで踏襲されている。これが著者の認識であり、ここまでは私も異論はない。

 しかし、続けて、戦争責任は国家全体が負うべきであり、著者の祖父を含めたA級戦犯は、その国家責任に献身し、その犠牲となったのであり、彼らを祀る靖国には敬意を払うべきだ、と言うと、ちょっと待ってよ、と言いたくなる。祖父の名誉がかかった議論なので、彼はそう言わざるを得ないのだろうが、ここには、かつて戦後直後に丸山真男が指摘したような、日本人戦争指導者、あるいは彼らを評ソする人間の責任意識の不在が見事に示されているのである。ウェーバーの議論を待つまでもなく、政治は結果責任である。そしてこの時代の国家指導者が、隣国を侵略し、その結果として自国も破滅の淵に導いたとすれば、彼らは内外に対してその結果責任を問われなければならない。一生懸命開戦阻止に努力したが失敗したのであれば、時の戦争遂行勢力とは決別しなければならなかった。その後指導者の一人として留まり、戦争遂行時にも一定の役割を果たしたが故に、戦後戦犯と判断されたのであり、その結果責任は、決して国家から報われるべきものでも、国民から尊敬を受けるべきものではない。その意味では、責任を感じて自殺した近衛文麿などの方が、余程政治家としての責任をとったと言えるだろう(遺族会が、「赤紙一枚で戦場に行かされた多くの兵士と、かれらを送ったA級戦犯を一緒に祀るのはおかしい」と言っているのは、それなりに正しい)。そしてこう考えると、靖国問題というのは、結局日本人の戦争責任に関し、国内的に指導者の戦争責任がきちんと判断されなかったことにより、彼らを「国家に身を捧げた人々」として祭り上げる神社側の勝手な暴走(A級戦犯のみならず、台湾や韓国出身兵まで勝手に祭り、親族から訴訟を起こされているという)を許したことで、益々複雑化してしまったと考えざるを得ないのである。

 「修遊館」(見に行こう行こう、と思いながら、なかなか機会を持てないでいる)に象徴される靖国の歴史観は、靖国が勝手に示すのではなく、国家の手に取り戻すべきである、という著者の主張は、それなりに納得できる。一民間宗教法人としての靖国が自らの歴史観を展示するのは止められないとしても、そこは国家を代表する場所ではないことを明確にして、別に「国民的な歴史博物館」を作るというアイデアには、私も反対ではないし、その内容についての著者のアイデアも面白いと思う。しかし、その内容を決めるのは簡単ではないだろうし、出来たとしてもそうした国家が関与する歴史博物館など、結果的にシンガポールのそれのように退屈極まりないものになるのは目に見えている。中々難しい課題である。

 更に、憲法20条との関わりにおける靖国の位置付け及び総理大臣を含めた公職の立場にある者の訪問についても、著者は自分の考え方を整理している。結論的には、現状の憲法20条を前提にすれば、公職にある者がここを訪問するのは疑義があり、むしろ小泉後の安部らが行ったような、「あいまい政策」が、最低限確保されるべきと考えている。但し、彼自身は、英霊に対する敬意は何らかの形で示されるべきという立場は変えておらず、むしろ憲法の改正や、靖国の形態を変えることにより、戦争での死者を弔うべき、と言う時、個人的にはどうしても違和感を感ぜざるを得ない。

 次の慰安婦問題については、私が今まで余り考えたことのない分野だけに、著者の説明はなかなか興味深かった。2007年3月、安部首相が「慰安婦の強制性を否定」というコメントに続いた米国内からの反発、そしてその後の日本の米国新聞紙上での意見広告がもたらした更なる批判の嵐が、私を含めた一般の日本人の感覚からすればやや異様とも思えたからである。しかし、ここではまさに著者が身をおいていた米国社会の中で、所謂「ジェンダー問題」が非常にセンシティブなテーマとなっていたこと。それにも関わらず、日本政府が行った意見広告等が、その「正当性」は別にしても、政治的な課題となりやすかったことが説明されている。日本国内の本件に対する立場は、著者が整理しているように、@制度的レイプ派、A公娼派、B河野談話派に分けられ、政府ベースでは、Bの立場から、「戦争に関する請求権問題は、戦後日本が結んだ諸条約で決着済み」であることから、法的責任を負わないよう注意しつつ、道義的責任という観点から、「女性のためのアジア平和国民基金」を設置し、「事務局経費は政府予算」を充当するが、基金そのものは「民間からの寄付により賄う」という枠組みをとったという。そして法的には、2007年4月の最高裁判決で、戦後日本が各国と締結した条約により、政府のみならず、個人も法的な追及を行えないことが確定したということである。

 実際には、この問題は、個々の局面で、制度的レイプ派が指摘するような事実も、また公娼派が主張するような事実もあったことは予想される。この問題の外交対応として、そうした多様な事態を想定しながら実務的に問題を処理していくというやり方は、それなりに納得できる。しかし他方で、やはりモラル的な贖罪の念は常に忘れてはいけないだろう。それが、相手国の感情を不必要に刺激し、大きな軋轢を引き起こす可能性があることを、数年前のこの問題の経緯が物語っていると言える。

 続いての問題は、日韓関係である。日韓関係の難しさは、今までの私の韓国人との限られた接触の中ではあまり感じたことはないが、一般の報道で、韓国内部の反日感情が、何かきっかけがあれば、すぐに火が着くことは理解している。しかし、この章で、もっとも斬新な印象を持ったのは、1909年10月、伊藤博文をハルビンで暗殺した安重根が、日露戦争での日本の勝利に狂喜したにも関らず、その後の日本の帝国主義化に憤怒し、暗殺に至ったこと。しかし逮捕後収容されていた旅順の監獄で監視の日本人憲兵と心を通じ合い、「日韓の友好がよみがえったとき、生まれかわってお会いしたい」と言って処刑されていった、という話である。

 こうした個人的交友は、単に「韓国併合が合意の上になされたかどうか」や、「日本の植民地化で韓国の経済・社会インフラが整備されたかどうか」等について、双方で自己主張を繰り返すよりもよほど重要である。もちろん著者が報告している西大門刑務所歴史博物館の残虐な反日展示などもあるのだろうが、他方流通する情報量が増えてくれば、そうした「教育」の偏向性も自ずと明らかになる。中国の反日教育の効果と同じように、何時までもそれを理由に相手に攻撃的になる必要はない。両国間の歴史問題としては、前述の靖国、慰安婦に加え、教科書と竹島があり、これらについても其々言い分はあるが、相互理解を通じた妥協の道はあると思われる。実務的には、著者が言っているとおり、時間をかけて、双方の主張を冷静に眺めながらギャップを埋める努力をするしかないのだろう。

 対台湾外交は、戦後日本がアメリカに追随して政策を転換した典型的な例である。しかし、その前に、よく言われるような、台湾の親日感情の源泉から著者は議論を始める。いろいろ要因はあるが、著者はむしろ、日本植民地下で、韓国が民族の誇りを傷つけられたのに対し、台湾ではそこまでの誇りがそもそも存在しなかった、という点と、日本の敗戦後のそれぞれの歴史の差(韓国では、南北への分断のもと、新たな国家のアイデンティティは、戦前の日本支配の全否定におかれたのに対し、台湾では国民党による本省人に対する弾圧が強化されたため日本支配の厳しさが薄まったこと)にあると指摘している。蒋経国後の台湾の民主化過程で、非中国化を進める中で、「殖民当地時代の日本的なものに今後の建国の精神を探求」したことが大きかった、というのである。

 1972年の日中国交回復で、日本は、そうした親日的な台湾との外交関係を断絶した。その際の中国との交渉経緯は、それなりに外交実務家の視点で書かれていて面白い。むろん国交断絶後も、民間の経済関係を維持するという形で、事実上日台が密な関係を維持してきたことは言うまでもない。他方、台湾国内では独立派と統一希求派がせめぎあってきたが、結局どちらも現状を大きく動かすことは躊躇してきた。その結果として、中国の「籠の鳥政策」の罠にはまっている、と指摘する者もいるようであるが、米国の台湾政策如何とは言え、台湾の立場を巡る中国の対応が、今後の東アジアの国際関係の大きな変動要因になる可能性を秘めているのは間違いない。しかし、いずれにしろ、日本の対台湾政策は、著者があるセミナーで台湾からの学生に答えた以下の方針で臨むしかないのであろう。「日本は、自由に表明された台湾の意思に従う。」しかし、もちろん現実政治はそうしたきれい事を許さないことのほうが圧倒的に多い。その意味で、実務的には、著者が指摘しているとおり、「中国の断固たる政策の下でなお、台湾が、東アジア共同体の下に静かに着地していくように、日本が知恵を出し、汗をかくこと」が、日本外交に求められることになるのであろう。

 最後の二章、「米国による原爆投下」と「東京裁判」の問題は、ここまで触れられてきた、加害者としての日本と被支配者としてのアジアの隣国との歴史問題とは異なる次元の課題である。前者の議論は、原爆投下により、日米戦争が終結し、多くの米国兵士(のみならず日本の民間人)の命が救われたという「正統派」と、原爆投下にはそれとは別の理由があったとする「修正派」との論争と、それに関連した日本の終戦工作に関わる著者なりの思索である。また最終章は、その過程で、終戦時の外務大臣として東京裁判でA級戦犯となり、獄中で病死した自らの祖父に名誉を回復しようという個人的・家族的な試みである。

 前者の問題については、折から民主党政権が、戦後の核兵器持込に関する日米の密約問題に関する調査結果を公表し(2010年3月9日)、「広義の密約があった」という有識者の結論を受け、「核兵器の持込がなかったとは言えない」との結論を出した(存在した可能性がある「密約」を含め、多くの重要文書が消失している中で、日米の解釈の相違を、そのまま放置することになり、その姿勢が代々の自民党外務大臣に引き継がれてきたことが確認できる書類は、著者の父親の作成した文書であった)こともあり、ある意味ではアクチャリティのある問題ではあるが、そして後者の問題は、やはり個人的なバイアスが込められていることから、ここでは直接アジア諸国に関わる問題ではないので、詳細に立ち入ることはしない。但し、双方の問題とも、従来の「対米従属」という単純な政策から転換し、日本が今後新たな国際的な位置を確立していくとすれば、避けて通ることができない問題であることは確かである。

 ここで触れられている日本が近隣の東アジア諸国と抱えている問題は、程度の差こそあれ、ここ東南アジアの諸国でも時折水面から浮上することがある。地理的に若干離れていること、及び経済発展へのいろいろな形での支援・貢献という飴で、近隣東アジア諸国に比べれば、特にここ渡欧何アジアでは、かつてのように直接爆発することはないし、各国の指導者も、現在そのカードを使うほど単細胞ではないが、先に読んだ「シンガポール華僑虐殺」でも触れられているとおり、戦後65年を経た今でも、国家としてのこの時代の記憶が消え去っている訳ではない。著者の基本的な体制擁護的な姿勢には違和感を抱きながらも、そうした議論が何らかの機会に再燃した際に、日本としての公式の立場を踏まえながら、冷静な相互理解を求めていくための一つの手法を提示してくれているのは確かである。

読了:2010年2月27日