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アジア読書日記
アジア全般
南シナ海 中国海洋覇権の野望
著者:R.D.カプラン 
 前掲の新書と並行して読んでいた米国人ジャーナリストによる、中国の海洋進出についての分析と展望である。必ずしもアジアが専門のジャーナリストではないが、この地域の歴史を詳細に認識すると共に、実際にそれぞれの鍵となる場所を訪れ、また政府関係者のみならず数々の関係者へのインタビュー結果も交えながら、この地域が、今後の世界全体の動きの中でも大きな鍵を握っていること、しかし、そこでの今後の展開は、必ずしも簡単に予測できるものではないことを、いろいろな角度から検討している。中国の台頭という事実はもちろん自明の前提であり、それに対し米国のこの地域への積極的な関与が、この地域の安定のためには必要であるというのが著者の基本姿勢である。しかし、それがどのような結果をもたらすかについては、例えば中国に対する各国の反応や中国自体の変貌といった様々な要因が絡んでくるために一筋縄ではいかない。その意味で、この作品は、南シナ海地域の持つ地政学的複雑さを浮き出たせようとしているように思える。

 まずは、南シナ海の重要性について確認しておこう。著者によると、「世界の商船の輸送量の半分以上、そして世界中の艦船の交通の三分の一」がこの海を通過する。当然のことながら、日本、中国、韓国、台湾の石油輸入量は、夫々60%、80%、75%、60%がこの地域を経由しており、全石油量は、スエズ運河を通る量の3倍、パナマ運河を通る量の15倍と言われている。同時にこの地域の原油の確認埋蔵量は70億バーレル(かなり怪しいとはいえ、中国の推定では1300億バーレル)、天然ガスも相当量になるという。

 これに対し、この地域を巡る領有権論争の原因とその現状は以下のとおりである。まずこの海域には200あまりの小さな島や岩礁、サンゴ礁があるが、「その中で年間を通じて水上に顔を出しているのは、たった30ヶ所」に過ぎない。そしてそれらの島に対し、中国、台湾、ヴェトナム、フィリピン、マレーシアそしてブルネイが、全部又は一部の領有権を主張している。そして実効支配=「軍営地化」ということでは、中国が12ヶ所、台湾は1ヶ所、ヴェトナムは21ヶ所、マレーシアは5ヶ所、フィリピンは9ヶ所を占領しているという。現在スプラトリー諸島における中国の埋め立て進行が、フィリピンなどから非難されているが、実は各国ともそれなりの実効支配の既成事実を積み重ねてきているということで、問題となっているのは、その実効支配の度合いを強めるという「現状変更」の動きということである。

 著者は、かつて欧州が覇権を握っていたカリブ海を、米国が力で奪い取った上で、世界国家に成長していった歴史を想起しながら、現在この地域を支配している米国に対し、力を蓄え、軍事力も増強している中国が挑戦するー「南シナ海の海域は、これからの時代の軍事面での最前線となるかもしれない」―という可能性を排除しない。何故ならば、この海域は、カリブ海に比較しても政治・経済的に圧倒的に重要な地域であるからである。しかも中国にとっては、近代の分割の歴史を考えると、この海域は防衛線として、軍事的な意味も大きい。そしてその海域を巡っての紛争は、陸上戦のような「人権」といった概念を差し挟む余地のない、「権力関係」があからさまに現れる。それ故に、中国以外の関係国も、最終的には米軍の力に頼らざるを得ないにしろ、その米国はこの地域から徐々に兵力を減少させていることから、中国の軍事力強化の動きを受け、自国の海軍力の増強に走らざるをえなくなっている。そうした不確定要因が増える中、「南シナ海は、アメリカが世界に提供しているものの中で何が危機に直面しているのか、そして同時に、空と海の両面でほんとうに多極化した世界では、いったい何が起こるのかを教えてくれる場所になる」と、著者は考えるのである。そして著者は続けて、中国及び東南アジア主要国の経済成長に伴う軍事支出の増加とその具体的な戦力につき報告している。特に中国の海軍関係の軍備は、米国の現状と比較すればはるかに小規模であるが、現状での増強速度とこの地位での機動力という観点を考慮すると、2050年頃までには、十分米国に匹敵する戦力になると分析している。

 こうした状況下で、この地域の安定を巡り鍵となるのは、中国以外の関係国の動向である。特に著者は、「南シナ海の問題がどう転ぶかはヴェトナム次第なのだ」とこの国の重要性を強調している。興味深いのは、著者のインタビューによれば、この国の学生や若手官僚が米国を批判するのは、枯葉剤の影響といったヴェトナム戦争で米国がこの国に残した負の遺産ではなく、スプラトリー諸島で、中国がフィリピンの領有権に挑戦していた際に米国が介入しなかったことであったり、2011年までミャンマーに経済制裁を課して、この国が中国の衛星国化するのを阻止しなかったといった点である。言わば、中国との数多くの戦争の歴史を有するこの国(「中国はヴェトナムを17回侵略しています」―あるヴェトナム外交官の言葉)は、「(中国との)バランシング・パワー」としての米国の必要性を痛感しているのである。そして中国との国境問題については、白石他著の新書でも説明されていたとおり、陸地の国境はほぼ確定できたものの、海上については決定的に対立している。著者がインタビューしたヴェトナム政府高官によると、海上での領有権問題があるのは、中国との間だけではないが、ヴェトナムの歴史的体験からすると、中国の「牛の舌」だけはまったく受け入れることができないということになる。

 かといって、それではヴェトナムが、中国との関係を悪化させてまで米国や日本との関係を強化させるかと言えば、建前としての共産主義や、中国との貿易関係を考えるとそうした選択肢がないのは明らかである。中国によるヴェトナムの「フィンランド化」を阻止するために、米国との「事実上の戦略的パートナーシップ」を宣言しながらも、その米国がヴェトナムを「中国に売り渡す」懸念も消すことはできない。結局のところ、白石他も指摘しているとおり、ヴェトナムも、国際政治のリアリストとして、自国の利益を最大化するために、遠くはなれた米国などの資本主義諸国を利用しているに過ぎないのである。そしてその間に、国の経済水準と国民の生活水準を上げることを意図している。ヴェトナムが理想とする国家の「理想像」がシンガポール、というのは言いすぎだとしても、方向は、一党独裁を維持しながら経済水準を上げ、中国に対抗できる国力を蓄積することが、この国の国家目的であることは間違いない。

 続けて「人工的にも経済的にも活発な、海洋アジアの縮図」であるマレーシアが取り上げられる。ここでは、「物理的にも集団的にも多様性がありすぎて、心理的な統一感を、つまり『一つのまとまった集団』としての意識を持つことが難しい」、しかしそれにも関わらず戦後、多民族社会で懸念される民族紛争を避けつつ、モスレム中心の国家としては驚異的な経済成長を遂げてきたこの国の姿が紹介されている。特にそこで重要な役割を果たしたマハティールについて詳しく説明されている。ただ南シナ海を巡る中国との関係については、「ヴェトナムのような超民族主義的な国とは違い、中国との紛争はまったく求めていない」とコメントされているだけである。但し、安全保障面では、この国も米国に依存しており、「アメリカの助けがあるために、マレーシアは自国の『曖昧さ』という余裕を楽しむことが可能なのだ」ということになる。著者の結論は、「国内問題と人種コミュニティ間の関係の難しさのおかげで、マレーシアには国外の紛争に割り当てるだけの政治面でのエネルギーが残っていない」ので、逆に「マレーシアには南シナ海における軍事面での競争関係の緩和に貢献する資格がある国なのかもしれない」ということになる。

 そして次は「人類の歴史が終わるまで休むことは許されない」シンガポールである。しかし、ここでも中国との関係においては、一方でシンガポール川沿いにある記念碑(そんなものがあったのか!)が物語る「ケ小平をあからさまにー適当な節度と理由をもってー賛美している」唯一の国であるシンガポールが、マレーシアと同様、「アメリカの原子力空母や原潜を停泊させる目的のためだけに」チャンギ海軍基地を完成させるなど、軍事面では米国に依存しているという現実である。その上で、リー・クアンユーの自伝を延々と引用しながら、この国の生成を語り、そして挙句の果ては、J.S.ミル等西欧近代の民主主義論や自由論を引き合いに出して、彼のアジア型開発独裁を巡る政治哲学的議論を解説することになってしまっている。「南シナ海問題はどうなったのだ」と言いたくもなるので、ここでは詳細は省略し、南シナ海問題の主要な当事者であるフィリピンに移る。

 著者のフィリピンの評価はたいへん厳しい。フィリピン経済が、他のアジア諸国のような成長が出来なかったのは、それがメキシコからの入植者たちが残した「ラテン・アメリカの経済」を引きずってきたからであり、また2008年からの不況に影響を受けなかったのは「フィリッピン経済が世界経済に組み込まれていなかった(輸出比率は僅か25%)」からに過ぎない。確かに最近は年率平均6%の経済成長を続けてきたが、その「近年のGDP成長の76.5%が、富裕層の上位40家族に集中」しており、「マニラのエリートたちは、それ以外の国民を犠牲にして豊かになり続けている」ということになる。そして「ほぼ100年にわたるアメリカの膨大な資金援助をもってしても、フィリピンはアジアの中で最も汚職が激しく、国として機能せず、手に負えないほど貧困の蔓延している社会」であると見る。マハティールやりー・クアンユーとは対極的に、マルコスの独裁政権が残した負の遺産について滔々と説明しているが、その要因は、この国が共産主義やイスラム系の反乱といった国内問題に多くの資金と時間をかけて対応せざるを得なかったことにある。言わばこの国は、対外的に「強力かつ団結した形で立ち向かう」国民アイデンティティを作ることに、依然として汲々としているのである。その結果、「群島国家」であるにも関わらず、「その陸軍は兵数において、海軍よりも三倍も多い。」これは、「この国が国内的にどれだけ不安を抱えた存在であるか」を物語っているが、他方で南シナ海の「新たな海底資源へのアクセスやすでに持っている漁業権へのアクセスを失うことは、フィリピンにとって国家安全保障面で死活問題となる。」

 東シナ海問題については、中国は、まさにそうしたこの国の弱みを突いてくる。まずは、1992年、ルソン島にあった米軍基地が撤退した三年後に、中国はフィリピンが実効支配していたスプラトリー諸島の岩礁を占領し、それ以降「空・海軍の規模を劇的に拡大」させ、フィリピンを威圧している。その象徴的な事件は、2012年、ルソン島のおよそ200キロ西にあるスカボロー礁で始まった両国の艦隊同士の睨み合いの際に、中国側は「実際の軍艦ではなくて『小さな棍棒』(軽武装・非武装の警備艇)」で対応するという、完全にフィリピンの海軍力を見下した対応をとったことだという。この「ミスマッチ」はフィリピンにとっては、屈辱的であった。そして、その結果、この国はいったん縮小を進めていた米軍に改めて全面的な支援を要請することになる。

 確かに9.11以降の米軍の梃入れにより、フィリピンの防衛力は改善したが、米軍と正式な軍事同盟を結んでいる故に、中国はこの国を「いじめる」ことで、米国の反応を見ているという。そして米国は、「マニラ政府との二か国軍事関係を深化させることにより、実質的に中国との紛争の『掛け金』を釣り上げて」しまうことになる。そして、「フィリピンと出会って115年後」の現在でも、米国はこの国に対して同じ問題を抱えている。それは「ほとんど自国の治安も満足に保てないような広大で細かく分裂している国を守るためには、どのように安定化させて備えればよいのか」という難問である。中国の軍事力の拡大は、こうしてフィリピンの「植民地依存状態」を益々持続・強化させ、米国に新たな課題を突き付けているのである。

 著者が取り上げる最後の国は、白石他の新書ではほとんど取り上げられていなかった台湾であるが、この国も南シナ海においては決定的な国益を持っている。南シナ海の北の入り口、台湾と中国本土のほぼ半分のところにある三つの島から構成される環状サンゴ礁、プラタス(東沙)諸島(私が初めて認識した名前である)は、台湾が実効支配し、沿岸警備隊が常時駐屯しているという。そしてこの島は、今まで説明されてきたこの海域の岩礁とは異なり、中国・台湾問題という冷戦終結後もなお存在する第二次大戦の遺物である。その他、著者は、ここで台湾の歴史と、台湾問題の今後に言及しているが、ここでは蒋介石が、一般に言われているような「無能な」指導者であったわけではなく、むしろ、台湾に逃亡した後に「時として残虐で厳しい」政策をとってきたが、他方で進歩的・革新的な政策も多く、それが現在の台湾を作り上げたと考える。それはそうかもしれない。しかし今後「中国がリベラルな方向に進み続け、台湾との経済・文化面の結びつきを強めるのであれば、蒋介石は中国本土にとって、毛沢東よりも重要な人物になる可能性がある」とまで言うと、それはちょっと、と突っ込みたくなる。

 そして最後は、本家中国の今後についての考察である。ここでの著者の中国認識の特徴は、彼が「独裁体制を弱体化させながらナショナリズムを突然弱めた中国のようなケースは、歴史上きわめて珍しい」、そして「これは対外政策の分野では当分の間中国には現れることのない、最も合理的な体制なのかもしれない」という、私から見ればやや違和感のある認識を持っていることである。確かに、「この三五年間にわたって共産党が経験してきた経済面での拡大が、一党独裁国家に緊急の改革や新しい社会制度の両方を迫ることになる実に複雑な社会を作り上げてしまった」ことは確かである。しかし、それは中国のナショナリズムを弱めることになっていないのみならず、むしろ時としてこのナショナリズムを、国家を挙げて動員するこの国特有の行動になっていると考えられる。そして著者が、この作品を書いている胡錦濤政権末期に比べて、現在の周近平政権は、「中華帝国の栄光の復権」という意志で、よりナショナリズムへの傾斜を強めていると考えられる。そうした中で、個人的には、「中国の国際化=国際法への準拠」という傾向よりも、「アジアの中国化=自国の歴史や地理から受ける影響の強調」がより強まると考える方が自然であると考える。

 こうした中で、著者は「自然状態=あからさまな権力支配」にある南シナ海の現状を考えると、「些細な事柄をめぐって起こるものではないが、些細なことから起こる」紛争が、この地域から勃発する可能性は小さくないと見る。この地域の紛争を大きく整理すると、プラタス諸島は、台湾問題そのもの、パラセル諸島は、中国―ヴェトナム間の最もシリアスな紛争(西側は、サイゴン政権が崩壊する直前の1974年に中国が侵攻し実効支配)、そしてスプラトリー諸島はフィリッピン、ヴェトナム、マレーシア、ブルネイが領有権を主張しているが、中国―フィリピンの緊張が最も高いということになる。特に海底資源という点ではスプラトリー諸島が最も肥沃であるとのことである。

 この問題の解決法として、国際海洋法条約による調停が検討されるが、これは中国にとって圧倒的に不利であることから、著者も結局この地域の平和を保つのは「バランス・オブ・パワー(勢力均衡)」しかないと結論している。勢力均衡のためのカードは、米国とASEANであり、従来は、中国はASEANの分断に成功してきたが、最近の動きはそれも限界に差し掛かりつつある。他方で著者は、米国が「手を引いて地元の国々に責任を持たせ、西太平洋でのコミットメントを軽減する」という戦略を取ることは短期的には難しいと考える。この地域を中国の支配に委ねることは無責任である、という考え方は、リベラルやネオコンを問わず米国では共通の考え方になっているという。しかし、米軍の軍事力は暫時衰退に向かっていること、及び中国のそれが急速に拡大していることは事実であり、絶対的な戦力はまだ格段の格差があるが、それが将来に渡って縮小していくことは確実である。そうした前提で、著者は、中国の経済的混乱などが、中国の軍事予算、そしてそれによるこの地域への戦略に及ぼす影響や、その場合のインドやASEAN諸国の政策への影響など、各種の思考実験を行っているが、結局はっきりした展望を述べることは避けている。「南シナ海は、それが平時・戦時にかかわらず、現在と将来の世界の姿を想像させる」重要な地域となっていると再確認した上で、「冷戦期とその直後まで存在していたアメリカが圧倒的な状態にあったシンプルな時代は、すでに過去のものとなりつつある。そして我々を待ち受けているのは、より不安定で複雑な社会なのだ」というのが、」残念ながらこの作品の結論となる。

 先に読んだ白石他著の新書では、中国の覇権拡大の直接の影響を受けるASEAN諸国が、必ずしも中国の「衛星国化」を簡単に受け入れることはなく、むしろ米国、日本、インドなどのカードを使いながら、中国に対してもその国益を最大限に獲得するべく行動し、また中国もその過程で、それなりに「グローバル基準」を受容せざるを得ないだろうと、やや楽観的な展望を持っていた。それに対し、この米国人ジャーナリストの議論は、南シナ海の領有権を巡る紛争という生々しい現場と、そこで繰り広げられる実際の軍事力増強と軍事戦略を報告の対象としているために、展望はもっと悲観的である。「悲観的」というのは、単にこの地域での中国の覇権拡大が阻止できないものである、ということではなく、むしろ中国自体の今後の内政面での変化の可能性も踏まえ、南シナ海というアジアの重要交易路の安全が保障されるかどうかについて、あまりに多くの不確定要因がありすぎる、という意味で「悲観的」なのだ。白石他の見方が、中国を含めたこの地域の国々は「合理的」に行動する、という前提に立っているのに対して、この作品の著者は、この海域を巡って実際の紛争が勃発する可能性を排除しない。何故なら、それを抑止するための米国による覇権と、中国による侵蝕は、今後時間はかかるにしろ確実に進んでいくからである。その過程で、中国自体がどう変わるか、また中国に対し最も行動的なヴェトナムの国力が今後どの程度まで伸びていくか。そうした変数の多さに、この作品の著者はややおののいているようにも思える。唯一納得できるのは、日本が直面している東シナ海を巡る中国や韓国との紛争以上に、この南シナ海の領有権問題は、国家権力があからさまに実現される可能性があるということである。ここのところ、再び当地で毎日新聞に掲載されているこの海域を巡るニュースが、この地域で再び大きな政治課題となるのは時間の問題なのだろうし、米国のこの地域でのコミットメントを核に、全世界的な安全保障の枠組みの再構築に少なからぬ影響を与えることも確かである。ASEANで生活するものとして、南シナ海から目を離せられないことを改めて痛感させられたのである。

読了:2015年5月10日