灼熱アジア
著者:NHKスペシャル取材班
2011年4月出版。NHKのテレビ番組を取材、編成したグループによる、当該番組の書籍化である。そもそもの番組自体は、後述する通り、その頃一部は見た記憶はあるものの、全体としての印象は薄かったが、現在の「アベノミクス」による日本経済の取り敢えずの復活期待がまだまだ遠く感じられた2年前の春、危機にある日本経済がアジアへの進出を梃子に、如何にして復活することができるかを模索した本書の内容には、1月に帰国した際に本屋で立ち読みした時にある種の既知感を抱き購入した。実際、サブプライムからリーマン、ユーロに至るこの4年間の金融市場の混乱については、何度かNHKスペシャルで取り上げられ、そう中の幾つかは、それなりに危機の原因とその帰結を分かりやすく説明していた。今回取り上げた作品は、読んでみると、私の中に強く残っている番組ではなかったことが分かったものの、それにも関わらず、2年前の時期に、アジアのビジネス・シーンで発生している新しい動きを、それなりにフォローしたものになっていた。もちろん内容的には、私の出身母体である日本のメガバンクのジャカルタ・オフィスでのビジネスが紹介されているように、投資業務というよりも、融資業務を中心としたアジアでのビジネスが中心になっている。その意味では、私の現在の業務に使える情報はなく、一般的なアジアでの金融業務のトレンドと、その背後にある、幾つかの国の中長期的な戦略を知ることが中心となる。また「アジア」ということであるが、4つの章の内の一つは中東でのエネルギー革命に関連する報告に当てられている。その他は、個別国としてはタイとインドネシアという私の業務上の所管地域、そして最後は日韓中のエコ産業における熾烈な主導権争いについて、という構成である。以下、個々の報告のポイントだけ簡単に見ておくことにする。
まずタイへの日本企業進出と、他方での日本企業にキャッチ・アップするに留まらず、今や日本企業も飲みこもうとする地場企業の、2010年時点での状況報告。バンコクでの政治紛争にも関わらず、「アマタ工業団地」を中心とした製造業集散地ではフル操業が続き、輸出は活況を呈している。かつて「日本企業をはじめとする外国企業のタイ進出の目的は、安い労働力を利用して製品を組み立て、欧米の先進国市場へ輸出することだった」が、いまや「中国やインドと関税ゼロでつながる」というタイのメリットを活かしたアジア市場向けの輸出にシフトした。リーマン危機で景気の低迷する欧米諸国向け輸出を、アジア域内への輸出が補っている。「アジアの時代」の象徴がここにある、と取材班は見ている。
縮小する日本市場を横目で見ながら、タイに進出してきた日本の中小企業の活躍や困難、地元労働者の技能水準の急速な向上、そして地場自動車部品会社「タイサミット」による日本企業「オギワラ」の買収と統合後の日本人技術者の苦労話しなど(最後のこの話はTVで見たことがあるのを思い出した)が報告される。そこでの結論は、中小企業も含めて、いまや日本企業は「脱日入亜」を進めなければ生き残ることが難しくなっていることと、その際に、力をつけつつある地元企業との連携や競争を含め、この「入亜」を行う際の「心と作法」を問い直すことが必須であるという、至極常識的なものである。しかし、取材班は、この取材から約1年後に、このタイの製造業拠点が、タイ国内の政治紛争ではなく、洪水という自然災害で巨額の被害を受けることは予想していない。中国プラス1の候補の筆頭を走っていたタイは、その後、しばらく外国からの直接投資に関しては、インドネシアなどの他のアセアン諸国の後塵を拝することになるのである。
第二章は、アブダビでのクリーン・エネルギー革命の模索とそれに群がる日本を含めた先進各国の競争の物語である。
「オイルマネーの覇者」アブダビは、かつてはその有り余る資金力による「国際マネーゲームの中心プレーヤー」であったが、将来の石油枯渇を見据えながら、クリーン・エネルギー分野への巨額投資を進めているという。それは「潤沢なオイルマネーの力で、世界中から最先端の環境技術やクリーン・エネルギー技術を買い集め、次世代エネルギーの主導権をも獲得しようという」戦略で、それは「マスダールシティ」という、砂漠の真ん中に作られた「環境実験都市」プロジェクトに象徴されている。またこれとは別に、北アフリカのサンベルト地帯では、例えばモロッコが、ソーラーや風力発電への大型計画を立上げ、欧州への売電を当て込んでいる。更にカタール経済は、LNGを前面に押したて絶好調であるという。
こうした中東からアラブ諸国のクリーン・エネルギー革命に群がる日独仏、更には韓国などの政府・企業の競争が取り上げられ、またカタールでの千代田化工の活躍と苦労が報告されている。ここでも日本企業の優位性が崩れる中で、如何に生き残っていくかという課題が課されている。そして米国からの環境エネルギー政策に関する巻き返しといった、国際政治の駆け引きも踏まえた対応が求められることになる。しかし、この地域でも、今年初めに発生したアルジェリアでの石化プラントでのテロ事件のようなリスクを伴うことも、その後明らかになっているのである。
第三章は、好調なインドネシア経済とそこでの日系金融機関等の活動報告である。ユドヨノ政権下での政治の安定と巨大な人口により、購買力のある中産階級が誕生し、内需が拡大している。そして天然ガス、石油、パーム油などの景気に左右されない輸出産品の存在もこの活況の要因として挙げられている。
そうした中で、金融業務でこの流れに乗ろうというインドネシアみずほコーポレート銀行の日常業務が紹介されている。個人的によく知っている人々の紹介に続き、我々もポートフォリオに入れているインドネシア財閥であるアストラ・インターナショナルの子会社への融資案件獲得や、日本の食品メーカー誘致などに至る経緯が細かく報告されている。しかし、内部を良く知る人からすれば、これは公開しても問題のないような害のない案件であり、別に見れば本当の困難はこんなところにはない、ということになる。あるいは、三井物産のバイク向けのオートローン子会社による、スマトラ奥地へのマーケッティング活動なども、さすが日本の商社という感じではあるが、これも公開できる当たり障りのない世界であるのは間違いない。
最後の章は、「日中韓 緑色戦争」と題された、中国での環境対策を巡る韓国と日本の競争の報告である。いうまでもなく、急速な産業化に伴う中国の環境汚染は、最近でも北京での基準値を大きく越えたPM2.5や上海の河川への豚の大量死骸放置など、話題に事欠かない。この二つの事件を受け、「北京では窓を開ければ煙草が吸える。水道の蛇口を捻れば豚スープがのめる」などという、とんでもないブラック・ジョークが聞かれるような状態である。
そうした汚染大国中国は、他方では環境ビジネスにとっては宝の宝庫であり、まず韓国が官民をあげてこの市場に先行参入しようとしている様子が示される。例えばゴミ処理場の廃棄物から出るメタンガスの処理や、工場からでる重金属の汚染物質の除去などの案件に、「韓中共同研究プロジェクト」という環境対策に関る「政府間の御用聞き」の枠組みを作り、それを核に、韓国環境産業の中心である中小のベンチャー企業が、韓国環境省と一体となり売り込みを進めているという。
それに対抗する日本の汚水浄化技術を持った中小企業の中国市場での奮闘が紹介される。そこで見えてくるのは、日中の政治的軋轢の増大という逆境に加えて、日本の技術は完璧であるが、コストが中国での実用化には高すぎるという問題である。韓国企業と異なり、政府の支援もなく孤軍奮闘するその日本の中小企業が決断したのは、コストを削減するため、中国の提携先企業に、自社が持つ知的資材も差出し、現地生産を行うという策。これにより、将来安い中国製の製品が出回ることも目に見えているが、この市場の開拓のためには止むを得ないとの判断である。この会社は更に北京大学に廃液処理装置を寄贈すると共に、360万円相当の研究費を寄贈するというところまで踏み込んだという。しかし、ライバルの韓国企業も、中国との商談では大幅な譲歩を迫られる機会も多くなっているという。これ以上の環境汚染イメージが強まることを懸念する中国の小賢しいやり口と、それを受け入れつつ更にリスクをとった対応を行う韓国や日本。「チャイナ・リスク」への果敢な挑戦の一例がここでは示されている。
こうしてアジアや中東における4つの事例を見てくると、そこに浮かび上がるのは、日本経済が低迷している間に、韓国などが技術力で日本に追いつき追い越しているのみならず、海外市場に戦略的な進出を進めている実態である。そこでは官民が一体になった壮絶な受注合戦が繰り広げられている。かつては欧米企業が独占するそうした先進技術市場に挑戦していた日本及び日本企業は、いまや挑戦される立場に変わっている。その挑戦に対抗し、自らの技術のみならず、マーケッティング能力を高めることが、日本及び日本企業の生き残りのために不可欠であることを著者たちは何度も主張している。そして実際それを自らのリスクで取ろうとしている日本の中小企業も存在しているのである。いずれにしろ、日本や欧米の市場が、経済的成熟の中で今後大きな成長が期待できない中、アジアという成長が期待される地域でプレゼンスを確保していく以外に日本の産業が成長を続ける契機はない、ということは、言われるまでもないのである。しかし、そのアジア市場も、激しい競争の波が押し寄せている。その競争に勝ち抜くには、その地域の固有の文化や嗜好を踏まえた商品開発と、国と連携するか、あるいは現地企業と連携するかといったマーケッティング戦略が必要である。私自身も、既にこの地域で5年弱そうした努力をしているが、私が扱っている固有の商品については、まだ決定的な糸口を見つけられていない。そんな焦りを抱きながら、他の業種の会社によるこの市場での活動を見ると、やはりその方法は、単に一つ二つの決まり切った突破口がある訳ではなく、商品や対象国や顧客に応じた多種多様な手法があるように思われる。その意味では、ここで紹介されている事例は、アジアや中東のある特殊な業界での、特殊な事例として見るべきで、決して一般化は出来ない。これも当たり前のことではあるが、日本企業の「脱日入亜」の道は、個々の主体が、個々の対象市場の環境を考慮し、固有の智恵を絞りながら進めていくしかないことを、改めて思い知らされる報告である。
読了:2013年3月24日