貧困の克服 アジア発展の鍵は何か
著者:アマルティア・セン
まず、この作品を、「アジア全般」に掲載するか、それとも「インド」にすべきか迷ったが、やはり著者の議論は、インド固有の議論であるよりも、アジア全体の成長をより普遍的な見識から展開したものであることから、「アジア全般」掲載することとした。以下は、それを踏まえた評である。
以前から気になっていたインド人経済学者の1990年台後半の講演4つを集めた、2002年刊行の新書を、8月の帰国時に購入し、今回読了した。
彼は1933年インド・ベンガルで生まれ、カルカッタ大学を卒業した後、ケンブリッジで経済博士号を取得。以降は、ケンブリッジやオクスフォード、ハーバード等で教えながら、国連等の国際機関の研究にも幅広く参加し、1998年にはノーベル経済学賞も受賞している。典型的なインド人の天才で国際人であり、私も名前はいろいろなところで耳にしていたが、著作は何となく国際経済の専門書が多そうということで、今まで近づくのを躊躇していた。しかし今回、書店で偶々目に入った新書が、読み易そうであったこともあり、このインド人の世界への入門編として読んでみたものである。講演の時期から、アジア経済危機の余韻が強く残っているが、基本的な議論は、そうした時期的なトピックを越えた普遍的な問題を取扱っている。
第一講演が行われたのは1999年のシンガポールでの会議で、テーマは「アジアのための発展戦略」ということであるが、主たる論点は「アジアの成長の要因と、他方でそれらの国が抱える問題の本質を明らかにすること」であると言える。
まずセンは、日本を始めとするアジア型の経済成長が成功した理由として、@基礎教育や医療システムの重視、A教育・人材養成・土地改革・信用供与等による経済エンタイトルメント(人々が十分な食糧などを得られる経済的能力や資格)の広範な普及、そしてB開発経済において、国家機能と市場経済の巧みな組合せが行われたことと指摘し、其々を説明しているが、こうした「人間的発展」のインフラ整備を経済成長の基礎に据える見方自体は決して斬新な分析ではない。
その中で個別の事実として面白かったのは、例えば中国との一般的な比較において、全般に「人間の潜在能力の発展や、さまざまな制度の相互補完関係をフルに活用すること」で遅れているインドで、例えば南インドのケララ州(人口30百万人)と呼ばれる地域の事例である。そこでは女子教育が普及し、そのため中国のそれを上回る出生率の急速な低下が「強制ではなく自由意思」で進み、その結果、経済成長や生活の質の向上を実現させているという。インド経済の成長を見る時に一般的に例示されるムンバイやバンガロールではなく、この「ケララ州」というのが取り上げられているのはやや意外であり、今後この州についてもう少し情報を集めたいと思う。
こうした長期的な成長の要件に加えて、センは短期的に生じる問題に対する対応、即ち「突然起こりうる極度の困窮状態を防止する」要件を議論するが、これはこの著者のユニークな視点である。
ここで取り上げられるのは、例えば現代の途上国等で発生した大規模な飢饉とその被害の分析である。インドとの比較で「人間的発展」に勝っている中国でさえ、1958年から61年の大躍進時代に大規模な飢饉で3千万人が死んでいるが、インドでは独立以来こうした壊滅的な危機は経験していない。そこで彼が提示する議論は、「自然災害であれ政策ミスであれ、破局的事態の回避というかたちにおける人間の安全保障を確実なものにするためには、民主主義と参加型政治が重要な役割を果たす」というものである。
これは、自然災害や経済危機が発生した時に、どの社会集団に属するかにによって、境遇に大きな差が発生する(ある社会集団にとっては些細な問題ではないものが、他の社会集団の「エンタイトルメント」を全面的に破壊することがある)という問題で、この最も被害の惨禍を被る社会層を救済するための「保護のための安全保障」が、「手段としての自由としての民主主義と参加型政治」であると考えるのである。センによれば、例えば1997年の金融危機の際のインドネシアが示唆しているのは、「景気が上昇気流に乗っていた時には、民主主義に対してそれほど強い関心を抱いていなかった」にも関わらず、「一部の人々が真っ逆さまに転落した時、民主主義的な制度が欠落していたためにその人たちの声は押さえられ、黙殺された。」そして「民主主義がもたらす保護的な安全保障はそれが最も必要とされる時に、その欠如が人々に強く意識される」として、東アジア、東南アジアの経済の成長の陰で、これらの地域が直面する多くの問題を解決する鍵が、この「人間の安全保障」としての「民主主義と参加型政治」の発展であるとするのである。一定の民主主義が機能してきたインド出身の彼がそうした議論を展開するのはある意味自然ではあるが、それが他の「権威主義的」な東南アジア諸国の政治指導者から見るとどのように移るのかは議論のあるところであろう。そしてこの講演を、まさにこうした「民主主義と参加型政治」が制約されているシンガポールで行ったというのが、この第一講演で最も興味深い点である。
1997年のニューヨーク講演では、「アジア的価値観とは、西欧的価値観ほど自由を擁護せず、秩序と規律を重視する」もので、「アジア的価値観には経済的成功を促進する効果があるという」リー・クアンユウの議論に正面から意義を唱えている。センは、この「リー仮説」は、「入手可能なあらゆるデータの一般的統計によって検証されているわけではなく、任意に選んだ情報に基づいている」とし、直接そういう言葉は使っていないが、極端に言えば「政治的プロパガンダ」であると考えている。そして「結局、権威主義的政治と経済発展とは、いずれにしても関係がなく(中略)、そして、政治的自由と個人の自由はその存在自体に重要性があるので、それは確固たるものであり続ける」と結論するのである。経済成長の諸条件として、むしろ現在幅広く認知されているのは、「競争の開放性、国際市場の活用、識字能力と学校教育の水準が高いこと、農地改革の成功、投資誘因としての公的整備、輸出と工業化」であり、「民主主義の発展と完全に矛盾するものはない」のである。
この議論は、まさにリーらが「アジア的価値」に基づく「開発独裁による経済成長論」に対する正面からの反論である。そうした議論を展開しているセンが、第一講演をシンガポールで行った際に、政府筋やリー自身からどのような反響があったのかは興味深いところである。
「アジア的価値」自体についても、センは、アジアの伝統は、決して儒教に基づく権威主義的なものだけではなく、政治的自由と民主主義的なものも混在した多様性を有しており、片一方のみを強調することは間違いであると言う。その説明のため、孔子のある言葉を引用すると共に、自分の国インドの古典の中にも、個人の自由と民主主義的権利を擁護する多くの指摘があることを紹介している。アショーカ王やアクバル大帝といった、名前は聞いているがその歴史や人となりを知らない人物のコメントが多数引用されており、それはそれで新しい面白そうな世界ではあるが、今深入りする余裕はないのでその詳細は省略する。その上で、結論として著者が提示するのは、「現代世界においては、異なる文化の多様性を認めること」が重要で、「『西欧文明』、『アジア的価値』、『アフリカ文化』などについての単純すぎる一般化」を避けることが重要であるという、ある意味では常識的な見解である。もちろんこうした常識が、個々の事象の中ではなかなか貫徹しないのが現実ではあるが。
第三講演(1999年、ニューデリー。)は、この民主主義の普遍的価値をより細かく説明するものとなる。特にここではインドにおける民主主義の保証がそれなりに機能してきたことを論証し、それが「アジア的権威主義」に対するアンチ・テーゼとなり得ることを説得しようとしている。議論は先の2講演の繰り返しが多いが、センが「市民生活を豊かにする民主主義の特徴」として指摘している3点は興味深い。それは、@人間的自由一般としての価値、A経済的欲求の主張を含めた政治に配慮を求める手段である、B民主主義による議論を通じてお互い同士が学び、社会的な価値と優先順を形成できる、という側面で普遍的価値を有するとするのである。ハバーマスが言う「公共空間の形成」と同じような議論であるが、まさに、このセンの特徴は、そうした価値観が、依然として貧困や経済危機での困窮といったシヴィル・ミニマム的課題が存在するアジアの途上国でも普遍的に妥当すると繰り返し述べているところにある。そしてそれは決してそうした地域の経済成長を阻害するものではない。
第四講演(2000年、東京)も、先に触れた「生存のための安全保障」という概念を繰り返している。やや新しい問題としての情報技術革命やエコロジー的発想についてもコメントしているが、基本的な議論は人々の尊厳、平等、連帯を維持・発展させるための人間の根源的な自由の擁護についてである。その他の場所でも若干の言及があるが、ここでは東京講演ということもあり、「生存のための安全保障」というコンセプトを示唆してくれた故小渕首相に最大限の敬意を評しているというのは、この時期における日本のある種のイニシアティブを物語っており興味深い。アジア危機以降の宮沢構想を含めた日本の東南アジア政策が、センなどにもポジティブに評価されていたということであろうか?
こうして見てくると、このノーベル経済学賞受賞のインド人経済学者は、言わば開発経済の分析から、民主主義的政治文化が、経済成長自体と矛盾しないのみならず、危機の際に再貧困層を救済する安全保障にもなることを主張し、例えば開発独裁型の経済成長がアジアにおいては文化的な必然であったというような従来からの議論を転換させる論陣を張ってきたと位置付けられる。その彼は、経済学以外に、西欧哲学も学んだようであり、故国インドの文化的伝統と西欧文化の双方を消化した真の国際人であると言える。かつて短期的ではあるが、欧州のビジネス・スクールで接したインド人教授の印象的な論理展開を思い出しながら、インド人の優れた頭脳と国際感覚を改めて認知することになると共に、とは言いつつも、権威主義的な経済建設に自信を持っているリー・クアンユウ等が彼の議論にどのように反応したかというのも確認してみたいと思うのである。両者の論争等の記録があれば、是非追いかけてみたいものである。
読了:2011年11月6日