アジア・ドイツ読書日誌と
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アジア読書日記
アジア全般
アジア政治とは何か
著者:岩崎 育夫 
 こちらへの着任直前に読んで大いに参考になった「アジア二都物語」の著者が、今度はアジア全般を射程に入れた政治分析の本を出版した。アジアに関する政治分析は、先般読んだタイに関する新書のように国別に分かれているものが多く、アジア全般を扱う場合は、老齢化やその他特殊なテーマでこの地域を横断するものが多いというのが、今までの印象であった。もちろん、アジア全域の現代史等を扱った、専門家向けの大部の作品も以前図書館などで見た記憶があるが、そうした作品は、あまり気楽に読めるものではないし、無味乾燥なものが多い。そして欧州各国と同様、アジア諸国は隣同士と言っても、言語も、民族も、宗教も、そして歴史も異なることから、どうしても現代の政治過程に関する一般向けの本を上程しようとするとまずは国別の地域研究になってしまうのはやむを得ない面もあるのだろう。しかし、昨今のように、ASEANの深化等により地域内でのヒト、モノ、カネの動きが激しくなっている現状を考えると、アジア政治全般を俯瞰しながら、その大きな姿を捉えておくことが必要なのは確かである。しかし、自由主義国家から社会主義独裁国家まで、あるいは経済的に成長・成熟しつつある国家から「破綻国家」に近い国を含んでいるこの地域の政治像は、どのような概念装置を使って分析するのが最も分かり易いのだろうか?こうした観点で見ると、この本は、ある意味で図式化されすぎているという傾向はあるものの(著者は、この地域の国家を説明する概念を創り、それで分類を行うという手法をとっている)、この地域の国家の、戦後から現在に至る政治の展開を非常に分かり易く提示してくれる。そしてその比較分析は、それなりに納得できる部分が多いと言える。

 著者が使用する大きな概念装置は3つ。「開発体制」「民主化」そして「民主主義」である。「開発体制」は、1960−80年代のアジア国家を席巻したコンセプトで、これは「単なる技術的な経済行為ではなく、国家と社会の全ての資源とエネルギーを動員して取り組むべき国家的営為と考えられた」ものであり、具体的には「政治分野の権威主義的体制と経済分野の国家主導型開発が結合した体制」である。また「民主化」は「80年代以降アジア諸国を含む世界のキーワードになったもの」で、この移行(あるいは移行できない姿)の様々な形態を整理しようとするものである。そして最後の「民主主義」は、現在の姿を比較するため、「地域や国によって内実に大きな違いがある」この概念を検討することにより、各国の特徴や問題点を浮かび上がらせようというものである。いわば、其々の概念に基づき各国を歴史的に、あるいは現在の位置で比較することにより、これらの国の政治の現状を相対感の中で浮かび上がらせようとするのである。

 著者は、欧米比較政治学の最近の理論である欧米モデルや二重構造モデルについて一般的な解説をしているが、それは省略し、直ちにアジア政治の分析に入っていこう。当然そこでは、欧米と比較したアジアの特殊性が語られることになるが、その最も大きな要素は、欧米による植民地化の中で進んだ「多民族社会(複合社会)」という特徴である。著者は「単一民族社会(主要民族が95%以上)」(5カ国)、「多民族社会」(19カ国)に分けた後、後者を更に「多数派型(同:75−94%)」(8カ国)と「分節型(74%以下)」(11カ国)に分けているが、これだけでも単一民族国家中心の欧州とは異なっていることが分かる。しかし、その分節社会も、上記の「開発体制」のもとで変容していく。この変容を、@民主主義や政党政治の学習への時間不足や経験不足要因、A開発による伝統的社会構造や価値意識が変容させられるという要因、そしてBそれでも残る固有の価値規範や社会慣行から来る要因から跡付けるため、上記の欧米モデルや二重構造モデルといった現代比較政治学のモデルからの乖離も参考に、議論を進めることになる。

 まず「開発体制」であるが、これは既に多くの議論があるが、著者の結論的理解を整理すると、@権力者による体制基盤強化のための反政府勢力の弾圧、A経済社会領域での成長の確保、Bそれを体制の正統性として国民の政治的支持を確保(正統性パフォーマンス)、C最後に全般的な「開発主義イデオロギー」による強化を行う、という過程で成立した「経済的性格よりも政治的性格が強い体制(制度)」と考える。

 この「開発体制」を軸にアジア国家を見ると、@その体制の「形成国」、A「志向国」、B「非形成国」に分けられる。@は、韓国、台湾、インドネシア、フィリピン、シンガポール、マレーシア、タイの7カ国、Aは中国、ベトナム、ミャンマーの3カ国(ベトナムが1990年代初めに、首相を退任したリー・クアンユーにベトナム開発顧問の就任を要請したが、実現しなかったというエピソードは、「開発体制が政治イデオロギーとは無関係なものであることを物語っている」)、Bは北朝鮮その他の12カ国でインドもこのカテゴリーに入っている。この内Bは更に、「政治混乱型(カンボジア等)」、「市場開発型(香港)」、「社会主義開発型(北朝鮮やインド等)」、「開発体制不要型(ブルネイ等)」、「準開発志向型(パキスタン)」に分けられている。こうした区分で見ることにより、反共自由主義(権威主義体制)と資本主義型開発(国家主導型)に依拠した「開発体制」を軸とするアジア諸国の経済成長の格差が、著者も言っている通り、結果論的にではあるが確かに分かり易く説明される。そして欧米の「多元主義国家」観(意味としては「夜警国家」に近い)に対し、これらの「開発体制国」は、国家が主要なアクターとして現れている点が決定的に異なる。そしてその「開発体制国」の特徴として7つの要素を挙げているが、この中で興味深いのは、これらの国で「いずれの国でもほぼ定期的に選挙が実施され、国民に選出された民主的政府の形態が装われ」、また「国民の抑圧や政治管理が、形式的には法制度を通じて行われたこと」である。その意味では、これらの開発体制は、疑似民主主義と疑似法治主義のアジア型混合体制(私の勝手な命名である)と言える。そして国家主導体制である限り、「経済実行能力」という「良い顔」と、「構造的腐敗」という「悪い顔」の二面を持つことになる。

 アジアの7カ国でこうした体制が成立した理由を、著者は「当時これらの諸国が直面していた国家危機を乗り切るために、且つ政権に対する国民の求心力の強化を狙って開発を前面に出した」と説明している。しかし、こうした開発体制が出来た環境は1970年代から80年代前半までで、90年代に入ると国内外の政治経済状況が変化し、こうした体制が形成される状況ではなくなってしまったとしている。

 他方、「権力者に開発体制形成の志向があること」と「特定集団(軍、正統、個人)による政治独占がある程度成立している」という国内的条件を欠いている国家ではこうした体制が形成されなかったとして、インドのケースを挙げている。

 更に国際要因としては、米国の反共独裁政権への軍事的、政治的、経済的支援も決定的な役割を果たすことになる。「この時期のアメリカは、政権が民主的であることよりも反共的であることを優先させ、軍事政権や一党独裁政権のほうが、この戦略(アメリカの反共戦略)に適合的だと考えた」のである。しかし冷戦終了後は、むしろアメリカは民主主義と資本主義というグローバル・スタンダードを新たなイデオロギーとして持ち出したことで、「開発体制は否定されるべき体制」へと転化したのである。

 こうしたアジアでの開発体制の成立とその成果についての総括は、ごく常識的なものであろう。ただ、そこで注目されるのは、ラテンアメリカの同様な体制が、成功した国でも成長成果の分配が不平等で、貧富の格差が拡大したのに対し、アジアでは相対的にそれが小さかったことである。著者は、その要因は、アジアの「開発体制」が政治的正統性を確保するために、国民に成長を実感させるための分配も重視したことを挙げている。「アジアの開発は大地主など既存の経済富裕層が開発の担い手ではなかったこと、開発の成果も権力者や一部の特権層が独占するものではなかったこと」が、所得格差が深刻な問題となるのを避けられた理由であったとするのである。しかし、前者の国民への利益還元という要請は、ラテンアメリカ諸国でも同じであったと思われるし、ラテンアメリカでそれが出来ず、アジアで出来た要因が後者であるというのは、やや説得力が弱い気がする。当然アジアでも、国によってそうした還元の度合が異なり、その結果として、次のテーマである激しい民主革命が発生した国とそうでない国に分かれることになるのである。汚職の問題と同様、其々の国家の国民性や支配政党の意思等によるというのが、実際のところではないだろうか?

 続けて第二のキーワードである「民主化」の考察であるが、ここでも、90年代の民主化の波が訪れた時に、それが発生した国もあれば(それはまた、成功した国と失敗した国に分かれる)、そもそも発生さえもしなかった国があることの相違が考察の対象となる。

 まず、最近の「民主化」研究の成果として、「移行」と「定着」の理論を紹介した上で、アジア諸国での動きを整理する。「民主化運動発生国」の議論では、外部アクターとしての「民主化の流れ」や「欧米諸国の圧力」と内部アクターとしての「国内反政府勢力」と「権力者自身、あるいはそれを支える軍部等の暴力装置」のどれが主役となったかを基本に、その結果も受け、「上からの民主化国(台湾、韓国、モンゴル)」、「下からの民主化国(フィリピン、バングラデッシュ、タイ、インドネシア)」、「体制転換国(ネパール)」、「民主化運動挫折国(中国、ミャンマー)」の4つに分けられる。また非発生国(8カ国)については、その要因から「国民管理万全型(マレーシア、シンガポール)」、「国家強大型(北朝鮮、ベトナム、ラオス、ブルネイ)」、「国家不安定型(カンボジア)」、「社会分裂型(パキスタン)」に区分されるとしている。ここでは特にマレーシアとシンガポールが該当するという「国民管理万全型」が面白い。これは「成長の結果、都市中間層が台頭したが、この社会集団の体制への不満がさほど大きなものではなく、政府の国民管理も堅固であった」という評価である。更にシンガポールの場合は「天然資源に欠ける都市国家のため、常に経済成長を維持することが唯一の生き残りの道であると、指導者だけでなく多くの国民も考えており」「高成長を演出してきた人民行動党政府の退場(政権交替)は、成長の終焉、すなわち現在の生活水準の大幅な低下、さらには国家の終焉であると受け止め、これが民主化運動(政府批判)に対する心理的ブレーキの役割を果たしている」というのは、けだし正鵠を得た見方である。

 これを踏まえて、著者は「アジア全体の視点」から、アジアの民主化の特徴を検討するため、まずは、「民主化運動の発生は政治体制や経済発展段階と密接な関連がある」とする一般的な仮説の検証から始める。これは感覚的には何となく納得できる議論ではあるが、アジアでの民主化運動発生国でこの相関性を見てみると、シンガポールのように「経済発展が必ずしも民主化に繋がるものではなく」、またインドのように「低発展段階でも民主主義の実現が可能なことを示す」例もあり、アジアの場合は必ずしも当てはまるものではない、と著者は言う。それよりも、要因としては「世界的な規模で民主化運動が発生し、それが大きなうねりとなってアジア諸国に押し寄せたという地域を取り巻く政治状況(民主化の時代精神の拡散効果)」と「それを受けた統治支配者に対する国民の意識変化」が、アジアでの民主化運動発生の主因であった、と結論付けている。また民主化運動の発生国と非発生国を分けたのは、「経済発展段階に関係なく、現在の政治体制を批判し民主化を志向する集団が国内にいたかどうか」と「民主化運動の打倒対象である権力者のあり方、具体的には民主化に対する姿勢(対応)」の違いであったとする。後者は、民主化要求を無視することのリスク、あるいはコストを権力者が自己保存の観点からどう考えたか、という議論であるが、これはあくまで韓国や台湾のような「上からの民主化」についてだけ適用される議論であり、マルコスやスハルトの退陣に関しては、やや説得力が弱いと思われる。

 こうして最後のキーワードである「民主主義」そのものの質の議論に入るが、ここでの議論はインドネシア・スカルノの「指導される民主主義」、タイの軍人指導者が唱えた「タイ式民主主義」、更にはリー・クアンユーやマハティールの「開発型民主主義」といった「アジア型民主主義」全般を、欧米の民主主義論(「民主主義」と呼ばれるために必要な諸要素)を念頭に置いた上でどう評価するか、という問題である。

 著者は、民主主義の構成要件として「制度要素」、「自由要素」、「生存要素」の3つを念頭に置き、それからアジア諸国を見ると、大きくは4つの類型に分けられるという。それは、@「生存要素欠如型(インド)」、A「自由要素欠如型(シンガポール、マレーシア)」、B「民主主義政治混乱型(韓国、フィリピン、インドネシア、タイ)」、C「民主主義の社会基盤弱体型(スリランカ、バングラデッシュ)」である。

 このように多様なアジアの民主主義の現状は、「民主主義政治が本格化してからいまだ日が浅いために経験や学習時間が不足していること」、及び「民主主義が機能する政治社会の特性が国ごとに違うこと」から説明できる、と著者は言う。そしてその結果、「参加」と「競合」のマトリックスで民主主義の現状を評価する欧米民主主義論の図式(ダールモデル)で見ると、アジア諸国の「民主主義」は、「参加」は多くの国で実現されているが、「競合」の度合いが異なることが見られるという。この理由は何なのか?著者は、幾つかの国を例にとって具体的な要因を説明していく。

 まずはマレーシアの、マレー人と中華系の民族対立という現実から導入されたブミプトラ制度。またタイの軍部や王室の役割、韓国の大統領への権力集中とそれ故の汚職問題、そしてインドネシアの家族主義政治観やイスラーム要素等も、其々の国の固有の社会構造や習慣といった要素を一つの軸とする「二重構造モデル」で説明されるという。しかし、マレーシアで現在ラザク首相が部分的な手直しに着手している通り、こうした固有の政治文化も、「社会構造の変動と国民意識の変化に伴い、長期的には変容する」としている。

 また各国の政権党の性格も、この「競合」度合いの相違の理由であるとして、台湾(一党独裁時代の国民党)、シンガポール(人民行動党)、マレーシア(統一マレー人国民組織)、インドネシア(スハルト時代のゴルカル)、そしてインド(国民会議派)のような「抑圧政党型政権党」と、韓国、タイ、フィリピンのような「個人政党型政権党」に区分している。前者は、他の政党から圧倒的な優位を保つ「非対照の構図」にある政権党で、「さまざまな国家資源を利用することで、政権党が益々膨張・強大化し、他方では、野党の非力化や極小化を進めた結果、ある時点を越えると、もはや選挙で野党が勝利するのは不可能という構造」が成立することになる。また後者は、「堅固な党組織を持たず綱領も不明瞭で党の規律も緩く、頻繁に他の政党と合併したり、現在の政党を解党して新しい政党を作ったりする政権党」(最近の日本の話を聞いているようである!)であり、概して「政党が指導者の個人的野望を実現する手段に転化する」傾向があるとしている。そしてこの政権党の性格は、ある政治学者が言う「支配権力性」と「無能な多元性」に対応し、アジアの民主主義を歪めている大きな要因であると考えるのである。

 こうして最終章の「アジア政治の課題と展望」に入る。言うまでもなく、ここではアジア諸国の民主化移行が課題の国と、民主主義の定着が課題の国で、それぞれ内容は異なってくる。

 移行が課題の国は、著者によると、北朝鮮、中国、ベトナム、ラオス、ミャンマー、マレーシア、ブルネイ、シンガポールの8カ国であるが、この課題は「強い国家」の場合と、「弱い国家」の場合で異なるという。前者の場合は、80年代に発生したような、大きな民主化のうねりといった外部ファクターは最早期待できない故に、地道な「体制内改革」が必要であるとする。その過程は、権力者以外の「拒否権プレーヤー」を育成し、多元的な社会システムに移行することで、徐々に民主化の道を辿ることしかないとする。また後者の場合は、まずは、国家の制度体系の確立や行政能力の改善といった「国家形成の第一段階」から出発せざるを得ない。しかし、著者はどちらも簡単ではないとして、国内の民主化勢力も弱体である上に、関連する国家の間での利害関係や思惑も交錯しているミャンマーのケースを説明している。また、民主主義の定着が課題の国においても、例えば中間層の拡大が民主主義の定着を促す、という議論に対し、最近のタイのケースを例に、それ程単純ではないと述べる。また一部の国では、再び非民主的な権威主義体制への逆戻りもあり得るとして、パキスタンやカンボジアのケースを挙げている。

 しかし、こうした国でも、もちろん前向きな議論が出来る余地もあるとして、例えば「伝統社会がもつ民主主義と適合的な制度や慣行の発掘」も可能であると述べ、インドの「バンチャーヤット(村落自治組織)」、フィリピンの「バランガイ(伝統的共同体組織)」、インドネシアの「村落会議」といった地方での直接民主主義の基盤を挙げている。そうした地味な伝統組織を活用すると共に、国民の啓蒙により「国家中央レベルの制度や運営の在り方」の改革を進めることで、「市民社会レベルでの信頼関係」が醸成される可能性があると期待するのである。また社会主義国の体制移行は、それ以上に困難な課題であるが、少なくともここでは「経済開発が向上すると、それが政治体制の転換へと繋がるのは不可避」であるとして、韓国や台湾、そして東欧諸国での経験が参考になるという。

 最後に著者は、新たな地域的枠組みとしてASEANの深化とそれが其々の国に及ぼす影響を簡単に説明しているが、これについては、「民族、宗教、言語、地域の違いを超えた社会交流と相互理解というプラスのシナリオ」だけでなく、「異民族や外国人労働者などを排除する社会対立と混乱が深まるマイナスのシナリオ」があることも否定できないとしている。しかし、こうしたアジア共同体の議論は、ややとってつけた感じであり、まだ著者自身も深く考えている訳ではないようである。

こうしてアジアの25カ国を、「開発体制」「民主化」「民主主義」という視点で、現状の位置を俯瞰する作業が終了する。冒頭にも述べたとおり、この概念により、ある種の「理想型」とそれが固有の要素で乖離しているアジア各国の歴史と現状がそれなりに分かり易く頭に入ってくる。しかし、やはり欧州と比較しても、民族、宗教を中心により複雑な社会構造を持つアジアの国々は、なかなか全体として安定するには時間がかかると思わざるを得ない。もちろん経済水準が相対的に低いこと、及びそれにも関わらず、労働の質が上昇していることを考えると、この地域の経済水準が今後それなりに上昇していくことは間違いないし、それに伴い、政治環境も、欧米の学者が考えるような「民主主義に向けての進歩」に向かっていくこともその通りであろう。しかし、問題は時間軸であり、それが数年の単位で起こるということは考えにくい。否、アジアでもっとも成熟した民主主義国である日本でさえ、現在は政権党の弱体化と重要政治課題への対応力の欠如が顕在化する中、場合によっては民主主義自体の後退が起こらないとも限らないし、アジア諸国の場合は、よりそうした可能性は高いのである。

 今回、どうしても自分が現在生活し、身近で見ているシンガポールのケースで妙に納得させられる部分が多かったが、しかし、他方でこの権威主義的民主主義国家シンガポールでも少しずつ状況は変わっているように思える。例えば、7月17日(土)早朝発生した雷雨で、島の一部で洪水が発生した。これ自体は、ここのところ頻繁に発生しているゲリラ雨に伴う洪水であったが、この雨で冠水した地域の写真を撮影したとして、中国字新聞のカメラマンが一時警察に拘束されるという事件があった。さすがに、これは権威主義に慣れているシンガポール人の間からも「やり過ぎ」との声が起こっているという(但し、インターネットでは見ることのできるこの記事は、Strait Timesのような一般紙では、掲載されていなかった)。また同じ週末に、シンガポールの死刑制度に関わる本を出版した75歳の英国人ジャーナリストは、法廷侮辱罪で逮捕されるという事件が報道されている。これについては、英国政府からシンガポール政府に事情を説明するよう、要請が入っている。

 リー・クアンユーがその自伝でも繰り返し主張しているように、アジア、あるいはシンガポールでは、欧米と異なる国家意思と社会慣行がある。それが故に、政治体制も、ある時点までは欧米型民主主義とは異なる制度や体制を貫徹せざるを得ないのは明らかである。しかし、市民社会の成長は、徐々にこうした独自性を凌駕していく。前記の通り、時間軸の問題はあるが、こうしたアジア型政治体制も、日本のように試行錯誤を繰り返しながら変容し、しかし大きく地域内の秩序と安全を損ねることなく前に進んでいくことを信じつつ、このアジアの地からの定点観測を行っていきたいと思うのである。

読了:2010年7月18日