国際秩序
著者:細谷 雄一
1971年生まれの慶応大学教授による、国際関係論の概説である。「18世紀ヨーロッパから21世紀アジアへ」という副題から、ここでは一応「アジア読書日記」に加えさせてもらう。しかし、昨今のアジア情勢を突っ込んで議論することになるのかな、と期待していたが、内容的には欧州を中心とした勢力均衡論と協調論、共同体論のせめぎ合いについての歴史を概説するのにほとんどのページを費やしており、昨今のアジア情勢については新聞記事程度の記載で終わってしまっている。
言うまでもなく、欧州では中世以降、大規模な戦争とその後の講和が繰り返されてきた。何故それが際限もなく繰り返されるのか、そしてそうした歴史を終わらせるために何ができるのか、という議論が、実務家、思想家を問わず議論されてきたことは言うまでもない。ここではそうした大学での講義を思い出させる、国際関係論の議論の歴史が紹介されることになる。その出発点は、1950−60年代の日本で、当時気鋭の国際関係論の学者であった、「理想主義者」坂本義和と「現実主義者」高坂正尭の間で繰り広げられた議論である。大学時代、この論争を直接追いかけたことはなかったが、両者の主張は論壇誌等で頻繁に読んでいたのを思い出す。それはリベラル派坂本と保守派高坂というイメージとなって私には残っているが、いわば歴史の中で延々と繰り返されてきた議論の、日本の戦後アカデミズム内での表現であったといえる。ここでは、改めてその論点を詳細に復習することはしないが、我々にとっての現在の最大の関心であるアジア地域の今後の国際関係秩序―中国の台頭による地域パワーバランスの変化―を見る上で必要と思われる範囲で、復習しておくことにしよう。
著者が依拠する大きな視座は、「大きな時間軸と空間軸のなかにそれ(注:国際秩序の形成)を位置付けること」である。近代以降の世界の国際関係の中で、三つの「新興国」が台頭し、パワーバランスが変わった時期がある。その三カ国とは、ドイツ、アメリカ、日本である。そしてまず前述した国際関係についての3つの哲学―@「均衡の体系」、A「協調の体系」、B「共同体の体系」についての近代以降の哲学者の議論―@マキアヴェッリ、ホッブスやヴァッテル(これは私が認知していない名前であった)、Aヒューム、スミス、バーク、Bカント、W.ウィルソンを紹介した上で、歴史の復習に入る。
歴史は、まず18世紀初頭から19世紀末にかけての欧州での「均衡の体系」と「協調の体系」せめぎ合いを、ルイ14世の野心に対するハプスブルグやイングランドによる「対仏大同盟」の形成やナポレオンの普遍帝国に対するオーストリア、イギリスによるウィーン体制の成立に見ていく。特にウィーン体制については、「『限界のない』戦争による力の均衡を抑制して、制限や自制を前提とした『均衡』による平和を実現した」とする、キッシンジャーの指摘が、彼の政治家としての実績を念頭に置いてみると興味深い。著者も、この体制の安定性の本質には、「18世紀に成熟した『均衡の体系』を基礎として、ウィーン会議を通じて作られた『協調の体系』が麗しく融合したところ」にあったと考えている。しかし、この「均衡による協調」の国際秩序は、「1848年革命からクリミア戦争に至る一連のヨーロッパ情勢に翻弄され、動揺していった。」そしてそこで新たな勢力として登場したドイツ帝国のビスマルクが、新たな「協調なき均衡」の時代を担うことになる。
この新しい秩序は、「レアル・ポリティカー」による秩序と規定される。ビスマルク外交を特に象徴するのは、「ロシア人に対して軽蔑や嫌悪感を抱くドイツ国民の感情とは無関係な、きわめて怜悧な力の計算に基づく」ロシアへの接近と、それによるオーストリアを加えた「三帝同盟」の形成であったとするが、これは「フランスの対独復讐心」とナショナリズムの勃興という状況の中で、戦争を抑制しよるというギリギリの試みであった。しかし、この「協調なき均衡」はビスマルクのような政治的技量を持ち合わせていないヴィルヘルム2世が実権を握るや否や脆くも崩壊し、欧州は20世紀の2度にわたる戦争と殺戮の時代に入っていくことになる。
第一次大戦は、「ヨーロッパの五大国(注:イギリス、フランス、プロイセン、オーストリア、ロシア)により造られ、維持されてきた国際秩序が、グローバルな国際秩序へと拡大していく(「ヨーロッパ協調の終焉」)」契機となった。言うまでもなくアメリカの台頭である。更にこの戦争を契機にアジアでは日本と新たに誕生したソ連が、国際関係のプレーヤーとして登場することになる。特に後者の二国が、日本は「人種平等とアジア主義」、ソ連が「共産主義イデオロギーを掲げての世界革命」という、「ヨーロッパ諸国とは異質な世界観」を有していたことから、これ以降「価値の共有」の実現が一層困難になっていく。
ここでまず模索されたのは、W.ウィルソンの「急進的リベラル思想に基づく平和の理想を掲げた『共同体の体系』」の構築であった。これは言うまでもなく「勢力均衡」から「国際共同体」=「国際連盟」への移行の試みであったが、この理想主義は、続く時代の混乱の中で脆くも崩れ去る。ここで、そもそも米国と英国の間に、「勢力均衡をどのように位置づけるかについての本質的な意見の相違があった」というのは、この時代の欧州と米国の思考様式の相違を認識する事例として注意しておくべきであろう。そして「ウィルソン大統領が勢力均衡の原理そのものを拒絶した」が、「それに代わる実効的な安全保障枠組みが確立したわけではなく」、その結果「『均衡』を基礎にしない『協調』や『共同体』は、相互の不安が増強されることで、脆弱なもの」になってしまったのである。そしてここでの教訓は、「『共同体の体系』による平和をつくるのであれば、1世紀前のウィーン体制下の『均衡による協調』の時代よりも、さらに広範な『価値の共有』が必要であった」し、それがない状況で平和を求めるとすれば、それは「均衡の体系」をまず成立させなければならなかった、というのが著者の総括である。そしてこの教訓から、第二次大戦後の新秩序は、@イデオロギー対立からのソ連封じ込めという「均衡の体系」と、A米国主導のリベラルな政治システムとその基底にある諸価値を共有する国際機関や国際関係の重層的構築という「協調の体系」が出来上がる。この「ウィーン体制とは異なる『均衡による協調』」体制は、まがりなりにも、その後数10年にわたって大規模国際戦争の回避に成功することになる。著者は、この戦後秩序の構想に貢献した米国のJ.F.ケナンがビスマルクの勢力均衡論から多くを学んでいたとして「歴史は連綿と受け継がれている」と記している。しかし、そこで「長い平和」が維持できた背景には、西側同盟と東側同盟の間でも、それなりの「価値の共有」が進められたことで、「勢力均衡のみに依拠したビスマルク体制とも、あるいは『協調の体系』も『均衡の体系』も失われていたヴェルサイユ体制とも、異なる性質の国際秩序」があった。そして1989年からの3年間に起こった冷戦の終結で、戦後国際秩序を構成した「均衡」と「協調」の内の前者が消滅し、後者の原理が国際秩序の唯一の原理となるかと思えた。しかし、世界はそれほど簡単ではなかったことが直ぐに見えてくる。そしてここからが、現在一番求められている議論になるが、著者はそれを十分論じることができるのか?
1990年の湾岸戦争では、まだこの新しい「協調」とある程度の「価値の共有」に基づく国際協調が維持されていた(国連安保理決議678と多国籍軍の結集)。しかし、この戦争を主導した共和党のブッシュが大統領選で敗れ、民主党クリントン政権が成立すると、「民主主義と市場経済」という理念に基づく「自由な共同体の拡大」に重点が置かれる。著者はこれを「ウィルソン主義への回帰」、「カントの復権」と位置付けているが、この「『民主主義の平和』の世界秩序構想と、『共同体の拡大』という拡大戦略」に対しては、ハンチントンの言う「文明の衝突」からの待った、がかかることになる。そしてこれ以降の時代は、「国際的な構造が変革し、単一のものへと収束する」と考える「ソリダリズム」と、「国家は個人同様さまざまな利害や価値をもちうるし、また実際にそうなので、国際社会とは諸国がどちらかといえば調和して共存できるようにするための枠組みの構築に限定される」と見る「プルーラリズム」という2つの考え方の間で論争が続くことになる。
こうした状況下、政治指導者の間では、例えばブレアが「軍事力行使が場合によっては必要な」「国際共同体」構想を提唱したり、G.W.ブッシュの下で「アメリカの価値を共有し、平和、繁栄及び自由を育むための責任を分担できる同盟国と、強固で緊密な関係を新たに構築する」新たな「均衡論」への回帰が志向されるなどの動きが出てくる。後者の米国の発想は、言うまでもなく2001年の同時多発テロに始まる広範囲の対テロ戦争の遂行とアジアにおける中国の台頭を考慮に入れた戦略である。そしてその間に、「新たな世界政治の中心が大西洋から太平洋へとシフト」していったのである。現在米国のオバマが重視しているのはこの流れである、というのが著者の見方である。そして著者によると、そこで鍵となるのは日米中のトライアングルで、大きな枠組みとしては「日米中の三大国での協力関係を強化すること」(協調の体系)と、他方で「台頭する中国に対抗して、日米関係を強化すること」(均衡の体系)であるとする。そして米国の中では一時期、米中二国関係を重視しようという見方が広まったものの、2009年から2011年にかけて、中国外国の「核心的利益」の主張が強硬化するに従い「均衡論」に回帰していったとしている。現在、東アジアでの勢力均衡が微妙な状況になる中、中国に「責任ある大国として行動するよう促す」という「協調の体系」を模索すると共に、リアリズムに基づき「均衡の体系」を取り戻す必要が提示される。著者によれば、ここで「日本にとってアメリカと中国のどちらが必要かという選択」は意味がない。「われわれは自国の利益や、この地域の平和を考える時に、あくまで国際秩序全体を視野に入れる必要がある。(中略)平和を願い、友好関係を期待するだけでは、われわれはそれを得ることができない。それを実現するための強靭な論理を持たなければならない。」それが著者の結論である。
こうして見てくると、著者の大きな考え方は、いわばウィーン体制と第二次大戦後の秩序=「均衡による協調」を基盤にしつつ、如何にそれを「共同体の体系」にまで進化させることができるか、という点に注がれている。そしてそれを前提としつつ、中国の「異質性」を考慮するとすれば、当面は「均衡」をより重視するのが、現実の選択であるということになろう。
現在の中国の海洋進出といった動きを前にして、これがこの地域の安定化のための大きな枠組みであることについて異論はない。しかし、これはあくまで大きな枠組みであって、そこで東アジアあるいは東南アジアや南アジアも加えた大きなアジア地域の安定を考えると、やはり著者の議論は、欧州の国際関係論を研究してきた研究者の議論で、アジア域内の国際秩序を考える上では、もっと細部を見ていく必要があると思われるのである。
第一に、欧州の国民国家は17世紀以来の歴史を有しており、それなりに国民国家としての統合を果たした上での国家間関係を考えれば良かったが、アジアの諸国家は、中国を含め、国民国家としての統合がまだまだ進んでいない国を多く有している。また第二に、現在でこそ、トルコのEU参加の可能性も議論されているが、他方でそこでも問題になっている宗教面を考えると、欧州はそもそも中世のキリスト教普遍世界という共通の宗教価値があり、米国もその延長線上にあるが、アジアの宗教、そして民族分布はそれとは比較にならないくらい複雑であるということである。第三に、域内国家の経済水準の均質化や、主要国家間の政治力の均衡といった問題も、例えばアジアの場合には、先進国と途上国の格差問題や、政治的パワーとしての中国の圧倒的な大きさなど、欧州と比較しても国家間の格差が大きい。その意味で、アジアでの国際秩序を考える上では、国家間の秩序に加えて、国内の宗教・民族関係や個々の国家の経済水準などを常に考慮して、ミクロからの積み上げを行わなければならないのである。近年、欧州や米国でも「内なる宗教・民族対立」や「内なるテロ」といった脅威が高まっているとされるが、これは欧州では一旦統合された国民国家の遠心的な動きと考えられるが、それはアジア諸国においては、国民国家としての統合過程でいまだに現在進行形として模索されている課題である。ここでの秩序模索は、単に「均衡による協調」と「共同体の体系」の統合というお題目ではなく、その国民文化・宗教・民族のミクロから積み上げ、それに各国の経済水準あるいは第二次大戦の経験といった歴史的要素も勘案しながら模索していくべき、難しい課題なのである。このように考えると、「21世紀アジアへ」という副題の割には、このアジアでの新しい国際秩序の思想や政治的指針は、ほとんど議論されないままに終わったというのが正直なところである。著者が提示した欧米中心の秩序原理を参考にしながらも、21世紀アジアの新しい秩序原理は、やはりこの地域の専門家により、今後改めて詳細に議論されなければならないのだろう。
読了:2013年6月19日