想像の共同体
著者:B.アンダーソン
たいへんな難物である。「ナショナリズム」に関する「古典」の一つという評価を確立している作品であると共に、著者の専門がインドネシアをはじめとする東南アジアの政治であることから、以前から読まなければならないと考えていたが、今般ようやく手を付けることになった。しかし、その難解な文章から、読了まで約1か月半を要してしまったが、読了後の現在も、なぜこの作品が「ナショナリズムの古典」として評価されているのか、ということについては、依然漠然としている。そして結果的には、途中から並行して読み始めた新書により、ようやく著者の論点の概要が理解され始めたという状態である。そうした論点の総括は、その新書の評にまかせることにして、ここではまずは原著を大まかに辿りながら、直接興味をそそられた部分のみを抽出しておこう。因みに、原著の出版は1983年。そして1991年に増補された部分を加えたのが、この改訂版である。
「国民はイメージとして心の中に想像されたものである」という有名な一節がある。もちろん、この規定自体は、特段違和感があるものではないし、他方で特段新鮮味がある訳ではない。従って、この原著を読むにあたっての最大の関心は、この言葉の奥にある含意を認識することで、それが理論的に持っている衝撃度を確認することにあった。しかし、読了後、残念ながら、この目的は達成できなかった。それは何故なのか?
まず著者がこの作品を著すにあたっての最大の動機として、1970年代に発生したヴェトナム、カンボジア、中国の間での戦争、そしてそれに類似する事案として1969年の中ソ国境紛争やソ連による旧東欧諸国やアフガニスタンへの侵攻が挙げられている。これにより、まさに著者は左翼的立場から、「国際主義」に基づくはずの社会主義国家が、ナショナリズムを払拭できないのは何故か、という問題に立ち向かおうとしたことが明らかになる。それは当時私も強い関心を抱いた理論的問題であるが、逆に1990年代に入りソ連が崩壊し冷戦が終了、そしてそれ以降、地域統合とそれに対する地域の分離運動という2つの相反する政治的・社会的な動きが世界各地で顕在化することにより、その問題自体が遠い過去のものになってしまった。「ナショナリズム」は、人為的な理論では払拭できない。同時に、近代欧州で成立した国民国家自体、あくまで歴史的な存在にすぎず、それはまた新たな構造変革に直面している。そうであるとすれば、次の時代の世界秩序を再構築する基盤となるのは何なのか?それが言わば冷戦終了以降の「ナショナリズム」論の最大のポイントであった。ただまずこの初版が発表された1983年は、まだここまでの問題意識があったとは思われない。そして著者の問題意識は、多義的に使われている「ナショナリティ=国民を構成すること」が、「ナショナリズム(国民主義)と共に、特殊な文化的人造物である」ことを示すこととなる。そしてそこで「国民」の定義として提示されるのが、冒頭の有名な一節である。この言葉をもう少し補足すると、「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体」であり、そして「それは本来的に限定され、かつ主権的なもの(最高の意思決定主体)として想像される」ものである。そして「いかに小さな国民であろうと、これを構成する人々は、その大多数の同胞を知ることも、会うことも、あるいはかれらについて聞くこともなく、それでいてなお、ひとりひとりの中には、共同の聖餐のイメージが生きている」ものであるとしている。そしてまずは、この「(たかだか二世紀にしかならない)この萎びた想像力が、こんな途方もない犠牲を生み出してきたのか」を解明するための鍵を、この「想像の共同体」の「文化的根源」に求めるのである。
近代ナショナリズムに先行するこうした「文化システム」は「宗教共同体と王国」であったとして、著者はまずこの生成と解体をもたらした要因分析を行っているが、これは現在においては前者が改めて世界秩序の「引照枠組み」として重要性を増していること、即ち、この共同体が「言語の固有の神聖性について揺るぎない自信をもっており、したがって、だれをこの共同体の成員と認めるかについてもはっきりとした考えをもっていたことにある」という著者の議論が変容していることーアラビア語ができずとも「イスラム国家」に命を捧げる若者があとを絶たないことなどーを認識する必要がある。また、特にここで著者が「王国」の生成と解体について詳述している部分から、ほとんど彼の議論が理解不能となっていったことも、正直に告白しておこう。
「古来の三つの基本的文化概念(宗教、王国、そして世界と人の起源は本質的に同一であるとの時間概念(?))が公理として人々の精神を支配することができなくなったとき」、この文化概念に対応する「同胞愛、権力、時間を、新しく意味あるかたちでつなげようという模索が始まる。」そしてそれを何よりも促進したのが「出版資本主義」であったとする。
こうして、少数の知識人によるラテン語書籍の世界から、俗語による大量印刷物の時代(ベンヤミンの言う「複製技術の時代」)への移行が、新しい共同体の登場を促していく。即ち「生産システムと生産関係(資本主義)、コミュニケーション技術(印刷・出版)、そして人間の言語的多様性という宿命性のあいだの、なかば偶然の、しかし爆発的な相互作用」がそうした共同体の想像を可能にした、というのである。しかし、これだけでは、特に新鮮な国民国家論とは言えない。そこで著者が注目するのは、「現代の国民国家の具体的形成は、決して特定の出版語の限定範囲と同形でない」ことで、この「出版語、国民意識、国民国家の不連続」を説明するために、18−19世紀初めの南北アメリカで起こった新しい政治的実態の説明に移る。
これらは、「クレオール国家」と総括される。クレオールは、「出自は純粋なヨーロッパ系であるが、南北アメリカ(あるいはヨーロッパ以外)で生まれた者」を指すが、彼らに率いられた独立運動が、欧州におけるよりも早く「国民」という観念を発展させた、というのが、ここでの著者の主張である。即ち、南北アメリカの国民意識を醸成したのは、一般的に言われるような「経済的利害、自由主義、啓蒙主義」というよりも、「遍歴のクレオール役人と地方のクレオール印刷業者」が決定的な役割を果たしたというのである。
これに対し、南北アメリカよりも遅れて「国民意識」の形成が進んだ欧州では、「国民的出版語が、イデオロギー的、政治的に中心的な重要性をもった」という。そしてその「国民」という目標は、周辺地域での「国民」の「海賊版」の作成をも促すことになる。こうして、欧州のむしろ中小国である、ハンガリー、バルカン諸国家、フィンランド、ノルウエー等での「国民」形成が、主として「国民言語(俗語)」の成立を軸に語られていく。同じ動きは、南アフリカ(ボーア)、トルコなどでも見られるという。そしてこうした「(「国民」という)ブループリントの妥当性と一般化の可能性は、独立国家が複数存在することにより疑う余地なく確証され」、「出版資本主義」を通じて拡大していくことになる。またこうした新興ナショナリズムに対抗する旧帝国側からの「公定ナショナリズム」について、ロシアのロマノフ王朝がとったロシア化政策や、他方でこのナショナリズムが広がらなかったスコットランドのケースを使って説明しているが、この辺りは省略する。また英国で教育を受け母国に帰還し高等文官となったインド人の「疎外感」や、2世紀半の鎖国と民族的文化的同質性により比較的容易に「公定ナショナリズム」を形成することのできた日本の例なども指摘している。また植民地化を逃れた19世紀末のタイの例を引き、「公定ナショナリズムは、共同体が国民的に想像されるようになるにしたがって、その周辺においやられるか、そこから排除されるかの脅威に直面した支配集団が、予防措置として採用する戦略なのだ」としている。またハブスブルグ帝国内でのハンガリーの公定ナショナリズムも、同様に「国民と王国の矛盾を隠蔽」するものとして機能したと説明されている。
こうして、次に著者は第一次世界大戦以降の「植民地ナショナリズム」の分析に移っていくが、ここでの鍵は、「帝国の行政単位が、クレオール役人上昇の境界を定めたことを一つの理由として、次第に国民的意味を持つようになった」という議論である。言わば、植民地出身の高級官僚・知識人が、その境界内で「国民意識」を形成していった、という説明である。その例として論じられているのが、著者の専門領域であるインドネシア知識人によるオランダの植民地イデオロギーに対する批判であり、それはビルマやマラヤのナショナリズムでも宗主国イギリスに対し示されることになる。ただインドネシアの場合は、その「巨大な領域」、「膨大な人口」、「地理的分散」、「宗教的多様性」、そして「民族言語的多様性」にも拘わらず、こうした「国民意識」が想像された「うっとりするほど錯綜した図解例を提供している」というのは、まさに著者のこの国に対する根源的な関心を示している。また、インドネシアで「国民意識」が形成されたのに対し、インドシナでは、ヴェトナム、ラオス、カンボジアが分割され、「インドシナ」としての「国民意識」は形成されなかったとして、この違いを詳細に説明している。東南アジア分析という点では、ここが最も興味深い論点であるが、この分析の検討は別の機会に委ねたいと思う。欧州でのこうした例としてスイスの例も説明されている。
このナショナリズムは、「他者への恐怖と憎悪に根差している」というヨーロッパ進歩的知識人に見られる傾向に対し、著者は「国民は愛を、それもしばしば心からの自己犠牲的な愛を呼び起こす」として、フィリピンのリサールやアイルランド人ムーアの詩文等、いくつかの国民文学の例を取り上げている。突然「平家物語」がでてくるのは理解に苦しむが、著者が言いたいのは、どうも、それぞれの言語表現の中に土着の「国民意識」形成の鍵が埋め込まれており、この言語世界に入らないと、その世界観は分からない、という、至極あたりまえのことのように思われる。
こうして著者は、そもそものこの作品の動機であった、ヴェトナム、カンボジア、中国という社会主義国家間での戦争の問題に回帰する。ここでの結論は、社会主義国家ソ連も含め、権力を取得するや否や「公定ナショナリズム」に依拠することになり、その意味で「反動化」し、かつ対外的に好戦的になるということと理解される。こうしたナショナリズムの歴史を見てきた後に、この章がベンヤミンの「歴史の天使」の引用で閉じられているのは、この夭折したフランクフルト学派に関連付けられる批評家から、著者が大きな影響を受けていることを物語っている。
以上が1983年の初版での議論で、続く3章は、1991年の増補である。ここでは「アジア、アフリカの植民地世界における公定ナショナリズムは19世紀ヨーロッパの王朝国家の公定ナショナリズムであった」という議論の補足として、それが「海賊行為」を通じて新世界に広がることを促した要因として、「人口調査」、「地図」、「博物館」という制度が東南アジアでどのように機能していったかを説明しようとしている。「人口調査」は、多様な人々をある種のカテゴリーに所属することを意識的に促すものとして行われた。それは「民族・人種的分類の構築にあったのではなく、むしろそのシステマティックな数量化にあり」、それが「国家のファンタジーにすぎなかったものに本物の社会的生命を与えた」というのが著者の議論である。
「地図」については、タイの国境形成についてのタイ人の分析を引用しながら、もともと国境概念がなかった(マンダラ国家)インドシナに西欧式地図が導入されたことで、初めて意図的に国境を設定せざるを得なくなり、それが「国民意識」の形成も促した、としているが、これはごく普通の議論であるように思われる ただ、西ニューギニアがインドネシアに編入された経緯についての詳細は、今回初めて知ることになった。そしてその一つの手段が「新しい国民国家インドネシアがそのすぐの先祖、オランダ東インド植民地国家からいかに学習したかを見事に示した例」としての「博物館」であったという。これを可能にしたのは「新しい一九世紀植民地考古学」であり、ラッフルズは、その主要な先祖の一人である。「博物館」に展示された民族の遺産と共に、植民地支配者によって発掘されたバヨーンはカンボジア人にとって、またボロブドゥールはインドネシア人にとって、統一国家を容易に「想像」させるシンボルになったのである。そしてこうした「ロゴ」は、「それが空っぽであること、なんの文脈もないこと、視覚的に記憶されること、あらゆる方向に無限に複製可能であることによって、人口調査と地図、縦糸と横糸を消しようもなく交わらせた」ということになる。
こうして増補の最終章「記憶と忘却」に入る。この章が加わっていることの意味はいま一つ明確ではないが、ここでは著者はアメリカ新大陸の都市名を例に挙げながら、新たな国民の成立のために、「併存の感覚、あるいは同時性の感覚」が成立し、政治的な意義をもつと同時に、他方では、その独立までに流された多くの血についての伝説が構想される。こうした「国民の伝記」の中では、「(模範的な自殺、感動的な巡教死、暗殺、処刑、戦争、ホロコーストといった)暴力的な死は、『われわれのもの』として(取捨選択されながら)記憶/忘却されなければならない」として増補版は終了している。ただ続いて「旅と交通」と題された増補版出版時点のやや長いあとがきが加えられている。ここでは、この後に紹介する著者による日本での講演でも取り上げられている、出版物の独立した動きやトム・ネアンのスコットランド・ナショナリズムを巡る議論、そしてこの作品の多国語への翻訳の拡大と、そのもっとも重要な例としてのソロス資金提供による旧ソ連圏の言語への翻訳などが詳細に報告されている。
1983年の原本と1991年の増補版を概観した上で、最後に当初の私自身の疑問に帰っていこう。著者の古今東西にわたる該博な知識は言うまでもない。しかし、それにも拘わらず、この書物が名著として現代に至るまでそれなりに評価されている理由を、何故私は今一つ納得することができなかったのだろうか?
繰り返しになるが、著者のこのナショナリズム論の直接の動機は、1970年代に発生したヴェトナム、カンボジア、中国の間での戦争、そしてそれに類似する事案として1969年の中ソ国境紛争やソ連による旧東欧諸国やアフガニスタンへの侵攻であった。しかし、冒頭に述べたように、こうした社会主義国家間のナショナリズムの衝突は、今や全く自然に受け止められるようになっている。その疑問から出発した著者の議論が、時代錯誤的に感じるのは、まず已むを得ないだろう。
しかし、それに加え、例えば東南アジア地域だけを取ってみても、ASEAN統合の動きと域内のナショナリズムの衝突、そしてまだ一部の国では少数民族問題が継続、ないしは激化するといった現象が、同時に進行しているという現在の実態がある。その意味で、単に国民の多数が「想像」するだけでは、国としての統合がままならないという現象と、それにもかかわらず従来の国家の枠組みを超えた連携を目指そうという動きも確かに存在する。そうした両方の現象を、例えば著者が手法として使った文学作品などを通じて読み取ることができるのか?確かにアジアやランテン・アメリカ諸国が、西欧列強による植民地から独立する過程では、著者の用いた手法が、その国民意識形成の説明手段として有効性を持っていたが、それが現代でも通用するのかは、定かではない。また昨今のスコットランド独立騒ぎは、過去の亡霊の再登場であるが、他方でギリシャのユーロ圏離脱可能性やフランスなどにおける移民排斥といった動きは、経済的利害が「国民意識」構成のより直接的な動機になっているように思われる。その意味で、「想像の共同体」は、今や狭い地域主義から、伝統的な国民国家、そしてそれを超えた「超国家」のそれぞれのレベルで、政治・経済・社会状況の変化を受けて重層的に展開されているのである。そうした「想像の共同体」を理解する上で、夫々の言語を理解することが最も重要性である、という著者の指摘はまったく正しいが、世界は著者の分析以上に早く動いている。それを考えると、その記述の難解さを別にしても、おそらく私がこの作品を読むのが、少なくとも20年は遅かった、というのが、私がこの作品に心を躍らされることがなかった最大の要因だったのではないかと考えているのである。
読了:2014年12月13日