ベネディクト・アンダーソン グローバライゼーションを語る
編著者:梅森直之
そして、こちらがその「想像の共同体」(以降「オリジナル」という)を含めたB.アンダーソンの議論についての、解説本である。2005年4月、早稲田大学にB.アンダーソンを迎えて開催されたシンポジウムでの彼の2回の講演と、それに関わる聴衆との質疑などを紹介している。
初日の講演は、その「オリジナル」についての本人の解説であるが、1991年の増補版に掲載された本人の序文と重なるところが多いような印象を受ける。中国、昆明での出生を含めた自分の複合的な出自から、インドネシア研究との関わりのきっかけ(素朴な反帝国主義と親アジア的民族主義)、そして何よりも重要なことであるが、1962年にインドネシアに渡り、この国に「恋をしてしまった」にも関わらず、1965年のスハルトによるクーデターへの批判から、国技退去を命じられ、その後27年間入国禁止となったこと、そしてその結果東南アジア研究の中心をタイとフィリピンに移さざるを得なくなり、この3国の比較研究が自分の核になったこと等が語られる。そして東南アジア研究の視点も入れた形でのナショナリズム研究。ここでは、「オリジナル」でも触れられているアジア社会主義国3カ国の間での戦争に加えて、1982年に英国で出版されたトム・ネアン著の「連合王国の解体」に触発されて書かれたのが、この主著であると言われている点である。後者の著作は、同時期英国に滞在していながら、現在まで私自身が著作のみならず、著者名さえ知らなかったものであるが、今年(2014年)に国民投票が行われ小差で否決されたスコットランド独立を熱烈に支持する作品であることは注目してよいだろう。まさに今回の独立騒ぎの起源は、北海石油の生産がピークに達していたこの時期に遡ることができるのである。
著者が参戦したナショナリズムを巡る議論で、著者が新たな視点として導入したのは、東南アジア研究者として、ナショナリズムのあり方について、それらの国を理解した上で議論する姿勢であり、そのための武器が、それぞれの国での文学作品に注目することであった。何故なら、こうした国々固有の文学作品は、「小説と新聞と国民の物語のあいだに、基本的な構造的関係が存在するという確信」を抱いていたからだという。
こうした著者の意図は、今度はこの「オリジナル」が独立して動き始めると、そして時代が、冷戦の終結から宗教的テロへ、そして研究者の流行がマルクス主義や構造主義からカルチャル・スタディーズに移行することにより変質していく。この「オリジナル」は、カルチャル・スタディーズの嚆矢、ポストモダンを先取りした作品として評価され始めたというのである。あえて言えば、文学への言及が、ポスト構造主義的雰囲気を醸し出していたということであろう。しかし、それと本の内容は、当然ながら全く別物である。そして各国語への翻訳。これはオリジナル増補版でも触れられているソロス資金による「ソ連邦の全ての言語」へ翻訳されるべき100冊の重要な本の一冊に選ばれたことが繰り返されている。これは著者はよほど嬉しかったのだろうか?そして、この作品への批判に答えて1991年の増補版で追加された章の解説と、まだ答え切れていないフェミニストや黒人から批判に言及した上で、現在のフィリピン・ナショナリズム研究に関わる簡単な紹介で、この第一講演は終わる。
第二講演は、そのフィリピン・ナショナリズム、特にそれがいかにグローバルな動きと結びついていたか、に関する彼の最新研究の紹介である。ここではレベッカ・カール著の「ステージング・ザ・ワールド」という直近の研究(まだ邦訳はないようである)で、そこではキューバ、フィリピンや南アフリカ(ボーア)での独立運動を受け、中国知識人が自国の独立運動のあり方を再度学習し直したという主張が展開されているが、これが小国ナショナリズムが大国のナショナリズムに影響を与えた例であるという。そして、「オリジナル」でも取り上げられているフィリピンの革命家、ホセ・リサールをモデルにした小説が、19世紀末に日本の小説家、末広鉄腸が書いていることを取り上げ、この時期の通信と輸送の急速なグローバル化が、こうした革命運動間の情報流通を可能にした、と推測している。同様にフィリピンの駐日主席代表マリヤノ・ポンセと孫文の交流等、この時代アジアのナショナリスト同士のネットワークが急速に広がっていったことが指摘されている。そしてそのネットワークはアジア域内に留まらず、フィリピン人とキューバ、プエルトリコ人の革命家の間にも拡大していったとされる。そしてマルクス主義者よりも「リバタリアン的」で、「ナショナリズムに好意的」なアナキストも、上記の発展した輸送手段を使い世界に旅し、それを通じてアジアの革命家との国際的なネットワークを作っていたという。アナキストが、「いまだ英語が支配的な言語となっていなかった世界において活躍した、精力的な翻訳者であった」ことも、こうしたネットワークの深化をもたらしたという。またアナキストの個人テロという直接行動が、印刷技術の進化とメディアの国際化を通じて、遥か離れた地域への「行為による宣伝」効果をもたらすことになる。そしてそうした情報通じて、著者が「海賊行為」と呼ぶ、他国での闘争モデルの自国への適用を促していった。こうした行為を通じて著者が強調するのは、異文化理解とそのための各種言語の習得の重要性である。「日本語と英語だけでは不十分だ」として、著者はこの第二講演を締めくくっている。以降は編者の解説と当日の質疑の概要が掲載されているが、これはあまり特筆すべきものはないので、省略する。
確かに、解説本であることから、「オリジナル」と異なり、こちらは判り易い。しかし、「オリジナル」が、それまでのナショナリズム研究であまり成果のなかったアジアやラテン・アメリカのそれを分析対象にした、ということを除けば、その分析枠組みが画期的であった、ということは、この解説本を読んだ後も認識することはできなかった。アジアを知るためには、その国の歴史・文化を知る必要があり、そのためにはその国の言語の習得が必要であるという、当たり前であるが、必ずしも実行が簡単ではない指摘だけが、読後の印象として残ることになったのである。
読了:2014年12月20日